AYUKO Soul Quest. "スピってるがフィジってる"

元気になってくれ。
自分にときめいてくれ。
そして愛を見つけてくれ。

「怒ってる?(私のこと好き?)」

2019年05月28日 | 人との関わり(愛とか)
30代前半にヒーリングやセラピー、心理学を学んでいた時期があったのだが、
ある時先生が「主音声」「副音声」という言葉を使って、とても面白い話をしてくださった。

以下の状況でのセリフは、皆さん、一度は経験されてはいないだろうか。

自分の言動によって、
好きな人、大事な人の気を損ねてしまったのではないか、心配・・・という状況の中、
あなたは聞く。

「怒ってる?」

先生曰く、主音声は「怒ってる?」だけれど、
副音声(本当は聞きたいこと)は「私のこと好き?まだ好き?」ということ。
はは〜なるほど、と思った記憶がある。

で、大抵相手は、

「怒ってないよ」と言う。(まあ、怒ってるかもしれないけど)

しかし、あなたは満足&安心できない。
なぜなら、本当は聞きたいことの返事をもらっていないからだ。
でも、聞けない。
なぜなら、あなただって自分が本当に聞きたいことが分かってないから。

なんてことを最近思い出した。

主音声・副音声という例えが、なるほどと思える。

私たちは普段、どれだけ副音声付きの主音声を発しているだろうか。

副音声(本音)が自分でも分からない時もあるし、
分かってるけど敢えて言わない(言えない)時もあるだろうと思う。

副音声付きの主音声でもって相手に何かを伝える時、
本音(副音声)がいつも伝わるとは限らない。
運がよければ、相手は汲んでくれるかもしれない。
けれど、もし相手があなたの主音声だけを受け取ったのだとしたら、
あなたが本当は伝えたい「核」の周りをグルグル廻るだけで、
結果、相手の本音も受け取ることができない、ということが起こる。

で、それってとてもストレスフルで悲しいのだ。

副音声付きの主音声を発する時というのは、
自分の本音が分かってない時と、分かってるけど相手のリアクションを怖れている時だ。

前者に関しては、多分、いずれ分かる。
望んだコミュニケーションができなくてカオス発生、ぎゃ〜〜〜ってなるから。
(それでも気づくのにとても時間がかかる時もあるけど)

後者に関しても、同じことが起こる。

多分大事なのは、
「相手に伝わらないのは、自分の副音声(本音)が伝わってないからだ」ということに気づくことだと思う。

そこで、副音声を主音声にして伝えられるか。
さあ、どこまで素直で正直になれるか。
「怒ってる?」じゃなくて
「私のことまだ好き?」って聞けるか。

自分の気持ちや思いに対して、
本当の意味で正直になれた時、なぜか不思議と、
不安や恐れは吹っ飛んで、軽やかになる。

自分の軸がしっかり真っ直ぐに戻り、
「ああ、私はコレを一番相手に伝えたいんだ,、聞きたいんだ」と迷いがなくなる。
そこにはもはや副音声は必要がなくなる。

その時に発せられる相手への言葉というのは、
なぜか、決して相手にぶつけるものにはならないのだ。
独り善がりでもない、相手を責めるものでもない。
スーッと一直線に相手に入ってゆく。
そうすると、相手も同じように返してくれる、という奇跡が起きる。
それがどんな内容であれ。

手始めに、自分の副音声に耳を傾けてみる。
そして、相手の副音声にも耳を傾けてあげる。

「本音」を知ることは怖かったりする。
自分のも。相手のも。

でも、「本当の音」だもの。

How could it be BAD?



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「ビーチか、森か」

2019年05月24日 | やんややんやの日常
今日は朝から怒涛の日であった。

今年度は年間通しての
(ボランティアだけど)大きなミッションを引き受け、
4月からヒーヒー言いながらやってきたが、
6月のイベントに向けて、いよいよ準備スタート。

で、今日は準備スタートの初日だった訳だが、
「疲労困憊」というのはまさにこのことかと。

午前中だけの作業だったが、
もはや目を開けて立っていられないほどで。
(まだ病み上がりで体力も回復していないからか)

這うような気持ちで息子を迎えに行き、
家に帰ったら「ママ、ちょっと横になるわ」と
ベッドに倒れ込む。

そして、ぼんやり思った。
「今、どこかにワープできるとしたら、
私はビーチがいいだろうか、
森がいいだろうか」

そんなの考えるなら寝ろ、って感じだ。
(で、寝た)

