4月29日土曜日。ファンを前にして初めての本人の口からの卒業報告。大阪フェスティバルホール。
初っぱなのMC。ヨッシーからのお知らせ。紺野と小川の卒業発表。紺野はモー娘。とハロプロ両方からの卒業。まことはモー娘からの卒業。
よかったーーーー。マコトはハロプロ残留!!。ほっとした。逆に言うと、コンコンは本当の芸能界引退。
その後、コンコン、まことの順で自ら報告。紺野は淡々と報告。さぁ次はまこと。まことは紺野とは違っている。私の好きなまこと。紺野はああみえて頑固者(中学の時、英語の先生が嫌いで英語が大の苦手、優秀な紺野なのに、適応能力がない)。それに反して、繊細な心の持ち主のマコト。途中、声がつまる、必死で涙を抑えている様子。いとおしい。こんなマコトだから私は好き。
その涙からは、「語学留学」というのは麻琴の言葉じゃないということ、事務所が提示した単なる理由づけにすぎないということ。ホントはもっと娘にいて、センターポジションをねらいたいんだよ!!みんな!!! という麻琴の気持ちが読み取れる。
いつも元気でお笑いキャラの麻琴。でも実は一番繊細な心。5期の合格発表では一番に名前を呼ばれ、未来のエースとだれもが期待した。オーディションの時も、常に強気の麻琴。そのころはつり目で険しい表情の麻琴。
時がたつにつれて、愛ちゃんの歌唱力と純朴さ、紺野の落ちこぼれキャラ似つかわしくないナイスバディ、モーヲタの新垣。まことのキャラ設定が求められる。おばちゃんお笑いキャラ。自分の素の部分をさらけ出す麻琴。ハロモニのコント、ハロモニのキャスター。それでやっと人気がでてくる。私が好きになったのは、ハロモニのキャスターピーマコ。
でもね、でもね。この麻琴のおもしろさは、麻琴が意図的に演じているのではなくて、ただ素の自分を見せているだけ。だから麻琴は壁にぶつかった。それはやさしい、繊細な心の麻琴には、決して超えられない壁・・・・。
小中高校生だったころ、クラスの中で、私はよく目立った。私のちょっとした授業での言動が、クラスを明るくした。人気者ではないが、ちょっと変わったおもしろいヤツだった。私としては、別にみんなを笑わせるとか意識はしていなかった。ただ単に、常に自分の素を見せていただけ。感じたことをすぐに口出していただけ。
だから、よく人の話を聞けよ、話に割り込んでくるなよーと言われていた。友とのおしゃべりでも、友の話をきくというより、自分が話したいとの気持ちのみ。変なヤツ。おまえってどんな家庭環境で育ったんだよって、少なくない友人や先生から言われた。
高校でもそんな感じの私。ある日の私、目立つ行動でまたまたまたまた、みんなから笑いをとった。その後の休憩時間。あるクラスメートからこう言われた。
「さっきのって、ねらい?」
この言葉におどろいた。おどろいたっていうより、とまどった。その当時、ダウンタウンなどのお笑いブーム。お笑い芸人が「オチ」「ネタ」「すべった」「天然」「ねらい」など言葉を連発するフリートークが人気。いうなれば、楽屋の芸人話をテレビでもやりはじめたころ。その影響。
えっ ねらいって・・・・。私のおもしろい言動は私の創作かぁ?とまどった。私はこう返事をした。
「いや ちがうけど」普通の声のトーンで言った私。
するとクラスメートは、
「またまたぁーー(とぼけちゃって)」
閑話休題。
「さんまのからくりテレビ」にはじめてゲスト出演した麻琴。娘内では、お笑いキャラが定着してきた麻琴。事務所も「よし!まことならやれるだろう」。5期メンバーのなかから初めてお笑い番組に出演。
しかし結果は、期待とは大きくかけ離れたものだった。後日のラジオ番組ヤン土で、さんまがラジオ共演者の中澤に「小川はあかん!もっとちゃんとせいと言っとけ!!」。それから数年後、麻琴がヤン土にゲスト出演。さんまから冷遇をうける。麻琴に話がふられたのは、オープニングと麻琴ネタのハガキが1通読まれただけ(同じ頃にヤン土に出演した道重、田中、新垣は、さんまは結構持ち上げていたのに・・・)。
