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楽しくいきましょう、神戸 大阪

神戸や大阪のケーキやパンと、映画や音楽など、
好き勝手なことを、書きたいと思います。

ゴル、ゴル、ゴルフ。

2020-01-29 09:43:29 | 日記
ゴルフは、元々、そんなに好きでなかったのですが、

付き合いで、それなりにやっていました。

ゴルフの経歴は、18才ぐらいから打ちっ放しの練習場で、

友達と暇つぶしで、適当に打っていました。

当時は、野球のバッティングセンターと同じぐらいの金額で、する事ができ、

そのわりに、最初の頃のゴルフブームだったせいか、

町の中に、ちょこちょこ有って、案外手軽にやれました。

只、本気でコースを回ろうと思ったら、

道具全てが、輸入品で、とんでもなく高かったです。

例えば、今から40年以上前で、

ゴルフボール一個が、500円以上していました。

そけだけに、ゴルフは、オッサンになり、

金持ちになった人間がする、お遊びやと思っていました。

小学生の時、私のオヤジが仕事の付き合いで、

ゴルフをしなければいけないという事で、

今では、新幹線の新神戸駅の後ろの山で、

布引のハーブ園の所に有った、打ちっ放し場に連れて行かされ、

かごに入れたボールを出して、オヤジが打ちやすいように、

一個一個打つたびに、前に置かされていました。

ここは、町の中の打ちっ放し場と違い、

山の上から、谷を挟んで、向かいの山に打つので、

球筋と距離感が分かり、そして爽快感も有るので、

見ていても、気持ち良かったです。

私は若い頃、柔道をやっているのもあって、体力を持て余していたので、

練習場で何発打っても、全く、疲れなかった。

元々、どうせ、コースに出るつもりもなく、

上手くなろうという気がないし、ただの暇つぶしで、力任せに打っていたので、

たまに、思いっきり地面を叩き、

地面に置いてある、マットを前に飛ばすか、

アイアンのクラブのシャフトを、曲げていました。

そういうのもあって、ゴルフの面白さが全く分からなかったです。

柔道ばっかりやってたせいで、

人間より遥かに軽い、ゴルフクラブを両手で持っても、

若い頃は、軽すぎて、持ってる感覚が無かった。

なにせ、人間様を投げる力が普通なのですから、

そのせいで、振り方が、全く分からなかったです。

本来、ヘッドの重さを感じて、振り下ろさなくてはならないのに、

感じないんですから、スイングが全く一定せず、

あっち飛び、こっち飛び、めちゃめちゃでした。

ひどい、どスライスになると、真横か、

下手すりゃ、ブーメランのように、後ろに飛んで、

とっても、危なかったです。

一度なんて、5か所ぐらい、右隣で打っているオッサンの足元に飛んで行き、

オッサンが、目を剥いていこっちを向いていて、

冷や汗を流しながら、知らんぷりをしていました。

自分でも怖かったです。

この程度で25才ぐらいの時、初コースデビューした時は、

とんでもなく、大変でした。

安月給なのに、いやいや、付き合わされて、

ゴルフは紳士のスポーツやから、

クラブハウスに入って行く時は、必ず、

ジャケットを着てなきゃいかん、と言われ、

前日に、わざわざ、一番安いジャケットを買いに行き、

ゴルフのフルセットを一万円で買い、

中古のゴルフボールを、何十個も買い、

ちびりそうな状態でゴルフ場に行きました。

全ての段取りが、全く分からないので、

人の言われるがまんま着替えて、

クラブハウスの前のグリーンで、どこに行くかわからんパターの練習をした後、

スタートする人が並んでいる、カート道に行き、

