島ちゃんからもらった命のバトン

2009.1月急性骨髄性白血病発症。
2010.12月、旅立ち。
島ちゃんの軌跡と島ちゃんが遺してくれたもの。

三回忌

2012-12-09 15:38:55 | Weblog
12月7日。島ちゃんの命日。

パパがお空に昇ってから2年になる。

もう、2年か・・・。まだ2年か・・・。

三回忌は我が家で行った。

親族はもちろんだけど、パパが勤めていた会社の方もたくさん集まってくださった。

また、我が家にはこれなかったけれども、「パパに」と、たくさんの方が温かいメッセージをくださった。

その日はパパのことを想い、パパといっぱい話をした。

パパと過ごした楽しかった時のこと。

今の私のこと。

子どもたちの近況。

久しぶりにパパの仏前の前にゆっくり座り、話をした。

パパはどんな思いで目を閉じたんだろう・・・。

そんなこと考えた所で答えが出るわけでもない。悔しかっただろな・・・。

去年はまだまだ辛く泣いてばかりの命日だった。

2年目の命日は楽しかった話や子どもの成長の話、楽しい話がいっぱい出来た。

私の気持ちも整理され2年の間に前に進めたのだろう。


なんだか・・・

2012-11-22 22:47:09 | Weblog
ふと、心が寂しくなる時がある。

毎日、仕事もプライベートもそれなりに忙しく、なんなら一日24時間では時間が足りない、と思う事だってある。

それでも、ふとした隙間時間に気持ちが寂しくなったりする。

パパの仏前に座りパパのことを思い出す。

パパの笑った顔やパパの声。パパのしぐさや話し方。

鮮明に思い出すことが出来る。

ケンカもしたことあった。でもケンカの内容は全く覚えていない。

パパのいいとこしか覚えてなく、楽しかった時のことばかりを思い出す。

そして、そうやって思い出しても、パパが戻ってくるわけでもない。

それが現実だと思うとドカーンと落ち込んでしまう。

毎日、そうやって落ち込んでる訳ではないがそんな時は無理に元気にすることも出来ないので、時の流れに身を任せてみる。

その方が復活しやすかったりもするしね。

おッ、だいぶ自分の気持ちのコントロールも上手くなってきたな。

そんな訳で本日のあたしは落ち込みアカン島ちゃんママです。


ふぅ~

2012-11-20 21:19:06 | Weblog
長男坊くん。

小学2年生の長男坊はさっきまでご機嫌さんでいたかと思うと、いきなりプリプリと怒りだし、周りに八つ当たりしたり、物にあたったり

無理難題を言いだす。

そのたびに「このやろ~」と腹が立つ。

今までの私だと羽交い絞めにしバシーンといってる所だが、、、。

そこはグッと我慢。

なんでこうなったんだろう? 長男坊はいったい何を伝えようとしているのだろうかと考えてみる。

そして私も子どもの時のことを振り帰ってみると、理由は分からないがイライラして母にあたったりしたこともあった。


長男坊の気がおさまるまで長男坊に付き合った。

自分でも理由は分からないらしい。

「おかあさんもそんな時期あったわ~。やっぱり長男坊はお母さんの子やね。よく似てる。お母さんの子に間違いない!!」

といってみた。

すると長男坊は「そうなん?オレお母さんににてるかな~」とニコニコ笑顔になった。

長男坊の笑顔は小学2年生の無邪気な笑顔だった。

心も体も成長しているのだろう。

私も長男坊と一緒に成長しよう。愛息子にとって最幸の母になるように!

久々・・・更新

2012-11-12 21:40:28 | Weblog
最近、スッカリ更新していない。

ここんとこ毎日、充実した日を過ごしている。

島ちゃんの妹、島田妙子の講演活動も忙しくなって各地に飛び回っている。

最近の私がなぜこんなに充実してるかと振りかえってみると、島田妙子の講演会に勝手について行くようになったからだ。

幸も不幸も伝染する。

いつも、不平不満を言ってる人の側にいると、なんだか気分が重くなる。

それが嫌で、妙子さんの講演会に行くようになってからはこれが・・・なんと言う事でしょう。

それから出会う人はみんな心が元気で笑顔が素敵な人ばかり。私もつられるように心が軽くなって何をしても楽しく充実している。

私がニコニコと心が元気でいると我が家の子どもたちも元気で、気が付いたら毎日一度はお腹を抱えて大きな声で笑うようになっていた。

だから、もしこのブログをみている方で心が少し元気ないな~と思っている方がいらっしゃれば是非、一度、島田妙子の講演会を聴きに

きてほしい。

21日(水)は大阪国際交流センターにて講演会を行います。

どなたさまでも参加できる講演会です。

私も仕事、ちょこっと抜けて講演会に参加しようかとたくらんでおります。

皆さんにお会い出来るといいな~






2回目の慰霊祭

2012-10-17 01:10:24 | Weblog
パパは闘病を終えてからも、自分の体を誰かの為に役立ててほしいと、私にも内緒で主治医に献体の申し出をしていた。

