AYUKO Soul Quest. "スピってるがフィジってる"

元気になってくれ。
自分にときめいてくれ。
そして愛を見つけてくれ。

2023の終わりに皆様へ

2023年12月31日 | 生きていると
2023年も今日で終わり。

皆様はどんな大晦日を過ごされるのでしょう。


私はと言いますと、
今日のうちに明日のお正月料理の下ごしらへを済ませることが
今日のミッションであります。

うちはいわゆる伝統的なおせち料理とかは出さず
(っていうか、あれって美味しいのか?笑)
なので、いつも「洋風」なものを作って、
あとは、ほら、かまぼことか、黒豆とか、
お酒のお供になるおつまみとか、
「作んなくていいもの」をできるだけ買って、
なんとかかんとかやります。


とりあえず
さっき一品「豚リブのコーラ煮」を作りまして、
ゆで卵を後から突っ込んで、
明日にはいい感じになっているでありましょう。

ミッション1コンプリートよ。


っていう、
ちょっと一段落、ホッとしたところで、
やはり今年最後のブログを書こうと
今パソコンを打っています。


本当は「聴くブログ、Sound Blog」を録ろうと思ったのですが、
ああ・・・今回は、いや、今回も、
見送り・・・で、ございます。
年明けには・・・!!!
そうよ、年に一回くらいは(←ひどい)お届けしたいわ。



皆さんがどんな気持ちで大晦日を送っていらっしゃるのかなあ、
なんて思うと、
って、もちろん分からないのだけど、
なぜか心がじんと来るのは、

どの方も、
きっと色々なことがあって、
喜びも悲しも、成功も失敗も、
全部ひっくるめて抱きしめて、
ここまでやってきた・・・

それはなんてすごいことだろうと。

もし、この大晦日に
この一年を振り返って、
しょんぼりしている方がいらしたとしたら、
(もしね)

私は言いたい。


あなたは本当によくここまで頑張った!と。


それぞれ、
どんな一年であっても、
どんな形であっても、
大晦日という一つのゴールまで辿り着いたのですから、


ゴールはゴール!
すごいことです!


だからね、
「おお、自分はよくここまで頑張ってきたじゃないか!」
って、今の自分を、ちゃんと褒めてください。


もしまだね、
コンプリートしていない課題があっても、
来年へと持ち越しになるようなことがあっっても、


今年は、
できるところまでやったのだから、
もういいのよ!


だから、

みんな、ミッション・コンプリート、したってわけよ!


なんてことを皆さんに伝えながら、
何やら私も元気が出てきたよ、笑。



私の今年のどーのこーのは割愛するとして、


でも、


喜びいっぱい!
ついでに涙もいっぱい!笑


の、一年でした。

それら全てが私の魂にとって必要だったのです。


この一年、
私の人生に登場してくれた全ての人たちに、
私の宝物を一緒に探してくれた人たちに、
「そっちじゃない、あっちだよ」と、
優しく、時には厳しく背を推してくれた人たちに、
色々な場面で、色々な会話の中で、


愛とはなんぞや、と問いかけてくれた。


愛とはなんぞや、と問いかけてもらえる、
それほどの愛はあるだろうか?



愛とはなんぞや、というのはライフワークだけれど、
「愛の教科書2023」はここで終わり。

新年には新しい愛の教科書が配布され、
それはきっと皆さんもそうよ。


「愛の教科書2024」っていうのが渡されるのよ!


それぞれのために
特別に編集されたものだからね、
1ページ、1ページ、
コツコツやっていけばいいの。


時に、
もっすごい難しい問題も出てくるかもだけど、
大丈夫、

そういう時には
「愛の家庭教師トライ」から
すごい先生が派遣されるから。


完璧なカリキュラムでもって、
私たちはみんなサポートされるのだから。
大丈夫なのよ。



私は・・・


今年はどれだけ愛すことができただろう。
愛をちゃんと受け取り、
愛をちゃんとお返しすることができただろうか。



ここですんごい話が変わるけれど、
一人目の子供を産んで、
それはそれは苦しみ悩んでいた頃、


お笑いコンビ「クワバタオハラ」の
くわばたさんが子育てエッセーを出していらして、
本屋さんでパラパラっと立ち読みをした時があって。


そこでね、あるエピソード共に書いてあったことがあって。



「お母さんは0点じゃなければいいんだよ」


って。
なんだかすごく救われてね。
涙したような・・・。



そう。


完璧な人なんていない。
そして0点の人も一人もいない。


だから、
今年の私は、
愛において、何点採れたか分からないけど、
「マイナス」になっちゃったところも
たくさんあっただろうけど、

私はマイナス摂った自分を許す。
そんで、プラスを摂った自分を大いに褒めてやる!(笑)



そんな風にして、
この大晦日の日は、


はいはい、よく頑張りました!
もういいよ!


