deep forest

しはんの自伝的な私小説世界です。
生まれてからこれまでの営みをオモシロおかしく備忘しとこう、という試み。

4・人気者

2019-07-28 07:12:22 | Weblog
 一日にして、人気者になっていた。校舎の廊下を歩くと、生徒たちが駆け寄って「センパイ!」と声を掛けてくる。「先生」ではなく、なぜか誰も彼もが、このオレを「センパイ」と呼ぶ。微妙な気分だ。お近づきになってくるのは、ワルい感じの生徒ばかりだ。いわゆる、成績が悪く、教師たちからうとまれ、親からも邪険にされ、夜の校舎の窓ガラスを壊してまわり、ぬすんだバイクで走り出す、支配からの卒業を望んでやまない手合いだ。オレはこれまでの人生において、その手の種族とはついぞつき合ったことがないので、戸惑うばかりだ。しかし彼らは、この新米教師を深く敬愛し、リーゼントをマネたソリコミ角刈り頭の下に、憧れの眼差しをくりくりと輝かす。コイツならわかってくれるかもしれねーぜオイラの心の傷を、というわけだ。なんというお門違いだろう。しかし、光栄ではある。
 そこでオレは、やつらを取り立ててやることにした。美術の時間に、モデルとして起用するのだ。
「おい、今日の授業、モデルやってくれや」
「いいっすよ、センパイ」
「好きな格好してくれてえーから」
「やったっ」
 彼らは嬉々として脱ぎはじめる。頼みもしないのに、パンイチにまでなってくれる。そして意気揚々と教卓によじのぼり、思い思いのポーズを取るのだ。その肉体の素晴らしさときたら、ラグビーで鍛えたオレも気後れがするほどだ。ケンカのためか、女のためか・・・とにかく、ここぞという場面のために、彼らは準備を怠らない。このワルたちは、ただただ自尊心と自己顕示のために、ここまで禁欲的に自らの肉体をいじめ抜くことができるのだ。彼らはだらしないわけでもなまけ者でもなく、自分の思いに正直なだけで、まったく生真面目なのだ。しかも、いったんポーズを取ったら、20分間、みじろぎもしない。たいした精神力ではないか。なんとなく、じんとくる。
 そんな彼らからは、よく相談を持ちかけられる。
「ナマでやったら、女が妊娠しちまって・・・」
「マジ、親を刺そうと思うんだけど・・・」
「こんなとこさっさと中退して、職人やりてーんだよ・・・」
 重すぎる・・・オレだって、まだ人生の先も知れない22歳のぺーぺーなのだ。どんなアドバイスをすればいいのか、さっぱりわからない。仕方なく、彼らを忠節の変人巣窟アパートに呼び、すね毛を突き合わせてビールの酌のやり取りをする。この年頃には、アルコールがいちばんなのだ。オレの高校時代もそうだった。酒で、心の問題のすべてを解決してきた。ひどい教師だが、こんなとき、酒以上の助けがあるだろうか?
 夜は一転して、お行儀よろしく、中学の優等生たちの世話をしなければならない。塾講師とは言っても、町の小さな私塾だ。二階建ての物件を丸ごと借り上げた造りで、教室が三つばかりと、事務所が一室あり、教師は五人ばかりが在籍している。オレは一年坊の数学を教えるわけだが、これがどうにも難しい。授業の構成を組む前に、内容の理解から入らなければならない。テストテストでごまかしてばかりもいられない。がむしゃらに勉強するしかない。予習、復習を少しでも怠ると、授業の進行についていけなくなる(くり返すが、先生であるオレが、だ)。そうして、なんでも知っている先生、というテイでガキどもに接している。なかなかの苦痛だ。頭のいい生徒たちは、そんな田舎芝居はとっくに見透かしているにちがいないが、とにかくオレは、すごい大学を出た数学教師という役を演じなければならないのだった。
 ところが、こちらでも奇跡が起きた。ある夏の夕刻だ。授業をはじめたところで、突然の暴風雨が襲来した。雷鳴が轟き、滝のような雨が打ちつけ、塾の建物が揺れるほどのものすごい夕立ちだ。子供たちは動揺し、ざわついてしまって、授業にならない。そこで、こう宣言した。
「30分後の7時45分に、この雨はピタリとやむであろう」
 子供たちは、そんなバカな、ありえない、といぶかしむ。ぱっと見、一週間も降りつづこうかという勢いなのだから。ところが、本当にその時刻になると、猛烈な雨はうそのようにおさまってしまった。それはまるで、モーゼが海を開いて道をつくったような、奇跡の出来事だ。大人なら、夕立ちが30分程度でやむことは常識として知っているものだが、13のガキどもにはこれが魔法のように見えたようだ。天気を操る男の降臨だ。こうしてオレは、この場所でも「神」と崇められるようになった。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

