トランプ関税で株価暴落 実は「計画通りのシナリオ」のワケ 米国債デフォルト回避に必死
Yahoo news 20254/8(火) デイリー新潮 デイリー新潮編集部
トランプ関税の発表後、世界中の株価が暴落している。アメリカのトランプ政権が2日に関税の国別リストを発表すると3日の米ダウ工業株平均株価は前日終値より1679.39ドル(3.98%)下落。さらに4日は前日比2231.07ドル安の3万8314.86ドルで取引を終えた。
8カ月ぶりに4万ドルを割り、下落幅は史上3番目というからまさに大暴落だ。日本市場も週明け7日は寄り付きから3000円近い下落となるなど、惨状が世界中に広がっている。
経済アナリストがこう指摘する。
「トランプ大統領は、アメリカ以外の各国が不公正な貿易政策を実行しアメリカ市場で荒稼ぎしてきたとして、報復のために高い関税の必要性を主張しています。米国の貿易赤字約1兆ドル(約146兆円)の内訳を見ると、1位は中国の約2700億ドル、2位はメキシコの約1500億ドル、3位はベトナムの1100億ドルで5位の日本は約690億ドル。
つまり日本は対アメリカでは約690億ドルの貿易黒字です。アメリカの製品を買わずに、逆にアメリカで自国製品を大量に売って大儲けするのはけしからん、というのがトランプ大統領の考え方です」
そんなトランプ大統領はまず3日に自動車に対する25%の追加関税を発動。中国に対しては「最悪の違反者」として現在の20%に加えてさらに34%の関税を上乗せした。対抗措置として中国政府は4日、米国からの全輸入品に同じく34%の関税を課すと発表。そのため世界貿易が停滞し景気が悪化するとの懸念が強まり、投資家が株を大量に売却したのだ。
NISA(ニーサ、少額投資非課税制度)を利用して株式を所有している一般庶民からはため息ばかりが漏れているが、国際経済に詳しいアナリストは「株価暴落は計画されていた」と分析する。いったいどういうワケなのか。
実際、トランプ大統領は株価下落について「予想通りだ。アメリカは重病患者だったが、解放記念日に手術を受けたから好景気になるだろう。(世界中から)何兆ドルもの資金がアメリカに投入されることが約束されているからだ」と強気の姿勢を崩していない。
「トランプ大統領の頭の中にあるのはアメリカの金利を何としても下げること。その理由はアメリカの財政が破産する危機が迫っているからです。現在、米国債の残高は36兆ドル、日本円で5300兆円もあります。
このうち、2025年に満期を迎える国債は約9.2兆ドル。政府はこれを償還するため、新たに同額の借り換えを行わなければなりません。加えて、年間の利払い費用も約9520億ドル(約140兆円)とされており、これは国防予算に匹敵する巨額です。
米国債の償還は今後数年続きますから、可能な限り低金利に誘導しないと、巨額利払いが将来にわたって続くことになる。そういった事態を回避するため金利を下げるのに必死なのです」(前出のアナリスト)
関税政策で大失敗した過去
確かに、トランプ大統領はことあるごとにFRB(米連邦準備制度理事会)のパウエル議長に利下げを迫ってきた。株価が急落した4日も「パウエル議長が金利を引き下げるには今が絶好のタイミング」と催促している。
大統領が独立機関とみなされているFRBに圧力をかけることはタブーされてきたことを考えると、トランプ大統領の干渉は極めて異例と言える。アメリカの政策金利は現在、4.5%。これをコロナ禍が始まった2020年の0.25%に近付けるために株価暴落→金利低下→米国債を低金利で借り換える、というシナリオらしい。
財政破産を免れるためにあえて株価暴落を誘導しているのだとすれば危ない橋としかいいようがない。
しかも、アメリカの歴史を振り返ると関税政策で大失敗した過去がある。
「1929年の世界恐慌の際、米国のフーバー大統領はスムート=ホーリー法と呼ばれる高関税政策を採用して、輸入品に対する平均関税率を1925年の40%弱から1932年には60%近くにまで引き上げました。
国内産業の保護が目的でしたが、高関税により世界貿易が停滞し恐慌をさらに深刻にする逆効果を招いてしまいました。もちろんトランプ政権がこうした前例を知らないはずがありません。
トランプ大統領は『貿易相手国が驚異的な何かを提供すれば関税の引き下げ交渉に応じてもよい』と語っています。さっそくベトナム首脳が対米関税の撤廃を提案するなど“効果”が出始めました。他国もこれに続けば関税強化による脅しを徐々に和らげるかもしれませんが、かなりの劇薬であるのは間違いありません」(経済部記者)
一方、トランプ大統領自身の経歴を振り返ると“破産”との縁が深いことが見て取れる。
「1983年にニューヨーク・マンハッタンの目抜き通り5番街に、トランプタワーを建設するなど“不動産王”と呼ばれていました。しかし、80年代後半には経営不振の大手航空会社・イースタン航空に関わって失敗。91年にはアトランティックシティーのカジノ・タージマハルが破綻し、92年には経営するホテルが倒産するなど過去に4回の破産を経験しています。
一時期は負債が約9億ドル(約1315億円)に膨れ上がり“世界一貧乏な男”と揶揄されましたが、民事再生によって苦境から立ち直ってきました。その剛腕が国家財政にも生かせるかは今後を見守るしかありません」(前出の経済部記者)
トランプ流は吉と出るのか、あるいは破滅へと進むのか。
歴史が教える、アメリカの高関税に打ち勝った「賢い国」はどこか?
