deep forest

しはんの自伝的な私小説世界です。
生まれてからこれまでの営みをオモシロおかしく備忘しとこう、という試み。

115・沖縄の海

2019-05-28 23:30:15 | Weblog
 フェリーは、まる一日と一時間をかけて海を渡り、ついに沖縄本島に接岸した。港に降り立ち、ここからは再びヒッチハイクの旅だ・・・と思ったが、少し趣向を変えてみる。せっかくはるばるとやってきた南の島なのだ。海を堪能しない手はない。そこで、この旅ではじめてバスに乗ることにする。バス行でいけるところまで北上し、そこから徒歩行で海岸線を南下してみよう、と考えたのだ。行きあたりばったりの人生には、アドベンチャーが必要だ。海には、それがあるにちがいない。
 港発のバスは、陸路を往く(あたりまえだが)。小一時間というところか。サトウキビ畑を縫い、米軍キャンプの間を突っ切って、ノープランの旅人を名護という街で降ろした。もう日も暮れかけている。はやいところ、寝ぐらを探さなければならない。具合いのいい公園を見つけ、汚れた衣類を水道で洗濯し、洗ったものを草っ原にひろげて干す。その中心に寝そべり、一晩を明かすことにした。ハブの襲撃が怖いが、周囲に展開する垢染みの靴下が防衛ラインとなっている。この必殺の結界を信じるしかない。常夏の沖縄とはいえ、3月4月またぎのこの時期の夜は少々冷え込む。着られるだけの長袖を重ね着し、夢の中に逃避する。
 翌朝、毒ヘビの餌食になっていないことを確認し、新たな冒険の旅に出発だ。潮にやられたような色合いのシャッター街をしばらく歩くと、海はすぐに見つかった。沖縄県の地図を思い出せばいい。名護では、西に、つまり朝日の反対側に向かえば、自然と海岸線に出るのだ。
 名護の海を見た瞬間、「うつくしい!」という感動・・・はやってこなかった。確かに水は澄んでいるが、ひろびろとしていない。両サイドから岩塊が迫ってきて、ひどく窮屈な印象なのだ。そのために、せっかくのビューがカラフルに映えることなく、黒主体となっている。まばゆいばかりのエメラルドブルーを期待していたのに、ちょっと拍子抜けだ。しかし、海岸線を形づくるサンゴと岩の彫刻は興味深い。水面から突出した岩礁は、軟質で浸食されやすいのか、下部の波打ち際が異様に削げてくびれている。まるで、巨大な頭を細い首がかろうじて支えているかのようだ。そのたたずまいは、かの頭でっかちな門「守礼門」そっくりだ。なるほど、これに想を得てのあのデザインか、とひざを打ちたくなる。
 海辺には潮騒が響くのみで、浜を見渡しても、人っ子ひとりいない。浅瀬をのぞき込んでみると、そこは白砂でも、鮮やかなサンゴ礁でもなく、黒くてゴツゴツした岩場だ。その水中の岩陰に、瑠璃色をした小魚がキラキラとひらめいている。さすがにこいつはきれいだ。ただその周辺には、野太いナマコがにょにょにょっと横たわり、そのすき間に、ときんときんのウニが転がっている。そんな風景が、海一面にひろがっているのだ。岩礁に寄せる波間に敷き詰められた数知れない原始生物の光景・・・まさに地獄絵図ではないか。ちょっと足でも滑らせようものなら、にょにょにょとときんときんのベッドに飛び込むことになる。こんな危険な足場を、ここから島の南端に至るまで、綱渡りのように歩いていこうというのか、このオレは。どこでなにを間違えたのだろうか?
 しかし、オレとて冒険者を自認する男だ(ゆうべ、急に自認したのだが)。ゆくと決意したら、ゆかねばならぬ。水面から頭を出した最初の岩へと足を踏み出し、一歩、また一歩と慎重に安定を確保しつつ、踏査を開始する。このあたりの岩礁は、ゴツゴツとげとげと、異様なほどシャープに研ぎ抜かれている。なめらかな部分がなく、足の裏に受ける感触はまるでガレ場だ。転んだら、あのボーリングのピンほどもある大ナマコの群れにたどり着く前に、カミソリのような岩肌で、ズタズタの血まみれにされることだろう。しかしそのゴツゴツ感こそが、この豊饒の海を生成しているにちがいない。不意に波間にひらめく熱帯魚の色彩の多様さと言ったらどうだ。彼女たちは、この原始的な海だからこそ、環境と共生して長らえることができたのだ。南の魚とは、なんと南っぽい色をしていることか。翻って、金沢の海を泳ぐ魚たちの寒々しさを思う。あのおいしそうな色ときたら、なんと北っぽいことか。
 そんなこんなを考えながら、注意深く、息を詰め、次の一歩の出しどころを先の岩先に見つけていく。まったく、なんという試みをはじめてしまったのだろう。ところが、この陰鬱な海の光景が、次の瞬間には一転するのだ。

