AYUKO Soul Quest. "スピってるがフィジってる"

元気になってくれ。
自分にときめいてくれ。
そして愛を見つけてくれ。

「いつものアレ」からの脱却

2019年02月28日 | 自分を変える、どう変える
最近、人や物事に対しての
自分の『反応』を観察するようにしている。
反応ということだから、頭では考えていない、
即座に出るアクションだ。

パブロフの犬と似ていると思うのだが(観点は違うけど)、
自分の反応というのは過去になんらかの理由で身についたアクションが、
その後も同じような状況や相手とかに、
同じようなアクションをするようになることだと思う。

「この手の人」「この手の状況」がやってくると、
自動的にスイッチが入って、何も考えずに反応してしまう。

で、私は特にネガティブな反応をよく観察している。
何にも動じない聖人になろうという魂胆ではなくて、
なんだろう、その状況やその人自体は「フラット」に起きている、存在しているのであって、
それらに対して「フェア」になった時、
果たして、自分のそのネガティブな反応というのは
自分にとって有意義で、充実した、今後生きていく上で必要なものなのだろうか、
と考えるのだ。(ちょっと前に書いた「シャドウ」のことと似ているけど)

だって、ネガティブな反応というのは
、単純に気持ちの良いものではないのだ。
しかも、反応、というくらいだから、
何度も何度も同じようなシーンが今後も繰り広げられるだろうし、
その度に私は同じようなネガティブな反応をするわけだ。

一つ一つでいいから、少しずつ、
それらから自由になれないかなあと最近本気で思っている。

反応した時に深呼吸してみる。

そして、「自分はこの出来事、人の何に反応しているのだろう」と問うてみる。

そうすると、過去の悲しみや怒り、そこから自分を縛った掟や恐れ、
もしくは社会においていつの間に擦り込まれた(つまり真に自分自身では判断していない)
「〜であるべき」「〜はダメ」などが、見えてくるかもしれない。

もちろん、正当な悲しみや怒りもある。
動いた感情(反応)を抑えることでもない。
ただ、それを「観る」もう一人の自分を設置してみる。

肉体を持って、この物理的世界を生き、社会を生きていく上で、
完全なる(全く影響を受けない)精神の自由は不可能かもしれないけれど、
「どこまで自由になれるのだろう?」と、
好奇心でもって死ぬまで挑戦しようと思っている。

どこまでも自由な精神で、どこまでも軽やかで・・・
そんなことを体現するのが私の今の個人的な夢だ。



<エキサイティングなお知らせ2つ!>

3月10日(日)LIVE@世田谷ボランティアセンター
非常に興味深いイベントでLIVEをさせていただくことになりました!
我が音楽パートナーである、ピアニスト/ 作曲家 / アレンジャーの二本柳一明とやります。
「こんなバラエティに富んだお客さんは初めて」となりそうです。
共通点は「地球人」。Good enough, people!
LIVEは14時ごろから!No music charge!




3/19LIVEやります!@原宿クロコダイル
私の十八番ジャンル、Soul&Funk Nightであります。
同級生であった、やんちゃドラマー故John Blackwellと彼をこよなく愛したPrinceへのTribute Liveです。
主催者は同じく同級生だったベーシストLyn Tatsuno!
「どんな姐ちゃんがこの生真面目なブログ書いてんだ?」と思ってるアナタ、是非遊びにいらしてください^^





AYUKO LIVE 2018 "WHOLE LOTTA LOVE"の音源をアップしました!是非!

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「男女を超えられるか」

2019年02月27日 | 女性であること、のあれこれ
いつになったら、
女性が女性として権利だとか、平等とか、
Me tooとかって主張しなくてもいい時代が来るのかなあと思う。

いつになったら、女性たちがわざわざグループとか作って、
「女性○○のためのシンポジウム」とか開かなくてもいい時代が来るのかなって。

男性はそのようなことをしなくてもいい社会を男性が作ってきたからだと思うが、
そしてそれを変容させていくためには、
極端なことをして、大きく分かりやすく主張しなければいけないのであろうけれど。

ただ、なんとなく、
女性同士でタッグを組んで、女性であることを主張しながら、
男性陣に対抗しているように見える姿は、
その後に『溝』が本当に埋まるのか、と疑問に思ってしまう。

これまで、男性たちは女性の「入〜れ〜て」に対して、
「や〜だ〜よ」をしてきたのだとしたら、ある意味、
女性は今、同じようなことをしようとしているようにも見える。

私は職業上(歌手)、社会的男女差別を受けたことがないから、
こんな生易しいことが言えるのかな。

男性だから、女性だから、というのを取っ払って、
男女の違いを認識しながらも、
ただ一人の人間としての意識を持って、真の主張をする、
というのは可能なのだろうか?

