島ちゃんからもらった命のバトン

2009.1月急性骨髄性白血病発症。
2010.12月、旅立ち。
島ちゃんの軌跡と島ちゃんが遺してくれたもの。

今、思うこと

2012-09-16 21:28:29 | Weblog
昨日、和子さんの病院に行き、和子さんを囲んで、妙子さん、大兄夫婦、私と次男坊と色んな話しをした。

笑いアリ、毒舌アリ(*^_^*)

そんな時間を過ごして家に帰った。

家に着くと、長男坊もかっちゃんも「和子さん、どうやった??」と一目散に聴いてきた。

和子さんの体の状態、会って話たことなどひとしきり伝え、長男坊もかっちゃんも安心していた。

パパは病気をして「当たり前の日常」が変わった。

発症した時は「なんでオレやねん。おれがなんで白血病やねん」と嘆いた。

そして、闘病生活が長くなり、自分の力で歩けなくなり、すらすら書いてた字も時間をかけなければ書けなくなり、食べたい物が

食べれなくなり、トイレも一人では出来なくなり「由美ちゃん、ホントにごめん。こんな事させる為に結婚した訳ではないのに。ホントに

ごめんやで。俺は情けない。なんでこんな体になってしまったんやろ・・・」と声を出さずに私に顔を見せないように泣いた。

私はなにを言えばいいのか分からず、でもこの場から立ち去る事は絶対してはいけないような気がしてただずっと病室の椅子に座っていた。

パパの背中をみながら、パパってこんなに背中が小さかったっけ?とぼんやり思ったような気がする。

パパがICUに入る前日、酸素マスクをしたパパがマスクを外し「由美ちゃん、オレはホンマに幸せな男やで。白血病に感謝せなあかん。

おれは病気になってよかった。由美ちゃんや子どもたちが病気やったら俺は耐えられへん。でもオレが病気になった事で今まで会えてなかった

オカン(和子さん)や兄貴(大兄)と再会できた。妙子もついてるし、みんな近くにいるし安心やで。おれはツイてる男やで。ほんま今が

一番幸せやな~」と言った。さっきまでしんどくて顔を歪めていたのにその時の顔はホントに穏やかで優しい顔やった。

パパはそう言ってまた酸素マスクをして少し眠った。今度は私が声を出さずに泣いた。パパの小さな背中は偉大だった。

ICUに入る直前、パパは「由美ちゃん、10年とにかく頑張れ!突っ走れ!がむしゃらに全力で頑張りなさい。10年たった時子どもたちは

そんな由美ちゃんを助けてくれる」と言った。

パパは一度眠ってしまったらもう目を覚ますことはないとわかっていたのかな・・・

今の私・・・がむしゃらに全力でガンバれてるだろうか・・・。イヤ、全然やな!アカン!!!

これでは子どもたちは助けてくれないや(;一_一)

そして今思うこと。

健康な体があるならば人の2倍ガンバルこと。

毎日を大切に生きることってそういう事なのかな?と私なりに今、思っている。


パパの一周忌の時に妙子さんがパパの身代わりとなり私にメッセージを贈ってくた。

ステキな詞にステキな曲をつけ、すわじゅんこさんというとってもステキなアーティストが唄ってくれてます。

切なくもありそれでいて背中をしっかり押してくれる素敵な詩です。

私のわがままでなんとしてでもCDにして欲しいと妙子さんに頼みこの度その願いが叶いました。

間もなくリリースされます。

詳細は『くるくるミラクル幸せくるくる⇒ http://e-love-smile-e-jet.at.webry.info/201209/article_15.html』

