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AYUKO Soul Quest. "スピってるがフィジってる"

元気になってくれ。
自分にときめいてくれ。
そして愛を見つけてくれ。

新年早々(心の)嵐を呼ぶ女〜『後編』

2023年01月15日 | 生きていると
*このエピソードの『前編』はこちら


(『前編』最後から)
『しかし、ここまで書いたのなら、
先に書いた

『母親としての罪悪感 からの
完璧主義の視点から自分を打ちのめす からの
愛されるためには何かを差し出さなければならない からの
私は(愛されるのに)十分ではない という思い込み』


がどういうことなのか、
最後まで書かせて頂かないことには
気が済まぬ。』



では『後編』に参りましょう。


『母親としての罪悪感」の根源というのは、
自分と母を比べてるからです。

母娘ではよくあることだと思いますし、それは認識していたつもりでしたが、
まだ、がっつり存在していた。。。
私の母は昭和の専業主婦で、衣食住に大変興味のある人でした(今も)。
料理がそれはそれは上手で、お料理教室にも通っていたりして、
毎晩、それはそれは手の込んだ美味しい料理が並びました。
それは子供としてとても幸せであったと思いますし、心から感謝している。

が、私はそこまでできない。
お料理は好きな方だと思うけれど、
毎日のこととなると、正直、あそこまでする熱意もないし、
また、私には「家のこと以外のことで大切にしていること」がある。

だから、私は私でいいのだ、母のようにならなくていいし、
なれないんだから、それでいいのだ。


と、言い聞かせていたつもりだったのですが、そうではなかったようです。


私は私でいいのだ、と言い聞かせ、
どうしても疲れている時はご飯だけ炊いて、スーパーのお惣菜だけにしたり、
何ならお弁当にしちゃう時も多々ある。

毎日仕事に出ている訳でもないのに、
どうにもこうにも「夕飯を作る」ことが
しんどくなる時が私には度々あるのです。


夫も娘も息子もそれは困る、嫌だ、という様子もなく、
でも、どこかで私は「母のようになれない自分」に
実は長く罪悪感を持っていたのでしょうね。

どこかで穴埋めせねば。とかね。


元々完璧主義の私ですが、それも認識していて、
随分と和らいだと思うのですが、
その元々の性格と、母と自分を比べる、で
結果、自分を窮地に追いやった。
(追いやってきた)

他の誰も私を責めることはないのに。
私は自分を責めてきたのだと思います。


『愛されるためには何かを差し出さなければならない』


というのは、私が「私で在る」だけでは十分ではないから、
愛されるためにはプラスアルファ何かをしなければならない。ということ。


1月2日以降、感情が溢れ出した時に、
急に私は「家族に愛されていないのではないか」と思い始めたのです。
子供達にとって、私は「十分な母親」ではないのではないか、と。
だから、子供達に愛されていないのではないか、と。

ひたすらGiving(与える)という母親像に押し潰されながら、
自分が思うようにGivingしていないという思い込み。
だからreceiving(受け取る)も上手にできていない、ということ。


そして、それは夫に対しても。

私は自分のものは自分で何とか買うようにしていますが、
その他の「食」「住」は夫の経済力に頼っています。
ですから、その分、頑張らなければ、
家のことをできるだけちゃんとやらなければ、
という考えがいつも深いところにあります。
(どこまで実際できているかは別として、「考え」がある)


それは主婦的な立場の人たちは多かれ少なかれ感じることかもしれません。
また生まれた時代もあるのかもしれません。


「お金」を出してもらっているけれど、
私は「十分であるだろうか」と。


でも・・・

お金、を出してもらってるから、頑張るのか?
私が十分かどうかは、出してもらったお金への代価によるのか?
家族だから、私は私の役割をやる、ではダメなのか?