ど緊張の状態で、打ち方が、その時までよく分からんままのドライバーを、

汗を怒涛の如くかいている手で、握り方を何度も、確認している間に、

ついに自分の順番が回ってきてしまった。

自分のグループだけならまだしも、

カート道に、次の順番を待っている、他のグループのオッサン共が、

静かにして、ジーと見ている。

現在、オッサンになったから分かりますが、

あの時は絶対、オッサン共は、心の中で、

この若い奴、一応、ナイスショット言うたるけど、

俺より、ええ玉打ったら、許さんどー。

そない言うて、空振りでもしようもんなら、もっと許さんどー。

チョロでもして、とっとと、前に進まんかい。

お前は、いっちょ前にドライバーなんか持たんと、全部パターで打て、

もう、ОBでええから、早よ前に行け、

と思っていたに違いありません。

現実は、ど緊張過ぎて、他人の事を考えている余裕もなく、

視野狭窄になり、その上、ティーアップしたボールは、豆粒のように見え、

持ってるクラブは、カラオケのマイクと間違って、

私の持ち歌の、井上陽水の、傘がない、を歌ってしまいそうでした。

すいません、ちょっと盛り過ぎました。

実際、初めてコースに立つんですから、

打つ方向さえ、はっきり分かってない。

取りあえず、前に打った人と大体同じ方向に打つだけです。

そんな状態やのに、

構えが悪い、グリップが悪い、足の位置が悪い、などと、

この期に及んで、いらんアドバイスを言われます、

顔が悪い、頭が悪い、と一緒で、

突然、修正できるかーーー。

遂に、満を持して振り下ろしてしまいました。

かすかに、ボールに当たり、

取りあえず、前と思われる方向に転がって行きました。

大役を終えて、ホッとし、これでもう帰ってもエエわ、とまで思いました。

次に打つのが、私と同じように、ゴルフ、ド素人の仕事仲間です。

彼も、可哀想なぐらい緊張しているのが、見て取れました。

取りあえず、ボールに当てたらええからな、と言ってやりましたが、

構えて、振り下ろそうとした瞬間、

無慈悲な一言が、

それじゃあ、アカンわ。

その一言で、クラブヘッドは、

ボールの30センチぐらい上空を、通り過ぎました。

その後、無慈悲な一言が、振り上げるごとに連発し、

2回空振りし、

彼の顔は、あっちの世界に行ってしまったかのように、

無表情で、粘土のような土気色になり、

やっと4回目にして当たり、

ボールは、右の藪の中に、飛び込んで行きました。

見ていて、可哀想と言う言葉しか出てこない状況でした。

昭和はゴルフでさえ、無慈悲です。

その後も、だんだんオッサンに近づいてきたせいで、

渋々ながらも、誘われてぼちぼち行っていましたが、

スコアは110から120ぐらいを行ったり来たりしていて、

下手くそながら、大たたきしないような技術を、

自分なりに、開発していきました。

なにせ、ほとんど、ボールは、真ん中のフェアウエーに無く、

左右両側の、土手、崖、藪、林、雑木林、これは、漢検て゛はありません。

ましてや、隣りのコースにまでとんで行き、

その上、隣りのコースから、戻ってくる事が出来ず、

隣のコースでやっている人に迷惑をかけつつ、

並走しながら、最後に隣りの見えない所から、何故か、

元のコースのグリーンに、ナイスオンするという謎、

同じグループの人間と顔を見ない、存在感のない状態で、参加している、

実際、隣の誰もいないコースのフェアウエーから打つのは、

疎外感が有って、寂しいから、

早くみんなと、一緒にプレーしたいと焦るほど、

余計、あらぬ方向に飛んでいき、マスターベーションになっていきます。

もうオッサンやねんから、勘弁して、何発も無理や !