つづく

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114・ヒッチハイカー

2019-05-23 09:33:32 | Weblog
 トラックの運転は孤独だ。そうした修練の時間を過ごす運ちゃんたちは、見てくれは粗野でも、心根はやさしい。やさしいが、説教くさい。ヒッチハイクの学生を拾うという行為は、純粋な博愛から発生していると思いたいが、彼らが話し相手に飢えている、という事実も同時にあろうかと思う。あるいは、眠気覚ましのオモチャが欲しいのかもしれない。とりあえず、拾われた者には、そのニーズに応える義理が生じる。乗せてくれる運ちゃんとの会話は、ヒッチハイカーにとっては務めであり、ご恩返しなのだ。それに、せっかくの機会だ。積極的に語らい、見聞をひろめたいというものだ。
 乗せてくれる運ちゃんは、例外なく饒舌だ。そして意外なことに、誰もが思慮深い。いろんなトラックの、ゴミが散乱する助手席に乗り込んで、ずいぶんと多くのことを学ぶことができた。地平線のはるか向こうにまでつながる一本道をひとりきりで走り抜く彼らは、まるで哲学者のように人生観を語ってくれる。その長い走行距離が、瞑想の時間のように彼らを心の内へと向かわせるのだろうか。ひとりひとりが、孤独の中でたっぷりと練り上げた意見を持っている。それでいて寛容で、ユーモアがあって、快活で、心配りがゆき届いていて・・・これまで考えていた運ちゃんのイメージ(どちらかといえばネガティブな)を改めなければならない。この旅では、旅先よりもむしろ移動中に、素晴らしい出会いを経験できた。この旅路は、最終的に日本を半周するほどのものになるのだが、結局のところ目的地は「トラックの助手席」だったのではないか、と思えるほどだ。その席で、オレは確実に大人にしてもらった。
 さて、行き先を決めていないヒッチハイカーは、トラックを乗り継ぎ乗り継ぎ、西へ向かううちに九州に入り、さらに南下するうちに、鹿児島へと行き着いてしまった。西鹿児島駅のあたりで最後のトラックから降ろされ、街をぶらぶらと散策していると、港に大きなフェリーが停泊している。見ると、「沖縄本島行き」ではないか。日本の半分を横切ったついでに、最果てまで征服してみるのも一興だ。沖縄本島までは、二十五時間の海上行だという。勢いで飛び乗ってみる。南の島なんて生まれてはじめてなので、ウキウキする。
 抜ける晴天、穏やかな凪。浮かれ気分でデッキに寝そべり、むき出しの日光を浴びる。数日間に渡る千キロ超えの陸路で、からだ中の関節と筋肉がゴリゴリに固まっている。トラックのせまい助手席に長い背中をたたみ込んで過ごし、布団のある宿にも泊まっていない。夕暮れ時に拾った車で夜通し走り、気温が上がる日中に公園のイスや芝生で眠るという、キャンプですらない野宿の旅なのだ。ひとの目を気にしての、肩身のせまいホームレス暮らしだった。それに比べて、こののびのびと心をひらく南海の潮風の下での、心地いい眠りときたら。
