AYUKO Soul Quest. "スピってるがフィジってる"

元気になってくれ。
自分にときめいてくれ。
そして愛を見つけてくれ。

「王子様」について

2018年11月22日 | 男性について、のあれこれ
「武士道と騎士道を通して王子様について語る」の巻


ちょっと前に「私はプリンセスになりたかったのだ」シリーズを
(勝手に)連載させていただいたが、プリンセスといえば、

そう、そこには「王子様」がいるに決まってる!

そこで「なぜ女性は王子様にうっとりするのか」
(そうでない人もいるだろうけど)を今回もまた勝手にオリジナル検証してみようと思う

日本の文化には「王子様」はそもそも存在しない。
西洋から色々なおとぎ話とか入ってきて、
「お姫様」を通して初めて我々は「王子様」と呼ばれる存在を知るわけだ。


ここで考えるのはやはり「武士道」と「騎士道」であろうかと思う。
かつて興味があって、それらについての本を読んだりしたこともあったが
(実は本の中でも「新書」好きなワタクシ)すっかり忘れてしまったので(意味ない)、
今、ちょっとググってみましたよ。

まず、「武士道」行ってみよう。

「義」:正義、道徳、義理。正しい事をやろうという武士道の支柱
「勇」:義を行うこと。正しい事をする勇気で支柱の肝を磨くこと。
「仁」:情け、寛容、徳。人徳で人の上に立つ心得のことです
「礼」:他人に対する思いやり。仲間意識で人と共に喜び、泣くなど人と分かち合う心。
「誠」:誠実、真実性。嘘はつかない、正しい事は曲げない「武士に二言はない」ということ。
「名誉」:尊厳と価値観。羞恥心を持ち、恥じない行いをすること。
「忠義」:命令に対する絶対的服従。命を犠牲にしてまで主君に忠誠を貫く心。

読むだけで背筋が伸びますな。

では、「騎士道」。

「忠節」:君主に対する忠誠。キリスト教、教会に対する信仰。
キリスト教の教えには絶対的に服従し、君主に対しては契約上の忠誠になる。
その点が武士道の「忠義」とは異なる。
「武勇」:戦いで敵を打ち倒す力
「気前の良さ」:気高さ、気品のことで、騎士の資質として重要
「礼節」:仲間や相手に対して丁重にふるまうこと

『また騎士道では女性を守ることが絶対であり、そこからレディーファーストが来ている。』

深く研究すると色々あるのだろうが、
「王子様」を語るにあたってここで重要なのは「
気高さ、気品」と「女性を守ることが絶対」という
「騎士道」にしかない「規範」であると思う。
もう、これだけで王子様が出来上がっちゃうもんね。

武士道(日本)と騎士道(西洋)では、
「女性の立ち位置」が全然違うように思う。
そもそも武士道には女性の存在はないのではないか?

武士道の「外側」でじっと男たちを待ち見守るのが、
(これまでの、かつての)日本において男たちにとっての女性の立ち位置であり、
一方、騎士道では「守るべき女性の存在」が「道」の中に入っている。

武士道では道には「女性はお呼びではない!」のである
。いや、個人的には心から愛したり、その女性を守ったりはあっただろうが、
基本的には「女性は放っておかれるもの」なのだ。「かやのそと」。
そして、女は放っておかれても、愛した男をじっと見守るっていうのが美徳だったろうし、
「そんな私にうっとり」だったかもしれない。「当時は」。

気づいたのは、「女性にひざまずく」のは騎士道の男たちだけであるということだ。
「あなたは女神だ」と言わんばかりに、花束だって用意しちゃう。
「女性を崇める」というのはまさに騎士道だし、そこから思うのは、

「お姫様はそのような王子様たちによって更にお姫様意識が高まるのだ」

ということだ。(スターがスターのように扱われてスターになるのと多分同じだ)

女性の扱いの点だけ言えば、騎士道(王子様)スタイルは
「とてもわかりやすい愛情表現」なのだ。
愛の深さはそこでは決して計れないけれど、
「わかりやすく優しくされ」
「わかりやすく大切にされ」て、嫌な女性はいないだろうなと。

日本の歴史や文化がどうであろうと、
王子様の存在を知ってしまった日本女性としては
憧れてうっとりするのは当然である。

「たまに降る雨」によって生き延びてきたお花が、
「自発的に」お水を注がれて愛でられて喜ばないはずがない。
そんで、もっと綺麗なお花を咲かせちゃう、あなたのために!