このことに関して浮上したものは、
夫と私の問題ではなく(なぜなら、このドラマは私の中だけで展開されているからです)、
私が育った時代や環境が根っこにあるということです。


それは「私と家族(実家)とお金」のお話になります。
今年はそれについても掘り下げることを決めました。
これもまた、そこを何とかしないと前に進めない、
そんな、やや根深い課題なのですが、そろそろ向き合う時です。
これはエモーショナルな部分も多々ありますが、
お金についてちゃんと知る、という実用面もあります。


そういうことも見えてきた『1月2日事件』(もはや事件か!)。



結局のところ、
大きくまとめると、


母親として、とか、妻として、というよりも、


深いところに「私は十分ではない」「だから頑張らなければならない」
という、そんなものをずっと持ってきたのかしらね、私は。


それは自分の人生のどのエリアにも影響を及ぼすわけで、
「受け取れない」もそうだったり、
いつまでも自分を認めてあげられない、ということも起こる。


でも、それは全て「私の思い込み」であること。
その思い込みを自分の世界に投影し、投影すれば、
その思い込みどおりの事象が当然、展開される(ように見える)。
その思い込み(もはや「重い込み」)は私が生き生きと前に進むことを阻むもので、
正直、邪魔なわけで、全くもって役に立たない。



おいおい、小さい亜由子がまた泣いてるよ。。。



ブログを通して、
思えば随分と私の「スったもんだエピソードと、その後の成長」を書いて参りましたが、
特にここ3年くらいはかなりギウギウに色々なことが起きて、
昨年末には「いっやあ、かなりきつい一年だったけど、何とか乗り越えたし、
だからもう来年は・・・!」なんて時に、
年明けにドッカーーン!でしたから、


正直、本人も
びっっっっ・・・くり。




でも、事件からの2週間。
色々なことに改めて気づくことができたし、
気づける、ということは、その先へ行く道も見つけられる、ということ。


気づけても、その先への道が見えても、
実はその新しい道へ一歩踏み出すという行為が、
最も難しい。

「私は〜ではない」「私は〜できない」ということへの「罪悪感」を捨て、


「私は十分ではない」

から

「私は十分である」

へ。


そのたかだか2~3文字の変更が、怖くてできない。
「十分ではないから、愛されるために常に頑張っていなければならない」が心地いいわけですから、
自分が十分である、ということを認めるということは、
あった車輪がなくなっちゃうような、バランス崩してどうなっちゃうか分からない状態というか、


「愛されるための頑張り」が必要でなくなるということは、


じゃあ、えっと・・・、その空いたスペースをどうすりゃいいんだ?


ってなっちゃうのです。



でも、私はそのスペースを空けることにしました。
そのスペースには「自分に優しくすること」を入れることにしました。
この2週間はひたすら、そんなことに向き合ってきたと思います。
そういう意味ではすごく忙しかったのです(笑)。


家族は私が、例えば、食事を作ってくれるから、
洗濯をしてくれるから、お掃除をしてくれるから、
私を愛してくれてるのではない、ということ。

それは自分が子供だった頃のことを思い出せばよく分かる。
私は母が美味しい食事を毎日作ってくれたことに感謝こそすれど、
「だから私は母は愛している」ではない。
波乱万丈の人生であり、我が家族に多大なる悲しみをもたらした父だって、
「だから私は父を愛していない」ではない。

完璧な人間も、両親も存在せず、
たとえそこに怒りや悲しみがあったとしても、
絶対にそれだけではなく、
また美しいことだけでもない。


そして、きっと両親にとっての私もそうだったはずだ。
プラスアルファ頑張ったから私を愛してくれたのではない。
どんな娘であろうと、彼らは私を愛してくれたであろう。
(それは自分が親になって分かる)



全部ひっくるめての無条件なのだ、結局。


それを私は自分に向けてやれないだろうか。


小さい亜由子は未だ「条件付き」だと思ってる。
その子を救えるのは私だけだ。


あなたは十分であり、
あなたは愛されている。



もうそれだけでいいではないか。
誰がなんと言おうと。



そうやって、この2週間、意地悪な私が何かを言い出して、
胃がキリキリする度に、私は立ち止まって、
「待った!」をかけ、「私は本当はどうしたい?」と聞く練習をしました。


いつも先回りして、あれしなきゃ、これしなきゃと
自分を焦らせるのも、意地悪な私。


自分の頭の中の言葉に「〜しなきゃ」が出てきたら要注意。



そんなコツも分かってきました。



「あった車輪」がなくなったのだから、
新しい走行の術を学んでいかなければなりません。
もちろん、今度こそ軽やかにスイスイ行けるように。



まだ練習中ですが、続けようと思います。



『前編』『後編』に分けるほどのものだったのか、と思いつつ、
今年もこのような稚拙な文章、無駄に長い、
(アップしてから気づく誤字脱字の多さたるや)
そんなブログを続行させて頂こうと思っております。