失礼いたしました。

これは、果たしてゴルフなのかというゴルフをやってきました。

お陰で天候にも、ほとんど恵まれず、

霧の中や、雨は当たり前で、前が見えなくなるほどの土砂降りの雨、

雪、雷、最悪なのが、台風のど真ん中を2回、

流石にこの時は、本当に死ぬかと思いました、

台風が来るのは、分かっているのに、まだ来てないからと、

したくてたまらない人が、やめとこうというのに、スタートさせてしまう、

しかし、やっている内に、台風が段々近づいてきて、

状況が、どんどん悪くなり、特に風が強くなり、

ティーアップしたボールでさえティーから落ちる、

打ってしまったボールは、あさっての方向へ飛んでいってしまう、

風が無かっても、あさっての私なんか、来週か、再来週です。

ショートホールの打ち下ろしなんか、

数少ないナイスショットで、ニアピンやと思ったら、

グリーンの上空で、ビューと強風が吹き、直角に曲がり、OBになりました。

状況がもっと悪くなってくると、

当然、土砂降りで、体は、下着、靴下、靴の中まで、ずくずく、

カッパなんて、何の意味もありません。

その上、フェアウエー、バンカー、グリーン、全部、水溜まり、

遂には、余りの強風で、周りの木の枝が、バキバキと折れだし、

いろんな物が、空中を舞い、まさに、魑魅魍魎が跋扈する地獄絵図です。

コースには、他のグループは当然いなくて、

私らの4人だけが、全くまともなゴルフになっていないのに、

仕方なく、何故か義務的にやっている。

元々、下手くそな私は、上手い人が下手くそと一緒になっていくので、

こうゆう状況になると、ワクワクしてきます。

実際、かなり危険な状況に、なってきて、

このまま、コース上で遭難するんじゃないかと考えだし、

遂に、帰ろうかと言い出しました、ザマアミロです。

人の不幸は蜜の味です、自分もやけど。

しかし、ゴルフ場からの迎えも来ず、

トボトボ歩いて、やっとの思いでクラブハウスに辿り着いた時は、

流石にホッとしました。

帰りの車の中では、誰もしゃべらず、盛り下がる盛り下がる。

これまで、一人て゛サバイバルゴルフをやってきた私は、

どんな過酷な状況になろうとも、へこたれず、

ちっちゃいボールを前に打つという能力は、磨かれていきました。

ちゃんとしたゴルフをせず、兎に角、スコアをまとめる技術は、

手の九番も含め、色々開発してきました。

何が、紳士のスポーツやねん。

この多彩な、年の功の、いかさま技術は、

昔のテレビ番組で、パーマーとプレイヤーを見ていた私には、

最盛期のタイガーウッズにも、負けず劣りません。

この秘伝の技術を知りたければ、

私のメルマガで知ることが出来ます。

メルマガないけど。

続く。

ジョジョ・ラビットを観た

2020-01-28 09:36:24 | 日記

前にも張りましたが、

ここのソフトクリームは、蜂蜜の甘さだから、やさしい甘さで、

クリームも滑らかで、くどく無く、食べやすくて美味しいです。

ジョジョ・ラビットは、凄く良くできた、いい映画でした。

第二次大戦のナチスドイツで、10才の可愛い男の子が、

ヒトラーユーゲントに入り、色んな辛い目に会うけど、

逞しく、終戦まで、色んな人間に助けられて生きていく、

そして、その生活の中では、自分の妄想で、

常に、すぐそばに、ヒトラーが現れて、

いい事も悪い事も、助言していく、

映画の撮り方は、全然暗くなくて、明るく、悲惨さを軽くしている。

子供でも見れるように、作っている。

そのせいか、空いていると思って行ってみたら、

中々、映画館には人が入っていました。