3・初出勤

2019-07-25 23:35:19 | Weblog
 いよいよ学校に初出勤だ。今日からこのオレも、いっぱしに高校の美術教師というわけだ。高校教師・・・なかなか聞こえがいいではないか。ただのバイトとはいえ。
 ところが、いきなり問題に直面だ。この私立男子校には、美術関連のなんの設備もないというのだ。だいたいどこの学校においても、美術の授業があるのなら、美術室というのがあるものだろう。教科書とノートが一冊ずつあれば事足りる学科の授業とは違い、この体験型教科には、ある程度の規模の空間と備品が必要なのだ。デッサンひとつをやるにしても、画板にイーゼル、そしてモチーフ(描く対象)がいる。版画や立体造形、彫刻、粘土細工をするなら、素材も道具も用意しなければならない。専門的な教育環境に飛び込んだオレのような者ならともかく、一年間限定の週一授業のために、いちいち道具やらなんやらを購入させるのは酷だろう(業者とつながった強欲教師はうまうまとこれをやるが)。さらに、実際に制作作業をするスペースに、備品や作品を保管する準備室、そして後片づけのための洗い場など、最低限のインフラは欲しいところだ。ところが、これがない。あれもない。なんにもない。あるのは、ご隠居さん待合い室の壁に備え付けの棚だけだというのだ。
「この段は全部、美術の先生が使っていいことになってます」
 そう言ってもらったが、書棚のようなこのスペースは、石膏像のような大きなものが収まる広さでもない。そもそも、収めるべき備品が絶無ではないか。
「だったら、少々の予算は出してもいいです」
 校長がそう言うので、とりあえずは生徒全員分のスケッチブックを要求した。ところが、これですでに予算の半分だという。残りの使い道を苦心惨憺して考え、水彩絵の具と手鏡を100点ずつ、なんとか確保した。教室というせまいスペースでできる美術の授業は、自画像くらいしかない!というわけだ。自画像に育てられたオレだ。これだけは自信を持って教えることもできよう。こうして、なんとか体裁だけは整えた。
 で、初出勤のこの日、はじめての授業というわけなのだ。が、なんとここへきて、注文品がまだなにも届いていないことが発覚した。ぎっしりと埋まっているべき棚が、すっからかんの空なのだ。おい、テメーこら、画材屋っ!とっとと持ってこい!・・・いやいやいや、悪態をついても仕方がない。あと五分で授業開始なのだから。始業時間ギリギリでやってくるオレもオレなのだが。
 キーン、コーン、カーン、コーン・・・
 ついに運命のチャイムだ。やるしかない。最初のクラスに乗り込む。生徒たちはみんな、興味津々の眼差しをこの新米教師に向けてくる。ここでなめられてはならない。
「えー、今日からこのクラスの美術を担当する、『すぎやま』です。ヨロシクっ!」
 杉・・・山・・・
 黒板に自分の名前を大書するという、あの憧れのやつをやる。気分は・・・まあ悪くはない。が、それよりも、今からやることが決まっていない。脇汗がすごい。ひざの震えが止まらない。大学の教育実習で金沢郊外の中学校に派遣され、すでに授業は経験ずみだが、あの緊張感とはケタ違いだ。今この瞬間に感じているのは、深刻な恐怖だ。スケッチブックも絵の具もない徒手空拳で、75分間のコマをなんとかやり過ごさねばならないのだから。いつまでも世間話をつづけたところで、間が持つわけがない。どうしよう・・・なにをやらせたらいい・・・?
「えー、そんなわけで~、美術大学を出て~、この学校の先生になったわけだが~・・・」
 生徒たちが、話に飽きはじめている。そろそろなにかをはじめなければ。もうノープランで突っ込むしかない。幸い、職員室の裏倉庫でわら半紙を見つけていた。勝手に持ち出したそいつを配る。わら半紙とは、昭和を知らないきみらにはわからないだろうが、つまり連絡事項をガリ版で刷ったりする(これもなんのことだかわかるまい)とき用の、ザラザラのちり紙だ。この時代は、ツルツルすべすべなコピー紙のごとき真っ白紙は高額で、チンピラ高校生が落書きに使うなどもってのほかというご禁制品だった。だから事あるごとに、このガサガサのわら半紙が活躍したのだ。こいつを画用紙代わりに、というわけだ。
 紙はなんとかゆき渡った。鉛筆は、生徒が各自に持っているシャーペンでも構わない。が、描くべきモチーフがない。自画像を描かせようと思っていたのに、鏡が届いていないのだから。窮したオレは、意を決し、教卓によじ登った。そして、スーツを脱ぎ、ネクタイ、ワイシャツをはぎ取り、上半身裸になった。クラス中にどよめきが走る。ど、よ、よ・・・
「ええい、自己紹介代わりだ。オレを描けい!」
 教卓上に立つ、奇妙な美術教師。それを見上げて、ゲラゲラと笑い声が湧き起こる。しかし、見上げた半裸の男が、空の彼方を指差すクラーク博士のポーズを取ると、生徒たちは不思議に静まり返った。そしてなんと、クラス中が一斉に鉛筆を動かしはじめるではないか。なんだ、こいつら、意外とかわいいところがあるぞ。

