今日、ようやく「選挙」を見てきました。
もちろん、ドキュメンタリー映画のことです。
で、この映画を人々はどう見ているんだろうか?
そんなことで他人のブログを見てみたら、
少しがっかりしました。
例えば「こんな映画見ちゃいけない!」
http://d.hatena.ne.jp/otello/?of=15
では、
「彼は政治家という職業を体験したかっただけなのだろうか。」
とコメントを締めくくっている。
この人は、
いったい映画の何を見てきたんだろうかと。
映画を見れば、
自民党という村社会の中で、
普通の感覚は失われ、
例えば「妻」と呼ぶことを否定され、
その「妻」が働くことを否定されて、
結局地盤のない新人が、
わずか1年半で、
なにもなしえず、壁の前で自民党政治に
絶望した?
ま、
こんなことから、
当選の可能性もなく、
自分らしさを失ってまでして、
選挙にでて借金を作りたくなかった。
こんな感じではないでしょうか。
当たらずとも遠からじ・・・であることは、
「映画」を見れば、容易に想像がつく。
夫婦で葛藤していたあの映像から、
「彼は政治家という職業を体験したかっただけなのだろうか。」
などという言葉が出てくるとは、
申し訳ないが、少々悲しい思いです。
この人の名誉のために言えば
「ルワンダの涙」とか、
いい映画をたくさん見ているし、
それなりいいコメントをしている日もありますから・・・。
たまたま・・だったのかもしれませんね。
しかし、この程度のことも読み取れないないのはどうして?
イマジネーションってどこにいったんでしょうか?
今、ブログで何でも発信できるからこそ怖いのは、
誰でも評論家社会となって、
きちんと評論が伝達されにくくなり、
いうならば、
1億の絵と、2万円の絵が、
同じショーウィンドウに並び、
それを見比べる力が、
市民から失われていこうとしていることではないだろうか?
商品を見る力のない骨董品店で、
価値を見極める力のない客が買い物をしているよう・・・。
ブログランキングなんてのがあるから、
この世界もダメになっていくんしょうか?
ITリテラシー教育が必要だろうなぁ・・・。
アクセスランクだけをアップさせるむなしい努力をするのは、
視聴率をあざとく取りに行く
バラエティ番組のようで、
寒い。
もちろん、ドキュメンタリー映画のことです。
で、この映画を人々はどう見ているんだろうか?
そんなことで他人のブログを見てみたら、
少しがっかりしました。
例えば「こんな映画見ちゃいけない!」
http://d.hatena.ne.jp/otello/?of=15
では、
「彼は政治家という職業を体験したかっただけなのだろうか。」
とコメントを締めくくっている。
この人は、
いったい映画の何を見てきたんだろうかと。
映画を見れば、
自民党という村社会の中で、
普通の感覚は失われ、
例えば「妻」と呼ぶことを否定され、
その「妻」が働くことを否定されて、
結局地盤のない新人が、
わずか1年半で、
なにもなしえず、壁の前で自民党政治に
絶望した?
ま、
こんなことから、
当選の可能性もなく、
自分らしさを失ってまでして、
選挙にでて借金を作りたくなかった。
こんな感じではないでしょうか。
当たらずとも遠からじ・・・であることは、
「映画」を見れば、容易に想像がつく。
夫婦で葛藤していたあの映像から、
「彼は政治家という職業を体験したかっただけなのだろうか。」
などという言葉が出てくるとは、
申し訳ないが、少々悲しい思いです。
この人の名誉のために言えば
「ルワンダの涙」とか、
いい映画をたくさん見ているし、
それなりいいコメントをしている日もありますから・・・。
たまたま・・だったのかもしれませんね。
しかし、この程度のことも読み取れないないのはどうして?
イマジネーションってどこにいったんでしょうか?
今、ブログで何でも発信できるからこそ怖いのは、
誰でも評論家社会となって、
きちんと評論が伝達されにくくなり、
いうならば、
1億の絵と、2万円の絵が、
同じショーウィンドウに並び、
それを見比べる力が、
市民から失われていこうとしていることではないだろうか?
商品を見る力のない骨董品店で、
価値を見極める力のない客が買い物をしているよう・・・。
ブログランキングなんてのがあるから、
この世界もダメになっていくんしょうか?
ITリテラシー教育が必要だろうなぁ・・・。
アクセスランクだけをアップさせるむなしい努力をするのは、
視聴率をあざとく取りに行く
バラエティ番組のようで、
寒い。