で、答えは、断然「森!」である。

私のパソコンのブックマークフォルダーには
「BGM Music」というのがあって、
そこにはYoutubeで見つけた
自然の音から、かなりスピっているものまである。

その中に「砂浜」というのがある。
ザブーン・・・ザブーンという心地の良い波の音が、
延々二時間続く、らしい。(二時間も流したことない)

なぜ、答えがビーチではなく森なのか、
説明しよう。

確かにビーチは爽やかな風が吹き、
大きな海と空がうわ〜っと広がり、
波の音にも癒される。
が、しかし。
私はその環境では「気持ちいいなあ!」はあっても
どうも眠れない。

なぜなら
例えどんなに波が穏やかでも、
寄せては引く・・・という永遠に続く波の音、
波の「リズム」というのが、
どうも落ち着かなくて、ざわざわする。
「一体、いつ終わるんだ?!」ってなってしまうのだ。
(終わらない)

ちょっと前に、
グルーヴについて語ったが、
まさに永遠に続く波の音というのは、
私にとってはグルーヴである。

眠る時は・・・
グルーヴいらない!!!!
(そもそも私は音楽を流しながら眠れない人間である。)

私は休む時、眠る時は
「静寂」を求める。
グルーヴするのは、
私の心臓と血流だけでいい。
(これ止まったらヤバい)

お風呂に関しても、
ジャグジーは苦手で、
シーンとした日本のお風呂が好きだ。

ということで森!!!!
ワープするなら、断然、森!!!

静寂の中に、
たまに聞こえる鳥や虫の声・・・
小川のせせらぎもOK
なぜなら、あれは波と違って、
同じ方向にずっと静かに流れてるから。

ということで、
随分と「変わり者」感を醸し出してしまったけれど、
「私も〜!」「俺も〜!」の方々も
少しはおられることでしょう。

さあ、森にワープして安眠しましょう。
(あ、厳密に言うと、森の中の小屋ね。
できれば素敵なコテージね。
直に森の中で寝るのは・・・怖いわね)


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「リズムとグルーヴ」について!

2019年05月20日 | 音楽と歌と私と・・・
今回はちょっと突っ込んだ音楽のお話。

ちょっと前に、友人とグルーヴについて語った。

私が思うに、リズムは譜面に書けるけど、
グルーヴは譜面には落とせない。
(すごいコンピュターで持って譜面にできないことはないだろうけど、
多分、演奏できないだろうし、万が一、演奏ができても、きっとグルーヴは出ない)

そんでもって、リズム感のある人が、グルーヴ感を出せるとも限らない。
もちろんグルーヴ感を出せるようになる前にリズム感を身につけることはマストだけど。

で、じゃあ、グルーヴって何?ってなる訳だが。

私の中のイメージとしては「揺れ」「揺らぎ」のようなもので、
リズムを「刻み」ながらも、揺らぎが波のように循環していくような。

グルーブをウィキってみたところ

「波、うねりの感じから、Jazz, Funk, R&bなど
ブラックミュージックの音楽・演奏に関する表現に転じた」と書いてあった。

さらには、
「グルーヴを構成する要素としてはリズムやテンポ、シンコペーション、
アーティキュレーションなどが挙げられ、
主にリズム体(ベース、ドラムス、パーカッションなど)を対象とした概念である」とのこと。

語源やその歴史に関してはそうなのだろうけれど、個人的にちょっと異論あり。

楽器に関しては、リズム体だけでなく、
声も含む全ての楽器がグルーヴを出せるものだと思ってる。

そして、音楽のジャンルにしても、
実は全ての音楽に「グルーヴ」は存在しているような気がしている。

さらに話をビッグスケールにすると、
グルーヴというのは宇宙全体に存在しているような気がしている。
(音楽演奏でグルーヴを出す、という話からそれるけど)

突き詰めると、グルーヴというのは「出す、敢えて、作る」というものより、
実は「自然そのもの」なのではないかと思い始めている。
リズムが「きっちり割り切れるもの」だとしたら、グルーヴは「割り切れない何か」のような。

人間だったら、私たちの血の中に流れているような。

音楽の演奏で言うのなら、それは決して頭で考えて、計算して表われるものではなくて、
自分の、そして共に演奏している人たちが既に持っている
「自然界の揺らぎの循環」のようなものに委ねた時に、
それこそ自然にグルーヴが生まれる・・・な、気がしている。

(もちろん、そのための演奏技術はいるけれど)

どうでしょう???