パパが白血病という病気を発症して、有りとあらゆる治療を行ってきた。

今より病状が良くなるのであれば、早く社会復帰できるのであれば、一日でも早く家に帰れるのであれば・・・。

いつも辛い治療の先に何か自分のおもいが叶うのであればと積極的に治療を行っていた。

私にとってあたりまえのことがパパにとっては何一つあたりまえではなかったから。

白血病の治療はまず無菌室で行われる。さっきまで隣りにいた人と同じ空間には居られなくなる。

当時、次男坊はまだ幼かった。次男坊を抱き、お風呂に入れたり、ご飯を食べさせたり、同じ布団で寝る。

それが、血液検査の後、訳のわからないままパパから子どもたちは離され、私はカーテン越しになり、自分が身につけていた物以外は全て

持ち込めない。

そういえばパパが無菌室に入ってすぐ私に「オレなんか悪いことしたんかな~。こんなん拷問やで」と言った。

冗談っぽく笑いながら言ったけど、ちっとも笑えない。むしろパパの心は泣いていたに違いない。


無菌室で、パパは徹底的に白血病のことについて調べていた。薬、一つ一つの名前を調べ、どういう効果があり副作用はどうなのか?

白血球の数がいくつで、血小板の数値がいくつで、その時の自分の体がどういう状態にあり、どういう気分なのか、全ての情報を記していた。

昔は白血病といえば不治の病と言われていたが、今は治療すれば治る病気になってきた。それほどまでに医学は日々、進歩している。

新薬、画期的な治療を行う事が出来るのは、優秀な医師が日夜、研究を進めて行くから。同じ白血病でも全く症状が違っていたり、使用する薬

が違っていたりする。

医師たちは一人一人の体を診察し、丁寧に調べ的確に治療を行っていく。神経が擦り切れる仕事だ。

そんな素晴らしい医師をつくる為には実際に人間の体が必要になる場面もある。

献体なんてパパが亡くなるまで知らなかった。

パパが亡くなってパパ体に取り付けられていた、たくさんの管を外してもらい、私はパパに「やっとお家に帰れるよ」といいながら、看護師の

方と丁寧に拭いた。透き通るように白くて冷たい体だった。

「パパ、ホントにお疲れさま。」そういって部屋を出た時に、妙子さんに主治医の先生から話があると言われ二人で先生の話を聴きに行った。

「島田さんは、献体をご希望されています。自分の体を病理解剖して欲しい。と言われておりました」と。

献体には2つの解剖がある。

一つは人体の構造を調べる為の正常解剖。もう一つは治療をしてきた体の病変を調べる病理解剖。

パパはたくさんの薬を使ってきた。突然、耳が聞こえなくなったり、モルヒネが効かないほど体全体に激痛があったり、腕がどんどん壊死して

きたり、パパ自身も自分の体に何が起きていてどうなって行くのか、不安に感じながらでも、原因を知りたがっていた。

自分の体を使って、わかることなら、解剖し隅々まで診て今後の医療に役立ててほしいと医師に伝えていたそうだ。

私はやっとパパは辛い闘病から解放されたのに体をまた傷つけるのか・・・。そう思うと私はすぐには回答出来なかった。

主治医の先生は「奥さんや妹さんが反対しても病理解剖して欲しい、と島田さんは言っておられました」といった。

パパは私のことお見通しだったみたい。

今年の慰霊祭でも献体をされた方のご遺族の方が沢山、来られていた。

静かな会場にすすり泣く声が、あちこちから聞こえていた。私だけではない。ココにいる皆さんも胸が張り裂けるような選択に迫られ、決心し

たんだろう。

パパは自分が死んでからでも誰かの役に立ちたいと考え決意した。

私にはなにが出来る?

私には命がある。感情がある。丈夫な体がある。

なんだって出来る!

