獲得された絶望感(盲人ウエカジ @ウエカジハローセンター 公式ブログ)

~網膜色素変性症と司法試験とモー娘。と全盲ヘルパー事業所と・・・~

アリストテレスが考える人間の幸せ

2023-11-03 21:27:50 | 網膜色素変性症と私
幸せとは

来週11月6日月曜日は、つばきファクトリーの山岸理子と岸本ゆめのの卒業コンサート。あと3日だね。

そんな今日は11月3日金曜日の文化の日の祝日。来週ある裁判の準備書面をつくらないといけないのだけど、なんか気分がのらない。考えてみれば、この裁判も、私がやりたくてやっているもので、誰かにやれといわれたものではない。でも、だからこそ、いまいち、気分がのらないと、作業がすすまないのよね。誰かからやれといわれて、お金をもらってやるのなら、しぶしぶでもも作業にとりかかれるのにね、不思議。

気分がのらないので、たまったテレビ番組録画をみる。NHKEテレの100分で名著という、名作の本を、解説してくれる番組。アリストテレスの本。ギリシャの哲学者。

そこで、幸せとはなにか、それは、継続すること、習慣にするとのこと。継続することで、自分の能力を十分に発揮できるようになる、そのことを徳をつむといい、、徳をつめば、全、つまりは幸せがおとずれるとのこと。

この継続、習慣こそが、幸せへの第一歩とのこと。

これを自分に置き換えてみると、目が見えない私、網膜色素変性症の中途視覚障害者の私、盲人、ウエカジ。私にとっての幸せ、私の能力を思う存分発揮すること、そのために継続し、習慣としていくこと。

これは、やっぱり、同行援護裁判であったり、いろいろな不条理を訴えていくことだね。

ということで、これからも、まるでそれが私の習慣のように、同行援護裁判をやりつづけないとね。それが、私の幸せなんだね。

逆にいうと、何もしない、ただぼーっと過ごすことは、私にとって、不幸せなのよね。
そんなことをアリストテレスにおしえてもらった。

あと、人間の幸せwとは、移動であるという哲学者もいる。それもそのとおり。

私にとっての幸せは、移動すること、そして継続習慣化することなんだな。




コメント
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