goo blog サービス終了のお知らせ 

AYUKO Soul Quest. "スピってるがフィジってる"

元気になってくれ。
自分にときめいてくれ。
そして愛を見つけてくれ。

Back on the road

2024年05月02日 | 生きていると
前回、前々回と、
かつてのパニック障害の経験や、
そこから私は何を学んだのか、
今私は何を学んでいるのか、
そんなことを書きました。


幸い今回は危うい方に行くことはなく、
更に長い月日の色々なことに
やっと終止符を打つことになりました。


昨日、最後の一発をくらうような出来事があり、
私は躊躇なく友達に頼ることにしました。
今回は「もう私一人では無理だ」と思ったのです。
わがままを聞いてもらおうと。

私をこよなく大切にしてくれる二人の友人です。
私を「知っている」数少ない友人たちです。


その一人にLINEで事情を話したら、
すぐに「今夜の予定全部キャンセルしたから」と。
(ご自分の会社を持つ経営者で、それはそれはお忙しい方なのです。)


普段は、その日に急に外出するということはないのですが、
昨日ばかりはその友人に会わなきゃいけないと思ったのです。
どうしても。どうしても、助けてもらわなければならないと。


もう一人の友人には、
あることをお願いしました。
それも、最後のお願いを託しました。


側から見たら、
一人でテンパってる女が
女友達を巻き込んで大騒ぎしている、

そんな風にも思えたけど、
私にとってはとても大事なことだったのです。
彼らの力を借りて、正確に安全に終止符を打ち、
新しいスタート地点に踏み出す必要があったのです。


カフェに彼女がやってきて、
そこからどんな話をしたかは
ここには細々書きませんが、
思いもよらなかった視点、
私が盲目になっていたこと、
気づかなければいけないこと、


「ああ、やっぱり、私は今日、
この人の話を聞かねければいけなかったのだ」


と、深く深く納得したのでした。


先ほど、もう一人の友人にお願いしていたことの返信も、
ものすごいタイミングでやってきて、
カフェでの話と、それが見事に混ざり合って、
私の中でモヤモヤしていたものが、
どんどんとクリアになったのでした。


最後の一発を喰らって、
友人たちに最後の大きな一押しをしてもらい、
私はやっと目が覚めたのでした。
ダダ漏れだった自分のパワーをかき集め、
元に戻す必要があったのでした。


私は大切なものを失ったのです。
悲しみと、情けなさと、恥ずかしさと、
色々な感情が湧き上がりました。
自分の未熟さも痛感しました。
認識の違い、甘さも反省しました。
「自分の弱さ故の、自分を安売りした結果」だったと。
それは自分自身を深く傷つける行為だったのだと。
関わった人たちとの誤解、認識の違いに気づいていれば、
最初にちゃんと話していれば、
そもそも「何も起こらなかった」かもしれない。
「これまでの自分のやり方」について疑問を持つことをせず、
一番最初の大事なコミュニケーションをスキップしてしまったことが、
後々の「ズレ」の原因になったのだろうと思います。


私の思い込みで、夢見る夢子ちゃんで突っ走って、
でもそれは「私だけの認識」であることに気づかず、
最終的にはバッサリと無言で切られてしまった。
これまでのことは一体なんだったのだろう、と思うほど、
あっけないものでした。


そのあっけなさがあまりにもあっけなく、
夢見る夢子の私は信じられなかったのです。
「そんなはずはない」と。何ヶ月も。


でも昨日、友人たちの厳しい言葉で
私が気付けなかったことに気づかせてもらえた。
私が反省しなければならないこと、
私が変わらなければならないこと、
私が思い出さなければいけないこと。
私一人では到底無理だったと思います。


「夢見る夢子ちゃん」と表現しましたが、
「夢見る」だけではダメなのです。
その夢(自分が求めるもの)に遠慮してはいけないのです。
そこに「私が求めるものはこれだ」というブレない軸を持ち、
それに対して妥協せずに、ちゃんと「叶える」ことが大事なのです。
夢見る夢子ちゃんの夢が満たされていないのなら、
環境なり、人選が間違っているのです。
それには見極めることやコミュニケーションが大事だと思うのです。
そうじゃないと皆んなに迷惑をかけることになる。


夢子ちゃんが「頑張らなければならない。無理をしないといけない。」
という経験をしているのなら、それは間違っている。
夢見る夢子ちゃんの願望というのは、
夢子ちゃんが自然体で叶えられないと夢子ちゃんじゃないのです。


そんなことも、
昨夜、友人からお説教されました。
深い愛のムチであります。


二人の友人のパワフルなサポートで、
一気に階段を登った私でしたが、
やはりもう少し時間が必要なようです。


今日になれば、
やっぱりとても悲しいのです。
そりゃそうだ、大切なものを失ったのだから。
でも終わりは終わりです。
自分の心の中でもちゃんと終わらせるには、
気が済むまで悲しんだり、泣いたりする必要がある。
それもまた、夢子ちゃんを大切にすることだと思うのです。


これまでは、「何も気づかないまま」、
ただ茫然と迷路の中を泣きながら出口を探していました。
「間違った希望」を持ったまま、「間違った涙」を流していました。


でも、昨日、「本当の出口」まで連れて行ってもらった。


Place of no return...


