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楽しくいきましょう、神戸 大阪

ジコチュー災害ボランティアの「迷惑な実態」

善意の災害ボランティアばかりではない。中には動画配信サービスやSNSを利用して、被災地の情報を流すことでお金を稼いだり、目立つことを目的とした「売名ボランティア」の存在も浮き彫りとなった。

 「自分のためにもボランティアをしたい」などと意気込む声も聞こえてくるとか。あくまでも被災者のためではなく、「自分のため」。自己満足以外のなにものでもない。 

「被災地の小学校で支援物資を一通り配り終わって、帰るときのことです。一部の災害ボランティアが『東京に帰ったら●●したいね』とか『今日の夜、●●寄っていく?』というように楽しく話していたのを聞きました。それを津波で家を失った女性が悲しそうに聞いていました。その時の彼女の表情は忘れられない」 

阪神大震災の時でも、こういう問題は、いっぱい起きました。

現地の人が欲しいのは無償の人手か、お金のみです。

もし行くとしても、一切迷惑をかけず、全部自分でサバイバルできた上に、

その時、頼まれた物だけを持って行く。

とにかく邪魔をせず、要らない事を話さない、必要とされる事だけをする。

阪神大震災の時に、現地のリポーターとして行った女性のアナウンサーが、

寒かったので、ゴージャスな毛皮のコートを着て現地でリポートしていて、

大バッシングを受けていました。

私は、それを見ていて、本人もそうなんですが、それをテレビで流す放送局の

トンチンカンな対応は、さすが東京と感心したのを覚えています。

ワンピースに出て来るハンコックそのものでした。

人の気持ちに寄り添うという意味の正反対で、見た目は完全に女王様でした。

あの頃の東京から関西を見る目は、京都人のように、

明らかに上から目線でした。

人が、まさに目の前で死んだ、未だに埋もれているという現実が、

実感できないのでしょう。

ただ生活に困っているだけではない、いっぱい人が死んでいるという所に、

立っている生々しい現実が、頭に思い描けないのでしょう。

可愛い綺麗だけの、日頃スイーツの食リポしかしていないようなお姉さんを、

そんな所に行かせた事自体が、嫌がらせみたいなもんです。

そういう意味では、可哀想でした。

阪神大震災の時に大阪に住んでいた私は、すぐ近くで起こった大災害ですが、

自分の周りで起こっていなかったら、基本、ほとんどの人は、

他人事感覚であるのは、仕方がない事であるというのを、思い知りました。

他人に自分と同じ気持ちを共有してもらうのは、とっても難しい。

だから人に期待してはいけない。

日本は、そういう教育をやってきていないんだから仕方がない。

一番重要なのは、その災害が有ったという事を忘れずに、

次に起こった時の為に、しっかり学ぶ事です。

本来、歴史教育はその為に有るはずです。

来てくれただけでも有難いと思うしかないんです



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