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場・波・粒子-3.6-スピン(2)

2020-01-20 06:11:32 | 物理化学
 前回の記事(2020/01/08)では磁界により空間が非等方的になることでz軸が決まり、量子化されるszの方向が決まる場合を述べました。これはスピンに磁気モーメントが伴い磁界と相互作用するからなのですが、磁気モーメントが生じるのはスピンを持つ素粒子が電荷を持つ場合です。とは言っても例えば中性子のように、全体の電荷はゼロでも構成成分が電荷とスピンを持っていて磁気モーメントを持てば、全体の磁気モーメントはゼロにならない場合が多いようです。恐らく磁気モーメントを持たないと確実に言えるのは光子とニュートリノと未だ観測はされていないグラヴィトン(graviton)くらいでしょう。では磁気モーメントを持たない素粒子のスピンはどうやって観測するのでしょうか?


--【用語】スピンとヘリシティー:不要な人はジャンプ
   [Ref-1~3]にもスピンの基本的解説がありますので参照してください。

 ここで用語の話ですが、素粒子分野ではスピンとヘリシティー(helicity)という言葉が(概念が)区別されます。ヘリシティーと区別したスピンというは、区別しない場合のスピン(自転角運動量相当)の絶対値を指し、これは電荷や質量と同じく素粒子固有の値です。ヘリシティーはこのスピン(自転角運動量相当)の量子化された方向を表すで、状態遷移により変化します。軌道角運動量に例えて言えば、スピンというl(方位量子数;azimuthal quantum number)でありヘリシティーというm(磁気量子数;Magnetic quantum number)である、というのが量子化学の知識のある人にはわかりやすいでしょう。
 軌道角運動量などと加算できるスピンという1/2や-1/2などの数値にプランク定数(h/2π)を掛けたものでスピン角運動量(spin angular momentum)とすれば紛れがないようです。wikipediaの記事ではヘリシティーと区別したスピンはスピン量子数と呼ばれています。スピンという言葉は文脈により角運動量と同じ単位次元を持つ量を指すことも、その数値である量子数を指すこともあります。量とは-1- 単位落とすべからず(2010/03/27)で書いたように、個人的には両者はいつでも区別してほしいのですが。
 まとめると、まずマクロな角運動量(ベクトル量)と相互変換できるスピン(スピン角運動量)は3つの成分sxsyszを持つベクトル量です。古典力学での物理量は量子力学では波動関数に作用する演算子で表現されますが、3つの成分sxsyszに該当する演算子が前回紹介した3つのパウリ行列にプランク定数(h/2π)を掛けたものです。そしてパウリ行列同士の間にも特有の演算規則が成り立ちますが、そのような演算規則を持つ行列をスピノールと呼び、数学的にはベクトルとテンソルの中間みたいなものと思っておけばよいでしょう。ですので、スピン角運動量(をプランク定数(h/2π)で割ったもの)はスピノールを成分とするベクトル量と言えます。

  1) 角運動量相当のベクトル量: スピン、スピン角運動量
    3方向の成分からなる。
  2) スピン角運動量ベクトルの絶対値: スピン、スピン(スピン量子数)×プランク定数(h/2π)。
    素粒子固有の値でプランク定数(h/2π)の整数倍または(整数+1/2)倍の値を取る。
  3) スピン角運動量ベクトルのZ軸成分: スピンszsz×プランク定数(h/2π)。
    スピン量子数を絶対値の上限とする整数倍または(整数+1/2)倍の数値(ヘリシティー)で量子化される。
  4) ヘリシティー: スピン角運動量ベクトルのZ軸成分/プランク定数(h/2π)、となる数値。

 以上の4つの概念はすべて単にスピンと呼ばれることが多いので文脈で判断しなくてはなりません。ああ、ややこしい。
--【用語】終り----------------

 そもそもスピンという概念が提案されたのは銀原子が電子の軌道角運動量では説明できない磁気モーメントを持つというシュテルン=ゲルラッハの実験(1915)(Stern–Gerlach experiment)の結果を受けてのことでした。軌道角運動量では説明できないので電子が"2つの状態に量子化される磁気モーメントを生み出す何か"を持つと仮定してそれをスピンと名付けたのです。そしてスピンを表す状態関数を軌道角運動量の状態関数をちょっと変形することで誘導してスピノールという概念に至った経緯は、例によってEMANの物理の記載が詳しくてわかりやすいです[Ref-2]