つづく

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2・岐阜

2019-07-09 10:04:07 | Weblog
 少年期に家族で新築の家に引越したのを皮切りに、大学時代のひとり暮らしで金沢市内の三軒のアパートを渡り歩き、卒業と同時に実家に戻って、さらにまたひとりで岐阜市内へ移るわけだから・・・生涯で六度目の引越しということになる。今回の引越しの理由は、通勤時間だ。羽島の片田舎にあるわが実家から、岐阜市の最果てにある職場の高校に通うには、あまりにも距離がありすぎる。実家からの電車通勤となると、竹鼻線という単線で終点の岐阜まで移動し、そこからチンチン電車で市内を横断し、これまた終点でさらに田舎路線に乗り換えて20分、という経路しかない。そんなシブい旅を、毎日繰り返すのは御免だ。というわけで、職場の近くに居を構えることにしたのだ。
 この引越しをするにあたっては、もうひとつの事情があった。高校の非常勤講師の薄給では食っていけそうにないため、夜の仕事をはじめることにしたのだ。例によって、自分から主体的に決めたわけではない。高校教師の職をオレに譲った先輩が、「ついでに夜にやってたバイトの方も引き継いでくれ」と言うので、「はあ」とふたつ返事をしていたのだった。夜の仕事とは言っても、酒、お水がらみではない。進学塾の講師だ。それも、なぜか数学の。共通一次試験で1000点満点を350点しか取れなかったこのオレが、数学の先生とは片腹が痛いではないか。しかも教えるのは、「中学・特Aコース」という、県下最高レベルの高校を目指す秀才中学生たちを集めたコースだという。昼間に最低脳のアホな子たちに美術を教えた後、夜には最高度の優等生たちに数学を教えるわけだ。まったく、奇妙なことになったものだ。そんなわけで、昼間と夜にはさまれた時間を過ごす待機場所を確保するためにも、岐阜市内にアパートを借りるか、となったのだった。
 岐阜の物価には驚愕させられる。東京都内の土地は、バブルの最盛期で「千代田区いっこを売ったら、カナダ全土が買える」というほどの狂乱物価だというのに、この破格値はどうしたことだろう?市内から少し外れた長良川のほとりに、「忠節」という美しい名前の駅がある。これが岐阜市街を流す路面電車(チンチン電車)の終着地点なのだが、この駅のすぐ脇に見つけた物件は、6畳の和室に6畳のキッチンダイニング、トイレ付き(風呂なし)で、家賃がたったの15000円だという。それどころか、お向かいの部屋は6畳一間だが、11000円だ。金沢でもこの衝撃プライスは聞いたことがない。確かにお値段に見合うボロだが、そういう美観にはまったくこだわらない性格なので、早々にここに決めた。