それが今までずっと怖かったのでしょうね。
でも、もう受け入れないといけない時が来た。


つまり、私は新たなスタート地点に立たなければいけない時が来たのです。


人間の姿で二人の天使が
両側から私と手を繋いで
「さあ、次に行くよ!」ってね。


十分に悲しい、悲しい、え〜ん、え〜んをやって、
これまでの自分を許して・・・


いつしか全部に「ありがとう」と心から言えるような、
そんな日がきっと来ますように。


前回のブログで書いた
「未来のことは未来に託す」を今こそやる時ね。



まずは緩やかに力を取り戻していければいいと思っています。



最後は悲しい、悲しいばかりなっちゃったけど、
嬉しい、嬉しい、幸せ、幸せもたっくさんあったことも忘れずに。
だから余計に悲しいのね。。。


でもね、夢見る夢子ちゃんはやめないよ。
次は間違わなければいい。
夢子ちゃんは成長するのです。


二人の天使に感謝を込めて




「こっち、こっち!」と連れてかれた。





<AYUKO Soul Quest.「 SNS風」一言プロフィール!>
歌手 / オリジナル洋楽 / 英語 / 作詞作曲 / LIVE / ブロガー
ソウルでロックでポップなアメリカンアイドル / 笑いは大事 / そしてダンス
ブログ“スピってるがフィジってる” / 大人可愛くマジかっこいく / 愛を叫ぶ
マゼンタ色とは私 / どこまで伸ばすのか髪 / 香水はゲランかEternity / 心の奥は

<オフィシャル・ページ>
https://www.ayukosaito.com



<聴くブログ!?>
「Soul Quest Sound Blog」という
ラジオなようなものを勝手に作って展開しております!
このブログの調子が、そのまんま私のトークと音楽で展開されています。
このブログのカテゴリー「Sound Blog」から是非どうぞ!
クリックしてすぐに聴けるようになっています。



Instagram https://www.instagram.com/ayuko.is.here/
新装開店するために(アカウントはそのままに)現在準備中。お楽しみに!
X: 新装開店するため現在はありません。お楽しみに!

↓Youtube
https://www.youtube.com/channel/UCZiH2XUoIk7XVpWLuowKDUA
こちらも準備中!

今、私は何を学んでいるのだろう(つづき)

2024年05月01日 | 生きていると
昨日のブログ「今、私は何を学んでいるのだろう」を打ち終わってアップした後に、
もう一つ気づいたことがあり、
頭の整理のためにも書くことにしました。


昨日の時点では
「このまま危うくなるのか、
復活するのか、
という岐路にいる感じ」
と書きましたが、

結果、このまま持ち直すことができそうです。


30年前のように、
いきなりバーン!!!と振り子が振ってしまうと、
もうどうにもならない状態で、
粛々と治療するしかないのですが、


今回の場合は
「私しだいである」ということ。

変わらず同じ思考の迷路に入ったまま、
ぐるぐるとやっていれば、危うい方に行くでしょうが、
今の時点であれば、まだ「迷路を出る選択ができる」。


私は迷路を出る方の選択をすることにしました。


それが長い間できなかったのです。
常にその選択がありながらも。
でも結果、昨日のようなことが起きる。
ということは、これまでのは「間違った選択」だったということです。


昨日、とうとう「あ、ヤバいかも」となって、
私はようやく「知ってて選択していた間違った選択」を
放棄すると決めました。


怖くてどうにも手放すことができなかったこと、
それは簡単に言えば「未来」です。

未来を手放すって言ってしまうと、
まるで夢や希望を捨てて絶望的になる、ような響きがありますが、
そういうことではないのです。


それは「未来のことは未来に託す」ということです。
「自分がコントロールできないことを諦める(手放す)」ということです。


そこから今日のお話、昨日のブログの続きとなります。


再び30年前のパニック障害を患っていた時のお話。

因みにパニック障害とは、パニックになって理性を失う、ということではなく、
逆に理性があるからこそ、理性では理解できないことに対して、
理性がパニックする、私にはそんな風に思います。
少なくとも私の場合はそうだった。
(医学的にどうなってるのかはさておき)


まあ、どっちにしても「おかしい」、笑。


まだ患って間もない初期の頃、
共通していたのは
「何か一つの存在に気づきフォーカス」してしまうと、
それに対して凄まじい恐怖を覚え、パニック発作になる。

ここからは、マジ、ホントに「頭おかしい」話ですが、
お付き合いください。


例えば、

ある日は急に「町に生えてる低木などの緑の植物」。
ある日は「男性」。(←特定はない)

その対象となったものがなぜそれなのかは分からないのですが、
とにかく「それらの存在に気づいてしまったら」最後、
それらへの恐怖が、その日、続くのです。

そのパターンが分かってくると、
「ああ、次に私は何の存在に気づいてしまうのだろう」と
またそこでビビる。

とにかく普通(健康な)の人だったら、
気にも止めないし、スルーしながら生きていることに対して、
(じゃないと、生きていけない)
いちいち気づいてしまうのです。


ある日は、自分が道を歩いていた時に、
「あ、一歩前の私はもう存在しないのだ。
一歩前の自分にはもうもどれないのだ。」
ということに「気づいてしまい」、
これまた大パニックよ。
(今は笑えるけど)

更にある日は、
日が暮れて、夜がやってきた時に、
「あ、日が暮れて勝手に夜がやってきた。
これは私にはどうすることもできないんだ。」
ということに「気づいてしまい」、
大パニック、アゲイン。


そんなような「どうでもいい、どうにもならない気づき」に
日々、翻弄されていたのですが、
回復していく中で最後の最後まで残っていた、
「本当は気づかない方がいいこと」というのは、