スカーレット・ヨハンソンが、主人公の男の子の母親役で、

色んなものを背負っているけど、明るく接して育てている。

監督が、脚本を書き、ヒトラー役もやっている。

この映画は、欧米の人々の、未だにナチスヒトラーを引きずっているのを、

今の子ども達に、教えたいという思いが、この映画を作ったように、思います。

ヒトラーユーゲントとは、ヒトラー青少年団という意味で、

10才から18才までの青少年を、ナチスに洗脳する為の組織です。

男の子は、優秀な兵士にし、

女の子は、将来、子供をいっぱい生む女性にする、

そして、ヒトラーに、絶対服従。

その為には、自分の親でさえ密告する、そう言う組織です。

独裁で、全体主義にするには、

子供を洗脳するのが、一番手っ取り早くて、簡単だからです。

私が一つ気になったのが、

映画の最後の方で、唐突に日本の事が、一瞬だけ話題になります。

それを、わざわざ、子供に言わせている。

こんなセリフを入れているのは、

欧米人が、ナチスを引きずっているように、

日本を、未だに警戒しているからだと、私は思います。

それを、子供に引き継がそうと、

しているように見えるのは、考え過ぎでしょうか。

去年、実際にあった事を映画にした、小さな独裁者、を思い出しました。

この映画は、まさに、虎の威を借りる狐、そのものでした。

自軍から逃げた兵士を、探しているドイツ軍からの逃亡兵が、

逃げてる途中で、高級士官の服を拾って、成りすまし、

どんどん調子に乗って、同じ逃亡兵の収容所で、

全員殺せ、と命令し、それを喜んでいる所長、

その収容所も戦闘機に爆撃され、ほとんどが死んでしまい、

その後もドイツ各地を周り、好き放題するという映画で、

戦争末期になると、疑心暗鬼になり、

何を信じていいか、分からなくなり、

同国人同士で殺し合う、カタストロフィが起こる。

全編、ドイツ語で、とってもリアル感が有りました。

この映画の最後のエンドロールの所で、

その映画の主人公達が、その衣装のまま、

現代のドイツの町の中を、訝しげに見ている町の人々に、

ちょっかいをかけながら、ウロウロする映像をダラダラと流している。

見ている私には、自己嫌悪であり、自己憐憫のように、感じました。

私は子供の頃から、第二次大戦の映画を、いっぱい見てきました。

昔は、ハリウッドが作った映画ばっかりで、今もそうですが、

アメリカ人が、勧善懲悪で、インディアンをやっつけるように、

ドイツ軍、日本軍をやっつける、ヒーロー映画のようでした。

子供の目からしたら、かっこよかったです。

しかし、もっと、かっこよかったのは、ドイツ軍でした。

軍服がカッコイイ、兵器がカッコイイ、

ワーグナーのワルキューレの騎行のように、ドイツ軍歌がカッコイイ、

実際ドイツ軍の軍服は、ナチスが国民に、

軍に憧れるようにカッコよく作ったそうです。

馬鹿な子供は、単純にカッコ良さに憧れます。

しかし、現実の戦争は、悲惨極まりない。

硫黄島での戦いで、アメリカ兵が戦場から、自分の家族に出した手紙に、

死んでいるのは、前からの、日本軍の攻撃より、

後ろから飛んでくる、アメリカの軍艦からの、

艦砲射撃で死んでる人間の方が多い、と書いていました。

味方に殺されています。

湾岸戦争の時でも、

予備役だった人が、必ずしも行かなくてもいいのに、

義憤に駆られ、日本人の奥さんが、止めるのも聞かず出征し、

野営してる夜の砂漠で、寝ている時に、

味方の車輌に引かれて、死んだ。

その遺体が帰って来た時に、もっと強く止めていれば、と、

奥さんは慟哭していました。

アジアなどで戦っていた、日本軍の死亡原因のほとんどは、