自分にはそう言ってあげたい。


そう言った途端に溢れてくるものは、


今年も私を愛し、
許してきてくれた人たちへの
感謝だ。



「愛の教科書」は毎年出るけれど、
もしかしたら
最後のチャプターは必ず


「感謝と許しの涙」


なのかもしれない、なんて思ったり。




最後に、
今年もこのブログにお付き合いくださいました、
見えない我が心のお友達の皆様へ。



見えなくてもそこにいてくださる、
ここを訪れてくださる、
毎度訪れてくださるあなたも、
通りすがりのあなたも、



本当にありがとう。



皆様、どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。


いい?
晴れやかに、
軽やかに、
年をぽ〜〜ん!と越しますよ!



愛と感謝をこめて
AYUKO Soul Quest






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The School of Love for Christmas

2023年12月25日 | 詩と言葉
以前にも二度ほど
ここでご紹介したことがあります、
私が日頃から洞察を得ている本から、
今日、クリスマスの日に、
また一つの詩とお話をご紹介させてください。

特にクリスマスに因んでいるわけではなく、
今の私にとってとても意味のある内容で、
皆様の心にも何かしら響くものがあれば幸いです。


今回のお話は結構難解なのですが、
今日はじっくり心で感じながら
丁寧に訳したいと思います。
今の私にとって、このお話を
自ら理解することが
とても重要に思うからです。

これまでは一つのお話から
抜粋して一部だけご紹介していたのですが、
今回は全文訳してみようと思っています。
かなり長いのですけれど、
何か「!」という箇所が一つでもあれば、
皆様へのささやかなクリスマスプレゼント、
となるでしょうか。

「詩」は原文と共に。
その後に続くお話は日本語訳だけご紹介します。

では、頑張って訳していきます。



『The Lion and The Deer』
ライオンと鹿

When you enter the garden of the heart,
you become fragrant like the rose
あなたが心の庭に入る時
あなたは薔薇のように芳しくなる

When you fly forward Heaven,
you become graceful like the angel
あなたが天国に向かって飛ぶ時
あなたは天使のように優美となる

If you get burned like oil,
you become brilliant
もしあなたが油のように燃えるなら
あなたは素晴らしく輝く

When you become thin like hair in yearning
your joy leads the way
あなたが熱望の中で髪の毛のように細くなる時
あなたの喜びが道案内となる

You’ll be the kingdom and the king
You’ll be paradise and the guardian angel
You’ll be infidelity, and you’ll be faith
You’ll be the lion , and you’ll be the deer

あなたは王国とその王となる
あなたは楽園とその守護天使となる
あなたは不信心となり、そしてあなたは信念となる
あなたはライオンとなり、そしてあなたは鹿となる



あなたはライオンと鹿である。
あなたは大胆で激しく、力強く
そして、あなたは静かで甘く、優しい。
もし私があなたの前に傲慢な態度で現れれば
あなたは私に向かって吠える、
私の欺瞞が恐怖で震え、
あまりの怖さにそれ以上のゲームを諦め、
愛が再び征服するまで!

もし、私があなたへの敬愛に身を委ね、
あなたが望むどんなものへも心を開いて
あなたの前に現れるのならば
あなたは私にとても優しい。
まるで鹿のように、
あなたが私に与えるものは、恐れ拒むべきものなど何一つなく、
そして私もあなたと同じように、甘く優しくなり、
あなたへ身を捧げることを心から願うようになる。

そう、だから、
私は自分自身の間違いを怖れるまい。
なぜなら、たとえ私が傲慢さの中へとつまずいても、
私はあなたのものすごい唸り声によって
より賢くなり、謙虚になるからだ。

たとえ私が弱っても、
あなたが助けてくれるよう
私はあなたの中の優しさを呼び起こすことができる。

私自身が常に誠実で本当であるために必要なもの、
私が常に愛に対して誠実であるために必要なもの、
それがあなたが私に与えてくれるもの。
なぜなら、あなたは誇り高く強い神聖なるライオンであり、
春の最も柔らかい風のように優しい、甘い鹿だからだ。

・・・・・・・・・


やあ、古い友よ!
私のことを覚えているかい?
私たちは最も古い友人、
古代からの魂、多くの過去の生からの付き合い、
「愛の学校」で一緒にたくさんのことを学んだ仲。
こうやって私たちは再び巡り合った。
人間体験の上級者向けトレーニング、
そう、この地球が私たちのクラスルームだ。
これまでの記憶を後にして、
再び生の偉大なる神秘に自らを開く時が来た。
私たちの魂は「忘却の川」を渡りながら、
神聖なる「全てが一つである源」から飛び出し、
今、肉体と生へと飛び込む。
なんという旅の始まりだろう!