「私が在る」


ということです。
これは自分の存在意義とか、生きる意義とかではなく、
根本の根本、「存在する」というその感覚、
その不思議・・・を通り越して、
決して「頭で理解することなどできない」脅威として、
残っていました。


最後のやつは、
何を調べても無理です。
わかりません。

それこそ、
スピリチュアル、形而上学の話で、
その世界であっても、
言葉で説明できないことなのです。


「決して、『脳で理解できる』ことではない。」


ここまで、当時の「イっちゃってる」例をお話ししましたが、
全てに共通することがあるのです。

また、今回、危うくなってしまった理由にも。


植物の存在にしろ、男性という存在にしろ、
一歩前を歩いていた自分に戻れないことにしろ、
日が暮れて夜になることも、
自分が「在る」ことも、

全て、


「私にはどうすることもできないこと」

なのです。

「頭では理解できないこと」なのです。

脳の構造がどうなっているか分かりませんが、
脳というのは、理性で理解できないことについては、
そこを司る場所がないわけで、
それを上手に排除して、不安にならないようにしているのでは、
と何となく思うのです。
じゃないと、パンク(パニック)しちゃうから。

だから「気づかないように」なっているのかな、って。

「これ以上先はダメだよ」っていう、
なんか防壁のようなものがあって、
(それが脳における、バランスを取る化学物質なのかな)


当時の私は、その防壁が崩れ、
行っちゃダメなところに行ってしまった、
そんな風に思うのです。

なぜ行っちゃダメなのかというと、
それは脳が司る場所ではないから。
無理だから。
(少なくとも今の2重構造のDNAでは。
本来は12本あると言われてる。)



人間の健やかな生き方として言うなら、
やはり先に述べたことからの


「自分にコントロールできないこと、
自分にはどうすることもできないことを、
手放す」


ということだと思うのです。


その代わり、
「自分にできること、変えることができること、
それらに着手すること」

なのではないかと思います。


ここで思い出すのは
「Serenity Prayer」という有名なお祈りです。
キリスト教からのものだと思いますが、
なるほどと思うのです。


God grant me the serenity
to accept the things I cannot change,
courage to change the things I can,
and wisdom to know the difference.

神様、私に静穏を与えてください
自分には変えることができないことを受け入れること
自分が変えられることを変える勇気
そして、それらの違いを知る叡智を


これは、
人間として生きる上での大切な学びであろうと思います。

自分には変えられないこと・・

それは宇宙の在り方から、
日常のこと、あらゆる出来事、人の気持ちまで。
それから未来を知ることも。



30年前の経験では
私は「人に頼ること、助けを受け入れること、
弱い自分をそのまま愛してもらうこと」、
そのようなことを学んだと、昨日のブログで書きました。


何もかも、自分で自分で、と張り詰めて生きてきた。
つまり、何もかも、自分でコントロールしないといけない、と生きてきた。
私は「委ねる」ということを知らなかった。
周りにいた私を愛してくれた人たちの介入を許さなかった。
つまりは宇宙の介入さえも許さなかった。


私は信じることができなかったのです。



今回は前回のように「植物が!男性が!日が暮れる!」
とかっていうのはありませんが(ヤバすぎるだろ)、


やはり、
自分には変えられない物や事や人を、
「その時のそのままで」受け入れることができずにいたこと、
自分に変えられることを変える勇気がなかったこと、
それらの「違い」をちゃんと分かっていても、
受け入れられなかったこと、だったのだと思います。


そして、決して人間の脳では「理解できないこと」、
でも、心の奥の何か、理解はできないけれど、
「感じること」、
その微かな感覚を大切にすること。


人間という肉体という制限を持った存在として、
謙虚に、でも怯むことなく、
理解を超えた何かに、頭ではなく「心を」開くこと。


今知ることができない未来を
頭で制限するのではなく、
広い広い無限の可能性のあるフィールドとして、
ただそこに在らしめること。


願いごとは一度願って
心の片隅に大切に保管したら、
あとは委ねる。


自分は怖い世界ではなく、
優しい世界に住んでいると決めたなら、
それらが提供してくれる優しさや喜びを、
どこからでも受け取れるように
扉を全開にしておくこと。


そして、


なんだか分からないが、
「信じて」みること。
試しに。




今日は、こんな感じです。



お花も私も「在って」良い。怖がることはないさ(笑)。





<AYUKO Soul Quest.「 SNS風」一言プロフィール!>
歌手 / オリジナル洋楽 / 英語 / 作詞作曲 / LIVE / ブロガー
ソウルでロックでポップなアメリカンアイドル / 笑いは大事 / そしてダンス
ブログ“スピってるがフィジってる” / 大人可愛くマジかっこいく / 愛を叫ぶ
マゼンタ色とは私 / どこまで伸ばすのか髪 / 香水はゲランかEternity / 心の奥は

<オフィシャル・ページ>
https://www.ayukosaito.com



<聴くブログ!?>
「Soul Quest Sound Blog」という
ラジオなようなものを勝手に作って展開しております!
このブログの調子が、そのまんま私のトークと音楽で展開されています。
このブログのカテゴリー「Sound Blog」から是非どうぞ!
クリックしてすぐに聴けるようになっています。



Instagram https://www.instagram.com/ayuko.is.here/
新装開店するために(アカウントはそのままに)現在準備中。お楽しみに!
X: 新装開店するため現在はありません。お楽しみに!

↓Youtube
https://www.youtube.com/channel/UCZiH2XUoIk7XVpWLuowKDUA
こちらも準備中!