餓死か病死だと聞きます。

私が言うのもおこがましいてすが、無念です。

片や、ヨーロッパの貴族とか金持ちは、

第二次世界大戦中は、アフリカの戦争をやっていない南の方に行き、

召使いと共に、優雅に、アフタヌーンティーを楽しんでいたそうです。

第一次世界大戦では、長い期間、塹壕の中で、

恐怖と寒さなどの極限状態に晒されたせいで、

帰って来ても、震えが止まらなくなる症状がいっぱい出て来て、

今では普通に使われるようになりましたが、

PTSD (心的外傷後ストレス障害) の元になったと言われています。

そして現代は、遠く離れたアメリカの基地から、

アラブなどのテロリストに対する、上空からの映像だけで、

ドローン攻撃により、ゲームのように簡単に人を殺せる事により、

そのオペレーターが、PTSDや、うつ病になっている。

戦争は、無慈悲であり、不条理です。

現代の日本て゛は、そういう事を、考えなくて済むようになって、楽になった。

天国のような、いい所です。















脳みそに汗をかく問題

2020-01-25 10:22:07 | 日記

前にも出したと思いますが、

このパンケーキの味は、普通のと違っていて、

ちょっと味に、コクのようなものが有りました。

本題に戻って、

ヤフーニュースで取り上げていた、アエラの記事で、

公立中高一貫校、適性検査型入試、が話題なっている。

受験エリート校に、なってはいけない為の適性検査、

それが、脳みそに汗をかく問題ということらしい、

現代の日本は、社会が昭和の高度成長期型からの、

脱却が出来ずに、右往左往している。

アメリカに、おんぶにだっこに、なってたら楽な時代が長すぎて、

日本という国が、甘やかされてきたからだと思います。

アメリカも、それが都合が良かったのでしょう。

日本の教育も、自己主張しない、

ONE FOR ALL.  ALL FOR ONE. 型人間を、全力で作ってきた。

私の子供の頃は、大人は絶対であり、

先生と言われる人は、神さまであるように、教えられた。

逆らったら、どつかれる、つねられる、耳を引っ張られる、

髪の毛を引っ張られる、蹴飛ばされる、

色んな体罰と、罵詈雑言、

お医者さんでさえ、元、軍医の医師がいて、

怒鳴り散らしてました。

戦後がまだ、続いていたのでしょう。

前にも書きましたが、貧乏な家は、勉強どころではない。

同級生は、余りにも勉強しなさ過ぎて、

高校に進学したいけど、担任の先生が、兵庫県から大阪の私学を、

駆けずり回っても、どこも取ってくれへん、と嘆いていました。

それでも、あらゆる手を使い、みんな、どうにか入りましたが、

高校を出てからの進路と、バーターです。

まあ、勉強してない分、精神と肉体の強さは、野獣並みですから、

私の通った公立中学は、2つの小学校が合わさって出来ていました。

もう一つの小学校は、教育熱心な、お金持ち御子息学校、

片や、うちの学校は、野生、貧困家庭学校。

本当は、ど、と言う形容詞を付けたい所ですが、

水と油、黒と白、天と地、エンジェルとルシファー、ふぐ刺しとタコ焼き、

アゲハ蝶とカマキリ、うーん、もひとつピンと来ない、

一番ピッタリ来そうなのが、孔雀とハイエナ、

こんなもんで、どうでしょうか。

そのお陰で、入学したての時は、

あっちの、孔雀さん達に、とことん馬鹿にされる。

それでも、仕方ないのは、

孔雀さん達は、天下の灘中とか一流私学を、

お受験された方々であらせられるのですから。

こっちは灘中や言われても、

なんやそれ、喰いもんか ?

