deep forest

しはんの自伝的な私小説世界です。
生まれてからこれまでの営みをオモシロおかしく備忘しとこう、という試み。

113・旅

2019-05-22 08:27:56 | Weblog
 今日も今日とて、大学の講義終わりの午後6時に彫刻展ジムショに詰めているわけだが・・・毎夜毎夜こうしているうちに、だんだんとバカバカしくなってくる。作家たちへの手紙はほぼ書き終え、投函しきった。ひざ詰めの方向性議論にも、芸術論を闘わすのにも飽きた。酒ビンも空になった。あとは電話番だけとなると、さすがにジムショに顔を出すアタマ数も減ってくる。少人数で、ぼんやりと過ごす時間が多くなる。すると、ふと、自分たちは教授陣の野望につき合わされているだけなんじゃないのか?という本質的な疑念も湧いてこようというものだ。つまり、この彫刻展とはオトナたちの政治的な何事かであり、学生はその下働きに無給でこき使われているに過ぎないのでは?という。間違いなく、その一面はあるのだ。ただ、自分たちの勉強にもなるよ、というおつりのような意義が発生しているため、この全国規模の展覧会という得難い機会の裏方に精を出している(つき合っている)と言っていい。が、その意義を強調してもなお、この時間の食わせ方、自己犠牲には疑問が残る。もっと学生時代という貴重な時間にするべきことはあるんじゃなかろうか・・・?
「旅に出ます」
 オレは唐突にそう宣言し、旅支度をはじめたのだった。年度が明けようかという春休みのことだ。元来、大勢でたむろしたり、他人とツルんだりするのが苦手なタチだ。ひとりになれる時間が必要だ。そしてオレは、いくと言ったらいく、という人間になっていた。つまり、独立独歩のひとに。この時点における残存兵たち、すなわち、マッタニ、大将、ピロくんは、人畜無害と思われた副委員長からの意外な言葉に、キョトンとしている。
「帰ってきたら、また馬車馬のように働くから」
 捨てゼリフを吐き、バッグをかつぐ。バッグとは言っても、リュックでもトランクでもなく、肩からななめ掛けの大袋だ。中に入っているのは、最低限の着替えだけ。金は、持っている最大限をポケットに押し込むが、心細いその額はむしろ旅先で生きる上での最小限とも言える。いくあてはない。とりあえず、目指すは南だ。水と気温さえあれば、死ぬことはなかろう。とにかく、この拘束のストレスを吹き飛ばす諸国漫遊に出立するのだ。交通手段?もちろん、ヒッチハイクだ。
 断っておくが、「電波少年」で猿岩石(有吉の漫才コンビ)が大陸をヒッチハイクするよりも、はるか以前の話だ。お手本はいない。自己流に考え詰め、北陸道の金沢西インターチェンジのたもとで車を拾うことにした。より正確に言えば、インターまでたどり着く道のりも、ヒッチハイク行だ。市内の幹線道路で、貧乏学生の困惑顔が手を挙げていれば、お人好しのドライバーが拾ってくれる、というのんびりとした時代なのだ。とにかく、高速道の入り口に立ったのだった。
 せまい日本国内でのヒッチハイクは、ひどく貧相な光景だ。アリゾナの広大な平原を貫くルート66沿いで乾いたブルースハモニカを吹きつつ通りがかりのキャデラックを待つ、というようなかっこいい画づらにはなり得ない。気まぐれに停まってくれる車もあるが、現実は厳しい。背の低いビルの谷間をうねる細道には、軽乗用車がひっきりなしに行き交い、排ガスと粉塵を撒き散らしていく。そんな道路脇のせま苦しいスペースで、スケッチブックに「米原方面」と大書し、頭上に掲げて指し示す。親指を立て、やみくもな笑顔を振りまいても、疾過する車のスピードは少しも落ちない。ウインドウ越しの彼らの表情は、かわいそうなものを見てしまった渋顔か、あるいは苦笑いのあきれ顔だ。時代はすでにバブル期に突入している。迷子の子犬のみすぼらしい哀願など、およそ場違いに見えているにちがいない。それでも、ふとこの姿を視界の端に入れ、ブレーキを踏んでくれる者もいる。それは決まって、長距離を走る大型トラックの運ちゃんだ。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園