その当時結構私の投稿ハガキが読まれていた。麻琴が出演ということで、いつもの倍投稿した、全部まことネタ。自信があった。なのに読まれなかった。麻琴のネタハガキで、麻琴に話をふっても話が広がらないとの判断だったのだろう。(麻琴への思いが強すぎて、長文投稿ハガキになったのも原因かもしれないが・・・、しかし、投稿ハガキが全部そのまま読まれることはまれ、ほとんどはスタッフの手によって割愛された状態をさんまが読んでいるのだが・・・)。あきらかに、さんまからの評価が低い麻琴。さんまが求める結果をだせない麻琴。恐縮する麻琴。ラジオからでもその麻琴の心がつたわってくる。「私は・・・どうすればいいの・・・・」
この文章を打っていて、涙がでてきたよ・・・。どうして麻琴をとてもいとおしく、そしてどうして、とても切なく感じるのかやっと分かったよ。私は麻琴で、麻琴が私。シンクロ。
ただね。私は、大人になるにつれて、「わざと」とぼけてみたり、あるいは他人との距離を大きくとってみたり、私の素のハイテンションで目立ちたがりの部分は一部の親しい人だけにみせることにしたりして、はたまたそれ以降「ねらい?」って尋ねてくる人はわざと無視したりして、「本当の自分」を外界から守ることができた。
でもね。でもね。麻琴はそうはできないんだよ。「本当の自分」をもっと強調して増幅させるように求められつづけた。「いつものまこっちゃんでいいよ」「いつものように、もっととぼけてくれなくちゃぁ」「あそこでは、もっと元気に言い返してくれなくちゃ」。
「本当の自分」を意識した麻琴はもう「本当の麻琴」ではなくなる。それが、小川麻琴の決して超えられない壁。繊細な心の麻琴。不器用な麻琴。いとおしい。
本物のアイドルは、求められる自分を作り上げることができる。いとも簡単に。あややにしろ、なっちにしろ、矢口にしろ。彼女たちが、唯一「本当の自分」を求めて、悩むのは男問題だけだろう。しかし麻琴はいつもいつもいつもメディアに出るたびに悩む。「求められている本当の自分らしき自分」と「本当の自分」をうまく使いこなせる、図太さというか、傲慢さというか、嘘つき気質が麻琴にはなかった。
まこヲタの多くは、この麻琴の繊細な心、すれていない感覚が、とてつもなくいとおしいのだろう。自分が失ったものを、この子はまだ大切に持っている。それを必死で守ろうとしている。胸が締め付けられる。
ミキティヲタの多くはマザコンであり、常に母親を自分の支配下に置いてきた人種である、母親からは得られなかった被支配感をミキティから求めている(コンサ会場でも美貴様ぁーとか、藤本「さーーん」とヲタが呼んでいるのそのわかりやすい現れ)。
逆に、愛ヲタは、母親から支配されてきた人種。母親に甘えたことのない人種。母親からは感じなかった支配感を愛ちゃんからは感じることができる。愛ちゃんからは「甘えていいんやよー」オーラを感じとる愛ヲタ。
ヨッシーの男性ヲタ(私はいままで見たことはないが・・・、吉澤は女性からは大人気、そのレズッけがたまらないのだろう)は、現実世界ではうまく消化できない自分のホモ傾向を、吉澤で代替している。
こう見てくると、まこヲタが娘内最小派閥なのもうなずける。小川麻琴を見て、その葛藤、その繊細な心を見抜ける(あるいは見抜いたと妄想する)、そんな心の繊細なヤツはそうはいない。洗面台の窓から冬とは違った、春の生暖かい風をほおに感じて、涙がでるようなヤツ。近い将来失明する病に冒されてどうしようもない現実に絶望しているヤツ。そんな心の不安定なヤツしか、まこヲタにはなれない。
自分でこの文章を打っていて、やっと分かったよ。私が小川麻琴にひかれる理由。そして、小川麻琴がモーニング娘からリストラされる理由。その2つの理由はまったく同じ。それは、小川麻琴がとてつもなく不器用で、とてつもなくおろかで、とてつもなく無知で、とてつもなく素直で、とてつもなく純粋であるため。