今、私は何を学んでいるのだろう

2024年04月30日 | 生きていると
ああ、なんとなんと、
前回のブログから2週間も経ってしまった。

「ブログ(便り)がないのは元気な証拠」と
言いたいところですが、
残念ながら「じゃない方」で。


2月末に腰が崩壊してから
随分と痛くて不自由な日々を過ごしましたが、
お陰様で4月20日のPringo and The ConfusionのLIVEには
今度こそはちゃんと参加することができ、
久々のステージで緊張気味でしたが、
本番は「え〜い!」と何かが弾け、
無我夢中で歌って踊りました。

PringoとこのバンドのLOVEパワーが炸裂で、
そしてそこにお客様のLOVEパワーも加わり、
それはそれは熱い夜となりました。

その詳しいお話はいつかまた、
ここでPringo and The Cofusionへの感謝と共に
綴りたいと思っています。




ここから全く話が変わります。


調子があまり良くなくて、
30年前のことを思い出しました。

あの頃、私は30代前半でしたが、
ある夏の日をきっかけに、
私はパニック障害を患いました。
結構な重度で、アレがどんなものかというのは、
なった人にしか分からないようなもので、
「言葉には表せない恐怖」としか言えないのですが。


原因などは調べると、極度のストレスとか、なんとか、
そのようなものだったと思いますが、
私が長年どんなストレスを抱えてたのか、とか、
それが本当にその原因だったのかはよく分かりません。


思えば、
10代の時、まだ「パニック傷害」とかいう病名ができてなかった頃か、
ほとんど認知されていなかった頃ですが、
今思えば「それっぽい」ことは何度か経験していて、
ただそれらは一過性のものだったので、
病院に行くことはありませんでした。


結局、原因はなんだったのだろうと考えると、
「長年、常に頑張っていた」からかもしれません。
リラックスというものを知らず、
なんだか無意識に常に心が張っていたのでしょうか。
自分をなかなか許すことができなかったのでしょうか。


それが原因なのかは今も分からないですが、
少なくとも私がその時「学んだこと」は分かる。


それは「人に頼る」ということ。
人に助けを求める、ということ。
人の助けを受け入れる、ということ。
それは決して弱いということではない、ということ。
「何にもできないダメな自分」をそのまま愛してもらうこと。
でも、それも決して「ダメ」などではないということ。。。


私としては「あり得ない姿」となってしまい、
情けなくてしょうがなかった。

でも毎日、何度も何度も恐怖が訪れる中、
そんなことは言っていられない。

人に頼らざるを得なくなった。


そうしたらどうだったか。


たくさんの友達がそれぞれのやり方で支えてくれた。
毎朝、公園からの写真を送ってきてくれた友達、
(当時初めてココでブログを書き出したのですが)
見知らぬ方々が毎度訪れてくださり、
友達が「大丈夫、大丈夫、治るから!」ってコメントくれたり、
お世話になっていた音楽プロデューサーの方も
「待ってるからね!」と言ってくださったり、

数え切れないほどのお助けマンが
この「何にもできないダメな私」に
ここぞとばかりに手を差し伸べてくれた。


今日、そんなことを久しぶりに思い出していました。



その後、一年もすればすっかり治りましたが、
これはもう、私の体質なのかもしれません、
その後も、あれほどのものはなかったとしても、
ストレスがかかり過ぎると調子が悪くなり、
まあ、そんな時は当時からの先生のところに駆け込み、
治療薬をしばらく飲むこともあれば、
頓服(精神安定剤)をお守りに過ごすこともありました。


毎月中目黒に行っている、なんてブログにたまに書きますが、
私はその先生のところに通っているからです。


薬のお世話にはならないに越したことはないのですが、
それよりも私は「まともに暮らしたい」というのがあるので、
「無理に拒否する」ことは選ばず、
こういう体質とどうやって付き合うか、
また、私の癖にもなっているような「自分に課してしまうストレス」
というのを、どうやって軽減していくか、
最終的にはそういうものから、どうやって自分を自由にしてやるか、
そんなようなことに取り組んでいます。



一時はすっかり薬を飲むこともなくなりましたが、
ここ2年くらいは(体調を崩したこともあり、それをきっかけに)
「予防として」最小限の治療薬と頓服を飲んでいます。

一、二年前くらいか、その「最小限」では厳しくなり、
今は少し増やして飲んでいます。


今年に入ってから実はあまり調子が良くなく、
それでも「常に悪い」わけではなくて、
波がある感じでやってきました。

頓服を上手に使えば対処できる感じでしたが、
ここのところは「もしや、それでも厳しいかもしれない」
という状態でして、つまり「治療薬を増やさないといけないかもしれない」という感じ。


が。


よりによって、大体こういう時に限って、
ゴールデンウィークでこの1週間は病院はお休みってさ、
もう最悪であります。

それだけでパニックになりそうだよ。

パニック発作というのは数分?くらいすればおさまるものなのですが、
その最中は「恐怖のどん底」になります。
数分といは言え、恐怖のどん底にいる数分は半端ない。
生きる、死ぬ、の話ではないのだけど、本当に辛い。


ゴールデンウィーク明けに病院に行くとして、
その間に手持ちの治療薬で
最悪の場合は、(本当は勝手にやってはいけないのだけど)
今の量の1.5倍でなんとか乗り切れないだろうか、足りるだろうか、
などなど、計算しないといけないな、とか、
今日の午後、ついに「あ、まずいかもしれない」という感じだったので、
色々な選択肢を考えなければいけない。


