その前に私信を(って全部私信やけど、ガッハッハ)。
keitoさん、RF ONLINEはセガが作って、今オープンベータをやってるようです。
公式サイト http://rfonline.jp/
ただ、ちょっと今月は忙しいのですぐにやるのは無理っぽです。来月になったら出来るかなぁ~。
そしてここからが本題。
タイトルにもあるように、今日は「カイザの日」です。カイザの日はなんぞやっていう方は、是非こちらへどうぞ。
「仮面ライダー555」で草加雅人(仮面ライダーカイザ)役をやられました、村上幸平氏の公式サイトです。
http://koheimurakami.com/index.php
「仮面ライダー555」という特撮番組は群像劇だったと思う。だから、色々な登場人物に感情移入することが出来、メインの登場人物全員が主人公に成り得るものだと思う。個人的には群像劇は嫌いやったけど、555を観てからは他の群像劇ものも好きになってしまった。本当に素晴らしい番組を知ることが出来て幸せです。
私が555に嵌ったのは間違いなく奴のせいです。それは草加雅人という登場人物、そして村上幸平という役者のせいなのです。
彼(ら)のせいで私はなけなしのお金をはたいて555のDVDを全巻揃え、映画の為に劇場に足を運び、劇場版DVDを買い、又劇場版DVDディレクターズカットまで買い、そしてスーパーライブまで買ってしまいました。
そう、全ては草加雅人及び村上幸平のせい。付け加えるならば、「イケメン新選組」も買っちょりますたい。
私の中では草加雅人こそが555の中心人物であり、主人公でした。事実、映画の撮影を機に他の役者さんのスケジュールの都合や、脚本家の草加雅人という登場人物への溺愛もあって、草加雅人が555の世界、物語の中心に躍り出てしまいました。
何よりも演じた村上幸平さんの草加雅人への愛がずば抜けていたのが大きく影響したのかもしれません。。
草加雅人が出る前も555は楽しく観ていましたが、最初の登場から一旦デルタのベルト関係で流星塾仲間と行動を共にする為に555に出なくなった時(その間3話程)、なんかポッカリと穴が開いたような気分でした。
そしてあの再登場。格好良過ぎますよ。本当に心を奪われたのはあの時だったのでしょう。
最初は村上幸平氏もまだ草加雅人の本性に気付かずに演じておられていたと思います。当時のインタビューでも乾巧と分かり合えるようになり仲間になって助け合いながら戦うと思っていた、というようなことをおっしゃっておられました。
だから初期草加雅人はただの自分に自信を持ち過ぎている嫌味な奴という範疇の中にいた登場人物だと思います。
しかし、再登場から、村上幸平氏もきっちりと草加雅人を理解し、そして愛することによって、嫌味な奴ではあるけれども、人間を守る(え?)為に敵(オルフェノク)と戦うヒーローに成り得たんだと思います。
いや、強引なのはわかってますが、今日はカイザの日ということで。わっはっは。
漠然としてですが、草加雅人には昔の所謂昭和ライダーの雰囲気を感じていました。それが私にとっては懐かしく、555に引き付けられたもっとも大きな要因だったと思います。
劇中ではこの言葉は出てきませんが、草加雅人は「改造人間」なんですよね。しかも敵の組織に改造されちゃってるし。そして良いにしろ、悪いにしろ、彼は人間の味方なんです。選ぶ手段はなんでもアリだけど。
そんな草加雅人が最後は一方的に愛する人の為に(←ここ重要、一方的なのが草加雅人クオリティ)犬死するのが、もう何と言っていいのやら。しかも最終回2話前だし。一番殺されたらアカン奴に殺されるし。オンエアは1月4日の正月気分が抜けない時だし。正直、ちょっとショックで何も手につきませんでしたよ、んとに。
草加雅人は恐らくは早い段階で死ぬ予定だったんではないのかなぁ。でも、彼は最終回近くまで生き残った。それも脇役ではなく、堂々としたメインで。物語を引っ張る役で。
乾巧と木場勇治が表だっての主人公ですよね。オルフェノクでありながら人間として人間を守ろうとする者と、オルフェノクとして人間を守ろうとし挫折する者。二人を対比して描くことが最初の出発点だったと思う。
しかし、草加雅人の登場でそれは変わってしまった。純粋な人間でもなく、また純粋なオルフェノクでもない、そんな草加雅人の悲哀や復讐が、555という世界に大きなテーマを投げかけたと思う。
脚本家に愛され(脚本家自身の分身?)、演出陣やスタッフに愛され、そして役者に愛される、そんな登場人物はなかなかいないでしょう。愛されるだけではなく、理解されているのも重要かな。
漢ならカイザです。
あ、あかん、熱く書き過ぎました。まとまってないし。続きは来年のカイザの日にでも。