そう思うと勇気が湧いてきた。

生きてることに感謝しあたりまえの毎日をあたり前では無く、特別な日、時間にしなくてはならない。

「Beat of Life~命の鼓動~」

今、生きている全ての人にあてたメッセージ


それはわかるけど・・・。

2012-09-26 23:38:33 | Weblog
日曜日に我が家にやってきた熱帯魚のクマノミくん。

家にいたのは3日でした。

クマノミだけに「ニモ」と次男坊は名付け、家にいる時は水槽の前にべったり。

他にも水槽の中には青い色をした魚とヤドカリとエビが同居している。

その中でも次男坊は「ニモ」が特別な存在で、何かしらニモには話しかけていた。

そして昨日、水槽の中に「ニモ」の姿が見当たらない・・・。

「あれ?ニモは??」と聴くとかっちゃんが「死んじゃったの・・・」と。

「えっ?まだ3日やけど???」と言い次男坊の顔をみた。すると次男坊は今にも泣きそうな顔をして

「だって、ニモ抱っこしたかったんやもん。お腹すいてると思ったからご飯食べさせてあげようと思って・・・」としょんぼりしてる。

次男坊の言ってることと、その状況を頭の中で整理してみた。

そしたら長男坊が

「海里くん、水槽の中に手つっこんでニモ捕まえとったで」と。 「なんで止めなかったん?」ときくと「だって何がしたいんか、オレ、意味わからんし」と。

まっ、長男坊の言うてることはわからんでもないわな。

次男坊を膝の上に座らせて、何故かと聞いてみた。

真相はこうだ。

ディズニー映画のファインディング「ニモ」もDVDを次男坊はよく見ていて、好きなアニメの3本の指に入るくらいだ。

そしてアニメの中のニモはたくさんあった卵の唯一生き残った一匹。

そしてニモは背びれが短く上手く泳げない。そのニモを心配してお父さんクマノミが大切に育てる、みたいなストーリー(ざっくりですいません)

次男坊は水槽にいるクマノミはアニメの「ニモ」そのものだと思っている。

そのため、お父さんクマノミがいないのであればオレがお父さんになって水槽の中のニモは可愛がるぞ!という気持ちになったらしい。

う~ん、次男坊のその気持ち・・・。なんと言っていいやら・・・。

と、言うわけで、色々、次男坊に言ったところで次男坊の納得時間もあると思うので今回は「ニモ」と「さかな」についてお話しておきました。

プチ反抗期の長男坊と、純粋過ぎる次男坊。

頭をかかえたり、悩まされたり、はたまた教えられたり笑わせていただいたりとかなり、子育て期間をエンジョイしております。


泣いたり、笑ったり。

2012-09-26 00:00:22 | Weblog
最近、長男坊の身長が一気にのびている。

お陰で、夜中に膝が痛いと泣きだしたりする。

身長が伸びるのと同様に心も成長しているのか、最近、やけに反抗的になってきている。

まだ小学2年生だと言うのに・・・。

私は仕事に出ているのでまだいいが、長い時間一緒に過ごす、かっちゃんは、しんどいと思う。

子どもたちが寝静まって、かっちゃんから一日のこどもたちの様子を聴く。

私に話しをすることで、かっちゃんも気持ちがリセットされるのだと思う。私の顔を見るとウワァ~と話だし、一通り話し終えると、「寝るわ」

と、アッと言う間に寝ついてしまう。

長男坊の話しも聴く。「わかる、わかる。お母さんもそんなんやったわ~」と言うと、長男坊もひとしきり言いたいこと言って寝る。

こんな風に、家族は一緒に成長していくんだな~と実感。

「島田ブランド家族」を日々築いている。

充実した一日

2012-09-23 22:05:12 | Weblog
本日は、朝から雨。

その為、長男坊の野球は中止。ならばと私は神戸のポートアイランドへ「島田妙子」の講演会へ。





私が西宮を出た時には雨が降っていたのにポーアイに着くと青空が。私は雨女なんだが妙子さんは晴れ女なのだ。きっとまた魔法でもかけたに

ちがいないな(笑)