 せっかくの駅近だが、電車通いよりも、新しく購入した原チャリ「ジョグ」を日常の足とする。生活のベースキャンプが整い、新生活がイメージできはじめた。この更新感は、なかなか心躍るではないか。しかし、さすがは15000円の安物件、とすぐに思い知らされることになった。駅のすぐ隣とあって、踏切の警報音がけたたましい。電車が通ればガタゴトと振動がはじまるし、通過する際には意地悪のつもりなのか、プアーン、といつも警笛を鳴らしていくし、なかなかの環境だ。その上に、お向かいと両隣の住民のキャラが立ちすぎていて、落ち着くことができない。
 向かって左隣の親子は、常に大声でケンカをしている。ティーン男子と父親のふたり暮らしと見える(いや、聞き取れる)が、部屋内で顔を合わせるたびに(と推測できる)口汚くののしり合っている。とにかく、ずーっとやり合っているのだ。壁板がひどく薄いので、騒々しいというよりは、内容が気になって煩わしい。かと思えば、向かって右隣の住民は、こちらの生活音に異常なほどに厳しい。不思議なことに、ミニコンポの音楽が漏れたりするのは平気なようだが、水道の蛇口を締める「キュッ」という音や、鉄製の玄関ドアが閉まる際の「キイッ」という音には我慢がならないらしい。そうした音を立てると、すぐに間の壁が、どんっ、と叩かれる。はじめのうち、それがなにを意味するのかよくわからなかったのだが、どうやら彼の耳はコウモリのように高周波の音にだけ反応するようで、やがて、なるほど、その手の音を出さなければいいのだ、と理解した。そんなある夜、酔っ払って、水道の蛇口を派手に「キュキュッ」とやってしまった。派手に、とは言っても、普通のひとなら聞き流すか、まったく気づかない程度のやつだ。ところが、彼にはこの音が許せなかったようだ。翌朝、玄関ドアの郵便受けに、新聞紙に包まれた棒状のものが突っ込まれている。開けてみると、ボロボロに錆びた包丁だ。新聞紙には、「蛇口をしめるときは気をつけてください」と書いてある。心底、気をつけよう、と思った。それにしても、うるさい左隣に、音に厳しい右隣・・・この両住民が隣り合わせていたら、どんな凄まじい諍いになることだろう?そう考えると、オレという緩衝地帯の存在は、ひとつの抗争殺人事件を抑止し得ているのかもしれない。
 さて、残るはお向かいさんだ。このひとり住まいのおばあちゃんは、平和なひとだ。なにしろ、皇后陛下(昭和の)から直々に命を受けて、マッカーサー元帥からこの日本を守ってくれているというのだから。それを聞かされたときには仰天して、「こ、こ、皇后様にですか!?」と訊き返してしまった。すると、おばあちゃんは動ぜず、ニコニコと穏やかな口調で、ええ、通信機がありますの、と言う。部屋の中に通信機があるんすか?と訊く。するとおばあちゃんは、いえいえ、と言う。
「ここにありますの」
 おばあちゃんは自分の頭をこつこつと指差しながら、ニコニコと笑みを絶やさない。指令の電波がお脳の方に直接に届くんですの、ということのようだ。新しく築いたベースキャンプは、なかなかにハードボイルドだ。