私自身はアメリカ生活も経験したし、
それで雰囲気とか見た目もこんな感じなのだが、
根本的には私はとても日本人なので、
武士道精神(どこまで残ってるんだかはわからないけど)に
女性としてもグッと来る。
でも「かやのそと」は嫌なので、

騎士道的エッセンスを加えてもらって「日本の王子様」っていうのが、
プリンセスAYUKOにふさわしい。

引き続き「愛をテーマに王子様に向かって歌おう」ではないか。



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「生徒さん」と呼ぶ先生たち

2018年11月21日 | 音楽と歌と私と・・・
これは批判ではなく、ずっと疑問に思っているのだが。
職業上、私の周りには歌や楽器演奏を教えている人たちがたくさんいるのだが、
自分の生徒を「生徒さん」と「さん付け」するのはどうなのだろう。

 私はどうもしっくりこない。

「先生と生徒」と言うよりは、「サービス提供者とお客様」という感じがしてしまう。
後者も間違っては・・・いないのだけれど、
なんか、ちょっと、違和感を覚えるのだ。

「先生と生徒」という関係なら
、先生が「私の生徒さんがね、、」って外で話すのはやっぱりおかしいように思う。
なんか「身内」の話をする時に、
その身内に敬語を使っちゃうような非常識、恥ずかしさがあるような。

「先生と生徒」は「サービス提供者とお客様」以上の、
というか、(例えばそこでお月謝とかいうお金が発生しても)
そもそも同じではなく、もっと親密で、
そして「先生」である限り、そこには教えてる側の責任、生徒を理解し、
教えて育てていくというミッションがある。
そして、生徒は先生を信じ、「コミットするという責任」がある。

昨今、生徒を「さん付け」する傾向があるのは、
先生側にそういう自信がなくなったのかなあと思ったりする。
一見「同じ目線でやっていこうよ」的なフレンドリー作戦なのかもしれないけれど、
ある意味、先生が先生として胸を張れないのかな、とかね。
生徒を自分の「身内」として引き受けず、「お客様」くらいにしておいて、
距離を保って、良いサービスを提供する・・・
「生徒さん」と誰かから聞くと、どうしてもそういう印象を受ける。

まあ、でも時代の流れもあることだし、
(病院では「患者様」とかって呼んじゃう時代だし、)
昔のような「師匠と弟子」という暑苦しいのは流行らないだろうし、
今は「先生と生徒さん」の方が、ビジネスのトレンドなのかもしれないね。
それがお互いに「心地よい」関係なのかもしれない。
それに、良いサービス(レッスン)をして生徒さんが満足しているのなら、
生徒だろうが、生徒さんだろうが、お客様だろうが、
それでOKなのだ。ミッションは果たせている。

でも私は、やはりちょっと寂しいし、
「先生、しっかりしてよ!」って言いたくなる。

とまあ、ボイストレーナーとしても
「本気復活」をしようとしている私はそんなことを考えてしまうわけである。



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「私はプリンセスになりたかったのだ」3 完結編

2018年11月18日 | 女性であること、のあれこれ
さて、例の先生による「黒禁止令」で、私は変わったのか?変わらなかったのか?
そして、それは「女性性」とどう関係があるのか?

