知識は永遠の輝き

学問全般について語ります

説明とは何か?

2020-02-10 06:41:19 | 科学論
 科学哲学に関する一連の記事[*1]の続き、ないし一応のまとめです。参考文献は序-1にあります。

 科学哲学のテーマには説明(Explanation)とは何かという問いもあります。例えば以下の例では"説明"という言葉は"理論を求める"ということとほとんど区別できません。

  ・万有引力により惑星の運動を説明する
  ・ランダムな変異と自然選択とにより生物の進化を説明する
  ・暗黒物質を仮定することにより銀河の恒星の運動を説明する
  ・分子というものを仮定することにより化学反応を説明する

 実際に内井惣七の本[Ref-2]に紹介されている"説明"のテーマでは、「科学の目的のひとつは自然現象の"説明"である」とされているものが多いのです。もうひとつの目的が"現象の予測"です。

 しかし場・波・粒子-3.4-二重スリット(2019/12/30)場・波・粒子-3.5-スピン(2020/01/08)でも少し触れたように、ある理論で正確な予測ができたとしても説明はできていないと目される例がでてきました。ゆえに「"説明"は科学の役割や目的ではない」という考えも出てきました。なぜにそうなるのかというのが今回のテーマです。まずは例を挙げましょう。

1.ニュートンの理論
 運動の3法則と万有引力仮説を含むニュートンの理論は、惑星の運動を"説明"できたばかりではなく、地上の砲弾の運動も"説明"できたし、さらには惑星の自転による変形をも"説明"できました。しかし科学的方法とは何か? 場・波・粒子-1-(2019/10/15)でも述べたように、重力という遠隔力のメカニズムが"説明"できないという批判を受けました。この批判は重力の"正体"が明らかではない、という言い方もできます。もっと広い言い方だと、重力とは何かが"説明"できていないという批判になるでしょう。

2.マクスウェルの理論
 マクスウェルの方程式からなる電磁気理論は電磁気力の振舞を定量的に完璧に予測できました。しかし電場や磁場の"正体"はやはり"説明"できませんでした。マクスウェル自身も電場や磁場の"正体"を光の媒体として仮定されたエーテル(Luminiferous_aether)に関連付けようとしていたようですが、その方針は結局は不必要なものでした。

3.量子力学
 1925年にハイゼンベルク(W.K.Heisenberg)が提唱した行列力学(Matrix mechanics)では、最初から"説明"をあきらめて現象を予測できる理論式を作ることに専念しました[*2]


 「"説明"は科学の役割や目的ではない」という考えについては3のケースが一番わかりやすいので少し詳しく書きましょう。この思想がはっきりと打ち出されたのはハイゼンベルクの1925 年の最初の論文のようです。
---------引用開始-----[*2a]----------
観測できない量 — 電子の位置とか周期とか — について観測しようという希望を捨てるのが賢明である.その代わりに,観測できる量のみについて古典力学と整合するような理論量子力学を確立するほうががより筋が通っている
  (中略)
Heisenberg はそのような “観測できる量” として,原子の中の電子の遷移によって出入りする電磁波の振動数(式 (2) に示される)と強度を挙げた
---------引用終り-----------------

 すなわち原子に出入りする電磁波の振動数は、出入り前後の原子の状態のエネルギー差で決まりますが、その状態とは何かということは棚上げするわけです。放出前の状態はこれこれの軌道半径を持ちといった古典的イメージを想定することはあきらめて、正体不明だけどもエネルギー差は確定できる"状態"がある、というわけです。そしてその"状態"を定量的に表現するために行列を使ったということです。

 この"状態"というものはシュレジンガー提唱の波動力学では波動関数という古典的な波のイメージでイメージしやすいものに置き換えられるので、「電子は波である」「電子は電子雲である」として電子の正体が説明されたようにも感じられるのですが、その場合に古典的な波や雲のイメージと異なる性質が出てくると「理解できない」なんてことになる恐れもあるわけです。ならいっそのこと古典的な何かのイメージで比喩的に理解するようなことはあきらめて「これこれの観測量を生み出す何か」があるとだけ考えていた方がよい、というのがシュレジンガーの発想だったのでしょう。

 私の考えを結論から言えば、"説明"というのは、既知のモノのイメージをモデルにして未知の現象の理論を組み立てることです。現代の物質科学理論は物質の最小単位として分子や原子や素粒子といった存在を想定して考えられていますが、これらの最小単位の姿は見ることも触ることもできません。それでも我々は日常的に知っている粒子のイメージをモデルにして分子や原子を考えます。具体的には気体分子の剛球モデルとか分子の棒球モデルとかをイメージしますが、このようなモデルは実際の性質の全てを説明できるものではありません。また電子雲モデルとか、剛球ではなく弾性球とかの改変もできますが、それでも全てを説明できるものではありません。