   『すわじゅんこブログ⇒ http://ameblo.jp/junko39blog/entry-11356026549.html』




最強のかずちゃん

2012-09-15 22:09:44 | Weblog
今朝、野球の練習に長男坊を送ってる途中に妙子さんから電話がなった。

休みの日なのに・・・しかも朝早くに・・・

イヤな予感がした。

一昨日、和子さん(パパのお母さん)が胃がんの手術をした。

手術には行けなかったので、本日、長男坊の試合が終わったら病院に行く予定にしていた。

「妙子さんにお見舞いに行くわ」と昨日言った時、「熱が出てるし、もう少し落ち着いてからでいいよ」と言ってたので少し心配はしていた。

そして今朝の電話・・・。

あえて元気よく電話にでた。そしたら妙子さんの声が暗い・・・

「和子さんが、吐血して今、緊急治療をしてるねん。まだわかんないけど・・・そういう事やから・・・」と。

そっから長男坊を練習場に送りとどけたあと自分が今何をすべきなのか?・・・頭が真っ白。でも落ち着かない。

家に帰りかっちゃんに(私の母)に「ごめん、長男坊の事お願い」といって次男坊をつれ京都の病院へと車を走らせた。

病院に着くと妙子さんと大兄夫婦が待合室にいた。「和子さん、どう?会える?」って聴くと「会えるよ」と処置室に案内された。

緊張しながら部屋に入ると点滴をいっぱい吊るしベッドに横たわってる和子さんの姿があった。

「あら~由美ちゃん。来てくれたの~」ってニッコリ。さっきまで要らぬことばかりかんがえていて気が気ではなかったので、和子さんの

笑顔を見た時泣いてしまった。勿論嬉し涙ね。

そして和子さんを囲んでみんなでいろんな話をした。

次男坊も和子さん宛てた手紙を照れながら渡していた。

私は到着が遅かったので主治医の先生の話しが聞けなかったんですが、大量の吐血をし血圧もさがり危険な状態だったと・・・。

ひとまず良かった。和子さん、さすがね。だって「死ぬ時は笑顔で死にたいから体はすごく痛いんやけど笑顔を作っててん」やって。

やはりパパのお母ちゃん。

そしてもう一つ。ベッドに横たわる姿がパパとそっくり。親子やから当たり前なんやけどパパを思い出しまた泣けた。

痛みがあり相当辛いはず。ご飯も食べられない、水すら飲めない・・・。それなのに私たちが心配しないように色んな話しをして楽しませてくれる。

そんな所もパパはちゃんと和子さんから引き継いでいた。

一安心して帰る道中、次男坊に「和子さん、強いな~。よかった、よかった。」と言うと次男坊は

『最強のかずちゃん!』と言った。

ガンって病気は、嫌いです。

本日のドタバタの様子は妙子さんのブログから。

≪くるくるミラクル幸せクルクル≫

http://e-love-smile-e-jet.at.webry.info/201209/article_16.html

おばあちゃん、ボクがついてるよ!

2012-09-12 23:45:02 | Weblog
明日、パパのおかあさんが胃がんの手術をする。

そして明日の手術に備え、本日入院した。

「和子ばあちゃん、明日、体の中の悪い奴を退治するんだって」と次男坊に話すと

「えーっ!どうやって??ボクがやっつけてあげるよ。だってボク、空手ならってるから強いで!」と。

そしてその後、パパの仏前に手を合わせ「パパは強いやんな。おばあちゃんの体の悪い奴やっつけといたってな!!」と

か~な~り、上から目線で話しておりました。

和子ばあちゃんはパパのお母さんやからパワフルなのだー!!!

「和子ばあちゃん、ボクがついてるよ!!」と次男坊が言っとります(^ム^)