今こうやってブログを打ってるのは、
こうしてる方が落ち着くからです。
「ココに」集中できるから。


私の今のパニック症状の原因となっている
「思考の迷路」というのが何かはもう分かっていて、
健康な状態ですと、それを脳が勝手に緩和してくれるのですが、
脳が出してくれる化学物質のバランスが崩れると、
緩和できなくなってしまうのですね。そこにはまりこんでしまうのです。
だから、お薬でそのバランスを取ってゆくのです。簡単に言うとね。


そんなこんなで、
このまま危うくなるのか、
復活するのか、
という岐路にいる感じです。


そんな訳で、
久しぶりに30年前の出来事を思い出したのです。
そしてそこで私が学んだこと。


じゃあ、


「今の私は何を学ばなければならないのだろう」


そんなことを考えたのです。


前回は「人に頼ること。助けを受け取ること。」だった。
今回はなんだろう、って。


私は何を持って自分をがんじがらめにしているのだろうって。
何にそんなにしがみついているのだろうって。
何がそんなに悲しく、何がそんなに怖いのだろうって。
そして、なぜそこから手を離せないのだろうって。
手を離したら何が起きるというのだろう?


手を離したら・・・


『全てが流れに乗る。』



得てして、
自然の流れを堰き止めるのは自分なのだ。
「自然の流れ」を信じることができないからだろうか。

それとも。


自分自身を信じられないのだろうか。


こんだけ日々スピってる(つもりの)私が、
肝心なところで「大きくスピが抜けている」という
この恥ずかしい本末転倒さたるや。


ある出来事から、大切なものを永遠に失ったのかもしれないという、
言葉にできない深い悲しみが止まることなく、
「もしかして、もう二度と・・・取り戻せないのかもしれない」という、
ドラマチックで壮大な恐怖、


その制御できないような自分の思考は
どんどん蓄積されて、出口が失われ、
本来の自然な流れを許すことができず、
その「肥大した恐怖と悲しみ劇場」が
私の脳の限界を超えてしまうのです。


思考と心が一致しない、
というより、
思考が心を支配してしまう。


心の方が本当のことをよく知っているのに。


だからね、
まあ、病院については来週明けに行けるとして、


今の私に必要なのは


頭に穴開けて(←比喩)ちょっと換気しろ。



そのためにはどうするか。



何かする。行動する。楽しいことをする。笑う。



などなど、色々と工夫すればできそうなものばかり。


例の「思考の迷路」にハマりそうになったら、



逃げろ!
ハートの中にジャンプ!
今こそスピれ!!!



そう。
スピを今こそ役立てろ。


それとね。
もしかしたら今回も
「誰かに頼る。助けを求める。」のを
もう一回やらないといけないのかもしれない。


一人で泣かないで、
誰かの前で泣く。


自分を孤立させてはいけない。





・・・今日はそんなところです。



私の好きなアー写の一つ。





<AYUKO Soul Quest.「 SNS風」一言プロフィール!>
歌手 / オリジナル洋楽 / 英語 / 作詞作曲 / LIVE / ブロガー
ソウルでロックでポップなアメリカンアイドル / 笑いは大事 / そしてダンス
ブログ“スピってるがフィジってる” / 大人可愛くマジかっこいく / 愛を叫ぶ
マゼンタ色とは私 / どこまで伸ばすのか髪 / 香水はゲランかEternity / 心の奥は

<オフィシャル・ページ>
https://www.ayukosaito.com



<聴くブログ!?>
「Soul Quest Sound Blog」という
ラジオなようなものを勝手に作って展開しております!
このブログの調子が、そのまんま私のトークと音楽で展開されています。
このブログのカテゴリー「Sound Blog」から是非どうぞ!
クリックしてすぐに聴けるようになっています。



Instagram https://www.instagram.com/ayuko.is.here/
新装開店するために(アカウントはそのままに)現在準備中。お楽しみに!
X: 新装開店するため現在はありません。お楽しみに!

↓Youtube
https://www.youtube.com/channel/UCZiH2XUoIk7XVpWLuowKDUA
こちらも準備中!


Long Time No See 五反田!

2024年04月06日 | 生きていると
Long time no seeとは、

直訳すれば、
長い間(long time)、会わなかったね(no see)、
つまり、お久しぶり!という意味です。
(人に対してね)

腰を痛めて1ヶ月半、
回復とリハビリをしながら
最近は「long time no see」なことが
たくさんあります。


前回、前々回は
再び美容クリニックに通い始めたお話。


「歩こう!」企画、絶賛開催中です。


ほぼほぼ完治と言っても良いくらいで、
ただ長く座っているとちょっと痛んでくる、
なので、98%回復かな。


さあ、ついに今日は

徒歩と電車でどこかへ行く!というね、


都会を縦横無尽に移動するならば、
やはり徒歩とか電車とかを活用できねばなりませぬ。

最近は車プラス徒歩、というリハビリをやっているので、
電車自体は全然ハードルは高くないのですが、
あまりにも久しぶりなのでちょっとドキドキするわけです。


というのも、
我が家から最寄りの駅というのが、
決して近いわけではなくてね。
そうは言っても12、3分程度なんだけど
まだ最寄り駅まで歩いたことがなく、
そこから電車というのもやったことがなかったので、


今日はそれ。


「それ」ってことで、
なんかもう全然その過程を書くほどでもなく、
(それだけ回復した)



Long time no see!
五反田にやって参りました!