つづく

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1・平成

2019-07-08 10:25:38 | Weblog
 わが学生時代の最後にきて、昭和天皇陛下がお隠れになった。天皇の御霊が昇天することを「崩御」というが、日本人はなんとも美しい言葉を考えつくものだ。かくて、皇太子殿下が新天皇の座に即位され、時代も更新された。平成の世のスタートだ。この「平成」のつづりも美しい。「地が平らになったら、天は成るよ」という意味らしい。要するに、社会が平穏になったら、世界は完成するよ、とでも解されようか。そんな時代が本当にくればいいのだが。かえりみて昭和は、争いごとと急成長という激動の時代だった。そしてその繁栄は、今まさに「バブル」という絶頂を迎えた。しかしオレはと言えば、どんよりと停滞している。漠然とした不安の中に、ただ漂うばかりだ。のほほんと生きてきたツケが、ここにきてまわってきたようだ。もがき、あえぎ、懸命に泳ぎ・・・ならまだ救いはある。しかしオレには、たどり着くべき岸辺も見えていないので、足掻きようもないのだった。ただ、沈まないことだけを考えている。
 そんなさまよえる者がとりあえず流れ着いたのが、美術の授業を「時給ナンボ」で請け負う、高校の非常勤講師という職だ。大学の先輩に「やらないか?」と声を掛けられ、ふたつ返事で引き受けたのだ。空前の好景気のおかげで、就職口が有り余るほどあった。誰も彼もが気に入った企業に就職できるので、こんなのん気者でも口にありつくことができたのだ。先輩と待ち合わせて高校に案内され、理事長でもある校長先生に会いにいき、わずか5分の立ち話で、話はまとまった。面接とも面談ともつかない、「やあ、きみか、じゃ、よろしく」みたいなやつでだ。こうしてオレは、どうやら高校教師になったようだ。
 岐阜第一高校という名の着任校は、極めて残念なことに、男子校だ(当時)。そしてもうひとつ極めて残念なことに、偏差値という文化におけるヒエラルキーの最底辺に属している。学歴ピラミッドの最下段にうずもれた石、とでも言おうか。生徒が全員、アホな子なんである(当時)。そして、荒れている。スポーツの特待制度のおかげで、野球部は甲子園にも出場しているし、他の運動部も全国レベルで戦うほどに強い。が、生徒の大半は、いじめっ子といじめられっ子で構成されている。なかなか大変な環境ではある。
 先生とは言っても、オレの立場は非常勤講師だ。そのシステムはシンプルで、美術の授業ひとコマを時給2250円なりで受け持ち、授業開始の時間に学校にやってきて、授業終了と同時に帰る、というものだ。担任を持つことも、生徒の生活を指導することもない。部活の顧問もしなくていい。サイドの事務仕事や、文部省や教育委員会関係の雑多な書類をさばく必要もない。要するに、完全なアルバイト教師だ。美術は、この高校では一年生時に週一コマがあるきりで、それが12クラス分あるということは、ええと・・・月給はそんな感じになる。これで生活していけるのだろうか?
 4月。ついに初出勤・・・と言えるのかどうかはわからないが、初仕事だ。この日のために、アオキだか青山だかで、吊るしのスーツを買った。ネクタイを巻くのにさんざん苦労をし、履き心地の悪い革靴を履く。そして、新しく愛車となったヤマハのジョグ(原チャリ)にまたがり、出動だ。
 学校に着いて、事務嬢(校長の愛人という噂だ)に案内されたのは、教員たちがとぐろを巻いてたむろしているあの恐ろしい空気の職員室・・・ではなかった。そこから遠く隔たった場所にある、プレハブ小屋のような「非常勤講師待機室」だ。ここに押し込められているのももちろん教員なのだが、通常の職員室とはだいぶ色合いが違う。ここにいる20人ばかりの先生全員が、オレと同様のアルバイトなのだから。とは言え、どいつもこいつも、とてもアルバイトには見えない。なかなかの強者ぞろいで、警戒させられる。なにしろ、昨年まで教頭をしておりました、校長をしておりました、などというジジイがひしめいているのだ。この連中が実に、秋の陽だまりでしおれかかった野草のような味わいを醸している。厳しさを通り越した挙句に達観を手に入れ、隠居はしてみたものの、茶飲み仲間のひとりもほしくてパートタイムをはじめました、ってな具合いだろう。その光景は、まるで病院の待合室のようだ。交わされる会話といえば、戦時中にラバウルで戦った、とか、わしはなんとか島で高射砲を撃っておった、とか、近頃あの先生が肺炎で死んだ、とか、あの病院は設備がなかなかいい、とか、あのパチンコ店が新装開店だ、とか、マージャン屋にいくならあそこだ、とか・・・なかなかのシブさだ。この中でも、二十代のワカモノがわずかに四人いる。オレの他には、国士舘出身の右翼系空手家、はるばる滋賀から高級車を飛ばしてくる剣道家、オタク質なメガネ、とこちらも濃厚キャラぞろい。この魔窟でずっと過ごすのかと思うと、陰鬱な気分になってくる。なるほど、先輩がさっさと後釜を据えて逃げ出すわけだ。
 それでもとりあえず、一年間はがんばらねばならない。普通のバイトと違い、肌に合わないから三日でやめます、というわけにはいかないのだ。げんなりしつつも、やるしかない、と腹をくくった。