2025.04.07 Forbes 藤吉 雅春 Forbes JAPAN編集部
ヨーロッパではアメリカ製品の不買運動が起こり、通りを走るアメリカ車には卑猥な言葉や罵声が浴びせられる━━。といっても、その車はテスラではないし、これは現代の話ではない。1930年、悪名高いアメリカの関税法「スムート・ホーリー法」が施行された際の出来事だ。
この「スムート・ホーリー法」は、4月にトランプ米大統領が公表した相互関税で今、再び注目され始めている。1930年、実に輸入品2万品目に平均60%という高い関税を課したアメリカの法律で、歴史的には「大きな政策ミス」と結論づけられている。
冒頭のヨーロッパでの喧騒は、投資理論家のウィリアム・バーンスタイン著『華麗なる交易 貿易は世界をどう変えたか』(2010年、日本経済新聞出版社刊)で紹介されたものだ。同書は紀元前3000年から現代に至るまで、人類の貿易の歴史を書いたユニークな大著で、スムート・ホーリー法については「崩壊」というタイトルで一章まるごと割いている。保護貿易がどんな事態を巻き起こしたか、そのメカニズムや具体的な現象が書いてあるので、ここで簡単に紹介しよう。
スムート・ホーリー法は、大恐慌による厳しさから自国の産業を守るためのアメリカの保護貿易政策だが、当時、国内外から1000人以上の経済学者、そして新聞の論説委員たちがこの法案に大反対した。結果的にこの保護政策は経済的効果がなく、各国間の緊張だけが高まり、第二次世界大戦の一因になったとされている。
また、1930年から1933年の間に世界全体の貿易量は3分の1から半分近くまで落ち込み、世界のGDPは1〜2%の損失だったと同書は指摘している。そして経済以上の、目に見えない大きな悪影響があった。それは、世界で噴出した悪感情である。
著者のバーンスタインは、経済哲学者のジョン・スチュワート・ミルの言葉を引用して、こう書いている。
他国の富と進歩が、自国に富と進歩を直接もたらす源でもあるのに、「他国が自国よりも、弱く、貧しく、統治がいい加減であればいいと願っていた(中略)」
そして知的な効用や倫理的に考える環境はなくなり、報復合戦が始まった。
例えば、自動車とラジオはアメリカが誇る産業なので、輸入される自動車とラジオに対して平均50%を超える関税率にした。これに怒ったのが、国民ファシスト党の党首としてイタリアの首相に君臨していたムッソリーニである。言うまでもなく、自動車やファッションはイタリアの基幹産業である。「自動車マニアの総統」と言われるムッソリーニは、対抗措置としてアメリカ車への関税率を100%近くまで上げた。倍返しである。
ムッソリーニに続いて対抗措置をとったのが、イギリス、フランス、スペイン、カナダ、アルゼンチンだ。また、スイスは国民の多くが時計産業に従事している。時計への関税率引き上げに対して怒りの声があがったという。アメリカにコルク栓を輸出していたスペインは、アメリカから製造国の刻印を入れるよう求められた。さらに、関税が法外に高い水準まで引き上げられたため、コルクそのものの価格を上回る費用がかかるようになった。これでは商売そのものが成り立たない。
こうした混乱のなかで、保護政策に負けず、世界的シェアを確立した事例が紹介されている。デンマークだ。デンマーク製のベーコンは全世界の貿易量の半分近い量を輸出し、乳製品も高い関税に負けじと世界で圧倒的な地位を確立するまでになる。このストーリーの伏線は、スムート・ホーリー法が施行される48年前まで遡る。
1882年、デンマークの酪農家グループが、高価な新型クリーム分離機を共同で購入し、クリームとバターを販売することにした。これが世界初の協同乳業工場であり、デンマーク初の「協同組合」となる。3人の組合理事は深夜におよぶ討議のすえに、組合規約をつくった。次のような決まりだ。