五反田というのは、
うちからの最寄り駅から一本で出られる
一番近い山手線の駅です。

ですので、
ほとんどどこに行くにも
まずは五反田駅に出る、
というくらい五反田駅は頻繁に通るの。


通るだけでなく、
今日なんかはスタバに来てますが、
ここのエリアの居酒屋などはたくさん行きました。
私にとっては楽しい幸せメモリーが詰まっている街です。


そんなこの街に最後に来たのはいつだっけ?


腰を悪くする前ですらそんなに行ってなくて。
2、3ヶ月ぶり?



今日の東京は曇りでちょっとひんやり。
目黒川沿いには桜が咲いています。


電車は結構人が乗っていて、
皆さん、これからどこかにお花見に行くのかしら?


お花見と言えば・・・
車移動の時に「お花は見る(見える)」が
「お花見」というのはもう何年もしてないな。


今、お花見と言って蘇った記憶と言えば、
20年くらい前だったか、
(現在も)親友ハルちゃんと下北沢の外れかなんかで
ビールとかおつまみとか買って、
お花見的なことをしたような。


自由気ままで、
アホで、
一生懸命な私たちであった。


昔を懐かしむのはこれくらいにしよう。


だって、「懐かしむ」っていうのって、
得てして「あの頃は良かった」という気持ちがあるじゃない?
だから懐かしむのはほどほどにしておくのがいい。

切り替えて、
「今」
「これから」
にワクワクする方がずっと良い。

同時に、
「あの頃」があったからこその「今」「これから」だものね。



最終的に(死ぬ時)全部が宝物になるんだから。



・・・



・・・


なんかさぁ、




ここのスタバ、暑いんですけど!




ブログを打ちながら、
なんか暑い。
顔がテカってるのではないかとか、
また自意識過剰になる。


って書いた途端に、
今、涼しくなってきた!!!



ミラコー!?



こんなシンクロってあるのだろうか。
お店が空調の温度を下げてくれたのか。

おお、なんか涼しい空気が流れている!!!



魔法使いAYUKOが起こす奇跡!


ということにしておく。
フロアにいる皆さん、これは私の手柄よ。
(絶対違うと思うがな)


そんなこんなで
急に心地良くなってきたよ、
五反田スタバよ!


猛暑日に街を歩き、
銀行に入った時の
あの爽快感を「10」とするならば

これは・・・


「6」。


微妙な数字だが、
顔のテカリは引いていった気がする。



もうバレていると思いますが、
今日のブログは内容を決めずして
「とりあえず打ち始めた」もので、
私にとっては




五反田スタバから打ちました!


と言うために、
ただそれだけのために五反田に来たと言っても良い。
(あ、もちろんリハビリも兼ねて)




例の「オレオクッキーが突き刺さったパウンドケーキ」をいただきました!


ホットのソイラテの熱め(だから暑かったのか?!)のトール



・・・(時間がしばらく経過)



無事に帰宅。


なんかあの後、
頭がボーってなっちゃって、
眠くなってきちゃって、
五反田アトレとかレミーとか寄らずに、
そのままUターンで帰ってきましたわ。


今日は冷んやりとかって最初に書きましたが、
もう、ユニクロ極暖ヒートテックにセーターは
午後になると暑いわね。


でも私の部屋は北にあるので、
今は窓を開けてちょうどいい感じ。


歩けるようになったのはいいけれど、
歩いていて感じるのは
脚とか股関節とかが固まってる感じ。

ずっと動かしてなかったからね。


以前は毎晩、下半身と上半身サイドのストレッチ運動を
していたのです。
やると全然違うのね!歩いた時とか!


なので、
今晩からまた再開しようと思います。
これもまた、リハビリです。


そうそう、
毎朝やっていた、
腕、首、背中のストレッチは
結構前に再開してね、
(あ、今朝は忘れた!)


少しずつ以前のルーティーンが戻ってきてます。



残すは・・・


ジムでの水泳。。。



いつから行ってないんだ・・・


私は一体、いくらドブに捨てたのだ・・・


ジムの罠(ビジネス戦略)とは、
「ここでやめちゃって、もう一回入会しようとしたら、
そこでまた入会金を払わなければいけない!」


という瀬戸際のところで
会員を維持する戦略よ!



というのにまんまと引っかかったまんま、
変更や退会は毎月10日ということで、
今月もまた10日が迫っているのを
壁のカレンダーで確認する。。。


そもそも、
最初は月8回で張り切っていたところ
「この分じゃまずいな」と思い、
月4回にしたわけで、


週一回くらいは泳ごうよ、私?


更にそもそも、
なぜジムに入会したかと申しますと、
昨年10月に2年ぶりにLIVEをした時に、
リハーサル時から本番、
あまりの体力の無さに愕然としたからであります。


(打ちながら「そもそも」を思い出す。
初心を忘れてはいけない。)


そうだ。
LIVEのために始めたんではないか!


じゃあ、これ続けた方がいいわ。


今年は7月、12月にLIVEの予定がありまして、
実は半年に一回なんて初めてのパターン。
今後はもっと増やしたいと思っているが故、
たかだか「週1」の水泳で「瀬戸際」とかって言ってる場合じゃない。


次のリハビリは「水泳」に決定。



良いか、私よ。
もうこれ以上、8000円をドブに捨てるようなことはしてはいけない。
一回2000円。
まだまだ続けて15分しか泳げないけれど、
その分、お風呂とかサウナとかを満喫して元を取るのだ。


良いか、4月10日が近づいてきても迷ってはいけない。

今が決断の時なのだ。


泳げ、あゆ焼きくん!