明らかに童貞の高校生に 「おまえって 童貞だろ?」というのは禁句だし。
おもしろいヤツに 「お前っておもしろいな」と真顔で言うのは禁句。
人間に「あなたの生きている意味ってなに?」と尋ねるのは禁句だし。
小川麻琴に「お前はお笑い担当だよ」と指示するのは禁句。
その禁句を発することは、アイデンティティーへの死刑宣告に他ならない。アイデンティティーの葛藤そして喪失。悲しい現実。
小川麻琴が「本当の自分」を守るために、モー娘からの卒業を決心したのなら、私はその卒業を全面的に支持します。そして、そんなまこっちゃんを私はとてもいとおしい。これは好きとか嫌いとかの感情ではなく、まさしく「いとおしい」。性的欲望に裏打ちされた愛やら恋やらではない。愛やら恋やらが最終的には、肉体的結合による精神的一体感をもとめているのなら、私が麻琴にかんじる「いとおしさ」は、アイデンティティーのシンクロによる精神的一体感。
だから、私は、まこっちゃんが、今後男性アイドルと同棲しようと、結婚しようと、まこヲタでいられる。「いとおしさ」には独占欲は必要ではないからね。
ただ怖いのは、迷子の子供が母親とはぐれて、まるでこの世の終わりであるかのように泣き叫んでいるそんな子供が、いつしか大人になると母親が死んでも泣くことを忘れてしまう。そんなように、私の心が鈍化して、なんにも感じなくなるが怖い。そんな、なんにも感じなくなった自分が、今のこのまこヲタである私を否定し、あるいはあんな時代もあったねと、他人事のように語り出し、そしてあざけるのがとてつもなく怖い。
私は私でいられるのだろうか?小川麻琴のように・・・・・。
初っぱなのMC。ヨッシーからのお知らせ。紺野と小川の卒業発表。紺野はモー娘。とハロプロ両方からの卒業。まことはモー娘からの卒業。
よかったーーーー。マコトはハロプロ残留!!。ほっとした。逆に言うと、コンコンは本当の芸能界引退。
その後、コンコン、まことの順で自ら報告。紺野は淡々と報告。さぁ次はまこと。まことは紺野とは違っている。私の好きなまこと。紺野はああみえて頑固者(中学の時、英語の先生が嫌いで英語が大の苦手、優秀な紺野なのに、適応能力がない)。それに反して、繊細な心の持ち主のマコト。途中、声がつまる、必死で涙を抑えている様子。いとおしい。こんなマコトだから私は好き。
その涙からは、「語学留学」というのは麻琴の言葉じゃないということ、事務所が提示した単なる理由づけにすぎないということ。ホントはもっと娘にいて、センターポジションをねらいたいんだよ!!みんな!!! という麻琴の気持ちが読み取れる。
いつも元気でお笑いキャラの麻琴。でも実は一番繊細な心。5期の合格発表では一番に名前を呼ばれ、未来のエースとだれもが期待した。オーディションの時も、常に強気の麻琴。そのころはつり目で険しい表情の麻琴。
時がたつにつれて、愛ちゃんの歌唱力と純朴さ、紺野の落ちこぼれキャラ似つかわしくないナイスバディ、モーヲタの新垣。まことのキャラ設定が求められる。おばちゃんお笑いキャラ。自分の素の部分をさらけ出す麻琴。ハロモニのコント、ハロモニのキャスター。それでやっと人気がでてくる。私が好きになったのは、ハロモニのキャスターピーマコ。
でもね、でもね。この麻琴のおもしろさは、麻琴が意図的に演じているのではなくて、ただ素の自分を見せているだけ。だから麻琴は壁にぶつかった。それはやさしい、繊細な心の麻琴には、決して超えられない壁・・・・。
小中高校生だったころ、クラスの中で、私はよく目立った。私のちょっとした授業での言動が、クラスを明るくした。人気者ではないが、ちょっと変わったおもしろいヤツだった。私としては、別にみんなを笑わせるとか意識はしていなかった。ただ単に、常に自分の素を見せていただけ。感じたことをすぐに口出していただけ。