 フェリーは広大かつ頑丈で、まるで小島のようだ。長周期のリズムで、ゆったりと揺れている。360度にひろがる水平線は、視線を吸い込んでいく。その光景は、気が遠くなりそうなほど壮大だ。何時間見ていても飽きるということがない。丸く遠ざかる海の果てを見つつ、自分が住むこの星を見ているのだ。それを考えると、この巨大なフェリーですら、波間にちょんと浮かぶ木の葉のようなものだ。なんだか途方もない着眼ではないか。そんなデッキ上もいいが、艦内の大広間もなかなかの雰囲気を醸している。ここは乗船客の雑魚寝場なのだが、陽気な三線の音が響いている。興の乗った巷の名人による生演奏だ。それに合わせて、島んちゅたちが好き勝手にカチャーシーを踊っている。彼らは、もーあしびーという、月夜に浜で踊り明かす美しい文化を持っているのだ。あれの簡易版というわけだ。実におおらかな風景だ。
 行き先の本島が近づくにつれて、海上に小島が現れはじめる。フェリーはそれらの点と点を結び、義理堅くめぐる。小さな港に接岸する度に人々の乗降がある。三月末のこの時期は、南の島々でもひとの出入りが激しいようだ。どこの島でも、観光客のみなさま、めんそーれー、をやっている。そして島んちゅ同士で、いってらっしゃい、おかえりなさい、さらには、さようなら、元気で・・・いろいろな出会いと別れがある。岸壁は、どこの島もひとでいっぱいだ。いや、少ない人々が総出で、といった感じだ。そこには、いろいろな表情がひしめき合っている。はじける笑顔、切ない泣き顔、叫び声、無言・・・再会の破顔一笑、頰ゆるむ安堵もあれば、別れの痛切、胸締めつけられる哀訴もある。
 島の学校を離任する先生だろうか。島の風景を眺めるオレの横で、デッキから岸壁に向かって大声を張り上げている男がいる。彼の手の平には、紙テープの束がしっかと握られている。フェリーの船尾から流れるそれは、空で花火のように盛大に開き、南風にたなびいている。しかしいったんひろがったそれは、もう一度意思を取り戻して港へと向かう。そのテープの一本一本の先は、鼻を垂らした大勢の泣きべそたちの手の中におさまっている。幼い子らは、めいめいにテープの片方の端を・・・絆に似たものを握りしめ、声の限りに叫んでいる。男もまた、応えている。その残酷なような、幸福なような、深いもののこめられた光景に、こちらもほろりとくる。
 フェリーは小さすぎる港を離れ、舳先は波を切って進み、速度は距離をつくり、海に大きな隔たりがひらいていく。歓声は耳に届かなくなり、男の声は枯れた。テープは張り詰めてちぎれ、春の潮風に散ってしまった。小さな泣きべその並んだ島影が、遠くに消えていく。ヒッチハイクの旅人はひとり、ぼんやりとそれを見つめる。