さあ、一緒にこの学びの冒険に乗り出そう!
お互いの中にある「虎と子羊」、
そう、「ライオンと鹿」を讃えよう。
私はあなたの中に、
決して砕かれることのない名誉と共に戦う、荒れ狂う「戦士」と、
そして、引き裂かれたものを再び紡ぎ合わせる「癒す者」、
そのどちらをも見る。

もちろんだ!

なぜなら、私たちは「全て」ではないのか?
私たちは人間であり天使、動物でありスピリットではないのか?
私たちは天と地ではないのか?
私たちは神聖ではないのか?
そして、私たちは神聖であり、私たちは全てである、
ということは、全てが神聖であるということだ。


ということで、私たちは今、この「愛の学校」で一緒にいる。
でも、この学校は、
好奇心を持って未知に心を開く代わりに、
自分の「こうあってほしい」に未だ拘っている魂のためものではなく、
また、神聖なる冒険へ身を捧げる代わりに、
安心な場所を確保しようとするような魂のためのものでもない。

もしこの愛の学校の授業をを受けたいのならば、
私たちはLoversのようでなければならない、そう、あなたと私。

私たちは、「情熱で頭がおかしくなる?喜んで!」
「偉大なる愛を追いかけるくらい正気を失う?喜んで!」
そう言えるようでなければならない。
たとえそれが、
本当の自分を再び発見するという神聖な喜びを味わうがために
時には敢えて本当の自分を忘れてしまうことをを意味することだとしても。
時にはルールに破り、己の愚かさを周りにさらけ出すことを意味することだとしても。

でも・・・愛のために愚か者になるほど素晴らしいことがあるだろうか?
それだったら私たちにぴったりだ、まさにぴったりだ。
愛のために愚か者になろう、一緒に?


では、私たちは勉強友達になろうか?
それぞれどんな服を着ていようとも、
明るい色でも、暗い色でも、派手だろうが、大人しめだろうが、
私たちだったら互いに気づくことができる。
私たちだったらこの愛の学校において、
最も熱心な生徒になるだろう、

これまでにないほどの情熱と献身で
もの凄い偉業を達成するためにお互い切磋琢磨できる。
どちらがより大きく派手にやれる?
どちらがより揺るぎなくコミットしている?



このオラクル(預言)はあなたに特別なメッセージを届けようとしている。

つまり。

あなたは失われた自分の一部、
もしくは「もっと実用的な」ことの中に沈んでしまったあなたの一部を
今、再発見している、ということだ。
もちろん、もし実用性というのが(この世で)生き残るということであれば、
尚更、本当の自分であることを学ぶことは、
最も重要なことであり、実用的である!
他の全てのやり方はあなたの魂の死を招くだけだ!

この「本当の自分の再発見」のために起こる
カオス(混沌・混乱)に耐えてもらえるだろうか?

もしかしたら、今生か他の過去の生からの素質(才能)が
再びあなたの中で目覚めようとしていて、
それは最終的には喜びとより大きな満足感をあなたにもたらすが、
最初はあなたは戸惑いを覚えるかもしれない。

その戸惑いは、
それらの素質・才能をどのように表現したら一番良いのかについてかもしれない。
もしくは、恥ずかしさや罪悪感、自分を疑うこと、
その他自分を裁くことから来るものかもしれない。

もしかしたら、
あなたが自分の素質、その他新しい自分の側面を発見したことによって、
「そもそも自分は何者か」という問いが現れ、それに戸惑うのかもしれない。


もしかしたら、
今あなたの中で発掘されているものはもっと暗いものかもしれない。
自分への侮辱を決して受け入れはしない、
嘘や騙しに対して決して我慢などしないという、
あなたの神聖な怒りかもしれない。

であれば、あなたはライオンであり鹿である。
あなたは矛盾しているわけでも偽善者になっているのでもない。

あなたはWhole(全体・全て)になっているのだ。

あなたへのガイダンスはこれである。

もし、今あなたが「自分はこうである」と
ずっと信じ込んでいた自分を捨てる意思があるのなら、
あなたはそこから最も成功するであろう。
そもそもそれは、その視点は、あなたにとって真実では決してなかったのだ。
せいぜい、それはほんの部分的なもので、ただの一つの視点、
ただの一つのアイデンティティーであり、「本物の現実」ではなかったのだ。

あなたという存在をより「フルに」体験することへと導く過渡期の中、
あなたは「これまで持っていた、自分という感覚」に気づくだろう。
そしてこれまであなたが持っていたアイデンティティのいくつかは
はがれ落ちるだろう。
なぜなら、それらはもはや、あまりにも小さく制限がありすぎるからだ。

もう、あなたにとってそれは「本当の自分」とは感じられないのだ、
いや「本当の自分」だと感じたことなど一度でもあっただろうか?