久々に講演会を聴いて、気持ちがリセットされた。講演会の帰り、青空が気持ちよくって風も心地良く、よっしゃ、子どもたち連れて神戸で

遊ぼうと決め、一度自宅まで車を走らせ、子どもたちを車に乗せ再び神戸へ。

メリケンパークへ行き、神戸タワーへ。



次男坊が「あの東京タワーに上りたい」というので「東京タワーちゃうけどな」と言いつつタワーへ。

実は、私もこどもたちも初展望台でして、なかなか楽しませてもらいました。ここでもまた次男坊は海の先をみて「お母さん、外国が見えるね」

と言っておりましたが、今回は聞き流すことにしました。いちいちツッコミを入れると8割がたツッコミ二なるので。



そして今度は遊覧船へ。

いつかパパが一時退院した時に家族4人で乗った遊覧船。

長男坊が「パパと一緒に乗ったんこの船やんな」と言う。「そうやで」と答えると「やっぱりな」と。

すると次男坊が「オレ、覚えてへん・・・。なんでオレだけ来てないの?」って聴くので「こうやってお船のベンチでパパのおひざの上に座ってたんやで」

と言うと「そうか・・・。でも覚えてへんからお母さんのおひざに座るわ」と私の膝の上にすわった。

その時ばかりは涙が出てしもた。長男坊は私がパパのことで泣く姿を見たくないらしい。だからその時も「オレ、ちょっとあっちに行ってみるわ」

とその場から離れた。

次男坊は膝の上で「この船、外国にいくの?」と聞いてきた。ココはちゃんと「外国には行かないよ」と答えた。次男坊「良かった」と言った。



船から降りると2人もお腹すいたーと暴れ出し、何食べたい?と聞くと「焼肉~」

私も朝から食べてなかったし・・・「よし!」と一目散に焼肉へ。

少し時間もずれていたのでお店も空いてたし、何よりお店からの景色も良く子どもたちも私も大満足!

日も暮れ始めたので「そろそろ帰ろ~」って言ったけど「まだ帰りたくない」と2人が口をそろえていうので、せっかくだしいっかと埠頭を

散歩した。

昼間とは違い、陽が落ちてからは夜景がきれいで3人で座って色んな話しをした。

長男坊と次男坊に「今日、楽しかった?」と聞くと長男坊は「タワー、また行こう!」と言った。

次男坊は「お船、楽しかった。お母さん、連れてきてくれてありがとう。お母さん、だいすきだよ」とニッコリ笑った。

次男坊のそういうとこ、泣かせるんだよね~(笑)

私も「今日は楽しかったよ、ありがとう」っていうと「どういたしまして」と2人ともいった。

帰りの車。車が走りだしたとたんに寝た。

二人の息子の寝顔に、私は癒された。






本日は告知

2012-09-21 22:54:47 | Weblog
9月23日。

明後日ですが、島田妙子の講演会がございます。

場所は『神戸学院大学ポートアイランドキャンバス』です。

10時開始です。

費用は500円。

なんと、その日は、島田妙子プロデュース「Beat  of Life ~命の鼓動~」が発売されます。

この曲、ホントにたくさんの方に聴いてほしい。

私も10時には駆けつけるからねー!!!

義妹やけど、妹とは思えない貫禄。

完全に頼り切ってますが・・・(^_^;)

妙子ねぇ、500円玉握りしめて神戸、行くかんなぁ~。

お時間ある方、まぁ~1度は来てみてみんしゃい(^◇^)




島ちゃんへの贈り物

2012-09-17 21:19:38 | Weblog

妙子さんからパパへのプレゼントがとどいた。



パパの一周忌の朝に妙子さんの頭のなかにフッと降りてきたメッセージ。

そのメッセージが詩になった。

シンガーソングライターのすわじゅんこさんが透き通るような声なのに迫力がある、何とも言えない声で「Beat of Life」を唄った。

その歌を聴いたとき私は勝手に涙がでた。

涙が流れたというものではなく、嗚咽が出るほど声を出して泣いた。

パパが亡くなってからあれほど泣いた事は無かった。

パパはどんな想いを抱え逝ったのだろう。

パパは薬で眠るとき一体、何を考えたのだろう。

目が覚めた時は元気になり子どもたちとまた話しが出来ると希望をもっていただろう。でも、もしこのまま目を覚ますことが出来なかったら・・・

と、とてつもない恐怖もあっただろう。

人は最期に何を想うか・・・。

 人は生きていれば必ず、嬉しい出会いも悲しい別れもある。

この「Beat of Life」を多くの方に聴いてほしいと思う。

その時、きっと今、大切な人を想うだろう。

そして、今以上に大切に想い、また自分の気持ちが優しくなっていくのがわかると思います。

多くの人に聴いてほしい。