つづく

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113・旅

2019-05-22 08:27:56 | Weblog
 今日も今日とて、大学の講義終わりの午後6時に彫刻展ジムショに詰めているわけだが・・・毎夜毎夜こうしているうちに、だんだんとバカバカしくなってくる。作家たちへの手紙はほぼ書き終え、投函しきった。ひざ詰めの方向性議論にも、芸術論を闘わすのにも飽きた。酒ビンも空になった。あとは電話番だけとなると、さすがにジムショに顔を出すアタマ数も減ってくる。少人数で、ぼんやりと過ごす時間が多くなる。すると、ふと、自分たちは教授陣の野望につき合わされているだけなんじゃないのか?という本質的な疑念も湧いてこようというものだ。つまり、この彫刻展とはオトナたちの政治的な何事かであり、学生はその下働きに無給でこき使われているに過ぎないのでは?という。間違いなく、その一面はあるのだ。ただ、自分たちの勉強にもなるよ、というおつりのような意義が発生しているため、この全国規模の展覧会という得難い機会の裏方に精を出している(つき合っている)と言っていい。が、その意義を強調してもなお、この時間の食わせ方、自己犠牲には疑問が残る。もっと学生時代という貴重な時間にするべきことはあるんじゃなかろうか・・・?
「旅に出ます」
 オレは唐突にそう宣言し、旅支度をはじめたのだった。年度が明けようかという春休みのことだ。元来、大勢でたむろしたり、他人とツルんだりするのが苦手なタチだ。ひとりになれる時間が必要だ。そしてオレは、いくと言ったらいく、という人間になっていた。つまり、独立独歩のひとに。この時点における残存兵たち、すなわち、マッタニ、大将、ピロくんは、人畜無害と思われた副委員長からの意外な言葉に、キョトンとしている。
「帰ってきたら、また馬車馬のように働くから」
 捨てゼリフを吐き、バッグをかつぐ。バッグとは言っても、リュックでもトランクでもなく、肩からななめ掛けの大袋だ。中に入っているのは、最低限の着替えだけ。金は、持っている最大限をポケットに押し込むが、心細いその額はむしろ旅先で生きる上での最小限とも言える。いくあてはない。とりあえず、目指すは南だ。水と気温さえあれば、死ぬことはなかろう。とにかく、この拘束のストレスを吹き飛ばす諸国漫遊に出立するのだ。交通手段?もちろん、ヒッチハイクだ。
 断っておくが、「電波少年」で猿岩石(有吉の漫才コンビ)が大陸をヒッチハイクするよりも、はるか以前の話だ。お手本はいない。自己流に考え詰め、北陸道の金沢西インターチェンジのたもとで車を拾うことにした。より正確に言えば、インターまでたどり着く道のりも、ヒッチハイク行だ。市内の幹線道路で、貧乏学生の困惑顔が手を挙げていれば、お人好しのドライバーが拾ってくれる、というのんびりとした時代なのだ。とにかく、高速道の入り口に立ったのだった。
 せまい日本国内でのヒッチハイクは、ひどく貧相な光景だ。アリゾナの広大な平原を貫くルート66沿いで乾いたブルースハモニカを吹きつつ通りがかりのキャデラックを待つ、というようなかっこいい画づらにはなり得ない。気まぐれに停まってくれる車もあるが、現実は厳しい。背の低いビルの谷間をうねる細道には、軽乗用車がひっきりなしに行き交い、排ガスと粉塵を撒き散らしていく。そんな道路脇のせま苦しいスペースで、スケッチブックに「米原方面」と大書し、頭上に掲げて指し示す。親指を立て、やみくもな笑顔を振りまいても、疾過する車のスピードは少しも落ちない。ウインドウ越しの彼らの表情は、かわいそうなものを見てしまった渋顔か、あるいは苦笑いのあきれ顔だ。時代はすでにバブル期に突入している。迷子の子犬のみすぼらしい哀願など、およそ場違いに見えているにちがいない。それでも、ふとこの姿を視界の端に入れ、ブレーキを踏んでくれる者もいる。それは決まって、長距離を走る大型トラックの運ちゃんだ。