つづき

遠い記憶ではあるのだけれど、
とにかく私は黒を身につけるのを従順にやめたのだ。
ボトムスに黒が多かったけれど、まずは手持ちのブルージーンズであったり、
「黒じゃなきゃいいんだろ!」みたいな感じで「黒じゃない色」を選んでいった。

「まずは外側から固めろ」攻略は、想像以上の効果があった。
色のパワー(エネルギー)を侮ってはいけないのだ。
多分、生まれて初めて、ベージュや(それこそ)薄いピンク、薄い黄緑や水色なんかの
「柔らかい色」を身につけた。
(ここでは、まだ、長いフレアスカートに手を出す勇気はなかったけど)

すると、(マジで)、その柔らかく優しい色は、
私のガチガチであった心を溶かしていったのだ。
そういう色を着るだけで!
あゆちゃんの心、大変身!


今まで感じたこともなかった「柔らかさ」が私の中で生まれてきたのである。
そして、その柔らかさはなんて優しく甘く心地よいものなのだろう。
これこそが、私が小さい時に求めていたものではないだろうか。
この感覚こそが、私が長年封じ込めていた女性性なのではないか。

「柔らかさ、優しさ、可愛らしさ」は、「弱くて、幼稚なもの」ではないのだ。
女性性というのは「受容」というエネルギーの質であり、
それは男性性の「外に向かう力強さ」と同じくらい大切なものなのだ。

もちろん「黒は着ない」作戦だけでなく、
その後、先生の元でありとあらゆる「自分と女性性を見つめる苦行」があったわけだが、
おかげで私の中ではようやく、この美しい女性のエネルギーが循環するようになり、
「小さい亜由子」の悲しみが癒され、彼女の願いが叶えられ、
過去と現在が繋がった、仲直りした、
やっと「ひとつ」になった、

やっと女性としてのスタートを切った、そんな感じだった。

今でも私は「プリンセスになりたかった私」を大事にしている。
「プリンセスは永遠です!」とかって本気で思う。
なぜなら、「小さい亜由子」はいつでもこれからも私の中にいて、
大人の私とは切ってもきれない仲なのだから。

30年も抑圧したからこそ、私にはその「抑圧の苦しみ」、
と同時に「女性性を大切にしたときの喜びと素晴らしさ」も知っている。
私はそんなことをもしかして伝えていきたいのかな、と
歌手として、また教える者として最近思っているのである。

おーしーまいっ!(読んでくださってありがとうございました!)



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「私はプリンセスになりたかったのだ」2

2018年11月16日 | 女性であること、のあれこれ
なぜ、今の私にとってピンクは一番好きな色なのに、
その時まで「あり得ない色」だったかは、私の幼少期まで遡る。


つづき


私は小さい頃、ぬいぐるみではなくて、断然「お人形」派だった。
リカちゃん人形を始め、リカちゃんのお友達にまで手を伸ばし、
着せ替えをしては彼女たちの可愛さにうっとりしていた。

リカちゃんが着ていたようなお洋服を着てみたいというのは、
当然ながら当時のリカちゃんファンの少女たちにとっては「夢」であった。

家族といいところにディナーを食べに行った時に、
たまにヒラヒラのドレスを着た女の子を見ると心から羨ましく思ったが、
母は「あんなのは田舎臭い」と、私にはサンローランかなんかの、
大人好みのシックな紺色とか茶色の子供服を着せた。
(まあ、今なら母の気持ちはよく分かる)
いつも「良い服」を着せられていたが、
「夢のピンク色」はついぞ着せてもらえず、
完全に母好みのシックなお嬢様スタイルだった。
でも、私は母に自分の思いは言わなかった。

そしてもう一つは髪型だった。
最高権力者の祖母と母の好みで持って、
髪はいつも短く切られていた。
でも、髪の長い女の子たち、それを可愛く結ってもらってる女の子たちが、
とても羨ましかった。
とにかく「とっても可愛かった」のだ。
それでも、私は母には何も言わなかった。

「可愛いもの」を一切着せてもらえず、
その分サンリオグッズとかで可愛いものに触れていたけれど、
「私自身が可愛くしてもらえる」(私が当時「思っていた可愛さ」ね)ことはついぞなかった。
思えば、女の子カラー「ピンク」は一度も身につけたことはなかったと思う。