だから、よく人の話を聞けよ、話に割り込んでくるなよーと言われていた。友とのおしゃべりでも、友の話をきくというより、自分が話したいとの気持ちのみ。変なヤツ。おまえってどんな家庭環境で育ったんだよって、少なくない友人や先生から言われた。
高校でもそんな感じの私。ある日の私、目立つ行動でまたまたまたまた、みんなから笑いをとった。その後の休憩時間。あるクラスメートからこう言われた。
「さっきのって、ねらい?」
この言葉におどろいた。おどろいたっていうより、とまどった。その当時、ダウンタウンなどのお笑いブーム。お笑い芸人が「オチ」「ネタ」「すべった」「天然」「ねらい」など言葉を連発するフリートークが人気。いうなれば、楽屋の芸人話をテレビでもやりはじめたころ。その影響。
えっ ねらいって・・・・。私のおもしろい言動は私の創作かぁ?とまどった。私はこう返事をした。
「いや ちがうけど」普通の声のトーンで言った私。
するとクラスメートは、
「またまたぁーー(とぼけちゃって)」
閑話休題。
「さんまのからくりテレビ」にはじめてゲスト出演した麻琴。娘内では、お笑いキャラが定着してきた麻琴。事務所も「よし!まことならやれるだろう」。5期メンバーのなかから初めてお笑い番組に出演。
しかし結果は、期待とは大きくかけ離れたものだった。後日のラジオ番組ヤン土で、さんまがラジオ共演者の中澤に「小川はあかん!もっとちゃんとせいと言っとけ!!」。それから数年後、麻琴がヤン土にゲスト出演。さんまから冷遇をうける。麻琴に話がふられたのは、オープニングと麻琴ネタのハガキが1通読まれただけ(同じ頃にヤン土に出演した道重、田中、新垣は、さんまは結構持ち上げていたのに・・・)。
その当時結構私の投稿ハガキが読まれていた。麻琴が出演ということで、いつもの倍投稿した、全部まことネタ。自信があった。なのに読まれなかった。麻琴のネタハガキで、麻琴に話をふっても話が広がらないとの判断だったのだろう。(麻琴への思いが強すぎて、長文投稿ハガキになったのも原因かもしれないが・・・、しかし、投稿ハガキが全部そのまま読まれることはまれ、ほとんどはスタッフの手によって割愛された状態をさんまが読んでいるのだが・・・)。あきらかに、さんまからの評価が低い麻琴。さんまが求める結果をだせない麻琴。恐縮する麻琴。ラジオからでもその麻琴の心がつたわってくる。「私は・・・どうすればいいの・・・・」
この文章を打っていて、涙がでてきたよ・・・。どうして麻琴をとてもいとおしく、そしてどうして、とても切なく感じるのかやっと分かったよ。私は麻琴で、麻琴が私。シンクロ。
ただね。私は、大人になるにつれて、「わざと」とぼけてみたり、あるいは他人との距離を大きくとってみたり、私の素のハイテンションで目立ちたがりの部分は一部の親しい人だけにみせることにしたりして、はたまたそれ以降「ねらい?」って尋ねてくる人はわざと無視したりして、「本当の自分」を外界から守ることができた。
でもね。でもね。麻琴はそうはできないんだよ。「本当の自分」をもっと強調して増幅させるように求められつづけた。「いつものまこっちゃんでいいよ」「いつものように、もっととぼけてくれなくちゃぁ」「あそこでは、もっと元気に言い返してくれなくちゃ」。
「本当の自分」を意識した麻琴はもう「本当の麻琴」ではなくなる。それが、小川麻琴の決して超えられない壁。繊細な心の麻琴。不器用な麻琴。いとおしい。
本物のアイドルは、求められる自分を作り上げることができる。いとも簡単に。あややにしろ、なっちにしろ、矢口にしろ。彼女たちが、唯一「本当の自分」を求めて、悩むのは男問題だけだろう。しかし麻琴はいつもいつもいつもメディアに出るたびに悩む。「求められている本当の自分らしき自分」と「本当の自分」をうまく使いこなせる、図太さというか、傲慢さというか、嘘つき気質が麻琴にはなかった。