つづく

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112・方式

2019-05-21 08:37:12 | Weblog
 わが校の彫刻科では、基礎をみっちりと仕込まれる。教授陣が最も重きを置くのは、質感、量感というプリミティブな要素だ。奇抜で装飾的な、つまりウケそうな形をつくってみたところで、そんな面白さには意味がない、と一蹴される。重視すべきは「素材の持つ力」、表現すべきは「原始的な強さ」である、というのだ。彼らは、びっくり箱のような現代美術を蔑視し、即興的で芝居がかったポップアートを嫌忌する。そして、メキシコの古代文明の遺跡や、ギリシャのキュクラデスなどという原始人の手慰みのような彫刻を信奉する。まったく、古くさいことこの上ない。それでも、その根幹となる考え方を丹念に植えつけようという姿勢には共感を覚えるし、正しいと思いたい。のちに他の芸術系大学(日本を代表するような)の卒制などを観る機会に、なるほど、愉快だが、チープだ、と感じさせられたものだ。それらは華々しくてかっこいいが、素材に対する思想の血肉が不在で、中身はスカスカに思える。いつの間にか、自分の審美眼も磨かれていたわけだ。とは言え、彼らの作品の方が格下だ、と言っているわけではない。芸術には、いい悪いはなく、好き嫌いがあるのみだ。作品評価の基準はそれぞれに別物なのだし、そもそもこの意見の隔たりは、方向性の違いに過ぎないのだから。次の例で納得してもらえるだろうか。
 「小役人の子が通う美大」とうまいことを言う先輩がいたが、それがわが美大の性質を端的に表している。純朴で真面目な学生が多い、と解釈できようか。逆に言えば、この美大からセンセーショナルな大芸術家は生まれ得ない。デザイン科においても、「カラーチャートをつくる」などという地道な作業を手描きでコツコツとやらされている。そんな頃に、東京のデザイン系に進んだ同級生に会いにいくと、彼らは米軍ハウスに共同で住み、オープンカーを乗りまわし、ポパイやホットドッグプレスを読んでいるにちがいないファッショナブルな出で立ちで、大都会の最新スポットを闊歩している。金沢のデザイン科生がそんなマネをしたら、周囲から冷ややかな目で見られ、袋叩きに遭うはめになる。だからわが同胞は、重く雲のたれ込める田舎のアパートにこもり、パレット上でせっせと「ターコイズ・♯40e0d0」を正確に調合する。そして、企業から「基本のできた子」としてありがたがられるわけだ。一方で、東京のデザイン系を出たわが高校同級生たちは、就職するといきなり大活躍をしてみせ、たちまちひと桁違う給料をもらう。センスにおいて、田舎者と圧差をつけてしまうのだ。彼らは、ポパイやホットドッグプレスを読んでマネていたわけではなく、逆にその半歩を先んじていたのだ。彼らこそが最先端を創造していたわけだ。そんな彼らをマネて、ポパイが刷られるのだ。彼らにとっては、派手な生活っぷりこそが勉強そのものであったと、のちのちになって気づかされる。
 わが美大のバンカラ方式と、大都会のチャラチャラ方式、どちらが正しい、とは一概には言えない。どちらも正解と言えるし、どちらも不正解とも言える。しかし、とにかくわが美大では、地べたを這いずるような基礎の醸成が重要と考えられているのだった。オレもまたリョージ助教授の元で、芸術のなんたるかをみっちりと仕込まれ、ものの本質の捉え方を学ばされ、考え方そのものを叩き込まれる。