この過渡期がもたらす危機や困惑はあなたの内なる火を燃やすための
いっ時の燃料となる。
それらは「生」へと煮込められ、あなたを内側から料理する。

それらはあなたの全てのフレーバー、辛い、甘い、苦い、酸っぱいが
完璧にバランスを取り、あなたという者、あなたの存在が、
神聖なご馳走として振る舞われる絶妙な一皿になるのだ。

あなたの存在は完璧にバランスの取れた、世界の滋養となる。
あなたの存在は全てを抱くだろう、なぜなら、
あなたの存在が全てをその内に抱いているからだ。
それは何も否定しない、そして,
それは全ての嗜好、全ての食欲、全ての飢え、全ての欠乏への栄養となる。
なんと途方もなく崇高な食事となるであろう、あなたは!
あなたの存在がどれだけ世界を養うことか!


そして、その全ては
「どちらか」や「又は」を捨て去り、
その代わり「(自分の)全て」を認めて、始まる。

無条件の愛を受け取っても良い、という、
そんな突拍子もない許しと共に、
あなたは自分の存在そのものの中で繁栄する。
そしてあなたの存在は、この空腹の世界に食事を与えるのだ。
それだけで完璧で、満足させてくれる、絶妙な食事を。


(終わり)


・・・・・・・・・・・・・・・・・


Merry Christmas




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オラクルブックです。









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海底からそろそろ光が差すところへ

2023年12月18日 | 生きていると
最後のブログから9日も経ってしまいました。

それまでは結構な頻度でアップしていましたが、
ピタッと止まってしまったのは・・・


「私あるある」


ちょっと海の底へ沈んでしまって
海底で同じところをグルグルと回り続け
なんだか目も回ってきて


そろそろ上に上がって
息継ぎしないと死んじゃうし
顔をお天道様に向けないと・・・

(紫外線云々とか言ってられない)


顔をお天道様に向けないと
というより、
心をお天道様に向けないと



あかん。
このままではあかんのdeath。


海底をグルグルしている最中は
目に見えぬ皆様と繋がっているこのブログ、
私にとって大切な、「静かなるマイ・ホーム」も遠すぎて
いつもならインスピレーションもバンバン降りてくるのに、
海底はどうも「圏外」らしく、


すっかり
深海魚たちとお友達になりつつも
如何せん私はその世界の者ではない故に
コミュニケーションが噛み合わない。。。



・・・とここまで書いてみますと、



え?深海魚って???
それって「ヤバい人間たち」という比喩で、
ついにAYUKOさんは「ヤバい世界」に足を突っ込んだのか??!!



と思われても仕方ないような書き方をしている。



が、違う。




成り行きで深海魚とかって書いてしまいましたが、
せっかくなのでそれをインスピレーションとして
続けてみましょうかね。



海底に沈み、
同じところをグルグルと回っていた私が言う「深海魚」とは。


それは


私の頭が作り出すイリュージョン、つまり幻想であります。


幻想、ですから、真実ではないのです。


海の底は光が届かないので、
暗闇の中は幻想の宝庫。


光がないので、
そこで作り出される幻想は
暗い怖い幻想です。


じゃあ、そういう暗い怖い幻想を
友達になった「深海魚」といたしましょうよ。



先ほど成り行きで書いてしまった
「如何せん私はその世界の者ではない故に
コミュニケーションが噛み合わない。。。」



こ・・・これは!!!!!



これこそ幻想でなくて真実ではないか?!



海の底というのは、
そもそも私が本来住んでいる場所ではない。
どんなに暗い怖い幻想という「深海魚」とお友達になったつもりでも、
それは本来の私のものではないので、
コミュニケーションが噛み合わない、
「なんか違う。なんか心地よくない。」という感覚。

というのは当然ではないか?!


私・・・天っ才っかも!!!!!!!!