今年もどうぞ、気長に、
50次元過ぎても成長を諦めたくない私と
お付き合いいただければ、
この上ない幸せでございます。


2023年初ブログ、これにて「完」!!!
(長過ぎるだろ)


感謝と愛を込めて
AYUKO



まずは春に向けて走行中。





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新年早々(心に)嵐を呼ぶ女〜『前編』〜

2023年01月14日 | 生きていると
<プロローグ>

今日こそ新年初ブログを、と思い準備。
温かくて心地よいのはダイニングテーブルがある部屋、がしかし、
息子がテレビでYoutubeを観ていてどうにも気が散る。
寝室という手もあるが、北側にあるため、静かだけど
やたら寒いし暗いし、冬場は夜以外は避けたい。

では、ダイニングテーブルに着きながらも、
こちらはこちらで自分のパソコンのYoutubeから
いい感じの音楽をヘッドフォンから流しながら
やってみてはどうだろう。


静かで落ち着くのがいい、と思い選んだのは、
逆に静かで落ち着き過ぎて、
このまま目を閉じて瞑想したい気分になる音楽。
あかん。これじゃ書く気が出ない。
じゃあ、スローでCozyなJazzはどうであろうか。
いい感じだけど、ヘッドフォンから流れているので、
どうも「聴いちゃう」し、
何ならこのままラジオパーソナリティーな気分でしゃべりたくなる。
(イメージとしては伝説の深夜ラジオ番組Jet Stream的な)
喋りたいんじゃない、書きたいのだ、私は。


・・・とにかくヘッドフォン越しで音楽が流れると、
集中できないということが分かり・・・


<本編>

はい!皆様!
今日は寝室からお届けいたします!
(暖房つけて、毛布とお布団をお腹までかけて、
枕を立ててそこに寄りかかって膝にパソコン)

年が明けて、
ここまで来るのにちょうど二週間かかりました。

すっかり明けて、すっかりいつもの日々。
毎年、この頃になるとお正月が遥か昔のように思ってしまう。

お正月は本当にあったのか。存在していたのか。
幻ではなかったのか。


新年のご挨拶がこんなにも遅れましたこと、
大変失礼いたしました。
お正月をお祝いされた方も、
お祝いされなかった方も、
否応なしに新年は訪れた訳で、
お正月がどうであったか、というよりも、
今現在の皆様が健やかで幸せでありますように。


と、まるでもう<エピローグ>がという雰囲気ですが、
いやいや、こんだけ日にちが経って、
この長文AYUKOがここで終わるわけがない。


先に
「年が明けて、
ここまで来るのにちょうど二週間かかりました。」と、
書きましたが、


なぜ、こんなに「かかったのか」。



このブログを長く読んでくださってる方々は
はい、お察しの通り、
「また色々あって、グルングルンやってて、書けなかったんだろう」、
正解でございます。


私の場合はフィジカルに忙しいというのは滅多になく、
たとえそういうことがあっても、ブログは書くでしょう。
しかしながら、However、
メンタルに忙しい、その対処に忙しい、時は書けない。

そして、その闇が明けてから、再登場する。。。

そんな繰り返しよ!


簡単に言えば、


1月2日に(なぜか)どーん!!!と落ちて、
昨年のとは全然違うカテゴリーでの心の大掃除が始まり、
その対処に追われいた。



つまり、今が一年のうちのどこであろうが、
そんなの関係なく、魂の成長というのは
容赦無く促されるのであります。
それがお正月だろうが!!!