つづく

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111・教授と助教授

2019-05-20 07:58:40 | Weblog
 彫刻科の先生は主要人物が三人で、教授と、助教授と、講師が一人ずつに、その他に非常勤の講師陣が何人かいる。科のトップに君臨するキヨシ教授は、大変に偉いお方で、普段は東京で制作をしておられ、年に数度だけ金沢まで足をお運びになられる。その閣下を空港までお迎えに上がり、いろいろとお世話をするのがリョージ助教授で、このひとは教授様にどうにも頭が上がらない側近的存在だ。そのラインの下に、前にも出てきたヤクザな風体のダイジロー講師がおり、さらに最下層をフリーランスじみた非常勤チームがうろつく、というヒエラルキー構造になっている。
 さて、キヨシ教授が金沢に現れると、現場は大わらわになる。粗相などあってはならない、丁重にもてなさなければ、姿勢を整えよ!の緊張感がみなぎるのだ。このキヨシ教授は石彫作家なのだが、実に素晴らしい作品をおつくりになられる。ここだけは皮肉でも冗談でもなく言っておかねばならないのだが、彼は本当の大人物だ。背筋にくるほどに感動的なものを生み出す大作家様、本物の芸術家様である。日本の彫刻界での格においても、リアルランカーだ。石の素材感、それを生かした強い形、そこに込めるべきエレメント(←大先生が好んで使われる単語)・・・それらを人生を通して考え抜き、表現活動することに命を賭けている。それだけに、学生の作品に対する評価にも容赦がない。一瞥し、こっぴどく言い散らかし、ぷいと歩き去る、といった具合いだ。最悪の場合、仕事っぷりが気に入らずに怒り出してしまうこともある。まことに始末に負えない人格なのだ。が、その論評は、周囲が口を差しはさむ余地がないほどに的を射ていて、納得のいく意見なものだから、どやしつけられた者も「ははーっ、ありがたきしあわせ!」と恐れ入るほかはない。近寄りたくはないが、一声掛けられるだけで書物10冊分の勉強になるという、稀有な価値を持つお方なのである。
 その下のリョージ助教授には、日頃から可愛がってもらっている。毎夜のようにアパートに呼び出さ・・・招かれ、「マドンナ」という、彼の大好きな甘ったるいドイツワインを飲ませてもらう。50がらみだが、ひどく老け込んだ顔貌で、まるでしなびたへちまのような風采をしている。大量のコーヒー摂取のために黒ずんだ頰はげっそりと肉がそぎ落ち、疑心を決して解かない目は深く落ちくぼみ、ゴマ塩のボサボサ頭、小柄、猫背、タバコのせいで淀んだ体臭・・・好意的に表現すれば、なるほど、その姿は芸術家然としている。男やもめの独り暮らし。ボロボロのアパートのめちゃくちゃに散らかった部屋の奥には、秘密の小間があり、彼の作品群が雑然と置かれている。薄汚れた空間の中で、その一角だけは、オレの目に光り輝いて見えている。左様、リョージ助教授もまた、掛け値なしに素晴らしい作品をつくるひとなのだ。塑像、つまり人体の具象彫刻の作家である彼は、粘土やロウを用いて、テーブルにのるほどの小作品をつくり、それを鋳込んでブロンズ像にする。人体彫刻というと誰もが、街角に突拍子もなく出現する例のくだらないすっぱだか女・・・つまり、なんのアイデアもないワイセツなシロモノを想像するだろう。しかし、リョージ先生のものはあれではない。常に「生き死に」というテーマを作品に織り込み、精神性をニンゲンのカタチに昇華させて見せてくれる。抽象彫刻を具象化するとこうなる、と逆説的に言いたくなる作風で、まったく不思議な世界観だ。彼のつくり上げる人体は、人体の形をした普遍的な記号なのだ。新作を見せられるたびに、魂が震えるような気分にさせられる。オレが彫刻家であった期間は短いけれど、その間ずっと、リョージ先生を敬愛しつづけ、そのつくりだす作品に憧れつづけた。
 そのリョージ助教授が、キヨシ教授が現れた途端に、ドタバタのあわてものキャラに変貌し、七転八倒を演じはじめる。それはもう絵に描いたように滑稽な太鼓持ちの姿で、常に傍にいる身としては、なんとも言えない苦々しさと嫌悪とが入り混じった気分にさせられる。

