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言いたい放題 100の事

最近硬派になってごめんなさい

権利を議論する人々

2007-12-24 23:46:13 | Weblog
僕の好きなグルメのブログで、今ブログオーナーが書くコメント、即ちお店の評価についてまるで威力業務妨害であるかのような議論がおきている。
そしてひいては、その写真の撮影にまで言及して、権利の侵害だと言う。

個人情報保護法ができて、「権利」について間違った知識が流布して以来、誰もが法律批評家となって声高に叫ぶ社会となってきた。

ま、議論することは結構だけど・・・・

例えば、レストラン店内で写真を撮影すること。
これは、基本的に周りに迷惑さえかけなければ「権利」侵害とまで言うようなたぐいのことでもあるまい。隣でタバコ吸うわれるほうがよほど権利侵害だ。
でも、その程度のことは許せる範囲ではないのか。
たばこは「止めてもらえませんか」とは言うけどね。

そして、ブログでお店の評価することがお店に対し威力業務妨害かと言えば、99.99% NO。(もちろん僕は法律家ではないので法的なことを言っているのではない。)

だいたい、そんなことで客が減る店がどうかしている。
そりゃ、店に対し意図を持って書いたものならば別だが・・。

そして、根本的はことは、言論を発している社会においては、その自由を保障されているということ。これはすなわち反論する自由も保障されているわけだ。
この人類にとって最も大事な権利。言論の自由のもとにあっては、些細な権利を口にすべきではない。それほど、この言論の自由は大事であり、これが奪われたときこそ、暗黒の世界なのだ。
自由に行き来する権利と言論の自由は、今、民主国家において最低限守られるべき自由。

刑務所の中は、この行動と言論に制限がある社会。

そういう大きな見地からものを見ないと、枝葉末節の議論に終わってしまうだろう。議論にはそれぞれ一理あるが、この言論の自由から逸脱した論理はすべて意味のない発言になることを忘れてはならない。









民主党 古川殿

2007-12-13 22:35:11 | Weblog
僕の住む愛知2区。
ここの議員と言えば、民主党古川氏。

若いし、論客でもある。
しかし、どうもまどろっこしい。

なぜか。

「輝く」ものが見えてこないからだろう。
議論の中に、「切れ」がない。
もちろん、じっくり聞く分にはかなり、っていうか相当いいことを言っているが、人々には、彼の話をじっくり聞く時間はない。
そう、ズバット短く切れ込んでこないと、人々に響かない。

今、選挙では消去法で当選は続いているだろうが、
それでいいのか?

最近地下鉄の駅で配られた彼のビラを読むと、
それがよくわかる。

見出しは「いますべき税論議とは」とあり、
国を動かしていくのに必要なお金が足りなくなるのに、
その財源を消費税にのみ求めるのはどうか。
そう言っている。

しかし!長々と書いてあるのに、結論がない。
即ち、古川氏として、どうするのがいいのかという提案がない。

これは悪い冗談でしかない。

税論議とあるならば、誰にでも分かるように、短く「案」を示さなければ、支持のしようもない。
忙しい時間に、ビラを読んだ僕の時間を返せとまでは言わないが、
これが彼の限界なのか。
一生懸命やっているが、
結果をだすことより過程を大事にすることが主題化している。

それは違うといおう。
政治家は、
「僕は、こういう意見だ。それについて君はどう思うか?僕を支持するならば、一票を入れてくれ。支援してくれ。」でしょうが!

いつまでもそんなんじゃ対抗馬で出るよ!

星野ジャパン

2007-12-03 23:26:14 | Weblog
最近、星野ジャパンとかオシムジャパンとかいう、監督名をジャパンに付けることがやたら多い。

じゃ、日本そのものが福田ジャパンということになる。

これって変じゃないですか?
僕は福田ジャパンの一員にはなりたくないもの。
純粋に日本のことを愛していますが、
世界のことも大好きだから、
日本さえよければそれでいい、という人とは相容れません。

そして、
この、JAPANなるものを個人の所有物化した言い方には嫌悪します。
誰が「あんた」のモノにしたんじゃい。

そして一番いやなのは、
ドラゴンズ監督時代に選手に暴力を振るっていたこと。
バカな財界が星野に「小遣い」を与えて、それを監督賞として「金」で選手を手なずけて勝利していたこともいやな理由。
自分の利権のためにキャンプをオーストラリアにするなど私物化したこと。
辞めるときのごたごたで、勝手に後継監督を指名したこと。

そういう男なんです。

だから星野ジャパンと言われると、
どうも応援したくなくなる。

固有名詞をつけるやりかた、やめませんか?

言論の自由

2007-12-02 01:34:00 | Weblog
このブログの世界。

自由に発言できる場かと言えばそうでもない。
香川の殺人事件について、最初誰もが犯人でないかと疑った父親について
「犯人説」を書いた女優が1年謹慎だって?
それって違うじゃないかなぁ。

だって、マスコミも完全にそうマークしていたし、
父親の対応も、まるで青森の畠山のようだったから、
彼女を責めるのはどうなんだろうか。

じゃ、父親の人権はどうなるか?って。

日本は言論の自由がほぼ全面的に認められている稀有な国です。
そして、この言論の自由、つまり何でも思ったことを話すことが出来る自由こそ、
何よりも大事な自由です。
どこへでも移動できる自由と同じくらい大事なこと。

じゃ、父親の人権はどう守るべきか。
彼は、結果として犯人ではなかった。
だから、疑われるようなことをしなければよかった。
遠くからのインタビューだったから、
メディアスクラムで、報道も節度は守っていた。
だからこそ、報道に対し敵対せず語るべきだった。
そうすれば自分の人権は守れただろう。
自ら不信な行動をしたために、犯人扱いされたのだから、彼に問題があったと考えるのが妥当だろう。例えば、パチンコばかりして働かなかったとか・・・・。

しかし、言論の自由とはそういうことを言うのではない。
言論の自由が保障されているということは、
反論する自由が保障されているということ。

今、誰もが発言できるツール(ブログ)をもてるようになったのだから、そのツールを使えばいい。だから、ブログで誹謗中傷オンパレードという悲しい状況が見られるが、もう少し、議論するということを学ぶ機会を増やすべきでしょう。
学校教育にディベートの授業を取り入れたりすることで、表現能力を増す。
そうすれば、匿名だからなんでのあり、の世界から、もう少し「大人の社会」が形成できるのではないかと、
そう思います。
そして、ブログが出来る人とそうでない人の格差を作らない方法も研究しなければならない時期でしょうね。
情報弱者を作らない社会を!