まあ、ある意味、「ヤバい世界」に足を突っ込んだが、
そこに呑まれるほどヤワじゃないぜ、私は。


ちゃんと「分かっていた」ということよ。


の、証明となるではないか。
(まあ、成り行きで書いたはずだったんだけど、
それ自体がもしやインスピレーションだったのではないかと思う。)



こうやって、
ブログを打ちながらも、
既に私は海面に向かい、
お天道様の光の筋が見えるようになってきた。



そのまま飛び魚のように、
ピューーン!!と飛び出せたらいいが、
それはもうちょっと先かな。


もうちょっと海の中にいるかもしれないけれど、
そろそろ「深海魚」たちとはさよならだ。


お天道様の光が差し込むところで、
もう少しゆっくり回っていようかな。


光が差し込むとは
「見える」ということ。


本当の、本来の姿が見える、ということ。


光があるところでは、
今まで隠れていたものも照らされる。

自分が暗い怖いと思っていたものも、
そこに光が当たれば、
真実が見えるというもの。


そして、それらは実は
暗くも怖いことでもなくて、


自分がそのように「思い込んでいた」こと。



暗い怖いどころか、
それらは失ってしまったと思っていた、
私の大切な宝物かもしれない。


本当はずっと今まで
そこでキラキラと輝いていたのに、


私が海底で深海魚にしてしまったものかもしれない。



暗くって怖くって。



深海魚という私が作った幻想のお友達は
それはそれで助けてくれた、のかもしれない。

『「なんか違う。なんか心地よくない。」という感覚』を
味わせてくれた。


それは嘘だ、と。


そいうことを分からせてくれた。



思い出した古いジャズの曲があります。

「On The Sunny Side of The Street」

旋律も歌詞もとても暖かく優しいのです。


歌詞の最初のところだけ是非、ご紹介させてください。


Grab your coat and get your hat
Leave your worries on the door step
Just direct your feet
To the sunny side of the street

Can't you hear a pitterpat?
and that happy tune is your step
Life can be so sweet
on the sunny side of the street


さあ、コートと帽子を掴んで
心配事は玄関先に残して
足を陽の当たる表通りに向けてごらん

足音が聞こえない?
聞こえてくる幸せな曲はあなたのステップ
人生はね 陽の当たる通りでは
それはそれは甘く優しいものになり得るんだよ



これはJudy Garlandが歌っているもの。



そう。
海底でグルグルしながら、
ここ数日、この曲を思い出しましてね。

この曲は「道の陽の当たってる側」ですけれど、

私の今日の話から行けば、
「陽の当たる海面」っていうところでしょうか。



暗い怖い幻想の深海魚は海底に残して
さあ海から顔を出して
太陽へ顔を向けてごらん
そうした時に
人生はそれはそれは甘く優しいものになり得るということを
きっと知ることができる

きっと思い出すことができる



そんな感じでしょうか。



勇気を出して
外に出て
陽に当たってみてください


私も騙されたと思って(って誰に?笑)
海から顔を出してみようかな。








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新たなるショック@湘南美容クリニック

2023年12月09日 | 自分を変える、どう変える
*このブログをよりご理解いただくために、
是非とも(まだの方は)
ブログ『初めての湘南美容クリニック!!!ルポ』
をお読みくださいませ。


さて先日、
私は初めての湘南美容クリニックにて
「急激な次元上昇」を体験いたしました。
帰りに車の中でもその衝撃は残っているほどで、
まさにショック状態・・・とはああいうことであったのか。


そして。


今週の月曜日に
行って参りましたよ、


初めての施術に!



朝10時からの予約でしたので、
早めに出て、実家まで車で行き、
時間に余裕があったので
クリニックのある街まで歩いてゆくことに。


清々しい朝にウォーキングとは
なんて健やかなことよ。


しかしやたらその日は寒くて、
そして朝からそんなに歩くことなんて普段は皆無で、
気持ちは前向き、張り切り過ぎたのか、緊張なのか、


途中、小腹が空いたので
ファミマで買った「チュロッキー」を一口、二口。






好きなのね、この硬さが。


けど。
揚げ物じゃない?


朝だからなのか、
寒いからなのか、
寒い中を無我夢中で歩いていたからなのか、
揚げ物だからなのか、
街に着くと・・・



気持ち悪い。
このまま行けば「吐き気」へと移行しそうなクライシス。




これから大事な施術だというのに、


「施術中に具合が悪くなり、やむなく途中で断念」
いや「その前に、キャンセルの電話を入れるべきか。
0120以外の電話番号ってあるのか。」

など、
あらゆる可能性が走馬灯のように駆け巡る。


そして私はハッとした。


確かポーチに胃薬を入れていなかったか?!