「やっと本当に落ち着いたな」と思えたのは、
この2,3日なのです。
だからこうやって今、ブログを書けています。


今回のカテゴリーというのは、
私自身も「え?そこ?」というカテゴリーで、
けれど、ああ、そこをちゃんとやっとかないと、
この先に行けないんだな、というところ。


そのカテゴリーとは、


母親としての罪悪感からの
完璧主義の視点から自分を打ちのめすからの
愛されるためには何かを差し出さなければならないからの
私は(愛されるのに)十分ではないという思い込み


今ざっとまとめると上記のような感じです。

さて、1月2日に一体何が起きたのか。

大したことではないのです。
ある意味、「お母さんあるある」かもしれません。
(でも、根は深かった)

毎年元日は横浜にある夫の実家に家族で行きます。
私はお料理を3-4品作って持っていきます。
別にそれは、そうしろと言われたことではなく、
逆にそうやって作るのが好きで、
毎年やってきました。


29~30日あたりに買い出しをして、
31日にはある程度のものを作っておきます。
2日はこちらの家族だけでやるので、
横浜に持っていくお料理を多めに作っておいて、
2日用にいくらか残しておいて、
更にそれ以外に必要なもの、作るものを考えて、
買い物をしなければいけません。

元日の朝には、作り置きできないものを作り、
いざ、横浜へ。

大したものは作っていないのですが、
二日分のことを考えたり、
作る時間を考えたり・・・


こうやって書きながら思い出しても、
「私、随分と頑張り過ぎていないか。」と思う。


私は家族とにしても、友人とにしても、
みんなで美味しい食事を囲むというのがすごく好きで、
「こうしたい」というのが強いのですね、何かをする時。
これ作って、あれ用意して、そんで、そんで・・・!


私にとって喜びである行為が、
今年はとてもきつかった。

買い出し前からすごくしんどかったのです。


そういう自分を強行突破して
「やらなきゃいけない」となり・・・

元日はお陰様で良い時間を横浜で過ごしましたが、
何か色々限界に達していたのでしょう、
2日に何が起こったか。


私は私で計画をしていた。
家族用にお正月の料理を考え、用意し、
食卓を華やかにしようと。。。


お昼過ぎくらいからみんなで祝おうと思っていたら、
夫や娘は勝手にお餅を焼いて、
作っておいたお雑煮を先に食べ・・・
「お腹空いてません」状態に。


そこで大爆発ですよ。私。

新年から家族の前で大号泣。


何のために昨日、今日とここまで用意したのか!
こんなに作ってる私は馬鹿みたいじゃないか!
何なのよ、みんな!



もうね。すごかった。


でも、あるある、でしょ?


そこから2週間近くかけて、
その「コア」にある部分と向き合わざるを得なかった。

なぜならその「あるある出来事」をスルーできなかったからです。
翌日になっても精神的に不安定で、
どんどんと「蓋をしてきたもの」が出てくる。
家族に対して、ではなく、自分の自分による自分に対して、の「古い癖」です。


どうにもならないような感情が湧き出てきました。
怒りやら憎しみやら悲しみやら、一体それらはどこから来たのか、というような。
その出てくる感情が久しぶりにあまりにも強力なもので、
対処しきれず、パニック発作のようなものも起きました。
幸いそれは続くというものではなかったのですが、
本当に辛かったし、怖かった。


今となってはどうやって
それらと向き合い、許し、流し、
今の新たな自分へと辿り着けたのかは
もう細かいことは覚えていないのですが、
でもとにかく新年早々、


容赦ない洗礼。



しかし、ここまで書いたのなら、
先に書いた

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愛されるためには何かを差し出さなければならない からの
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がどういうことなのか、
最後まで書かせて頂かないことには
気が済まぬ。

エネルギー配分も考えて、



新年一発目から『前編』『後編』で
お届けいたしますっ!




新年の沈黙2週間、
AYUKOに一体何が起きのか?!