 ニュートンの万有引力理論やクーロンの静電引力理論を"説明"ではないと感じた16-19世紀の科学者達は遠隔力を近接力で"説明"しようとしました。それは近接力は"説明"の必要がないと感じていたということです。なぜかと言えば、物体同士が接することで力を及ぼしあうことは経験的にありふれた観測事実だったからでしょう。物体が地上に向けて落ちることは、あまりにありふれた観測事実だったゆえにニュートン以前には誰も"説明"の必要がないと感じていたように。

 現在の物理学ではむしろ近接力を遠隔力で説明し、4つの基本的な力に代表される遠隔力は、その存在は"説明"の必要がないものとされています。何しろ素粒子は点と想定されているので、大きさを持つ物体とは異なり接することができませんから、点同士では遠隔力しか働きえないのです。

 余談ですが、数学的な大きさゼロの点というものはマクロな世界では存在しないにもかかわらず、素粒子を大きさのない点だとする"説明"や、大きさのない点である質点というモデルによる"説明"に違和感を感じる人は見当たらないというのも、考えてみれば不思議です[*3]

 ファラデーの磁力線や電気力線というモデルは、電場や磁場をあたかも弾性体のようにみなすことで磁力や静電力を近接力とみなしてしまったモデルだとも言えます。そしてマクスウェル理論により電磁波と光が同じものという可能性が登場すると、磁力線や電気力線で表される弾性体と光の媒体としてのエーテルとが同一視され、そこに既知の物体のイメージが投影されたのです。そこで既知の物体の性質がエーテルにも通用すると前提してしまったことが理論に混乱をもたらしたと言えるのではないでしょうか?

 数学では様々な命題が既知の命題(定理)から証明され、証明済みの命題が定理と呼ばれます。証明されるということは"説明"されることだとも言えます。しかし最後にはそれ以上は証明の根拠となる証明済みの命題が存在しない公理に到達します。現代数学では公理はもはや"説明"する必要のある命題ではなく、ある体系では真とみなされるものとされます。そしてその公理が現実の観測事実に適用できるならば、そこから演繹される定理の集合も現実に適用することができるわけです。

 現実の物理理論などでも話は同じことで、理論の土台には必ず"説明"できない公理のようなものを置かざるを得ません。この公理はだいたいが抽象的で広範囲をカバーできるような命題なので、特定の観測事実からピタリと真か否かが決められるようなものでもありません。すると、このような公理を自分の中の既知の概念でうまくイメージできないときには、「"説明"できていない」と人は感じてしまうのでしょう。

 近接力と遠隔力なら、「どちらも対等に見えるしどっちを基本にしても同じじゃない?」と現代人ならば思えますが、3のケースともなると「既知のイメージの使えるモデルは使うな」と言われるのですから「"説明"できていない」と感じるのも致し方ないことです。でも観測事実はちゃんと定量的に予測できています。


 神の真の姿は人に想像できるようなものではない。絵とか彫刻とかの偶像は、あくまでも神の姿の一面を似せたモデルに過ぎず、全貌を示しているわけではないし、余計な誤解を招くものも描き込まれているかも知れない。人間の既知の認識に頼るような"説明"を神の真の姿に求めても無駄である。

 なあーんてネ(^_^)
 あ、もしかしてシュレジンガー博士にはこんな思想もあったのかも。いずれにせよ"説明"の断念を意識して打ち出したシュレジンガーはアインシュタイン以上の天才と言えるような気がしてきました。

 一応、言いたいことは書いたと思いますが、細かい点は各ケースについておいおい追加するかも知れません。


----------------------
*1) 本ブログの関連記事
 科学的方法とは何か? 序-1(2019/07/14)
 科学的方法とは何か? 序-2(2019/07/27)
 科学的方法とは何か? 序-3(2019/08/10)
 科学的方法とは何か? 序-4(2019/08/29)
 科学的方法とは何か? 序-5(2019/09/18)
 科学的方法とは何か? 年表(2019/09/28)
 科学的方法とは何か? 実在-1(2019/10/03)
 科学的方法とは何か? 実在-2(2019/10/13)
 科学的方法とは何か? 場・波・粒子-1-(2019/10/15)
 科学的方法とは何か? ニュートンの規則(2019/10/26)
 場・波・粒子-2-媒質1(2019/10/28)
 場・波・粒子-2-媒質2(2019/11/11)
 科学的方法とは何か? ニュートンの規則(2019/11/18)
 場・波・粒子-3-まず粒子(2019/12/05)
 場・波・粒子-4-3種の波(2019/12/09)
 場・波・粒子-3.3-EPRパラドツクス(2019/12/15)
 場・波・粒子-3.4-二重スリット(2019/12/30)
 場・波・粒子-3.5-スピン(2020/01/08)
 場・波・粒子-3.6-スピン(2)(2020/01/20)

*2) 行列力学の解説
  *2a) 「量子力学の歴史 4 — Heisenberg による行列力学への道づくり」
  *2b) 演算子は行列だ

*3) これは恐らく、我々の脳の視覚認識系の中に、視覚情報の中に点や直線というものを読み取るという機能が組み込まれているためではないだろうか?

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 国家民営化論、無政府資本主... | トップ | リヴァイアサンの下の平和:... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

科学論」カテゴリの最新記事