つづく

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110・パートタイマー

2019-05-19 18:07:02 | Weblog
 今回展のコンセプトを決め、文面に起こし、主旨に沿った彫刻作家をリストアップしていく。とは言っても、毎度出展してくれる陣容は決まっている。あとは紹介によるひろがりに期待しつつ、美大卒業生、交流のある東京方面の芸術系学生たち、それに教授連の推薦する作家たちを挙げていく。その教授たちが、面倒なことに「今回は彫刻ばかりでなく、建築も絡ませよう」と言い出した。建築の知識など皆無だが、上様の意向は無視できない。一夜漬けで勉強し、インスタントな知識をつけるしかない。結局、学生たちの主催とは言っても、「教授たちがやりたい展覧会」の下働きをさせられているに過ぎない、との思いがぬぐえなくなっていく。
 ジムショに集まって、応募要項の文面を考える。格調高さが必要だ。なにしろ、出展料(参加費)が35000円という公募展だ。作品制作者のやる気を掻き立て、参加をそそのかす訴求力を込めなければならない。委員会メンバーは、アホの頭をフル回転させて文言をしぼり出し、辞書と首っ引きで適切な言葉を選り抜き、かっこよろしきを得られるように字づらを並べていく。そうしてついに要項が完成すると、招待状の宛名書きだ。最終的に100人強ほどが応じてくれると皮算用し、その数倍の連絡先をリストアップして書き込んでいく。参加人数が100人を割れば、恐ろしいことになる・・・つまり、借金だ。このあたりまでは、クラスメイトの誰もが必死だった。
 毎日、午後6時にジムショに集合。すね毛を突き合わせて話し合い、要項を折り込み、封筒に入れ、切手を貼り、宛名を書き・・・まるで家内制手工業のパートタイマーのように手を動かしつづける。ジムショにはピンクの公衆電話が引かれていて、10円玉を入れれば通話できるようになっている。こいつも使わない手はない。が、アホのマッタニと、口数の少ないオレは、その任には向かない。相手の調子に合わせるのがうまいピロくんと、海千山千の大将が、電話営業を展開する。展示場所の設定と手配もしなければならない。彫刻は、でかいわ、重いわ、移送に手間がかかるわ、設置場所が傷つく恐れがあるわで、展示はあまり歓迎されない。そのあたりの交渉には、平身低頭、一張羅スーツ姿のマッタニがあたる。ポスターやチラシの制作も重要だ。学内に絵画系やデザイン科があるのだから、その学生を使えばいいと考えるのが普通の感覚だが、素晴らしき教授陣が、自分の御用達のデザイナーを使いたがる。この人物のデザインがつまらない上に、制作料金がバカにならない。出ていく費用と入ってくるはずの金額を見比べると、気が滅入る。疲労が蓄積する。元々の熱量もそれほどではない。入れ込んでいるのは教授陣ばかりで、丸投げされるこちらはへとへとだ。徐々に作業に嫌気が差し、ひとり減り、ふたり消え・・・と人員と労力は細っていく。彼らは「今夜はリンゴの日だから」などと理由をつけて、ジムショに姿を現さなくなる。「ふぞろいの林檎たち」という人気ドラマが放映させるので、バカバカしい折り込みなどやっている場合じゃない、というわけだ。チャラ造たちのこのエクスキューズには、失望を通り越して、羨望を感じてしまう。一大事業を成し遂げようという価値の尊さはギリギリ理解するが、四年しかない学生時代の貴重な一年間を、宛名書きのような些末な作業に忙殺される意味を見出せない。部活は早上がりするしかないし、バイト時間も犠牲にしている。なにより、夜間の作品制作時間が削られてしまう。なんてえらいことを企ててくれたんだ先達たちよ、と呪詛を呟きながら、昨日も今日も明日もジムショに通いつめる。
 大人になった今となって振り返っても、これほどのバカでかい美術展を開催したというのに、「充実してたぜ!」という感慨は不思議と希薄だ。むしろ、働かされたなあ、という徒労感だけが残っている。展覧会は、観るにかぎる。主催しては(させられては)ならない。ただ、まあ、「芸術界を広く見る」という勉強にはなった。