『後編』へ続く






元日、横浜に行く前。
次の日に嵐が来ることなどまだ知らない。




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最後のスタバ in 2022

2022年12月29日 | 生きていると
今年も後三日で終わりです。

1年ぶり、
そして今年最初にして最後(笑)のSound Blogを
お聴きになってくださった皆々様、
本当にありがとうございます。

後になって、
最後にお届けした曲のピアノの音をもう少し上げれば良かったとか、
トークの声にリバーブ(いわゆるエコーね)をかけすぎたとか、


相変わらず脇が甘い、
「後の祭り」的。



そんな私でございます。


今日の東京は晴れで穏やかな気候です。

年末年始、大したものは作らないのですが、
なんじゃかんじゃバタバタするので、
買い出し諸々は明日にするとして、


今日は今年最後の「一人の時間」をいただき、
今、恵比寿のスタバに来ております。

本当は代官山TSUTAYAのスタバに行きたかったのですが、
今日は車ではなく電車なので、
五反田から山手線に乗り、
ギリギリまで悩んだ末、恵比寿で下車。


渋谷から東横線で代官山という企画も持ち上がりつつ、
「あの渋谷」に下車すること、
また東横線の乗り場まで延々と歩くことを考えると、
すっかり気が萎えてしまい、


えーい!と恵比寿に降り立ったのでした。。。


スタバだけで言えば、
代官山スタバがTHE BESTではあるのです。
あの広さ、あの雰囲気、
申し分ないわけで、
年末最後のおひとり様の優雅なひと時には
最も相応しい場所である。


渋谷が嫌だ、
東横線が遠い、
恵比寿に降り立ったはいいが、
代官山まで歩くのも嫌だ、


結果、今年最後のスタバは


恵比寿アトレ内の本屋さんがあるフロアのスタバ。



ここはね。
時々来るのですが、
う〜〜〜ん、平日の空いてる時間限定ならいいんじゃない?
という場所かしらね。


今日は平日でも既に世の中休日モードだから、
なんかワチャワチャしてるの。
きっと代官山スタバもそう。



もう、どこ行っても一緒よ!!!


半ば諦めモード。
せっかく暇をもらったわけですから、
感謝して最大限にこの時間を味わおう。


こうやってブログ書きに集中すれば
周りの喧騒も消えてゆくもの。


そうは言っても、
根がエンパスである私にとっては
そこら中のエネルギーを吸収してしまう故、
「守る術」をいい加減に身につけないと。
ボケーーっとしてるとクタクタになってしまう。


眠い。
オイラ、もう既に眠い。




今年の振り返りというのは、
Sound Blogで語らせていただいたけれど、


ここまで来ると


もう次へと飛んでしまえ!!!


そういう感じです。
別に反省することもないし、
もう今年はやることやったのだもの、
もう色々考えるのもめんどくさいから、


持ち越しなしの、手ぶらで新年にジャンプする。



なんと軽やかであろうよ。



持ち越しなし、と言っても、
年明けに完成させる予定のプロジェクトが三つあるの。

プロジェクト自体は持ち越し、なんだけど、
「気持ちの持ち越し」をしない、ということだな。


年が明けて、
新たな気持ちで、
新たなインスピレーションと共に、
取り組む、そんな感じです。


完全新規で!


だから今は「どうしよう」って考えないことにしてる。


なるべく自分の中にスペースを空けていたいと思ってる。




新しい風を待つ。
吹いてきたたら、深く深く吸い込んで、
そしてそれに乗っちゃえ。




今年、私のブログをいつも読んできてくださった皆様に、
きっと同じ風に乗っている皆様に、


愛と感謝を込めて


良いお年を。


AYUKO SAITO









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Dignity(尊厳)と「愛の視点」

2022年12月06日 | 生きていると
いつだったか、
ああ、今年のアカデミー賞の時だったか。
俳優のWill Smithさんが、
あるコメディアンがステージで
彼の奥様の髪の毛(彼女は脱毛症であり、
そのために、スキンヘッドに近いベリーショートをしている。
でも、すごいかっこいいんだけどね。)のことをジョークにして、
彼が激情してそのコメディアンを殴った・・・という話。

まあ一部ではしばらく大騒ぎしていたし、
彼の行動に対しては賛否両論ではあった。


公共の場で自分の奥さんがバカにされた、と。


今日のタイトル「尊厳と敬意」。


たかだかコメディアンのジョーク如きで、
彼女の尊厳など奪われない。
それは彼女も分かっている。


敬意・・・については、
笑いをとる仕事をしている者にとっては、
そこをいちいち突っつかれていたら、もうネタは言えなくなる。


しかしながら、
あの時「反応した」のは、夫のWillの方であった。
「ジョークにしていいことと、悪いことがある。」
「本人の目の前で、公の場で自分の妻を辱めた。」
と言ったところだと思う。


