deep forest

しはんの自伝的な私小説世界です。
生まれてからこれまでの営みをオモシロおかしく備忘しとこう、という試み。

110・パートタイマー

2019-05-19 18:07:02 | Weblog
 今回展のコンセプトを決め、文面に起こし、主旨に沿った彫刻作家をリストアップしていく。とは言っても、毎度出展してくれる陣容は決まっている。あとは紹介によるひろがりに期待しつつ、美大卒業生、交流のある東京方面の芸術系学生たち、それに教授連の推薦する作家たちを挙げていく。その教授たちが、面倒なことに「今回は彫刻ばかりでなく、建築も絡ませよう」と言い出した。建築の知識など皆無だが、上様の意向は無視できない。一夜漬けで勉強し、インスタントな知識をつけるしかない。結局、学生たちの主催とは言っても、「教授たちがやりたい展覧会」の下働きをさせられているに過ぎない、との思いがぬぐえなくなっていく。
 ジムショに集まって、応募要項の文面を考える。格調高さが必要だ。なにしろ、出展料(参加費)が35000円という公募展だ。作品制作者のやる気を掻き立て、参加をそそのかす訴求力を込めなければならない。委員会メンバーは、アホの頭をフル回転させて文言をしぼり出し、辞書と首っ引きで適切な言葉を選り抜き、かっこよろしきを得られるように字づらを並べていく。そうしてついに要項が完成すると、招待状の宛名書きだ。最終的に100人強ほどが応じてくれると皮算用し、その数倍の連絡先をリストアップして書き込んでいく。参加人数が100人を割れば、恐ろしいことになる・・・つまり、借金だ。このあたりまでは、クラスメイトの誰もが必死だった。
 毎日、午後6時にジムショに集合。すね毛を突き合わせて話し合い、要項を折り込み、封筒に入れ、切手を貼り、宛名を書き・・・まるで家内制手工業のパートタイマーのように手を動かしつづける。ジムショにはピンクの公衆電話が引かれていて、10円玉を入れれば通話できるようになっている。こいつも使わない手はない。が、アホのマッタニと、口数の少ないオレは、その任には向かない。相手の調子に合わせるのがうまいピロくんと、海千山千の大将が、電話営業を展開する。展示場所の設定と手配もしなければならない。彫刻は、でかいわ、重いわ、移送に手間がかかるわ、設置場所が傷つく恐れがあるわで、展示はあまり歓迎されない。そのあたりの交渉には、平身低頭、一張羅スーツ姿のマッタニがあたる。ポスターやチラシの制作も重要だ。学内に絵画系やデザイン科があるのだから、その学生を使えばいいと考えるのが普通の感覚だが、素晴らしき教授陣が、自分の御用達のデザイナーを使いたがる。この人物のデザインがつまらない上に、制作料金がバカにならない。出ていく費用と入ってくるはずの金額を見比べると、気が滅入る。疲労が蓄積する。元々の熱量もそれほどではない。入れ込んでいるのは教授陣ばかりで、丸投げされるこちらはへとへとだ。徐々に作業に嫌気が差し、ひとり減り、ふたり消え・・・と人員と労力は細っていく。彼らは「今夜はリンゴの日だから」などと理由をつけて、ジムショに姿を現さなくなる。「ふぞろいの林檎たち」という人気ドラマが放映させるので、バカバカしい折り込みなどやっている場合じゃない、というわけだ。チャラ造たちのこのエクスキューズには、失望を通り越して、羨望を感じてしまう。一大事業を成し遂げようという価値の尊さはギリギリ理解するが、四年しかない学生時代の貴重な一年間を、宛名書きのような些末な作業に忙殺される意味を見出せない。部活は早上がりするしかないし、バイト時間も犠牲にしている。なにより、夜間の作品制作時間が削られてしまう。なんてえらいことを企ててくれたんだ先達たちよ、と呪詛を呟きながら、昨日も今日も明日もジムショに通いつめる。
 大人になった今となって振り返っても、これほどのバカでかい美術展を開催したというのに、「充実してたぜ!」という感慨は不思議と希薄だ。むしろ、働かされたなあ、という徒労感だけが残っている。展覧会は、観るにかぎる。主催しては(させられては)ならない。ただ、まあ、「芸術界を広く見る」という勉強にはなった。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園