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利尻島・利尻山(利尻富士) 漁港からの夕景 礼文島行きフェリー 

2024年08月17日 09時00分58秒 | 北海道

利尻島・利尻富士。富磯漁港から。稚内市宗谷村宗谷。

利尻島と礼文島。富磯漁港から。

2022年6月16日(木)。

北見市サロマ湖東岸の「ところ遺跡の森」を15時30分に出て、オホーツク海沿岸の国道238号線を一路、道の駅「稚内」へ北進した。

本来の行程では、17日(金)は枝幸町の「オホーツクミュージアムえさし」などを見学しながら、稚内へ進む予定だったが、18日(土)が天候悪化予報なので17日(金)に最重要課題だった礼文島でのトレッキングを実行せざるをえない。行程の多少の手戻りは仕方がない。後行程の豊富温泉へは稚内から南下するつもりが猿払村から西進することになった。

距離は277㎞。グーグルマップでは4時間40分だが、ナビでは最初7時間ほどの予測だった。北海道での運転も慣れたので基本は90~100㎞で走った。早朝見学した北見市のピアソン記念館の女性管理人さんも、息子がいる稚内に車で行くことがあるが、集落で40㎞規制がある区域で捕まったことがあると話していたので、そういう区域は低速を心掛けた。

見学予定だった枝幸町の「オホーツクミュージアムえさし」の横を18時ごろに通過した。午前中は17時までに着けるかという妄想もあったが、常呂を15時30分では遅すぎた。重要な博物館なので、猿払村経由で6月18日(土)午後に見学した。

浜頓別町あたりから海霧がひどくなった。登山をやっているときは川霧の中での運転を経験したが、海霧は滅多に経験していない。視界100mほどだと、前の車を追い抜くときに慎重さが必要になる。30分余りで霧が薄くなり、ほどなく宗谷岬の前を通過した。夏至の時季なので日没は遅い。19時を過ぎても暮れなずむ海を見ながら走っていると、海の向こうに利尻島・礼文島の島影が見えてきた。道路山側の駐車展望所を2か所ほど通過したあと、夕景の海に浮かぶ利尻山はそれほど見る機会はないので、海側に駐車スペースがあるだろう富磯漁港に駐車して眺めることにした。19時30分頃だった。1990年代後半に日本百名山完登のために登頂した利尻山に感慨を覚えた。

稚内市街地に入るとさすがに暗くなった。工事中の狭い道路を通過すると、稚内駅・道の駅「稚内」に近づいた。夜になったので駐車場の入口を探すことに苦労したが、19時50分に道の駅「稚内」の駐車場に着いた。70%ほどの込み具合だった。遅くはなったがいつも通りに車内でレトルトカレーを作って食べた。

 

2022年6月17日(金)。

3時を過ぎると空が明るくなり目覚めた。レトルト食を食べ終えて、礼文島への日帰り装備の準備をした。北見のイオンで買ったパンなどの昼食や飲料が中心だ。桃岩展望台付近の短時間のトレッキングを予定していたが、礼文岳などの本格的な登山ではないので、用意していたトレッキングシューズを使わず、北海道上陸以来使用しているアシックスのマラソンシューズで充分だと判断した。

礼文島香深港行きフェリーは6時30分発。道の駅から10分ほど歩いてフェリーターミナルへ行き、乗船券を購入した。平日なので混んではいない。香深港に8時25分に着いて、復路は香深港17時10分発・稚内19時5分着の日帰り旅が始まった。障害者は半額なので往復で2860円と安い。駐車場はフェリーターミナルの敷地内にあるが有料で、道の駅に置いておけば無料だ。

礼文島行きフェリーが稚内フェリーターミナルから霧の中を出航。

稚内港周辺は霧が深かったが、20分ほどで視界が戻ってきた。後方甲板に出て利尻岳を眺めることにした。

日本百名山・利尻山(利尻富士)。

1997年ぐらいの夏に利尻岳登山のためにフェリーに乗船した。利尻山山頂からは海が見えたのだが、おそらくフェリーからは見えなかったような気がする。会社の同僚のM君と札幌駅から寝台急行「宗谷」に乗り稚内に来た。早朝、フェリーに乗り継ぎするために稚内駅付近を歩いたとき、路上に駐車したタウンエースクラスの車両内部に若い女性が椅子に座って読書をしているのを見たのが、車中泊旅行のスタイルの原点となっている。

登山途中に名水百選・甘露泉水を飲み、下山後の鴛泊港でウニのパックを2500円ほどで購入して、その場で食べた。M君は礼文島に行って桃岩ユースホステルに泊まり、トレッキングをしたが、私は別れて百名山の大雪山を登頂した。

稚内方面。

礼文島。

 

礼文島香深港行きフェリーは稚内港を6時30分発に出航し、香深港に8時25分に着いた

北見市 国史跡・常呂遺跡④ところ遺跡の館❸オホーツク文化・トビニタイ文化 竪穴住居の変遷