何が最も誇り高い行動であったろうか。

もしも「真の愛の視点」を持つとしたら、
それはどういうものであったろうか。


ここでいう「真の愛の視点」というのは、
さあ、許しましょう、さあ、仲良くしましょう、
お互いに無条件に愛し合いましょう、
っていう、即席な「愛のイメージ」の話ではなく、
全ての人間にとっての「真の愛」とは、
という視点から、という意味で。


つまり、
自分を心から愛し、自分に対して尊厳を持っている者は、
もし他人に、それらを否定されるような、侮辱されるようなことをされたら、
どのように行動するのだろう、と。


・・・


・・・


今、ふと降りてきた・・・多分、


(あまりにも愛の中にいるから)
まず気づかない、
なんとも思わない、
なんなら一緒に笑っちゃうか




こ・・・これだ。



これ以上の最強の愛はあるであろうか。



なぜWill Smith氏の話を思い出したかというと
私がWill Smith氏みたいな気持ちになる(殴ってないよ、笑)という
エピソードがつい最近あったからです。


私がWill Smithであれば、
奥さんの立場のようの人もいたわけですが、
私はその(奥さん役の)彼女が
大層侮辱されている、全くリスペクトされていない、
と「感じる」場面があったのです。

Will Smithの如く
私の腹は煮えくり返っていまして、
もし彼女と、私が怒っていた相手の人たちがそばにいたら、
何かしらやっていたかもしれません。


ですが、そういう状況ではなかったので
私は大人しくその場を離れたわけですが、
帰ってきてからもどうにもこうにも怒りが収まらない。


なんなんだ、あれは?!
彼女へのリスペクトのカケラもないじゃないか。
一体、誰が主役だと思ってんだ!
「誰のための」ものだったんだ!


もうね、
完全に「あの時のWill Smith」と化していたよ。
次の日に、例の相手の人が、
それについてTwitterで能天気なことを投稿してたので、
投稿はしなかったけど、
コメントを打つとこまでしたもん。
(せめて言葉を打って言いたいことを言いたかった)


でも。。。


なぜだろう。。。


なぜ私はここまで勝手に人のことで腹を立てているのだろう。


「一体、私の中の何が、ここまで『反応』したのだろう。」


そう。結局のところ。
問題はその時に私の目の前で展開されていたことではなく、
私の中で展開されていたことが問題なのです。


先ほどの「真の愛の視点」とは。



一つ気づいたことは、


彼女の尊厳というのは
周りがどうであれ、
奪われることはない、ということ。
彼女は光り輝いていた。
もう、あれで十分なんだ。
彼女がそこにキラキラと存在するだけで、
もう十分なのだ。


十分ではない、と思っていたのは私の方だった。
つまり、私自身に対して。
周りの扱いに腹を立て、翻弄されていたのは、
私の方だったのではないか。
そういうものに、いちいちキーキーして、
「彼女の尊厳が!」とかって怒る時点で、
自分自身の尊厳というものから離れていたのは
私の方だったのではないか。


彼女はへっちゃらだった。
私はビクビクしていた。


そして、
私は怒っていた二人の男性については
私は直接会ったこともない。
だから彼らのことは知らない。

私が彼らの中に勝手に映し出していたものは、
「こういうタイプ大っ嫌い」という男性像であり、人間像であり、
でも、この「大っ嫌い」というエッセンスというのは、
私の中で統合しなければならない、なんらかの質なのです。


つまり、
私がまだ自分に対して許すことができていない質、なのです。


それは過去に経験した嫌悪感かもしれないし、悲しみかもしれない。
それが「ある種の男性」から受けたものだとしたら、
私はまだそこから立ち直っていないのでしょう。
なんらかの悔しさ、辱めのような、
そのような感情がそこに付随しているように思います。


その「AYUKOの過去の惨劇(←いちいちオーバー)」が
あの時、3人の役者さんが演じてくれたというわけです。
それはあくまでも「私から見た劇」です。


「真の愛の視点」というのは、
まずは自分に向けるものなのかもしれない。


Will Smith氏の心情というのものが
当時はどういうものだったかは分かりませんが、
ある意味、彼は自分の奥さんの尊厳と力を
信じてあげられなかったのではないか、と。
つまり自分自身のそれも。