そんな存在自体知りません、

まして、灘という字が読めない、

当然、書くなんて、とんでもない奴らです。

格差なんて言葉が、もったいないぐらい、

無量大数倍、いやさ、Googleの語源となった、グーゴルプレックス倍。

人間と、ゾウリムシ以下です。

一年生のうちは、こんなん知ってるか ? あんなん知ってるか ?と、

馬鹿にされまくりました。

しかし、ゾウリムシ君達は、罵詈雑言は日常であり、あいさつ程度で、

知らない言葉だらけで、言うだけ無駄。

馬鹿にされている事さえ、理解出来ません。

まさに、蛙の面に小便、馬の耳に念仏、状態。

あ、間違ってました、ゾウリムシでした。

蛙と馬に失礼でした。

あっちの学校の奴らは、この嫌がらせは、

人類にしか通用しない事にそのうち気づき、諦めました。

しかし、一部のゾウリムシ君は、

何となく、馬鹿にされている事に気付き出し、

言った瞬間に、相手にパンチを出していました。

ほとんど、条件反射、脊髄反射です。

一年生のうちは、毎日そこら中で、殴り合いをしていて、

挨拶代わりみたいなもので、

すぐ終わるか、片一方が、形勢が悪いと思うと、突然、

くるっと振り向き、一目散に逃げていました。

平和主義者の私は、喧嘩を止めるべく、

二人の中に、割って入って、よく両方からどつかれていました。

そうや、脳みそに汗をかくでした。

私が言いたいのは、ゾウリムシ君達は、

学校の勉強をしなくても、食べていく為には、

仕事をしなくてはいけない事だけは、脊髄に刷り込まれている。

ほぼ、本能です。

商売人の子供である私は、商売が日常であり、

サラリーマンは、特別のもんであると思っていました。

皆さん自分で商売をするよりも、サラリーマンの方が楽だから、

そして、クリーンで、スーツを着て、見栄えがいいので

わざわざ、大卒の資格を取るのでしょう。

そのサラリーマンと言う基準の中で、収入が多くなる為に、

勉強を、あーでもない、こーでもない、と言っています、

自分が、大人になって、どうゆう仕事がしたいか、

あるいは、どう暮らして行きたいか、

それを、大人は、押し付けるんではなく、促していくべきだと思います。

だから、勉強したくないなら、将来こういう選択肢になると、

社会を広く見た経験で、常に修正しながら教える。

それで、今、どうする ?