つづく

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109・大将

2019-05-18 08:32:48 | Weblog
 ジムショでは連日、彫刻展運営委員会によるひざ詰めの会合が開かれている。首脳陣は、委員長であるマッタニ、それを補佐するという名目で副委員長の肩書きを賜ったオレ、書記のピロくん、そして会計の大将・・・といったところだ。
 さて、マメで気が利いて心優しいピロくんは、喧々囂々の議論を穏やかにまとめる役回りの書記に打ってつけだとして、新キャラの「大将」の説明をせねばなるまい。大将は、そのニックネーム通りに、みんなの重しになってくれるクラスの重鎮だ。ボスと呼んでも異論は出ないほどの大人物なのだが、今回はマッタニに花を持たせる形となっている。大将のたたずまいは、同級生ながら、まるで長老のようだ。それほどの面構えと風格を身にまとっている。なにしろ、四浪している。四年間、首都のあの芸大を受験しつづけ、五年めについにあきらめてこの北陸の美大に流れてきた、というツワモノなのだ。四浪を経た大学3年生ともなると、大学院の最恐怖の先輩たちよりも年上になってしまっている。なので、我々同級生内における彼の振る舞いは、自然と引率の先生のようになる。それほど格が違う。この怪人物は、お年も召しておられるが、風貌がまたものすごい。パンチパーマのようにクリンクリンの剛毛頭に、四角四面の顔の下半分が剛直なヒゲにうずまっている。いや、正確にはそれは「ヒゲの剃り跡」なのだが、なにしろ針金のように太く硬い毛質なので、午後にもなると口周りが黒々としてしまう。顔が、もさもさとつるつるとイガイガという多層構造になっているわけだ。顔の下半分は荒目のヤスリのようで、タオル地の布が触れでもすると、マジックテープのように引っかかってピタリとくっついてしまう。いったん着たTシャツをのちに脱ぐことが困難となるため(繊維に対して、ヒゲが逆目となるのだ)、彼はボタン付き前開きの衣類しか着ない。顔の造りがかくも豪快であるなら、肉体は当然のごとくにムキムキにイカツイと思うだろう。ところが服を脱ぐと、ほっそーいガリガリのなまっちろいからだが姿を現す。そこに、立派な腕毛、胸毛、そして背毛までがもうもうと風を受けてなびくのだ。肩の鎖骨上にまで毛が並んで生えているという念の入れようは、まるで異世界の人類を見るようだ。そんな異形の風体でありながらもこのひとは、心根がこよなく優しいんである。善人を絵に描いたように穏やかな性格で、誰に対してもフェアで、誰をも愛し、誰からも慕われ、信頼され、愛されている。熊の毛皮を羽織った神父さま、みたいなものか。こんなスーパーな人材なので、先輩たちも放ってはおかない。当然のようにドラフト一位で石彫部屋に引き抜かれ、最精鋭軍団の明日を背負う者として期待されている。そうして怖い先輩たちとの架け橋となってくれ、また同級生たちのゆき届かないところは身を呈してフォローしてくれるのが、われらがボス、大将なのだ。時に仏様のように、時にお不動様のように立ち回ってくださる大将は、このクラスにとって、余人をもって代えがたい存在と言える。
「木炭デッサンした後の真っ黒な手ぇでな、バイトいくやんか」
 徳島のお国言葉で、大将は語る。美大生は、木炭を用いて人体デッサンなどをするため、いつも指先は墨のように真っ黒なのだ。彼は、回転寿司チェーンで、酢飯を握るバイトをしている。
「で、バイトが終わるとな、指紋の溝までツルッツルのピッカピカなっとんねん」
「わ・・・悪いひとですね、大将・・・」
 大将は放埒に、ぐわっはっは・・・とは笑わない。なははーっ、と軽い笑い声を発する。ずっしり、重しとして機能しながら、いつも周囲を和ませてくれるこの態度も素晴らしい。要するに彼は、クラスにとって宝物のようなお方なのだ。

つづく

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