そして、
彼自身も多くの無礼と辱めを受けてきた経験があるのかもしれません。


自分がどこからか持ってきてしまった、
許すべきこと、統合すべきことの質は
こうやって、
いつも誰かが目の前で演じてくれる。


それにひたすら反応し続けるか、
その根本に気づくか、

そこは分かれ道だけれど、
いつかはそれに気づく以外の選択は無くなるのでしょう。


なぜなら、
また別の役者さんたちが
同じように演じてくれるのだから。



だから、
私は今回感謝しなければいけない。
もう少しで愚かな行動に出るところだったけれど、
なんとか自分を阻止できたのは、
前よりは少しだけ進歩したからでしょうか。



真の愛の視点とは、
まずは自分に向けること。


その愛が強力であればあるほど、
もはや何もそれを「引っ掛ける」ものなどなくて、
なんなら全部笑っちゃう、アッハハ〜〜!って。


そんなところまで行けたら、
なんでも有り難く、なんでも嬉しくて、
なんでも楽しいんだろうなあ〜〜!



以上のことを書いて「下書き」に置いて、
実は昨日、その彼女と会いました。


私はあの時に感じたことを彼女に話したら、


笑ってた・・・笑。(良かった!)



そう。
彼女はなんとも思ってなかったし、
「実際のお話」は私が勝手に想像していたものと
全然違った。
聞いてみれば、「そうか、そうか、そうだったのね」と
私は私の中で悪役にされちゃった男性たちに
いたわりの気持ちさえ持った。


証明されたわけです。
私は「自分が見たいストーリー」を勝手に見ていたこと。


人の数だけ「視点」があるのです。
あの時に繰り広げられた3人の役者さんによる劇は
あの場にいた人たち分の視点によってストーリーに変化して
届けられた。



「真の愛の視点」とは。



私のは「過去に傷ついた、悔しい思いをした」視点から見たもの。
彼女は、過去の私役。
二人の男性は、私を傷つけた意地悪で横柄な男性役。



でも結果、
私は「真の愛の視点」というものに気付かされた。
彼らのおかげで。
(勝手にぷんぷん怒られてたまったもんじゃないね、笑。
ごめんなさい&ありがとう、おじさまたち。)



自分への自分による真の尊厳というのは、決して傷つかない。
ある意味とってもノンシャランであり、
故に高貴な軽やかさ、というのだろうか。


そして、
大事なのは、
他人へのCompassionを持つことと、
同時に、必要な時には「はっきりとNoと言うこと」。


自分の尊厳というものを
ちゃんと取り戻していなかった私は、
ただ「反応」「反抗」しただけ。


自分が真っ直ぐな時、
何かを伝える時にそこに感情の波はない。
確固たる冷静さと、威厳と、
そして、愛が根底に流れている。


そんな風に思うのです。



昨日、彼女と以上のことも含め、
いつも通りしゃべくったわけですが、
先週から私は色々と人をとおして反応を起こすことが多く、
彼女のも含め一週間で「3エピソード」起きたことを話すと
「デトックスんちゃう???」と。
(あ、これでまた誰だかわかっちゃうよ、笑)



そうか。
もうすぐ新たな年を迎えるのか。


思うに。


来年は全ての人に対して
新たな旅への切符が渡されるのだと思っています。
それぞれの道で。それぞれの旅へ。



なので、ここぞとばかりに
(私の場合は)デトックスが起きている、
というのも分からないでもないですが、


なんかもうゆっくりしたいなあ〜〜〜、笑。



ゆったりと楽しく、
LOVE溢れる年末を過ごし、
LOVE溢れる新年の幕開けを迎えます!
(アファメーション)



そして、そろそろ
「おバカで、オモロくて、はっちゃけた私」を呼び戻しますか!

(長い年月、真面目にやりすぎた)





そうだ!
サウンドブログというミッションが!
(年内、明るい楽しいサウンドブログ、やる!)