・・・あった。


ローソンにて「ホットレモンティー」なんぞを購入し、
キャベジンを胃の中に投入。



胃薬をポーチに入れておいた自分に誇りを感じた瞬間。



おかげさまで具合は良くなりまして、


いざ、クリニックへと出陣。



ビルのエレベーターの前には
高校生くらい?の少年とお父さんらしき人がいた。
そのビルは8階かなんかが映画館になっていまして、
どうやら朝から映画を観に来たらしい。


同じにエレベーターに乗り込む。


彼らは「8階」を押す。


私は「5階」を押す。


・・・。


「5階って何があるの?って
今、絶対チェックしてるよね???



そうやってやたら自意識過剰になり、
一人だけやたら気まずい気持ちになり、
5階でエレベーターが開き、SBCワールドが目の前に現れると、
気まずい気持ちマックスになり、
大急ぎでエレベーターを後にした。


「違う!(何が?)
私は肌を綺麗にするために来たんです!」


これはどういった言い訳なのか。





受付には先日私を担当してくださった
カウンセラーのMさんがいらしたので
なんだかやたらホッとしました。


ああ、湘南美容クリニックは
いつでも私を暖かく迎えてくれる。



(こうやって宗教は信者を増やす)



そしてMさんから驚きのお話が!


実は、前回のカウンセリングで、
どうしても私のエゴが言いたいと聞かないので、
MさんにCMロゴをずっと歌っています、
なんて話をしたのです。


そしたらなんとMさんが
会社の方に「もっとお安くできないか、
何かしらの便宜を図ることはできないか。」
なんてことを相談してくださったそうで!!!



もう、恐縮以外の何ものでもない。



「すみません!!!
そんなつもりでお話ししたのではないのです!!!」と言うと、


「もちろん分かっていましたが、
私個人的に何かできないかと思って会社に聞いたのです。」


と、これまた胸がジンと来るお話で。


結果、やれても「法人」扱いのようで、
個人の初回割引と変わらないということで、
お支払いする金額は変わらなかったのですが、
何よりもMさんの気持ちがありがたかった、
のと、なんだかすごく申し訳ない気持ちになったのと。


でも、本当にありがとう、Mさん^^



さて、2回目にして既に慣れ親しんだ待合室にて
呼ばれるまで待機。


っとその前に
「今日のドクター」の写真を見よう。


(前回「少年」から格上げされた)
青年Yドクターがいるはずだ。


前回は写真はよく拝見せずして、
いきなり実物withマスクにお会いして次元上昇が起こったからして、
写真は見ておこう。


いた。


・・・・



・・・・




なんか・・・






ま、いっか!!!


(この「ま、いっか」をどのように受け取るかは読者しだい)



でも(でも、て)私の脳裏に残るはあの衝撃。
大事なのは実物。じ。つ。ぶ。つ。


そんなんで今度はやたら緊張してきた。
今日は「施術」してもらうのよ?!



施術よ!




待合室の例の大画面テレビでは
前回に引き続き、

ベテラン・ギラギラ男性ドクターによる
「脂肪吸引」の話が展開している。


今日こそは怖気付くものか。


しかも、今日は次のバージョンじゃないか!



流れていたのは、
いよいよモニターの方をお呼びして、
実際の、手術前、手術、手術後の全行程をご紹介する!
というバージョンアップしたものだった。


本日は腕の脂肪吸引だそうで、


若き女性の二の腕に
マジックペンで「どうそぎ落とすか」っていう線を書いている。


ここから真剣に観ている私。


そして「下書き」も終わったところで、
いよいよ手術。


チラッと「ここからは手術の様子が映されます」的な
警告?の文字が出たような。



手術が始まる。

ギラギラドクターは慣れた手つきで(じゃないと困る)
器具を使ってガンガン脂肪を吸引していくわけだが・・・



エグ過ぎる(号泣)



もう無理!というところで映像が切り替わったわけですが、


いっ・・・・・・やぁ。。。


すごいホラー映画よりもすごい。


手術直後、1ヶ月後にそのモニターの若き女性へのインタビューがあり、

「そうですね、今度はお腹にも挑戦したいですし、
目の整形と、顔の骨格も削りたいです!」


と爽やかにお話ししていらっしゃいました。


というタイミングで、
私の名前が呼ばれまして。


まずは洗顔。


そして、ベッドがあるお部屋へ
今日担当してくださる看護士のSさんが連れて行ってくださり。



そうそう、結局私は何をすることになったかと言いますと、


ケミカル・ピーリング
ピコ・トーニング


というもので、
前者は顔に薬を塗布して、
いわゆる化学的に「肌のターンオーバーを助ける」もので、
それをした後に、
ピコ・トーニングというレーザーで
シミや肝斑を撃退してゆく、
というメニューです。



ケミカル・ピーリングは
看護師Sさんがやってくださいます。


ものすごく優しくて丁寧な方で、
緊張もほぐれて来たのでした。


ケミカル・ピーリングが終わると
いよいよピコ・トーニング。


そろそろ青年Yドクター参上か!!!???