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「ジタバタしてもしょうがないのだ」

2019年05月19日 | やんややんやの日常
<これはゴールデンウィークがもうすぐで明ける、という時のお話>


虫垂炎で手術して、退院してから2週間が過ぎたが、
そう簡単には回復とはいかなかった。
心配な症状がずっと続き、とは言え、
世の中はゴールデンウィークだし、
色々勝手にググっては「実は怖い病気で、死ぬんじゃないか」とか、
自分のお葬式を頭の中でシュミレートして涙するとか、
側から見たら笑っちゃうようなことかもしれないが、
本人は具合が悪いし、何が起きてるのか誰にも聞けないしで、
未だ心細さは続いている。

「勝手に死の淵」からは昨日ようやく抜け出し、
「まだ分からないことを心配してもしょうがない。
なるようになるのだ。まあ、きっと大丈夫だろう。」とほんの少し悟った。

ジタバタしてもしょうがないのだ、こういう時は。

いや、なんでも、きっとジタバタしても良いことはなくて、
ある意味「Surrender!!!」こそが、
最善の道を示してくれるのであろう。
降伏した人間は強いのだ。(開き直る・・・とも言うのか?)
天に頭(こうべ)を垂れ、「わたくしの力でできることは、もう何もございません」と、
アッチに丸投げしてしまうと、気持ちも楽になるものだ。

気持ちが楽になると、自然と前向きになるもので、
体調をあまり悲観せず、未来に希望を持てるものだ。

一時は7月のLIVEも無理だ、と諦めかけたが、
今は「さて、何歌おう?しめしめ」ってなってるから、
私は多分高い確率で7月にも生きていて
高い確率でギターの関くんと、魂爆発なLIVEをやっている。。。

苦しいGWになってしまったけれど、ようやく明日、病院で診察。
これまでの症状を、さっきノートにびっしりまとめたので、先生にはクリアに通じるだろう。
あとは、先生と天に任せる。

エピローグ
結果、先生曰く「全然問題ありません」で、
その後も調子の悪い日は続いたが、
ここに来てようやくいつもの調子が戻ってきました!
でも、手術って、やっぱり体にとっては大事件なんだなあと思いました。




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「人に迷惑をかけない」

2019年05月08日 | 人との関わり(愛とか)
娘の小学校の教育ポリシーみたいなのがあって、
確か何カ条かあるのだが、その中に「人に迷惑をかけない」というのがあったように思う。

それから、たまに聞くのが親が子供に対して、
「人に迷惑をかけない人間に育って欲しい」というもの。

人に迷惑をかけるって何だろうと思う。

一つ言えるのは、自己中心的な振る舞いや態度によって、
周りの人たちに不快な思いをさせる・・・ということで、
社会的な意味で「人に迷惑をかける」ということであろう、ということ。
これはちゃんと学んでいかなければいけないと思う。

けれど、私は、「人に迷惑をかけない」ということを子供に伝える時に
ちょっと注意した方がいいと思っている。

人に助けてもらうこと、お世話になること、何かをしてもらう、ということは、
決して、人に迷惑をかけるということではないと私は思っている。
それなしでは私たちは生きていけないのだから。
そこで、お互いに多少の苦労があったとしても、それを「迷惑」と言ってしまったら、
人は皆孤立した寂しい存在になってしまう。

助ける人。助けられる人。
お世話する人。お世話される人。
何かをしてあげる人。何かをしてもらう人。

私たちはどちらにもなり得るし、そのどちらにも何か「役割」があると思うのだ。

日本では「ありがとう」の代わりに「すみません」と言ってしまう習慣がある。
「人に迷惑をかけないで生きる」というメンタリティーみたいなのが、
そことも関わっているような気がしている。

慣習的な口語として「この度は大変ご迷惑をおかけいたしました」と言うことも勿論あるけれど、
でもその会話の最後には「ありがとうございました」という言葉と気持ちを相手に伝えること・・・
それができたのなら、関わった人たちの中で何か生まれ出るものがあるのではないか、という気がしている。


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