(注:これは1970年代ネタです。)


でも、歩くのもままならなかった私が、
いよいよジムで水泳とかって言えてるのだから、
すごい進歩だ。



今日のブログは、
ほんとさ、ダラダラと書いていて申し訳ないんだけど、
今思い出したことがあるわ。


ちょうど回復率が80%くらいの時でしたか。
まだまだ痛いのだけれど、
家のことが少しずつできるようになり、
歩くこと少しずつできるようになり、
そう、ちょうどいわゆる「リハビリ」を始めた頃。


回復を喜ぶ私と、
「いよいよ回復してしまうのか」とちょっと不安になる
私がいました。矛盾してるのだけどね。


あれだけ辛い思いをして、
ようやく回復してきたのに、
なんでしょう、


「もう逃げられない」


という思いがあったのですね。

つまり、

自分が回復して「通常運転」に戻るということは、
全てを再開することであり、
ここからまた前進してゆくこと。


もう前進できないという言い訳が効かないということです。


腰を痛めて寝込んでいた間というのは、
ブログでも書きましたが、
SNSを一旦閉店して、新装開店のために、
「で、自分は何者として何を表現、伝えたいのか。」
なんてことを深く見直したりして。


それだけでなく、
色々なことを深く見直して。
これまでの自分のこともそう、
愛する人のこともそう、


「これまで」を見直して、
「これから」のために「新しい場所」を空ける。


ここまでの間、
ひたすらそんな作業をしてきたと思います。


それらはそう簡単にできることではなく、
色々な感情がそこに付随していたりして、
これがなかなか、パッパッとできない。


そういうのも「込み込み」での、
「腰と一緒の回復期間」であったと思います。


それらがなかなか濃い期間であったために、
いざ「新しい場所(全回復)」が見えてきた時に、
ちょっと怖くなってしまったのでしょう。


それがちょうど回復80%の頃。


それを私は・・・


回復の青春期と呼ぼう。(今、思いついた。天才か。)



色々な気持ちが複雑に絡み合う、
それが青春期であり、
また、成長期であります。



そんな、青春期、成長期の微妙な時期を経て、
今や、回復98%まで到達し、



私はもはや完全に成熟した!


・・・か、どうかはなんとも言えないけれど、

青春期で不安であったことが、
今は「よ〜し!もう前に進むしかない!」と
腹を括ったと言いますか、

少し「楽しみ」に思えてきました。


そう、「これから」を楽しみに思えてきました。


身体の軸(腰)が戻り、
私という人間の軸が戻り、


モヤモヤしていたものがクリアになり、
私にとっての真実というHomeに
「ただいま〜!」と戻ってきたような。


ちょっと前にブログにフライヤーを載せましたが、
今月21日にはLIVEにサポートとして出演します。
来週からリハーサルにも参加します。


これまで「一人リハビリ」であったのが、
ついに「本気の娑婆」に復帰であります。


このタイミングも本当に不思議なもので、
「決まっていたのか」と思うくらいです。
そこに合わせて私の中の色々が調整されてたのかしらって。


そういう意味では、
2月25日のLIVEに出られなかったのは、
バンドの皆さんには大層申し訳ないことをしてしまったけれど、
宇宙的な意味があったのではないかって。


「間に合わなかった」のです、あのLIVEには。
(1週間前に腰が崩壊した)


"Not yet, darling.
You've got things to do before the new beginning."


「まだですよ、ダーリン。
あなたにはまだやらなきゃいけないことがあるの、
新しい始まりの前に。」


今となってはそんな風に思えます。
(まあ、そこからが本当に大変だったのですが)


私はここでよく『宇宙タイミング』という言葉を使いますが、
この全宇宙がマトリックスというならば、
それは「完璧に」「神聖に」廻っている。


人間としては「そりゃないだろう!
どうして自分にこんなことが起きるんだ!
なんで、なんで!?」ってなる時も。


それは「出来事」だけでなく、
「人との関わり」だってそうなんだ。


全部が全部絡み合っていて、
きっとそこには「間違い」なんてなくて。


ここで「魂」って言葉を出しちゃうと、
魂だけはそれが分かっている。
人間の自分がどれだけ嘆き悲しもうと、
魂だけは分かっている。
それが「必要」である、と。


なんで必要かなんていうのは、
人間の自分はその渦中には分からない。
でも、そうは言っても、
心の奥底では分かってるんだけど、
信じられないだけ。


でも、それも過程のうちだなと思う。

とんでもない感情が何度も何度も溢れて、
その度に火に焼かれるような体験をし、
何度も何度も焼かれる。

焼かれるものはもう不要なもので、
それが全部綺麗さっぱり無くなるまで、
それは続く。


いつまでもしがみついていれば、
その分、時間がかかる。


でもその過程は、
なんだか「出産」に似ている、と今は思う。


「陣痛」が始まってしまうと、
もう後戻りができないのです。
痛みに耐えるしかない、
赤ちゃんが生まれるまで。


なので、
始まってしまったら、
もう完全に自分が生まれ変わるまで、
何も止められないのです。


そして、その過程が終わる頃、
ようやく人間の自分は知るのです。
何のためだったのか。


「何」とは、
どんなことがあっても揺るがないもの。
無くならないもの。


それが何かが、分かるのです。


無くなるものは、(焼かれるものは)
そもそも最初から自分のものではない。
無くならないものこそ、
自分にとっての永遠の真実だ。



私の「陣痛」はもう終わった。


生まれたものは、
私の中に最初からあったもの。


それが不死鳥の若く、
蘇ったのだ。


もう迷わない。




「花嫁は夜明けの真ん中から姿を現し、
花婿は夕暮れから現れる。
婚礼は谷で行われる。
書き留めるには、あまりにも大いなる日だ。

カリール・ジブラン」




⇩Prince tribute band "Pringo and the Confusion"のLIVEにサポートで出演いたします。
彼ら恒例のThe biggest event of the yearですから、すごいよ!