・・・


・・・


・・・


私はある「気配」を感じた。
「空気を読む」とはこのこと。

スピ的に私は「感じる力が優れているエンパス」なのだからして、
こんなのは簡単だ。


そう。


S看護士さんが退室する気配はない。
誰かが入ってくる気配もない。


私は「気配がない、という気配を感じた」のであります。



そして悟ったのです。





最強のスタメンは
一回にしてベンチ入りをしたということを。






次元急降下ではない。


その時の私は


夕焼けを見ていた。
カラスがカーかーと泣いている。



そう、



まだ午前中だというのに
私は急激な「黄昏」を体験していたのであります。





そうやって、
青年Yドクターとの物語は黄昏と共に「完」「Fin」。


別れとはこうやって前触れもなくやってくるのか。


そう黄昏ながら、
「看護士さんでは施術できないことを頼むしかない」
という、宗教にズボズボと入ってゆく信者のように・・・



は、ならないよ!!!


なるもんか!!!




そんなことよりも、
S看護士さんの声のトーンや口調が本当に優しくてですね、
施術していただきながら、


深いヒーリング体験。



次元上昇よりも、
脂肪吸引よりも、


今の私に必要なのは癒し。



急激な黄昏も、
優しい安堵へと変わり、

まだ一回のケミカル・ピーリング&ピコ・トーニングでも、
既に肌が明るくなった感じで、
しばらく2週間おきに通いますが、
楽しみになってきましたよ。




次もS看護師さんだといいなあ、と思いつつ、

カウンセラーMさんにも感謝しつつ、


どんな時も暖かく迎えてくれる湘南美容クリニックさん(一部宣伝あり)
を後にしたのでした。



お腹はすっかり元気になっていました。





あっという間にベンチ入りした青年Yドクター



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「実はね」で話せたら

2023年12月03日 | 人との関わり(愛とか)
ブログには
自由奔放に色々書いているくせに、
近しい人に対して
「言葉を呑む癖」があることが
分かりました。


今朝、
親しい友人の一人とラインのやり取りがありました。

別に深刻なことでもなんでもない、
彼女からお願いがあったのです。

で、内容はごくごく正当なことで、
そこに全く疑問はない。

すぐさま「了解!心配ご無用よ!」的な返信をして。


けれど、私はちょっと傷ついたのですね。
それをわざわざ伝えないと、
私には分からないだろう、と思われているのではないか、って。
(全くそういうことではない、
というのはその後の会話で明らかになるんだけど。
っていうか、そんなのは最初から分かっていた)


いつもの私は
そういう「傷ついた」とか「それは嫌だ」という感情とか、
言葉だとかを呑んでしまう。


別に大したことないし、
「私が勝手に感じてることだから」と
一人で処理する。

そういう風に感じる自分が悪いのだ、って。


でも、今回はそれを言葉にした。

私にとっては実はかなり勇気のいることでした。


「ちょっと心が痛んだよ」というラインを打ちながら、
心の奥がズキズキと痛む。
このズキズキはなんだろう。


結果、いかんせん長いお付き合いの友人なので、
「いやいや、そんなつもりはなくてー!」と、
なぜ彼女がそのようなお願いをする必要があるのか、
そのバックグラウンドをお話ししてくれて・・・


「そりゃそうだ」と私はすっかり理解できた。


問題はその内容ではなくて、

私は言葉を呑んでしまう癖がある、

ということにハッとしたのです。


それは「私にとって近しい人」に対して。


近くない人であれば、
私の境界線を踏まれるようなことがあれば、
断固として真正面から立ち向かい、
流暢に言葉が出るというのに。


私がそういう(相手はそのつもりはなくても)
「傷ついた」とか「嫌なんだ」ということを
近しい人に言うとなると、


「そこからどんな展開になってしまうのだろう。
喧嘩みたいになったらどうしよう。
ナイフのような言葉がいくつも飛んできたらどうしよう。」


そういう恐怖感に襲われるのです。

そんな恐怖を味わうくらいなら、
自分で処理した方が安全だ、って。




でね。

別に伝えてもいいし、伝えなくてもいい。
ただ、「選択」があるというだけで。


今朝のことも
別に大したことではないし、
いつまでも尾を引っ張ることでもなんでもないし、
伝えなかったとしても、
なんの問題もなかった。


なぜ伝えてみよう、と思ったのかはよく覚えてないけれど、


一つ言えるのは、
すごく当たり前でシンプルなんだけど、


「相手と密なコミュニケーションができる」


ということです。

コミュニケーションを取る、ということは、
相手の「実はね」のお話を聞けること、
またこちらの「実はね」のお話を聞いてもらえること、

世間話ではなく、
自分と相手との間で発生したことなので、
「お互いを知るチャンス」となるわけです。


その「実はね」という姿勢がすごく大事なのかもしれない。


「実はね」というのは、
その言葉どおり、「本当のところ」の話。
自分を守るわけでもなく、
相手を攻撃することもなく、
「丸腰での話」、
そういうことなのだと思います。


