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リヴァイアサンの下の平和:『暴力の人類史』より(1)

2020-02-12 06:11:46 | 歴史
 国家民営化論、無政府資本主義というシステム(2020/02/09)も関連しています。

 スティーブン・ピンカー『暴力の人類史』上下巻(The Better Angels of Our Nature)は一言で言えば、歴史が進むにつれて人類は互いに対する暴力を減少させてきたという事実を立証した本です。原書タイトルの「我等の(自然な)性質の中のより善き天使」だと邦訳タイトルとはだいぶ印象が違いますね。

 第1章~3章では、原始社会から大規模な国家へと進むにつれて社会の中での個人同士の殺人が現象減少したことが述べられます。これはトマス・ホッブズ(Thomas Hobbes)が考えたような、万人の万人に対する闘争が、彼の命名した『リヴァイアサン』((Leviathan))により抑え込まれたのが原因だと論じています。ただし今度はリヴァイアサン、すなわち国家や社会による個人への理不尽な暴力というものが生じてきました。

 第4章では人々の考え方がより人道的になってきた経緯が語られます。著者はその原因を15-16世紀の情報革命、つまり印刷術の発展による人々の視野の広がりに求めています。これまでは遠い異国の野蛮人としか認識していなかった者達も、自分達と同じ人間だという認識が広がったためだと論じています。
 第5章~6章では、20世紀以降には国家間の闘争(戦争)も減少してきたことを論じています。第7章では単に殺人による生命の危険の減少のみならず、社会的な少数者や弱者の権利侵害の危険性も現象しつつあるということが語られます。そして第8章~10章では、暴力が増えたり減ったりする要因についての解説をしています。詳しくは本書の「まえがき」にまとめられています。

 本記事では先の記事(2020/02/09)で紹介したリヴァイアサンが小さな集団間や個人間の闘争を抑えたという点に話を絞ります。この話の前提には原始状態では小さな集団間や個人間の闘争が頻発していたということがあるのですが、それが事実だったという点が多くの人には信じにくいと著者たちは考えています。暴力が減少してきたのだと主張すれば「懐疑や不信、ときには怒りさえよび起こす」とさえ書いています。

 私の見解では少なくとも日本の戦国時代から見れば現代では殺人や人権侵害が遥かに少ないのは常識的な史実で、江戸時代には庶民がお伊勢参りができるくらいに平和になったとは言え、昭和以降に比べれば追いはぎの危険も多かったろうし、武士などの上の身分の者達により理不尽に殺される危険性も高かったのだし、幕末から明治初期には人切も盛んだったし、と思うのですが・・。さらに大戦前から大戦後しばらくでも、例えば女性に対する暴力にも寛容すぎる面があったとも思いますし。

 さて原始社会ではホッブズが想定したような万人の万人に対する暴力は実際には抑制されています。それは例えば部族というひとつの集団の中では、個人の身勝手な暴力を許さない秩序というものが維持されているからです。しかしある集団内の規律は他の集団に対しては強制できないので、集団間の闘争はほぼ自由になりがちです。そして生きるための資源が有限である以上は、他の集団との取り合いになり、自分たちのなわばりを守ったり、人員が増えて必要な資源も増えた場合にはなわばりを広げたりする必要が生じます。こうして近隣の集団とは小競り合いが絶えなくなる、というのは人類のみならず小集団を作る動物、小集団の中では個体同士が協力しあう動物すべてにあてはまる状況です。小集団の中では例えば順位制といった個体間の秩序が維持されていることも同様に普遍的です。

 こうして国境紛争ならぬなわばり境界の紛争が多発するのですが、その様相は動物種により様々です。が、多くの場合、劣勢な方は致命的な怪我をしないうちに退くことが多いので致死率はそう高くもないようです。チンパンジーやヒトともなれば、互いに威嚇だけで済む場合も多いようです。このような原始社会の"戦争"を観察した人類学者は、このような"戦争"には儀礼的な意味合いが多いと解釈したようです。実際に互いに戦士集団が対峙しての"戦争"ではあまり死人は出ないらしいです。

 幸か不幸かチンパンジーやヒトともなれば悪知恵が回り、裏ではより効果的な闘争戦術を使っていたのでした。それは闇討ちです。敵の各個体を集団で襲い密かに消してしまうという各個撃破戦術です。戦士集団が対峙しての"戦争"では派手に威嚇の声をあげあうのですが、闇討ちではそんなことはしません。まさに強い犬はほえないを地で行くのです。チンパンジーがこのような殺人を行うことをグドールが初めて報告したことは動物学では有名な話です。ヒトともなれば闇夜に毒矢を使うという、さらに巧妙な手段も使います。

 このような原始社会の集団が、例えばより強い集団に征服されて服従したとすると、新しい社会の中ではこれまでのような小集団間の勝手な闘争は禁止されるのが普通です。征服者としては大きくなったひとつの集団の中での秩序が保たれないと困るからです。こうして征服された者達は、これまでの自由と引き換えに一種の安全を手に入れたということになります。

 こうして、多数の小集団が自由競争している状態では殺人が多くなるが、ひとつのリヴァイアサンの下で統一された社会では殺人は分裂していた時よりも少なくなる、という命題が得られます。そして本書では、統計数字でこのことを実証しています。天下統一の物語ではよく「平和をもたらすために力で統一するのだ」という理想だか言い訳だかが叫ばれることがありますが、一面の真理は表しているのです。

 なお似たような主張を述べた『21世紀の啓蒙』という本も書いており、文藝春秋digital(2020/01/19)にて本人の弁が公開されています。

  続く

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Ref-1) スティーブン・ピンカー;幾島幸子(訳);塩原通緒(訳)『暴力の人類史 上』『暴力の人類史 下』青土社 (2015/01/28)。1-6章が上巻、7-10章が下巻。
  第1章 異国
  第2章 平和化のプロセス
  第3章 文明化のプロセス
  第4章 人道主義革命
  第5章 長い平和
  第6章 新しい平和
  第7章 権利革命
  第8章 内なる悪魔
  第9章 善なる天使
  第10章 天使の翼に乗って

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