パパのぬくもり

2012-09-12 00:09:38 | Weblog
先週の週末、RFL芦屋に子どもたちと参加した。

パパが参加した2010年サバイバーフラッグにパパの手形があった。



そこにはパパの名前は無かったがパパの字だとすぐに分かった。

来年の再会を約束しようと思いを込めJIMEさんと小指を重ねていた。

パパの「感謝」と書いた文字は細く、震えていた。

パパは参加した時は体力もなく自分の力で歩く事が出来ず、車いす。

手は常に震えていて、握力もなく字を書くのは至難の業だった。

パパの手形。「感謝」の文字。相当時間をかけて思いを込めて残したんだろうな。パパのその時の様子を思い浮かべると涙が止まらなかった。

2人の息子にパパの手形だよと伝えた。

長男坊は静かに眺め次男坊は「パパは何処にいるの?」とあたりを見回した。

そして長男坊はパパの手形に自分の手を合わせた。



次男坊も小さな手をパパに重ね合わせた。



パパの大きな手でもっと、もっと頭を撫でて欲しかっただろう。

パパの温かな手でもっと、もっと抱きしめて欲しかっただろう。

パパの力強い両手でもっと、もっと抱き上げて欲しかっただろう。

2人の息子たちはパパと手を重ねてパパを感じてたんだろうなぁ。

1年に一度、パパと手を合わせパパのぬくもりを感じ、いつかパパの手より息子たちのほうが大きくなる時が来るのだろう。

ジャパン

2012-09-10 22:04:10 | Weblog
ホームセンタージャパンに行こうと思い「ジャパンに行ってくるわ」と言った。

次男坊が「えっ、ジャパンって日本の?」と聞いてくる。

なぬ??

「買い物やで」って言うと、「スパイダーマンがいるところに行くん?」と次男坊。

もしや・・・?!

そうです、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの事を言っているのだ。

そして「ボクはジャパンより東京のほうがいいな。ウッディとバズに会いたいし」と。

東京とは・・・そうです。ディズニーランドの事です。

私もディズニーランド行きたくなったな~。

「おかあさん、東京にはウッディとバズがいるんだよ。それからスリンキーもおるしな」と次男坊。

スッカリ、頭ん中はディズニーランドになってしまった。

そして私はホームセンタージャパンに向かった。


会場で逢い(愛)ましょう。

2012-09-07 23:19:17 | Weblog
明日です。

いよいよ明日です。

明日は「リレーフォーライフ芦屋」です。

天候が不安ですが、、、数多くの晴れ女、晴れ男、力を貸してください!

明日、たくさんの笑顔と愛と勇気と希望に出会いたいと思っております。

是非、お時間のある方、逢い(愛)に来て下さい!

http://rfl-ashiya.net/

えーーーーっ?今さら?!

2012-09-05 21:12:54 | Weblog
昨日、長男坊と「GTO」という番組を見ていた。

番組が終わり、なにげに私が「GTOって面白いね。来週で最終回か~」って言った。

すると長男坊が「そうなん、来週で終わりなん?鬼塚先生、病気やからか?!」と。

私「・・・??!」

長男坊「鬼塚先生の病気もう治らへんのんか?」と私に詰め寄ってくる。

私はそんな深刻にその質問の意味も考えずに「わからへんわ~。又、来週見たら分かるやん」と言うと長男坊は真剣に

「そんなん、アカン!早く入院せんと治らへんやん!手術したら治るんちゃう???」と鼻の穴全開、熱く私に訴えてくる。

私「ドラマやから、大丈夫やって」と何気にいった。

長男坊は「ドラマやったら大丈夫なん?」というので「だって作り話やからホンマの病気ちゃうしな」とサラッというと

「へっ?作り話ってことは“うそ”なん?」と、とても真剣に聞いてきた。

「ウソというか、演技やん。物語ってことやな。」と言うと

「えーーーーっ、全部そうやったん?そしたら、こないだケガして血を流してたのもウソなん??」と。

私「そうやで、ぜーんぶ演技やで。」

長男坊「ドラマって全部そうなん?」

私「そうやで」

長男坊「マジかーーーーっ!オレ今までずっとホンマやと思ってた。なんやウソやったんか~。良かった~」と。

ついでにパパの遺影を見て「パパが死んだのも実はウソやったりして」とボソリ。

おまけに「んな訳ないか!ドラマちゃうしな!!」とそこはちゃんと関西人らしく、ノリツッコミを忘れてなかった。

「えーーーーっ?今さら?!」と言いたかった私だったけど、自分の中で消化させた。

長男坊よ・・・母はちょっぴり心配だぞ(苦笑)







大人が元気になる本

2012-09-01 21:25:18 | Weblog
みなさんは大人が元気になる本に出会った事がありますか?