常に変化が起こっている、今、を考えさせる。

昔、灘中高が、東大の合格率にこだわらなくなり、

医学部に行く事にこだわりだした。

その理由が、官僚になるより、

医者の方が、お金になるからと、聞いた事が有ります。

とっても、合理的だなと思いました。

日本で大企業と、一般的に言われている会社が潰れ、

親方日の丸、一生安泰と言われていた銀行が、どんどんリストラし、

昭和の定説が、どんどん崩壊しています。

科学の世界でも、定説は何度も、ひっくり返ってます。

生き残るとは、汗をかこうが、かかなかろうが、

定説という物に固執せず、

今の変化に対応して、楽しんでいく脳みそが、

本来の、人間の脳みそだと、私は思います。





いろんな、お酒

2020-01-22 18:05:36 | 日記

私は、お酒が飲めません。

つくづく、お酒が飲める人が、羨ましかったです。

無理して飲めないお酒を、たくさん付き合ってきました。

それだけに、嫌な思いも、たくさんしてきました。

現代は、無理して飲まなくても良くなりました。

いい時代です。

若い頃は、飲む努力もしてみました。

そのお陰で、酒の味の違いは、多少分かります。

人が旨そうに飲んでるのが、うらやましくて、

ちょっと飲ませてと、一口だけ、片っ端から飲んでみました。

やっぱり、どんな酒でも、いい酒は旨い。

口当たりのいい酒を、調子にのって飲んでしまい、

何度も、ふらふら、ヘロヘロになりました。

私は子供の頃に、だらしない酔っぱらいを、いっぱい見ました。

しかし、それが許される時代だった。

まだ混沌とした、戦後が残っていました。

戦争体験を語る人が、周りにいっぱいいました。

白装束で、軍歌を大正琴で弾いている、

傷病軍人の方々も、町の中で見る事がよく有りました。

戦場の悲惨な現実とか、火垂るの墓と同じ不条理な空襲で、焼け野原になり、

黒焦げの死体を、私が通っていた小学校の校庭に、

山積みになっているとか、悲惨な事柄をよく聞かされた。

戦争に行って、大変な経験をし、どうにか、生き残って帰って来た人に、

負けて帰って来た、逃げて帰って来たと、

無慈悲に陰で大人が言っているのを聞いた。

男だから、長男だから、しっかりしろと、始終言われていて、

その割には、矛盾だらけで、理不尽な事だらけで、

大人は、お酒に逃げていたのでしょう。

私の20代の頃は、まだ、飲酒運転に甘い時代で、

私の友人も車で、一直線の道を飛ばして、

前を走るトラックの後ろに、突っ込んで死にました。

助手席には、ウイスキーの瓶が転がっていたと聞きます。

その友達の両親は、その数年前に立て続けに亡くなっていました。

親戚がいないらしく、妹だけでした、

一番近い、もう一人の友人が、代わりに検死に行きました。

トラックの下に潜り込んでいたと言っていました。

学生の時からの付き合いの、二人の友達は、

酒の飲み過ぎで、40代になってから、

一人は、体調を崩し、あっという間に亡くなり、

一人は、すい臓がんで亡くなりました。

二人とも、子供は、まだ学校に通っていて、

どちらの奥さんも、悲嘆にくれていました。

酒に逃げているのを知ってただけに、どうにか出来なかったのかと、

今でも悔やんでいます。

一人の奥さんは看護師さんでした、とっても悔やんでいました。

かける言葉が無かった。

嫌な事は、酒を飲んでも消えない。

その時だけ、忘れたようになるのを継続させたいから、飲み続ける。

その事を抱えたまんま、死んでしまう。

ずるいと思うし、半分、羨ましいとも思う。

人間は、簡単に亡くなります。

今の時代は、日常が楽になっただけで、満たされていない。

こういう時は、マンネリの大権化、吉本新喜劇を見て笑いましょう。

予想通りのボケツッコミを見て、笑いましょう。

腹を抱えて、涙を流し、

机か、隣りの人をバンバン叩いて、笑いましょう。

昔、東京から来た人が、探偵ナイトスクープを見て、

あの面白さが全く、分からない、と言っていました。

真面目に見ると、思いっきり、下らなくて、下品です、

人間は、今、普通に過ごせていても、

いつ自分も、そんな状態になるかもしれない。

笑える時に笑いましょう。

いつ死ぬか分かりませんから。

ケーキやパンも好きですが、和菓子も好きです。

2020-01-21 15:44:34 | 日記

この近所に、磯上グラウンドが有って、

以前、このグラウンドは、外人の為の、ラグビー場だったと思います、

昔は、この横にプールまで有って、夏でも、よく空いているので、

たまに友達と、泳ぎに来ていました。

突如、大福が好きです。

ういろうも好きです。

栗蒸し羊羹も好きです。

御座候も好きです。

和歌山弁で、でんだいも好きです。

御座候は、姫路が本店みたいですが、