 いつものことながらEMANさんの記事はかゆいところに手が届いていて頼りになります。日本では物理に関する限り、わかりやすく正確な解説はみんな既にEMANさんが書いている! [Ref-3]に他の解説も紹介します。特に[Ref-3a]はまとまっていますが、EMANさんの記事に比べると通り一遍で物足りません。冒頭のスピンと古典的角運動量との違いの紹介も誤解を招きそうな点がありますし[*2][Ref-3c]はスピンも偏光も「(量子力学的)2状態系」という一般論的見方から整理して数学的にしっかり解説しています。

 シュテルン=ゲルラッハの実験(1915)の時点では既に原子内電子の軌道角運動量の量子化は成されていました。原子核を巡る電子の運動状態s(主量子数;principal quantum number),l(方位量子数;azimuthal quantum number),m(磁気量子数;Magnetic quantum number)の3種の量子数により量子化されますが、は運動エネルギーの量子化に対応し、は軌道角運動量に対応します。詳しくはは軌道角運動量の大きさ(ベクトルの絶対値)に、はその方向に対応します。そして電子遷移による発光や吸光を線スペクトル化し量子化を仮定した数式によりそのふるまいを定量表現できる"何か"が電子の運動に対応するというモデルはうまく働きます。しかし"2つの状態に量子化される磁気モーメントを生み出す何か"であるスピンが古典的な電子の自転に対応するというモデルはうまく働きませんでした。まずは電子がマクロな物体のような構造や大きさを持つとは想定されていなかったこと、もし大きさを持つとしても自転モデルでは自転速度が光速を越えてしまうことなどです。

 引用[Ref-2a]それに電子を大きさのある粒だと考えた時の致命的な問題は、その表面の回転速度が光速を超えてしまうということである。

 軌道角運動量を生み出す波動関数は質点とみなされる電子の位置と時刻の関数なのですが、スピンを生み出す波動関数にはそのような実体とみなされうるものはないのです。電子という物体の方位の関数だというようなことは言えないのです。これはスピンに対応するマクロな物理量が想定できないということを意味します。そうなるとスピンとは何かというイメージをマクロな物理量を基にして生み出すこともできません

 とはいえスピンには軌道角運動量と足し合わせて電子全体の角運動量として振舞うという性質もありますし、アインシュタイン・ドハース効果(Einstein–de Haas effect)[Ref-4]によりマクロな角運動量と変換しあうという性質もあります。前回の記事(2020/01/08)でのような「ボーアの対応原理が成り立ってはいる」というのは無知な間違いでしょうが、質量とエネルギーとの類似くらいには似ていると考えても許されるでしょう。いやむしろ、運動エネルギーと位置エネルギーくらいには似ているでしょうか。

 さて電荷を持たない素粒子のスピンですが、ニュートリノは電子と同じく1/2、光子は1、重力子では2とされています。

 光子スピンについての解説を[Ref-5]に示します。光子では進行方向をz軸の正方向と定義し右ねじ螺旋の円偏光のスピンを+1と、左ねじ螺旋の円偏光のスピンを-1と定義します[Ref-5a,5b]。スピン1なので軌道角運動量でのl=0と同様にスピンが±1の他に0の状態も考えられますが[*3]、これは縦波光子、つまり進行方向zに振動している電磁波に相当することになり観測されません[Ref-5a]。そしてこの定義が古典論と整合性があることが[Ref-5c]で解説されています。すなわちマクスウェル理論に従えば、円偏光は荷電粒子を進行方向(z軸)の周囲に円運動させます。つまり荷電粒子に角運動量を与えます。

 すなわち光子は電子などの荷電粒子の角運動量に変換できる"何か"を持っていることになり、この性質は電子スピンと共通のものであり、この"何か"をスピンと呼ぶことは理論的に整合するのです。そして光子の偏光状態は偏光板など、特定の偏光だけを通す装置を使えば直接観測することができます。ここで直線偏光は左右の円偏光の混合状態として表現できますが、光子ではこの混合状態も直接観測できるわけです。
 しかし光子のスピンが偏光に対応するならば電子などのスピンも物質波の偏光に対応したりはしないのでしょうか? いやその前に電子などの物質波は縦波か横波か? どうもどちらでもなさそうです。電子の波動関数は3次元空間内のいずれかの向きに振動しているわけではないからです。強いて言えば確率密度の平方根が変動しているのですが、この変動は音波と異なり3次元空間内の何かの運動も生み出さないし、ましてや何かの粗密波を生み出すこともありません。