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自分のハートを守るもの

2022年12月02日 | 生きていると
ここ数日、ちょっとしたトラブルのような、
個人的に頭を抱えてしまうようなことがありました。


既に平和な解決に向かっているので
心のザワザワは落ち着いていますが
私自身もこの件で改めて気づくべき点があると思っています。


二つ気づいたことがあるので、
今回はそのうちの一つについて
お話をしようと思います。


具体的に何が起きたかというのは
割愛させていただくとして。
結論だけになってしまうけれど。


今日のタイトル「自分のハートを守るもの」
というのは・・・


私たちはこの社会に生きてゆく中、
個々の文化や、社会の在り方、常識、
多くの情報、多くの価値観に
何かと「縛られ」「翻弄され」
「本当の自分を見失う。見つけられない。」、
そのような体験をすると思うのです。


いや、毎日が、
そこのところを試されているように思うのです。


自分のハートを守る、
というのは、
上に書いたとおり、
「本当の自分を見失う、見つけられない」状態から
自分を守る、とも言い換えられますが、


それらをどうやって守るのか。


それは自分の心が愛してやまないこと、
から絶対に離れない、ということだと思います。


もしくは、
自分の心が愛してやまないこと、
を絶対に見つける、ということだと思います。


古い友人と接していて思いました。
彼はミュージシャンであり、作曲家であり、作詞家であり、
現在はアーティストのプロデューサーでもあります。


どこかのレコード会社や事務所に所属している訳ではありません。
長きに渡って、自分一人でやってきた人です。
アーティストのプロデュースから曲作りから、
マネージメントから営業から、
何から何までやってきた人です。


話を聞くにつけ、
とてもつもなくダークな人たちもいる、
ドロドロした空気もあるその「業界」を、
彼は生還してきた訳ですが、
それはそれは色々揉まれてきたのです。


それでも
彼が決して許さなかったのは、
彼の「心」までも持っていかれることです。


その彼の心を今でも守りきっているものとは、

彼の音楽への愛です。
いいもの、面白いもの、かっこいいものを作る、
ということへの愛と情熱です。


それは私が彼と出会った20代の時とちっとも変わらない。


もちろん、
実用的なこと、例えば、ちゃんとお金が回るようにする、
生活をする、ということを無視している訳ではありません。


「絶対に心だけは守る」


それだけは譲らない、
その上で生きてゆくと決めているのですから、
彼はそうやって生きているのです。


彼への音楽への愛が
彼の心を守っている。
そこは譲らない。
そこはブレさせない。


彼が意識的に決めているかどうかは分かりませんが、
今回あることが起きて、
「何が違うのだろう?」と思った時に、


ああ、そうか。
彼には「愛してやまないもの」があるからだ。
それが彼の心を守っているのか、と。


もう一人の人には、
まだそれがないんだ、と。



ふと今、読み返して思ったのは、
彼の純粋さ故、
そうじゃないことはやっぱできない、
そういうことだな、と思いました。


周りのやり方に流されそうになったけど、
合わせようと思った時もあったけど、
やっぱりできませんでした、あはははは、
そんな感じです。


自分が愛してやまないことを愛する、
それを自分に許すということは、
自分への愛以外の何物でもない。


ある意味、降参することなのかもしれません。



周りのやり方に流され、合わせ、
苦しんでいる人たちというのは、
自分の心にまだ降参したくないのでしょう。


知らない世界に降参するより、
知っている世界で苦しんでいる方がいい、
それもまた人間です。



でも、自分の心に降参した彼を見ていると、
「清水の舞台から飛び降りたら、後は飛ぶしかない」
そんな潔さと力強さを感じます。



自分のハートが何よりもパワフルであることを知った時、
そこにはきっとこれまで見たこともない世界が、
見たこともないビジョンが、可能性が広がっているのだろうと思うのです。



清水の舞台を例にすれば、


すっかりお寺の奥に住み着いてしまい、これからもそこにいる人、
あれ?と舞台の方に目を向けている人、
あれ?と舞台の方に目を向けて立ち上がっている人、
舞台の方へと歩み始めている人、
舞台まで来た人、
舞台のところまでは来たがそこで立ち往生してる人、
舞台の際まで来て、心臓バクバクさせてる人、


そして


舞台からついに飛び降りて、
落ちてくと思ったら、どんどん上に向かって高く飛んでいる人


自分のハートに降参して飛び降りた人は
もう上に向かうしかないのです。
そのまま落ちるということは例外なく、無い。



皆さんは今、どの辺りにいらっしゃいますか?








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