たったそれだけで?と思われるかもしれないが、
私の「可愛いもの、お姫様みたいなもの」への憧れは相当強かったのだろう、
それを叶えてもらえなかったので、
いつしか「それはダメなもの」として、
私の心の奥にギューーーっと押し込まれることになった。

そして、「ダメなもの」は、10代に入ると「あり得ない」という「強い反発」へと変わる。
その頃はさすがに髪型も自由にやっていて、少し伸ばしたり、
おしゃれにだってものすごく興味はあったし
、私なりに「女の子」をエンジョイしていた。(つもりだった)

可愛さへの反発から、私のスタイルは「かっこいい女」へと突き進む。
アメリカ生活(バークリー時代)で、それに拍車がかかり、
当然ながら自分の「歌のスタイル」にまで影響が及んだ。
私の中の「可愛い女の子」は「かっこいい女」によってドンドン奥へと押しつぶされていった。
(もちろん当時の私はそんなのに気づいているわけがない)


それが「黒」がベースとなるファッションとなり、
20代は「かっこいい街道」まっしぐらの「とんがった」時代となったのだ。
(当然、恋愛にもその私の「在り方」が影響したが、そのことはまたいつか)


「可愛い女の子」という大きな忘れ物をしてしまった私は、
まさに「魂の救出作戦」として、ヒーリングの先生のところに「連れて来られた」・・・
としか、今は言いようがない。

さて、例の先生による「黒禁止令」で、私は変わったのか?変わらなかったのか?
そして、それは「女性性」とどう関係があるのか?

(まだ)つづく。




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「私はプリンセスになりたかったのだ」1

2018年11月13日 | 女性であること、のあれこれ
「私はプリンセスになりたかったのだ」

その「私」とは、私です。

超長編投稿シリーズ、
前回は「私にとって女性性・セクシュアリティーは大切だ」なんていうことを、
歌手としてのスタイルやテーマのことを話しながら書かせていただいた。

「私はプリンセスになりたかったのだ」が分かるまで、
生まれてから30年以上もかかってしまった。

30ちょいの時に、不思議な導きでヒーリングの先生と出会い、
彼女の元で、4人の生徒が一年かけて
ボイス・ヒーリング(声の波動を使うヒーリング)を学んでいったわけだが
最初のセミナーの時に「皆さんの課題は女性性ですね」と言われた。

つまり、おんなじ課題を持った女子たちが集まってしまったわけだ。

ヒーリングを学ぶと言っても、
最初からヒーリングの技術を教えてくれるわけではない。
ヒーラーになるためには、まず己を知り、
クリアすべきところをクリアしていかなければならないのだ。
それは「完璧な人間になる」ではなく、
自分を知らないと、簡単に自分の「影」を
ヒーリングを施す相手に投影させてしまうからだ。
自分の状態を知ること、自分のシャドウを知ること。
それに随分時間をかけた。

インナーチャイルドと対峙するのが一番きつかった。
隠していたつもりの思いがボロボロ出てくる。
母のこと。父のこと。とにかく色々。
どんだけってほど泣いたが、
今思えば、あれは私の歴史の大掃除であり、
散らかっていたものから「もういらない」ものを
「なぜいらないか」を理解し、手放し、
そして、全てをあるべきところへ戻してゆく・・・
そんな作業だった。

先生からの我々への最初のミッションは

「黒いもん着るな。なんならピンク着て。
あ、スカートも履いてみてね」

であった。ひ〜〜〜〜〜!
みんな「必ず」黒ベースファッションだった。
「そ、そんな。持ってないですーーーー!」

でも、私は「この一年間は」先生を信じると決めたので従うことにした。
女性性が課題である我々は「黒がないと生きていけない」人生を送っていた。
「ピンク」ほど「あり得ない色」はなかったのだ。

なぜ、今の私にとってピンクは一番好きな色なのに、
その時まで「あり得ない色」だったかは、私の幼少期まで遡る。

つづく。




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