男女を超えたところで、互いの、個々の苦しみや悲しみを、互いに感じ取ってあげる・・・
そんな風な思いやりを持つという余地は今の社会にはないのだろうか、まだ。

(すいません、勉強不足、知識不足だから、
トンチンカンなことを書いているかもしれません)
ご教授願います。


<エキサイティングなお知らせ>
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「どっちでもいい、なんでもいい」

2019年02月25日 | 生きていると
と言う時って、ちょっといい加減というか、投げた感じというか、
煮え切らない、はっきりしない、どうでもいい・・・
みたいな印象があるが、昨日気づいたことがある。

昨日、「結果ではなくて、どんな状況でもプロセス自体に対して、
バカボンのパパみたいに、これでいいのだ」と言えることが、
自分を信じることなのではないか、なんてことを書いた。

結果や未来にこだわる時、囚われる時、というのは、
全てのプロセス、流れ、宇宙から(!)俯瞰した時の
自分の人生全体を信じられない時だなあと思ったのだ。

で、心がふと、フワッと軽くなったときに、
「どっちでもいい、なんでもいい」という言葉が思い浮かんだ。

そうねえ・・・
どちらでも良い、何でも良い、
と書くとより真意が伝わるだろうか。
本当に『心から』、
どちらでも良い、何でも良いと思えた時、
それは「どちらにしても、何にしても、
自分にとってまさしく最善のことしか起こらないのだ」、っていう、
最善しか起きないに決まってる!くらいの、
ぜーんぶ自分より果てしなく大きな力に丸投げしてしまえ、
という姿勢なのだと思う。

それが例え、その時自分が望んでいた結果にならなかったとしてもだ。
そうそう、ついつい「その時」しか考えられなかったりするのだ。
「わさわさすんな!To be continuedなんだよ!決めつけるな!」と
上の人(誰だ!?)から言われそうだ。

流れに全て委ねる、というのは勇気がいることだ。
流れにプカプカと浮かんで、のほほーんとするには、
流れもそうだし、自分は絶対大丈夫って信じてないとできない。
すぐジタバタして、流れに逆らって泳ぎ出しちゃったり、
しまいには岩にぶつかっちゃって大怪我したり・・・
まあ、それでも、もちろん大丈夫だし、良いのだけれど、
上の人(だから誰!?)からしたら、
「あ〜あ、ベストな流れを崩して、邪魔しているのはお前さんだよ〜」であろう。

で、そもそも流れに身を委ねる生き方というのは、
何にもしなくていい、っていうのとは違うと思われる。
委ねる、と放棄するっていうのは違う。
多分、目の前のやることをただひたすらやり続ける、ということなのではないだろうか。
過去に生きるわけでも、
未来に生きるわけもなく、
ただ、日々、今、やることをやる。

そして、できるだけ前向きに、楽しく、軽やかに・・・
っていうのが一番難しそうと言われそうだが、
自分を信じきって与えられた流れに身を委ねることができると、
多分、自然にそのような自分になって行くのだと思う。
だって、(究極的には)心配することがなくなるわけだから。
だって、自分は絶対に大丈夫なんだもーん!
どちらにしても良いことしか起きないんだもーん!という、
バカなんじゃない?っていうくらいの信念があるから。

聖書の「信じる者は救われる」って、そういう意味なのかなあ。
人に、もはや愚か者と言われても、それでも信じる。
(あ、ノアの箱船思い出しちゃった)

そうやって「どうなっちゃうんだろう?」とか「こうなったらどうしよう?」っていうのをやめて、
ただ今日を、今を生きることにフォーカスできるようになったら、
自ずと「次にすること」が分かるようになるかもしれない。
最善の流れと自分が同調している時、
頭が考えるよりも速く直観と繋がれる、というか。
だから迷ったり悩んだりすることがなくて、ただ「分かる」みたいな。
そして、自分が本当に本当に望んでいることが何か、
というのも自然と分かるのではないだろうか。

「どっちでもいい、何でもいい」というのが閃いた昨日の私だったが、
完全に流れに身を任せるまで、もうしばらく浮き輪にしがみつき、
太めの長い枝なんかを「万が一の時のため」とかって持ってんだろうなあ、
っていう、ああ、ほんと普通の人間の私。

でもね、三点倒立もそうだけど(娘の三点倒立を見て、私もやりたくなった、あ、勿論壁なしで!)、
興味あることはやってみたい私なので、騙されてもいいから、
浮き輪と長い枝から手を放してみようかなあと思う。
まあ、最悪、私も泳げるので何かあれば、何とか岸辺までは辿り着けるだろう。