まず、毎朝、組合のトラックが各農家から牛乳を集める。自宅で飲む以外は一滴残らず提供しなければならない。衛生基準を厳しく設定し、工場に運ばれた牛乳は、熟練の職人たちによって処理される。脱脂乳は農家に戻され、そこで製造されたバターは自由市場で販売され、利益は提供した質量に応じて組合員に分配。この方法は大成功となった。製品の質は上がるし、人気も出たのだ。この影響を受けて、10年も経たないうちに、デンマーク国内に500を超える組合が誕生した。
酪農の大成功は、養豚業者を奮い立たせた。当時、豚肉は牛乳以上に品質にばらつきがあった。養豚業者たちは輸送を効率化して、さらに品質をあげるために、共同で最新設備の精肉工場をつくった。次に動いたのは政府だ。豚肉のレベルを上げようと、政府は試験場をつくった。最良の種畜を農家に提供するためだ。
こうしてデンマークは高品質のベーコンを世界に販売するようになった。アメリカがスムート・ホーリー法を成立させる頃には、最初の精肉工場をつくった頃と比べて、約5倍の数の豚を飼育し、輸出量は33万1500トン、成人人口の半数以上が組合員になっていた。
さらに政府は模倣品と区別させるために、デンマーク産の高い品質基準を保証する海外向けの商標をつけさせたという。いわばブランディングだ。
保護貿易の嵐が吹き荒れると、デンマーク産の製品も当初はアメリカへの輸出量が減少した。しかし、幸運が重なった。冷蔵貨物の技術の進歩により、輸送費が格段に安くなっていた。また、穀物飼料の値段も下がっていた。高い畜産技術で高品質の商品をつくり、政府がブランド戦略を打ち出して、世界からのニーズは高まっている。各国が保護政策で関税を課しても、輸送費用が大きく下がっているためシェア獲得の絶好のチャンスとなったのだ。
現在の酪農王国デンマークのブランド価値は、以上のような酪農家たちの設備投資と研究から始まったものであり、同書の著者であるバーンスタインは、「現代の教訓」としてこう述べている。「必要なのは支援と資金であって、保護ではない」
非合理が「合理的」とみなされる理由
では、95年前に世界を混乱に陥れた保護政策をなぜ再び始めるのか。「非合理としか思えない話が、合理的だとされてまかり通る時代は、周期的にやってくる」そんな話を聞いたのは、投資家の阿部修平スパークス・グループ代表と対談していた時だ。
なぜ非合理的なものが合理的と思われるのか? それは、国民の多くが「やってられない!」と思う時であり、「やってられない」と思うのは、経済に歪みが生じた時だ。歪みとは富の偏在のことで、阿部氏から見せてもらった下記のグラフを見てほしい。

アメリカは国民のわずか1%の超富裕層が、アメリカの資産総額の20%以上をもっている。逆に所得の下位50%(つまり、国民の半数)の人々がもつ所得は、全体の20%から10%程度にまで下がっている。天国と地獄のような所得の開きであり、多くの人が「こんな生活、やってられない」と思う社会になっていたのだ。
こうして人間は、協調体制やルールを壊して、分裂を求めるようになる。ところが、時間が経つと、今度はその反動で統合を求める。スムート・ホーリー法の施行から9年後に第二次世界大戦が始まり、世界中が分裂の極みを体験した後、1945年にI M Fが設立され、世界は統合を求めた。再び悲惨な目に遭わないように、協調しようと呼びかけたのだ。
この統合と分裂の周期は、「社会的記憶の長さに起因すると思う」と、阿部氏は言う。富の偏在、つまり腹が減ると、合理的か非合理かという理屈は通用しなくなる。が、悲惨な記憶があれば理性である程度の我慢はできるだろう。その悲惨な記憶が社会から消えていれば、空腹を満たす行為を優先しようとする。結果的に空腹が満たされるわけではないとしても、だ。
では、今、分裂に向かおうとする動きは、いつ、どうやって修正に向けた動きに転じるのだろうか。
そして、時代がどこに向かおうと、デンマークのような伏線が実は日本にもあるのではないだろうか。日頃、日本企業の地道な活動を見ていると、そう思わざるをえないのだ。