<AYUKO Soul Quest.「 SNS風」一言プロフィール!>
歌手 / オリジナル洋楽 / 英語 / 作詞作曲 / LIVE / ブロガー
ソウルでロックでポップなアメリカンアイドル / 笑いは大事 / そしてダンス
ブログ“スピってるがフィジってる” / 大人可愛くマジかっこいく / 愛を叫ぶ
マゼンタ色とは私 / どこまで伸ばすのか髪 / 香水はゲランかEternity / 心の奥は

<オフィシャル・ページ>
https://www.ayukosaito.com



<聴くブログ!?>
「Soul Quest Sound Blog」という
ラジオなようなものを勝手に作って展開しております!
このブログの調子が、そのまんま私のトークと音楽で展開されています。
このブログのカテゴリー「Sound Blog」から是非どうぞ!
クリックしてすぐに聴けるようになっています。



Instagram https://www.instagram.com/ayuko.is.here/
新装開店するために(アカウントはそのままに)現在準備中。お楽しみに!
X: 新装開店するため現在はありません。お楽しみに!

↓Youtube
https://www.youtube.com/channel/UCZiH2XUoIk7XVpWLuowKDUA
こちらも準備中!








溶けてゆく 解けてゆく

2024年04月01日 | 生きていると
昨日も実家近くの
駒場東大キャンパス内のイタトマ(アップグレードバージョン?)に
行きまして、
ホットドッグか、コレか⇩で迷ったのですが、
生クリームが勝利いたしました。





こういうのってペロって食べちゃうんだけど、
結構後から来るわよね。
でもとっても美味しかったよ、ありがとう、イタトマ!


そこでブログを途中まで書いたのですがね、
タイトルはそのままに、今日全部書き直すことにしました。


「溶けてゆく 解けてゆく」

後者は「ほどける」とも読めるけど、
敢えてどちらも「とけてゆく」がいい。


「とける」って響きは
なんとも官能的ではございませんか。


凍っていたものが溶ける。
そして、心もとろける。
甘い甘い感じがしませんこと?


悩んでいたものが解ける。
そして、緊張がほぐれる。
優しい安心感がありませんこと?


「溶けて 解けて」初めて、
自分がどれだけ強張っていたかが分かる。


溶け始めて、解け始めて、
やっと力を抜くことができる。


これはある種の


Rapture


私がこの言葉を知ったきっかけは
90年代のR&Bの女王とも言ってもいい、

Anita Bakerの「Caught Up in The Rapture」という曲でね、




サビの中で

"Caught up in the rapture of love"

と歌われていて、

"愛の歓喜に捕らわれる、とりこになる"

という意味なのです。

Raptureとは「歓喜・狂喜」と訳されますが、
私がこの言葉から得る印象というのは、
わ〜〜〜〜〜い!みたいな(笑)歓喜よりも、

「恍惚」のような印象でした。
うっとりするようなね。


(因みにこのアルバムが出た頃、
私はちょうどボストンで音楽を学んでいた頃で、
彼女の曲には色々挑戦しましたが、とにかく難しい!!!
声も歌い回しも唯一無二で、真似するのは不可能)


そう。


私が今日お話ししている、

「溶けてゆく 解けてゆく」

というのは、
Rapture...恍惚感がそこにある。


心の、体の、力が全部抜けて、
溶けて、解けて、
私に戻る。


ああ、これでいいのだ・・・


これが私の素直な気持ちで
そこには抵抗も否定もなくて、
自分の気持ちを肯定した時に


溶けた。
解けた。


もう、怖がらなくていい。
自分の気持ちを。


愛することを。



溶けて、解けて残ったものは・・・


そもそも最初からずっとあって
無くなりはしなかったのだ。


最初からあって、
永遠に無くならないもの。


離れようとすれば、
連れ戻され、
否定しようとすれば、
私の魂が傷つくのだ。


私の魂のRaptureは愛することだ。



氷が溶けてゆくように、全てが解けてゆくように,
In the rapture of love with you




<AYUKO Soul Quest.「 SNS風」一言プロフィール!>
歌手 / オリジナル洋楽 / 英語 / 作詞作曲 / LIVE / ブロガー
ソウルでロックでポップなアメリカンアイドル / 笑いは大事 / そしてダンス
ブログ“スピってるがフィジってる” / 大人可愛くマジかっこいく / 愛を叫ぶ
マゼンタ色とは私 / どこまで伸ばすのか髪 / 香水はゲランかEternity / 心の奥は

<オフィシャル・ページ>
https://www.ayukosaito.com



<聴くブログ!?>
「Soul Quest Sound Blog」という
ラジオなようなものを勝手に作って展開しております!
このブログの調子が、そのまんま私のトークと音楽で展開されています。
このブログのカテゴリー「Sound Blog」から是非どうぞ!
クリックしてすぐに聴けるようになっています。



Instagram https://www.instagram.com/ayuko.is.here/
新装開店するために(アカウントはそのままに)現在準備中。お楽しみに!
X: 新装開店するため現在はありません。お楽しみに!

↓Youtube
https://www.youtube.com/channel/UCZiH2XUoIk7XVpWLuowKDUA
こちらも準備中!