島ちゃんの妹である島田妙子が執筆した書籍「e love smile~いい愛の笑顔を~」を本日改めて読んでみた。

この本は島田三兄妹が子どもの頃、実父、義母から受けた壮絶な虐待の日々を綴った本である。

初めてこの本をよんだ時には嗚咽が出るほど泣いた。

壮絶な虐待を受けながら生き抜いてきたのに・・・。今から幸せにならなければならないのに・・・。

パパは幸せだったのだろうか・・・。

親にまだまだ甘えたい歳頃に新聞配達をしそのお金すら親に吸い上げられ、ろくにご飯も食べさせてもらえず、飼い犬の餌を食べ空腹を満たす

のが精一杯。

妙子ちゃんも新聞広告の食品を画を切りぬき、眺めて食べた気になるのがやっと。

日々、ひどくなる虐待に島田三兄妹は力を合わせ、支え合い、絆を深め生き抜いてきた。

当時の壮絶な虐待の事を話されたときは正直作り話しかと思ったくらいだった。

不思議なことにそんなにひどい虐待をされていたにも関わらず、実父、義母の事を憎む言葉は全くなかった。

私が「なんて親や!」と言った時に妙子ちゃんも、パパも「疲れてたんやで。かわいそうな人や。弱い人やったんかもね。」といって

憎む気持ちは全くないと言った。それは自分でもなんでそんなふうに思うのかも分からないと言った。

改めて「e love smile」の本を読んだ。

初めて読んだ時と全く違う気持ちになった。

優しい気持ちになり、息子たちを愛おしく思った。

そして妙子ちゃんの口癖でもあるように、悪い事以外はなんでもやる!とパワーが湧いてきた。

生きていれば必ず、誰かと関わっていく。自分の子どもでも自分の所有物ではない。ちゃんと人格がある。

パパと結婚するまで私は人と関わるのが煩わしいと思い、家族や、仕事などでどうしても関わる人だけで十分、と思い深入りをさけ

冷めた付き合いをしてきた。

結婚なんて全くする気なんてなかった。

そんな冷めた私にパパは私の事をいつも心配し、自分のことより私の事を一番に考えて行動してくれる人だった。

妙子ちゃんも同様に私をすぐに受け入れてくれ、パパと同じように私に表面だけでなく心の付き合いをしてくれた。

なんでこんな風に、人にやさしく出来るんやろ??って思ってた。

それは島田三兄妹の生い立ちにあるのかもしれない。

島田三兄妹の長男もとても人情派の人。

パパが亡くなってからもずっと私や子どもたちの事を気にかけてくれる。

明るく、気が優しく、力持ち~!!




我が息子たちも大兄が遊びに来るとおおはしゃぎ(*^_^*)

久しぶりに本を読んだらいい気持ちになった!

たくさんの人にこの本を読んでほしいな!

いつも難しい本を読んでる人。ちょっと息抜きしませんか?

あまり本を読む機会のない人。ブログを眺める感覚でこの本を眺めてみませんか?

疲れてるな・・・って感じる人。リラックスタイムに本を手にしてみませんか?



(アマゾンで購入出来ます。)

注意:電車で読むときは涙にお気をつけください。
   いかなる時もハンカチをお忘れなく!





















あぢかったぁ(;一_一)

2012-08-25 21:49:56 | Weblog
今日は朝から、長男坊が所属するチームの体力測定があった。

母たちは記録の記入等のお手伝い。

この体力測定は専門の方が来られて、かなり本気の測定。毎年、この時期に行われる。

昨年より長男坊の体は人周り大きくなり、体力もついた。

どのくらい、成長しているのか楽しみ。

8がつも残りわずかだというのにまだまだ空は青く、雲はもくもく、そして暑い。

その中で7種目の測定をこなしていく。








子どもたちの体を気遣い、「見守り隊」というのを母たちが当番で行っている。

テントを張り、氷を準備し、お茶を準備する。

そしてそれらを利用するのは子どもたち・・・のはずなのになぜか母たちの利用頻度のほうがはるかに高い(--〆)

本日にいたってはテント内は完全に母たちで支配されていた。

ただ子どもたちの記録を記入するだけのお手伝いなのに、どんだけお茶飲むねん!って位にバテバテ。

2時間ほどのお手伝いで母たちの出番は終わり、子どもたちはその後野球の練習。

やるな~。子どもたちの体力のは感心させられます。

驚異的やね。

明日も朝から頑張れよ~。

母も頑張る!

そして、母達、お疲れさまm(__)m

しかし、あぢぃ~(;一_一)



一緒にいかがですか?

