砂漠のレインメーカー

夕暮れの 陰の廃墟に 病みを視る
宿す闇こそ 塩の道なり

【甘口映画レビュー タクシードライバー】この狂気から逃れている者はいない…

2011-04-30 23:39:37 | 映画

TAXI DRIVER

★いくつ?:★★★★

これが撮られた時代から、何が変わっているのだろう???
この映画で描かれた、光と闇、混沌や矛盾と言ったものは2000年代の現在も世界中で見られるのではないか。
多くの狂気を暗示し、その存在を切り取る作業を行っている。

デニーロが演じる海兵隊帰還兵でありタクシードライバーのトラヴィス。
学歴はないが、どこか知性的でもある。

そして彼が徐々に、不眠症と孤独克服の空回りから狂気に陥るのが、極めて合理的・知性的・審美的であるがゆえ、印象に残る。

整然とした、秩序だった体の鍛え方。殺人能力の身につけ方。
現代が生み出した巨大な力(戦争)と、その退廃(都市の腐敗)。
そして現代スペクタクル社会(メディア社会)での、民主主義の無力への怒り。

ドイツの哲学者アドルノが見た、近代的理性‐合理性の野蛮とこういうことなのかな?

そして、狂気を爆発させるシークエンスでのトラヴィスのモヒカンヘアー。
モヒカンが意味するものは、自らがドブネズミであり、このドブネズミを掃除する意志を示すものか?
(モヒカン…パンクスタイルの象徴…パンク・都市の下層市民)
またベトナム戦争時、アメリカ兵は突撃作戦の時、自らの戦意を高揚させるためモヒカンにしたそうだ。
つまり突撃の意志と、現代世界の内なる内戦の暗示?

美しいジャズが幻影的な都市の美しさであり、そこに狂気を重ねている。
この組み合わせも、隠喩的な刺激を与えてくれた。

狂気への陥り方も、トラヴィスと環境との微妙な祖語から回転し出す。この微妙な齟齬すら理解することも、取りつくろうこともできないところに、現代都市の悲劇がある。

そして最後の正気と理性の示し方も、狂気と狂気の対峙でしか表せない。

結論としては、この狂気から逃れている者はどこにもいない。
狂気から逃れたと思うものは、いつかこの狂気の淵に陥るのではないか。

ただし、点数は少し甘めかな…
(ある程度、ストーリを知っていたので、衝撃度は低いということ。でも作品鑑賞は衝撃度を基準とするものでもないような?)



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