まこヲタの多くは、この麻琴の繊細な心、すれていない感覚が、とてつもなくいとおしいのだろう。自分が失ったものを、この子はまだ大切に持っている。それを必死で守ろうとしている。胸が締め付けられる。
ミキティヲタの多くはマザコンであり、常に母親を自分の支配下に置いてきた人種である、母親からは得られなかった被支配感をミキティから求めている(コンサ会場でも美貴様ぁーとか、藤本「さーーん」とヲタが呼んでいるのそのわかりやすい現れ)。
逆に、愛ヲタは、母親から支配されてきた人種。母親に甘えたことのない人種。母親からは感じなかった支配感を愛ちゃんからは感じることができる。愛ちゃんからは「甘えていいんやよー」オーラを感じとる愛ヲタ。
ヨッシーの男性ヲタ(私はいままで見たことはないが・・・、吉澤は女性からは大人気、そのレズッけがたまらないのだろう)は、現実世界ではうまく消化できない自分のホモ傾向を、吉澤で代替している。
こう見てくると、まこヲタが娘内最小派閥なのもうなずける。小川麻琴を見て、その葛藤、その繊細な心を見抜ける(あるいは見抜いたと妄想する)、そんな心の繊細なヤツはそうはいない。洗面台の窓から冬とは違った、春の生暖かい風をほおに感じて、涙がでるようなヤツ。近い将来失明する病に冒されてどうしようもない現実に絶望しているヤツ。そんな心の不安定なヤツしか、まこヲタにはなれない。
自分でこの文章を打っていて、やっと分かったよ。私が小川麻琴にひかれる理由。そして、小川麻琴がモーニング娘からリストラされる理由。その2つの理由はまったく同じ。それは、小川麻琴がとてつもなく不器用で、とてつもなくおろかで、とてつもなく無知で、とてつもなく素直で、とてつもなく純粋であるため。
明らかに童貞の高校生に 「おまえって 童貞だろ?」というのは禁句だし。
おもしろいヤツに 「お前っておもしろいな」と真顔で言うのは禁句。
人間に「あなたの生きている意味ってなに?」と尋ねるのは禁句だし。
小川麻琴に「お前はお笑い担当だよ」と指示するのは禁句。
その禁句を発することは、アイデンティティーへの死刑宣告に他ならない。アイデンティティーの葛藤そして喪失。悲しい現実。
小川麻琴が「本当の自分」を守るために、モー娘からの卒業を決心したのなら、私はその卒業を全面的に支持します。そして、そんなまこっちゃんを私はとてもいとおしい。これは好きとか嫌いとかの感情ではなく、まさしく「いとおしい」。性的欲望に裏打ちされた愛やら恋やらではない。愛やら恋やらが最終的には、肉体的結合による精神的一体感をもとめているのなら、私が麻琴にかんじる「いとおしさ」は、アイデンティティーのシンクロによる精神的一体感。
だから、私は、まこっちゃんが、今後男性アイドルと同棲しようと、結婚しようと、まこヲタでいられる。「いとおしさ」には独占欲は必要ではないからね。
ただ怖いのは、迷子の子供が母親とはぐれて、まるでこの世の終わりであるかのように泣き叫んでいるそんな子供が、いつしか大人になると母親が死んでも泣くことを忘れてしまう。そんなように、私の心が鈍化して、なんにも感じなくなるが怖い。そんな、なんにも感じなくなった自分が、今のこのまこヲタである私を否定し、あるいはあんな時代もあったねと、他人事のように語り出し、そしてあざけるのがとてつもなく怖い。
私は私でいられるのだろうか?小川麻琴のように・・・・・。
なんて文才力だ、、、
なんて文才力だ、、、
北海道には一度も行ったことがないので、行ったなら札幌の紺パパのバーに行きたい。
ぜひ、カクテルまこスペシャルをつくってもらいたい。
こと さんは行ったことある?
紺野ちゃんの卒業ライブには来るでしょうから。
デスペアさんは小川さん好きなんですか、私も小川さんは好きですが紺野ちゃんと比べたら紺野ちゃんの方が好きですね。
六人制時代の「クイズ・ヘキサゴン」の公録で観た時は可愛かったです。
あの時はミキティと吉澤ちゃんと紺野ちゃんの三人がガッタスのユニフォームで出てました。