2012-08-23 23:31:00 | Weblog
がん患者(サバイバー)、患者家族、遺族、がん経験者に対して勇気と希望を与え、一緒に「がん」を理解し乗り越えていきましょう。

リレーフォーライフ(RFL)というイベントが世界各国で行われております。

パパが白血病という血液のがんになるまで、全くこのようなイベントは知りませんでした。

パパが闘病中に病院で闘病仲間に誘われたのをきっかけにパパと2年前の夏にRFL芦屋に参加した。

「ガンは24時間眠らない」つまりガンは24時間眠ることが無い。したがって患者さんは24時間、病気と闘っている事になる。

RFLにはがん患者さん(サバイバー)、家族、遺族、経験者、また治療に携わる医療関係の方、企業、多数のかたが参加し24時間歩いたり(ウォーク)走ったり(ラン)する。


辛い治療には、体の辛さだけでなく、精神的にもかなり苦痛をともない孤独感、恐怖感もある。

RFLは同じようにガンで闘ってる方と互いに励まし合ったり、共感したりすることで勇気が出たり、生きる希望がもてたりします。

実際、サバイバーだけでなく、家族も「なぜ、家だけがこんな辛い思いをしなければならないのか」と卑屈になったりもします。

ここでもまた体験を語りあう事で情報交換が出来たり、一緒に頑張ろうと一体感がわいたりします。

2年前、パパとRFL芦屋に参加した。仕事で抜けられない私の代わりにパパの車いすを押してくださったJIMEさん。

JIMEさん(JIMEさんもサバイバー)とはRFLがきっかけで知り合いになったのだが、サバイバーとは思えない程のパワフルさ。

遅れて参加した私に笑顔いっぱいにパパは私にJIMEさんを紹介した。その時のパパの生き生きした顔は今でもよく覚えている。

RFLに参加してからのパパの闘病生活はガラリと変わった。

治療が辛くなると無口になり、閉鎖的になり時には、やり場のない気持ちを私にぶつけ、私もまた頭では分かってるつもりでもパパに対して

辛くあたったりして受け止めてあげることが出来なくパパと病室で本気でケンカして看護師さんに心配されたり、治療にも投げやりになって

大学病院の教授回診の時間になると必ず、病室から抜け出したり・・・荒れてる時期もあった。

でもRFL参加後からまるで今までのパパとは違って「元気になったら家族で旅行に行こう」とか「元気になったら、自転車で全国を回って

オレと同じ病気の人の助けになりたい」とか言って積極的に治療をするようになった。

「来年は車いすでなく自分の足でRFLに参加しウォークする。」といっていたパパだけど、実現することなく、パパは逝った。

そして、昨年、パパと一緒に闘病してきた方と「オレンジフェニックス」という血液がんのチームをたちあげ参加した。

他府県の方も参加し、たくさんの方と交流し仲間が出来た。

JIMEさんにいたっては私のお父さんのような存在で、子どもたちもおじいちゃんと思っているほどだ。

昨年一緒にオレンジフェニックスを立ち上げたサバイバーのEBNONさんも今年に入り突然パパのいるお空に逝ってしまった。

パパもEBNONさんも年に一度芦屋で行われるRFLをとても楽しみにしていた。

なぜ、RFLを心待ちにするのか・・・?答えは「そこには勇気と生きる希望がある」から。

先進医療がすすみ、新薬もどんどん開発されている。体の中の病気はそうやって治療されていく。でも精神的に元気になるには気持ちだったり

する。協力する人がいてくれたり、一緒に泣いてくれたり、励ましてくれたり、勇気づけられたり、はたまた希望を与えたり。

人とかかわり、助け合い「絆」が生まれる。

今年も9月8日㈯・9日㈰のリレーフォーライフ芦屋が開催されます。

歩いたり、走ったりするだけでなく会場ではバンド演奏やゲームなど催しものもたくさんあります。

たくさんの方に参加していただき、又、寄付を募り今後のガン治療に役立つ研究費や新薬の開発などがん撲滅の為に役立てて頂きたいと

思っております。

興味のある方、お時間がある方一緒に参加してみませんか?

24時間参加してください。というものではありませんからね。

一度、「リレーフォーライフ」と検索してみてくださいね。