keitoさん、RF ONLINEはセガが作って、今オープンベータをやってるようです。
公式サイト http://rfonline.jp/
ただ、ちょっと今月は忙しいのですぐにやるのは無理っぽです。来月になったら出来るかなぁ~。
そしてここからが本題。
タイトルにもあるように、今日は「カイザの日」です。カイザの日はなんぞやっていう方は、是非こちらへどうぞ。
「仮面ライダー555」で草加雅人(仮面ライダーカイザ)役をやられました、村上幸平氏の公式サイトです。
http://koheimurakami.com/index.php
「仮面ライダー555」という特撮番組は群像劇だったと思う。だから、色々な登場人物に感情移入することが出来、メインの登場人物全員が主人公に成り得るものだと思う。個人的には群像劇は嫌いやったけど、555を観てからは他の群像劇ものも好きになってしまった。本当に素晴らしい番組を知ることが出来て幸せです。
私が555に嵌ったのは間違いなく奴のせいです。それは草加雅人という登場人物、そして村上幸平という役者のせいなのです。
彼(ら)のせいで私はなけなしのお金をはたいて555のDVDを全巻揃え、映画の為に劇場に足を運び、劇場版DVDを買い、又劇場版DVDディレクターズカットまで買い、そしてスーパーライブまで買ってしまいました。
そう、全ては草加雅人及び村上幸平のせい。付け加えるならば、「イケメン新選組」も買っちょりますたい。
私の中では草加雅人こそが555の中心人物であり、主人公でした。事実、映画の撮影を機に他の役者さんのスケジュールの都合や、脚本家の草加雅人という登場人物への溺愛もあって、草加雅人が555の世界、物語の中心に躍り出てしまいました。
何よりも演じた村上幸平さんの草加雅人への愛がずば抜けていたのが大きく影響したのかもしれません。。
草加雅人が出る前も555は楽しく観ていましたが、最初の登場から一旦デルタのベルト関係で流星塾仲間と行動を共にする為に555に出なくなった時(その間3話程)、なんかポッカリと穴が開いたような気分でした。
そしてあの再登場。格好良過ぎますよ。本当に心を奪われたのはあの時だったのでしょう。
最初は村上幸平氏もまだ草加雅人の本性に気付かずに演じておられていたと思います。当時のインタビューでも乾巧と分かり合えるようになり仲間になって助け合いながら戦うと思っていた、というようなことをおっしゃっておられました。
だから初期草加雅人はただの自分に自信を持ち過ぎている嫌味な奴という範疇の中にいた登場人物だと思います。
しかし、再登場から、村上幸平氏もきっちりと草加雅人を理解し、そして愛することによって、嫌味な奴ではあるけれども、人間を守る(え?)為に敵(オルフェノク)と戦うヒーローに成り得たんだと思います。
いや、強引なのはわかってますが、今日はカイザの日ということで。わっはっは。
漠然としてですが、草加雅人には昔の所謂昭和ライダーの雰囲気を感じていました。それが私にとっては懐かしく、555に引き付けられたもっとも大きな要因だったと思います。
劇中ではこの言葉は出てきませんが、草加雅人は「改造人間」なんですよね。しかも敵の組織に改造されちゃってるし。そして良いにしろ、悪いにしろ、彼は人間の味方なんです。選ぶ手段はなんでもアリだけど。
そんな草加雅人が最後は一方的に愛する人の為に(←ここ重要、一方的なのが草加雅人クオリティ)犬死するのが、もう何と言っていいのやら。しかも最終回2話前だし。一番殺されたらアカン奴に殺されるし。オンエアは1月4日の正月気分が抜けない時だし。正直、ちょっとショックで何も手につきませんでしたよ、んとに。
草加雅人は恐らくは早い段階で死ぬ予定だったんではないのかなぁ。でも、彼は最終回近くまで生き残った。それも脇役ではなく、堂々としたメインで。物語を引っ張る役で。
乾巧と木場勇治が表だっての主人公ですよね。オルフェノクでありながら人間として人間を守ろうとする者と、オルフェノクとして人間を守ろうとし挫折する者。二人を対比して描くことが最初の出発点だったと思う。
しかし、草加雅人の登場でそれは変わってしまった。純粋な人間でもなく、また純粋なオルフェノクでもない、そんな草加雅人の悲哀や復讐が、555という世界に大きなテーマを投げかけたと思う。
脚本家に愛され(脚本家自身の分身?)、演出陣やスタッフに愛され、そして役者に愛される、そんな登場人物はなかなかいないでしょう。愛されるだけではなく、理解されているのも重要かな。
漢ならカイザです。
あ、あかん、熱く書き過ぎました。まとまってないし。続きは来年のカイザの日にでも。