 ニュートリノ(neutrino)のスピンは直接観測はできず、素粒子反応における角運動量保存則から求めています[Ref-6]。そもそもニュートリノはβ崩壊におけるエネルギーや運動量の保存則を守るために仮定された素粒子ですが、カミオカンデでの検出などでよく知られているように、水中の陽子との衝突反応により検出できます。最初の検出はwikipediaの記載のように1953~1959年のことでした。そして他の素粒子ではスピン角運動量と軌道角運動量、さらにはマクロな角運動量を合わせた保存則が破れていない以上、ニュートリノ反応でだけ破れていると考える必要はありません。

 最後に重力子のスピンは理論的に予測されたものですが、重力子そのものが未だ観測されてはいません。といったところで、スピンの話はひとまず終りとします。


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*1) 状態関数というより演算子なのかも知れないが御容赦を。
*2) [Ref-3a]から引用:
「スピンの概念は回転するコマのイメージに似ていても、単なる物体の回転ではない。その性質を列挙すれば、
 1)素粒子のスピンはいつも同じ値をもっており、素粒子同士が衝突し、エネルギーが変わっても既にあるものを取り去ったり、追加することはできない。
 2)素粒子のスピンは原子核の周囲に運動している電子の軌道運動量モーメントに加えることもできるし、その運動量モーメントから差し引くこともできる。
 3)スピンはその素粒子から切り離すことができない。その素粒子自身が別の粒子に転換しない限り変わることはない。」
  1と3は同じことであり、この文脈ではスピン角運動量の絶対値の話です。2は一転してスピン角運動量そのものの話になっています。また2はむしろ「単なる物体の回転」との違いではなく、同一性や類似性の話になっています。
*3) 最初のスピンは絶対値であり、後者のスピンはそうではない。素直に読むと、つまり前提知識(先入観ともいう)なしに読むと矛盾した文章だ(^_^)。だから素粒子関係ではヘリシティという言葉を使いたがるのでしょう。

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Ref-1) 岡部洋一Web に公開の書き物から電子のスピン
Ref-2) スピンとは何か? EMANの物理より
 2a) スピンとは何か
 2b) スピンの振る舞い
 2c) スピノル(イメージ重視)
 2d) 軌道角運動量の量子化。角運動量の演算子(まずは古典論の復習を中心に)量子数の意味角運動量の行列表現
Ref-3) スピンとは何か? その他の文献
 3a) 松原邦彦「量子力学におけるスピンの起源は何か」(2015/02/13)。スピノールの誘導。
   1スピン発見の経過
   2軌道角運動量と演算子
   3スピン角運動量の表現
    3.1スピノール
    3.2パウリのスピンマトリクス演算子
   4スピンの固有値と固有関数
   5任意方向スピンの演算子と期待値
   6ディラック方程式によるスピンの表現
 3b) 東京工業大学・武藤研究室「第26章 スピン」。シュテルン-ゲルラッハの実験も解説。
 3c) 北野正雄(京都大学大学院工学研究科) 「量子力学の基礎」(2007/10/16)第8章パウリ行列と2状態系。スピンも偏光も「(量子力学的)2状態系」という一般論的見方から整理して数学的にしっかり解説。
 3d) -日本物理学会「Stern-Gerlach実験の歴史的背景と応用 」
Ref-4) アインシュタイン・ドハース効果
 3a) 強磁性と電子の軌道
 4b) wikipedia英語版 "Einstein–de Haas effect"
 4c) wikipedia "磁気回転効果"
Ref-5) 光子のスピン
 5a) 冨田博之の講義参考資料の中の[228] 光子の偏光とスピン
 5b) FN高校の物理「偏光とは何か(光の強度と偏光)」(2.円偏光・楕円偏光の右回りと左回り)。古典論と量子論とで円偏光の右回り左回りの定義が逆であることを指摘している。
 5c) 東北大学大学院理学研究科天文学専攻・服部研究室「円偏光した電磁波の性質」。円偏光が荷電粒子を回転させることを解説。
Ref-6)
 6a) 長島講義ノートから「金沢大学集中講義 (2006年11月27-28日)」第2講.ニュートリノの性質
 6b) 同上から「2009.02.09-10島根大学集中講義」第5講ニュートリノの6.ヘリシティ決定。
 6c) 植田大樂「ニュートリノのへリシティ測定」(2003/07/04)。Goldhaberの実験。

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