昔は、どこでも、似たようなのが有って、

うちの近所では、太鼓饅頭(たいこまんじゅう)と言っていた。

それぞれ、地域で呼び名が、違っていたと思います。

しかし、昔に比べれば全体に、みんなおいしくなった。

昔は、普通のお菓子とかは、

チクロや、サッカリンとか、人工甘味料をよく使っていた。

無理矢理、甘い感じだった。

甘いと言えば、果物が、劇的に甘くなった。

うちの店の右隣が、くだもの屋さんだった。

昔は、流通が良くないから、産地から届くまでに、時間がかかり、

痛みやすく、種類が少ないので、

くだもの自体が、高級食品で、

そんなに、日常に食べる物ではなかった。

箱に入れて、病気のお見舞いの贈答品にしたりしてた。

しかし、みんな、すっぱかった。

くだものが、甘いというイメージは全く無かった。

どれも、よく、砂糖をかけて食べていた。

日が経って、腐りかけて、黒くなって、店の前で叩き売りになった、

くだものが、安く甘くなっているのを、叔母は好んで買っていた。

今で言う、熟成食品です。

昔から、食べ物は、腐りかけが旨いと言われます。

タンパク質が、菌とか酵素により分解されて、

うま味成分の、グルタミン酸になった時が食べ頃です。

これの、見極めが難しい。

私は、チャレンジし続けてきました。

何度も、えらい目に会いました。

フグやキノコのように、ほんまもんの毒はさすがに嫌です。

自分の全身全霊の審美眼で、見極め、

その上、運しだいの、ロシアンルーレットを楽しむ、

下手すりゃ、ゴートゥーヘル、

その結果、ロダンの考える人、状態。

上手くいきゃ、ボッティチェリのビーナス誕生です。

ビーナスは、貝殻の上に立ってます、

貝の場合は、主に、貝毒ですが、貝に当たるのも、きつい。

私はこれまで、何度も夜中に、2時間ぐらい、トイレでロダン状態になり、

地獄の業火に、さらされらがら、トイレの壁を掻きむしっていました。

そして、全部出尽くした後の、爽快感が最高です。

体重が、5キロぐらい減って軽くなり、

体中の毒素が抜けて、色素も抜けて、

一時的に白人になったんちゃうかと、思えるぐらいです。

その後すぐに、布団に入った時の、寝入りの良さたるや、

このまま、幽体離脱し、天国に行けるんちゃうかと感じます。

その快感が、忘れられず、チャレンジし続けます。

やっぱり、M です。

和菓子から、下痢まで来てしまいました。

失礼いたしました。

しかし、全然甘くなくて、すっぱくなった、

大福やシュークリームもよく食べました、

大抵、半分以上食べてから、

やっぱり、美味しくないわー、と言ってから、捨てます。

甘い物を食べたいのに、酸っぱいのを食べさせられる、失望感、

裏切られた感、損した感、

一口目で、気づいているのに、悔しいから、

元を取りたいという、貧乏性、がそういう行動をしてしまいます。

昔、真夏に、シュークリームを買って、

10分ほど、自転車に乗せて運んだだけで、

家に着いて、すぐに、かじったのに酸っぱくなっていた時の絶望感、

神様は、私に、なんという仕打ちをするのでしょう、

私に、ヒロタのシュークリーム以外食べるな、と言っています。

手作り感の有る、シュークリームも食べたいのです。

ヒロタも好きですけど、一口サイズは、嫌なのです、

ガブッと噛んだ時に、上下左右から、

カスタードが、飛び出すシュークリームが、食べたいのです。

そして、小さな幸福感を味わいたいのです。

しかし、世の中、そう甘くはないぞ、ザマアミロです。

その上、その貧乏性のお陰で、考える人状態にまでされる仕打ち、

絶対、爺さんの爺さんの爺さんが、犬の尻尾を踏んだからや。

その、たたりに違いない。

そうだ、墓参りに行った時に、尻尾踏んだ、じいちゃんに、文句言うとこう。

罰が当たります。

もっと、当たります、エライコッチャ。

餅も赤飯も好きです。

どっちも、出来立てが最高です。

出来立ての餅で、大根おろし、醤油がけ、これは、

あっさりしてるし、大根の消化酵素のお陰で、何個でもいけます。

海苔を巻いた磯辺巻きもいいですねーー、

しかし、こし餡は、どうも、好きではないです。

歯ごたえが無く、砂糖を溶かしただけの汁を、飲んでるみたいで、

やっぱり、お汁粉より、でんだいです。

やっぱり、ざ行より、だ行です。

語感の強さが好きです。

しかし、おいやん、よりも、オッサンの方が好きです。

オッサンの突き放した感が、好きです。

オヤジの悲哀が、出ています。

日が経って、表面が固くなって、もちもち感が無くなった上に、

噛んだら、酸っぱかった時の、絶望と悲哀と哀愁に、

久し振りに会ってもいいかなと。

あー怖い、でも、ちょっとだけなら。

この投稿が、パタッと止まったら、

オッサン行っちまったと思って下さい。