つづく

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128・昭和の終わり

2019-07-07 06:29:36 | Weblog
 どうやらオレは、卒業できないらしい。いやいやいや、ちゃんと単位は取れているのだ。素行不良の事実もない。ところが、このまま卒業はさせん、と教授陣は言うのだった。訳がわからない。
 聞けば、「大学院に進む人材が足りないから、残ってくれんか」ということらしい。大学院が定員に満たないとは、情けない大学ではある。毎年、こんなお寒い状況なのだろうか?いやいや、時代はバブルの真っ盛り。誰もが大学院での研究などに目もくれず、われ先にと、いい職めがけて飛び出してしまうのだった。そこで、ぼんやりと彫刻棟裏の芝生で寝そべっていたオレに白羽の矢が立った、というわけだ。いや、ちょっと待ってくれ、足りなきゃ足りないでいいじゃないか・・・と思うのだが、そうもいかないようだ。世間体もあるのか、教授陣はオレの懐柔に躍起になっている。リョージ助教時とキヨシ教授が、代わる代わるにオレの元に足を運んでくれる。なんと、寿司まで食わせてくれる!恐れ多いことだ。しかも、試験も審査も素通しにするから、というなかなかの好待遇まで提示してくる。
「いいね?」
 有無を言わせない態度だ。まるでもう決定ずみのような。しかし、いつもなら威厳として消化してしまえるその振る舞いだが、このときばかりは、居丈高、と感じられる。なんかやな感じなのだ。
「いやあ、そう言われても、むりっす」
 そもそも、こちらにはすでにいくアテがある。故郷に帰って、教職に就くのだ。残る気はさらさらない。だいたい、院にいくべき人物となれば、大将が本命、対抗馬にマッタニ、大穴にピロくん、北川あたりではないか。ところが、この天才がちっとも就職活動に乗り出さないのを見て、教授陣は勝手に「強く言えば従うにちがいない」と踏んでいる。なるほど、羊のようにおとなしいキャラではある。ところがどっこい、あなた方が説得を試みているのは、自分の自由を脅かす者とは徹底的に争うと心に定めている男でもあるのだ。
「就職はもう決まってるんで、すんません」
「そんな私立校よりも、院の卒業時にはもっといいとこを紹介してあげるから」
「院には興味ないんです」
「いいから考え直して」
 うむむ・・・らちがあかない。説得側に、引く気配が見えない。周到にして執拗。しかし、こちらも首を縦には振らないのだった。口はばったいが、大学院に進むとなれば、東京の芸大でなければ意味がない。これまでと同じ環境でやったところで、刺激も進歩もない。社会をせまくするだけだし、新しいものが生み出せるとも思えない。そもそも、やりたいことはやりきった。
「ぶっちゃけ、とっとと出ていきたいんで」
「そんなこと言わないで」
 リョージ助教授は、深い眉間のしわをさらに深く刻み、怒っているような、泣きだしそうな、つまり、なんとも困り果てた表情だ。キヨシ教授から、強烈な指令を受けていることは間違いない。とはいえ、こちらとしても、頼まれて切りかえられるような選択肢でもない。なにしろ、こいつは人生の問題なのだから。意欲をたぎらせることができそうにないあと数年を、惰性で過ごしてもしょうがない。
「おことわりします」
「いや、だめだよ」
 ところがなんと、敵は絶対に引き下がってくれないのだ。まったく不可解なほどに傲然とした態度だ。キヨシからの圧ときたら、とてつもないものらしい。そして、ついにそのセリフが出た。
「卒業させないよ」
「はあ・・・?」
 ・・・というわけなのだった。意味がわからないではないか。ぶっちゃけ、このときのオレの推察は、「キヨシ教授が石磨き人員を確保したいにちがいない」というものだ。憤慨するではないか。そのために、わが親愛なるリョージ助教授は奔走しているというわけだ。なんとバカバカしいことだ。
「8月まで、きみの卒業を延期するよ。就職もパーだね」
 なんという理不尽。まったく、見損なわせてくれるではないか。こうなれば、こっちにも意地がある。頑として首を振りつづけてやる。死んでも従わない心づもりになっている。院など、誰がいくか、バカ。
 ・・・ところが、だ。年度もかなり押し詰まったギリギリのタイムリミットで、突然に、だ。
「杉山くん。院の話は、もういいよ」
 まるで波がサーッと引くように、教授陣が脅迫を・・・いや、勧誘をやめたのだ。見れば、リョージ助教授の足取りは、まるでスキップを踏むように軽やかだ。どうやら、中国人の留学生だかなんだかで、人員確保に成功したらしい。ウルトラCを繰り出して、なんとか枠を埋めたわけだ。それはよかったですね、と言っておこう。オレは卒業でき、何者かはうまい具合いに大学院に転がり込め、教授たちは石磨きの人手を確保し、学校は恥をかかなかった。八方がうまくおさまり、一件落着だ。ただ、わが敬愛の人物たちには、がっかりさせられすぎた。本当に、とっとと旅にでも出たい気分だ。
 追いコン(追い出しコンパ)や卒業式をしらじらしくすませ、虚脱したまま、大学を後にした。また岐阜に引越しだ。そこで新しい生活がはじまる。昭和時代も終わった。「へいせい、です」と、内閣官房長官が次の元号を示している。ここからは、まったく違った自分をつくろう。
 昭和史は、おしまい。平成史の開幕だ。

おしまい

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