本日の朝、食事時にテレビをみる。
辺見庸の番組を見た後では(正確には見る前からだが…)、震災関連の報道を視る・聞くにつけ、その薄っぺらさにいら立ちを覚える。
こんな情報を垂れ流すぐらいなら、とにかく馬鹿なバラエティ番組やコメディ番組を放送してくれ。
中途半端に真面目な、自らのナルシシズムをみたし、泣かせたいような番組をやるぐらいなら、とんでもなく無意味な番組を、ナンセンスな番組をやってくれ。(内容はエロでも何でもいい)
強くそう思う。
父親が、ヨーロッパチャンピオンリーグのシャルケ04 VS マンチェスター・ユナイテッド戦の話題を振ってくる。
陽気さを含んだ声で「シャルケ負けたな~」
私の返答は「チームとしての格が違う」。父親には悪いが、この震災と死屍累々の光景のまえでは、そんな話題はどうだっていいと思っている。
新聞を開くと、安藤美紀が日の丸をふり、そこには「ガンバロウ ニッポン」と…
安藤選手の美しく無垢な笑顔であるからこそ、私は戦慄せざるえない。
その笑顔と旗は、「個別的な死」に向けられたものでは無いのではないか。
全てが集団とイメージに回収される。
リアルな存在・実存に寄り添う言霊や行いは、こんなにも少ないのか。
語れば語るほど、情報を得れば得るほど虚しいという感を抱く。
最後に辺見庸の新作詩を紹介しておく。
【死者に言葉をあてがえ --辺見庸】
わたしの死者ひとりびとりの肺に
ことなる それだけの歌をあてがえ
死者の口びる ひとつひとつに
他とことなる
それだけしかないことばを吸わせよ
類化しない 統(す)べない
彼や彼女だけの言葉を
百年かけて 海とその影から掬(すく)え
砂いっぱいの死者に どうかことばをあてがえ
水いっぱいの死者は
それまでどうか 眠りに落ちるな
石いっぱいの死者は
それまでどうか語れ
夜更けの浜辺に仰向いて
わたしの死者よ
どうかひとりでうたえ
浜菊はまだ咲くな
あぜとうなはまだ悼(いた)むな
わたしの死者ひとりびとりの肺に
ことなる それだけの
ふさわしいことばが
あてがわれるまで
転載は特に問題ないです。
ただ今回の新作詩は雑誌『文學界』の最新号に掲載予定です。最新号の『文学界』を買うか、図書館で参照する。
または、新作詩が載るであろう単行本を購入してほしいなと、思います。
(僕はそのつもりです)
著作権ビジネスにはあまり良い印象を持っていないのですが、作者に対する何らかの礼儀は示すべきだろうと思っていますので。
『文学界』に載るのであれば、喜んで購入します。
単行本も『辺見庸コレクション』1,2など手元にあり、ときどき刺激を受けております。
まとまりましたら、それもまた手に入れたいと思います。