「実はね」の姿勢がお互いにあると、
丸腰のままで向き合う、
正直「見せたくない弱いところ」もあったりするけれど、
でも多分、そうやって人は信頼関係を築いていくのだろうし、
そうすると「見せたくない弱いところ」すら、
その関係性においてはお互いにとって、
「力」「強さ」になるのかもしれない。


地に足の付いた、
一番「ボトム」にいる自分を見せるということは、
弱いところも含む自分を丸々受け入れるということ、
そして、相手に丸々受け入れてもらうということ、
そういうことかもしれません。


彼女からはもちろん、もちろんの助、
喧嘩にもならなかったし、
ナイフのような言葉も飛んでこなかった。

彼女が私の「心が痛んだ」というメッセージを読んで、
すぐ様どのような感情が湧き上がったかは分からないけれど、


彼女は
最初から「実はね」で会話を始めてくれた。


決して感情的になることも、
喧嘩になることも悪いことじゃない、

でも、最終的には
「実はね」の会話でしか
関わりは深くはならないだろうと思う。


難しいのは
感情的になったりしている時、
自分の「実はね」がよく分かってない時が多々ある。


とにかく
「相手に対しての反応」としての感情がそこにあるだけで、
実際問題、自分は「本当は何に反応して感情的になっているのか」
分からなかったりする。


お互いがそういう状態だと、
感情的な喧嘩で終わってしまう。

そして「仲直り」というのは、
それぞれがようやく「実はね」の話をできる準備ができた時だ。



さて、先に記しました、

*******
「そこからどんな展開になってしまうのだろう。
喧嘩みたいになったらどうしよう。
ナイフのような言葉がいくつも飛んできたらどうしよう。」

そういう恐怖感に襲われるのです。

そんな恐怖を味わうくらいなら、
自分で処理した方が安全だ、って。
*******


この「恐怖感」というのは、
皆さんも持っているものなのでしょうか?

もしかしたら、私個人的な体験から来ているのでは、と
今勘ぐっているところです。


そしてそれは
子供の頃に見ていた両親だったのでは、とハッとしたのです。


私の父は(今思えばその理由は分かりますが)
とても短気な人で、いつも機嫌が悪かった。
でも暴力を振るう人では決してありませんでした。

母のことがやたらとイライラするみたいで、
機嫌が悪い時は、いつも母に当たっていました。

当たるならまだしも、
なんでもないきっかけで
ものすごい剣幕て怒り狂う時もありました。

それは私や弟にもそうでした。

もはやこちらがなんの言葉も返せないほど、
こちらを追い詰める、
そういう怒り方でした。

中学生か高校生の時だか、
私は母に「なぜ言い返さないのか」、聞いたことがありましたが、

「言い返したら大変なことになるし、
私はそれが嫌だから黙っている」

そんなようなことを言っていたのを覚えています。




なんでもかんでも
過去をほじくり返せばいいわけではないし、
そこに「その恐怖心の原因」があるのかも分かりません。


ただ、
今朝の一件で
「相手から何が返ってくるか分からない」ということに対しての
「恐怖心」というものに対して、
あれ?と思ったのです。


そりゃ誰しも
誰かと向き合って話す、ことに対してドキドキはあるかもしれませんが、


私の持つ恐怖心に違和感を感じたのです。


そこでふと
私が小さかった頃の両親を思い出したのでした。



友人に「ちょっと心が痛むよ」と打って、
全くなんでもなく穏やかな会話の後も、
心がズキズキしていたのは、
あの頃にとても傷ついたままの、
自分の心がまだ残っているからだろうか。


「実はね」ではなく、
ひたすら怒りで追い詰められ、

いつも父の顔色を伺っていたような。。。



父との幸せな思い出ももちろんあり、
もうとっくに仏様になってるし、
今の私は感謝と許し、に辿り着けたと思ってるけれど、


それこそ
「心の癖」のようなものが、
まだ置いてきぼりをくってるのだろうか。




まだ「答え」は見つかりません。








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