でも、な〜〜んとなく、
「あら〜〜浮いたわ〜〜。気持ちいいわ〜〜!楽チ〜〜ン!」
ってなる予感がしている。




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「これでいいのだ」

2019年02月24日 | 生きていると
結局、人から色々な意見やアドバイスをもらっても、
自分自身が身をもって体験して「腑に落ちないと」
学んだことにならないなと、つくづく思う。

その体験期間が長きに渡ることもあって、
ようやく「あの人があの時言っていたことの意味がわかった」ということもあったり、
逆に覆ることもあったりする。

自分をとことん信じるというのは非常に難しくて、
それは過信とも違って、紆余曲折の真っ最中であろうと、大失敗の真っ最中であろうと、
『結果』ではなくて、多分、
プロセスそのものが自分をどこかより良い場所へと導いてくれているのだ、
と疑わないことなのだろうと思う。

そりゃ、できれば寄り道なんかせずに、
賢く最短距離でもって「より良い場所」に行きたいものだが、
「体験して、腑に落ちる」ためには厄介な道を辿らなければいけない時もあるのであろう。

「ああ、厄介な道を辿っているような気がする」と思うと、
自分に溜め息が出てしまうけれど、
そういう時こそ「信じる力」を発揮する時である。

「これでいいのだ」というバカボンのパパの名言を思い出す。


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「フリ〜〜ダ〜〜ム!」

2019年02月22日 | 自分を変える、どう変える
昨日、昨年末以来、親友と少しゆっくり話す機会があった。

年明けから襲われたハンパない疲労感とドツボにはまったという話をしつつ、
そこから友達の言葉によって大事なことに気づかされ「パッカーン!」と脱皮し、
「今やヨガで、少し浮くようになってきたよ!」なんてことを話し(←嘘)、

「でもねえ、なんっかねえ、まだモヤモヤしてることがあって、
ブレイクスルー完了まで、あともう一息なのよ」なんてことを話し・・・

またフニャフニャゴニョゴニョブツブツ話し出して、
「〜ということなんではないだろうか」という今現在の結論みたいなことを言ったら、
彼女が、

「ねえ、あゆちゃん、言っていい?なんか、あゆちゃんらしくない!!!」

・・・なんと!!!

「らしさ」っていう言葉も久々に聞いたし、
「私らしさ」なんて久しく考えたこともなかったので、
実は彼女のその言葉に結構びっくりしたのだ。
しかし長い付き合いの彼女が「あゆちゃんらしくない!」と断言するんだから、
きっとそうなのだろう。

が、しかし、何が?

思えば「自分らしさ」を把握している人なんていないかもな。
それって、自分をよく知っている周りの人間が感じることであって。

でも、彼女にバシッと言われたことの意味がわかったんだ。
「らしさ」というのは一人一人違うけれど、
その「らしさ」が埋れてしまっている時って、多分、
本人が「頭」で考えている「これは正しい、これは間違っている。〜すべきだ、〜すべきでない」に囚われていて、
それらを自分に課そうしている時なのだと思う。
で、それは本来の自分と相容れないものだから非常に窮屈で、
側から見れば「不自然で、らしくない」、なんだと思う。

彼女にその言葉を言われて最初びっくりした私だったが、
「確かにそうかもしれない。
だって、すごく今の私って窮屈な感じがするもん。そうか、そうだ〜〜!」みたいな。

・・・からの、
「私は、現在、本来の私の一部を否定していて、そこを修正しなければいけない、と思っているのかもしれない」と、
例によってアレ的なプロセスがあり。

私は・・・自分の中の何かを恐れるようになってしまったのかもしれない。
年明けからのゲロゲロ期間からの脱皮の際に大切なことに気づいたことはいいが、
その自分の部分が「これはもう今までみたいに出てきてはいけないんだ!」と、
今度はそれを徹底して抑制しようみたいな対極に行ってしまった・・・
・・・っていうか、ほんと、めんどくセー、私。(今更)

親友のおかげで辿り着いたキーワードは、今回のタイトル、
フリ〜〜ダ〜〜〜ム!!!だ。

まさに昨年のLIVEで歌ったNina Simoneの「I'm Feeling Good」だ。
曲の最後の方で、彼女は叫ぶ。
「フリ〜〜ダム イズ マ〜〜イン!!!」と。

アレだよ、アレ!
恐れず、決めつけず、自由に、自然に、心のままに、そして軽やかに。
Do not be afraid to be your-real-self, girl...



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