deep forest

しはんの自伝的な私小説世界です。
生まれてからこれまでの営みをオモシロおかしく備忘しとこう、という試み。

57・荒削り

2012-06-28 09:17:26 | Weblog
「ちょーしゃどうじぇ~(調子はどうだ?)」
 くわえタバコのタマイ先生が、石彫場・・・とは名ばかりの、石クズ捨て場に様子を見にくる。そこが、わが仕事場だ。手を止め、つぶれたマメだらけの手の平と、一向に形が変わっていく気配のない石塊をお目にかける。
「なんやこるぁ。なんにも変わっとらんがや」
「硬すぎて、ぜんぜん彫れーへんのです・・・」
「たーけ。こーやるんやげ~」
 毛むくじゃらのぶ厚い手に、ノミを引ったくられる。ぽかんと口を開けるオレの前で、翁は手本を見せはじめた。
 キーン、キーン、キーン・・・
 リズミカルで小気味のいい金属音。力を入れるでもなく、回転と反動、その反復で、げんのうをノミ尻に打ち込んでいく。この60近いおっさんの熟練の技術に、しばし陶然と見とれてしまう。
 タマイ先生のノミの刃先は、石の表面に細いみぞを刻んでいく。一直線の谷がみるみるうちに伸びていく。かと思うと、今度はそれに平行して、また一本、また一本とスジが刻まれていく。やがて、お互いに数センチの間隔を置いて「川の字」のようなみぞ跡ができた。
「この間をハツるんじぇ~」
 そうして刻まれたみぞに対して、直角に刃を入れる。この日いちばんの打撃をくれてやるのだ。すると、みぞとみぞとの間で盛り上がった山脈の部分が、ポコーン、と取れた。まさしく、ハツった、という感覚だ。清々しいまでに簡単な破壊だった。彫るのではなく、削るのでもなく、タマイ先生は、まるで石の表皮をはがしてでもいるかのように、余分なボリュームを取り除いていく。なるほど、これは合理的だ。
「ほれ、やってみい」
 コツを伝授されると、俄然、意欲がわいてきた。不細工ながらも、ノミ先でスジを彫り込んでいく。それが何本か並ぶと、間の盛り上がり部分を真横から小突く。すると、大きな塊がぽこりぽこりと取れる。地道な作業で周到に準備しておき、最後に一気においしいところを持っていく、というのがいい。これは面白い。荒削りの技を体得だ。
 「実習」と称するこの専門科目(オレにとっては彫刻)のコマは、毎日二時間から四時間もあてられている。その間、ずっと石を小突きつづける。汗まみれ、マメだらけで仕事を終えると、徐々に石の形がイメージに近づいていくのがわかって、なんだかとてもやりがいがある。ちゃっちゃと手の平で形を練りあげられる彫塑と違い、硬い素材の進捗は遅い。しかしそれ故に、頭の中で形を練りあげる時間がたっぷりとある。悠久の産物・黒みかげ石に向かいつつ、完成図のあれやこれやを転がし、ほくそ笑む。イメージはまとまった。オレは牛骨をモチーフに、「なんか荒野に転がってる、生物が風化した感じのやつ」を彫り進めていく。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

56・黒みかげ石

2012-06-20 08:50:50 | Weblog
 彫れども彫れども、わが石のカタチ変わらざり。ぢつと手を見る。
 ・・・と、啄木のようにつぶやいてみる。その手の平は、ギョッとするような惨状になっている。
 げんのうは、1キロから1、3キロほどもある。そいつを右手に握りしめ、左手に持った石ノミの尻の打点に打ちつける。衝撃がまっすぐ、ノミ先に伝わる。ノミ先は、接点である石に打撃を与え、その表層を少しばかりハツる(石を削ることを「ハツリ」という)。振り上げ、打ち下ろし・・・これを延々とつづける。げんのうを打ちつけるベクトルに、打点とノミ先が正確に一直線でないと、接点がすべってはじかれ、ノミの持ち手である左手の指が石面にぶっつけられる。これがもう、痛ったいったらない。こんなミステイクを何度もくり返すと、軍手をしてはいても、左手の指の甲がずるずるとすりむけてくる。さらに強い衝撃をもらうと、骨がらみの鈍痛までやってくる。まったく、地団駄を踏んで泣きたくなる痛みだ。
 それに輪を掛けて痛いのが右手だ。クソ重いげんのうを振り込み、打ちつけ、振り込み、打ちつけをくり返すうちに、手の平にマメができる。それが膨らみきり、つぶれ、水が抜けてずるむけになったその上に、またマメができ、つぶれ・・・そうしてわが手の平は、ドリームボールを打ち崩さんと執念の素振りをくり返す武藤平吉(野球狂の詩/水島新司)のように、ズタズタぐちゅぐちゅになっていく。軍手はすでにボロボロの穴あきになっているが、破れたマメからあふれ出たジュースがあちこちににじみ、まるで迷彩模様だ。振り上げる手を休め、そんな軍手の布片をぺりぺりとはがしての、冒頭の印象だ。「ぢつと手を見」、ふと数えてみると、右手の平のせまいスペースに、14個ものマメができている。節分には歳の数だけ豆を食べよ、というが、もう少しでそれに届きそうなほどのマメが、手の平の上にのっているわけだ。まったく、なんという仕事をはじめてしまったことだろう。
 マメは、何度も何度も裂けては下から生まれ、育ち、膨らみきっては、破裂をくり返す。そのうちに、手の皮は樹皮のコブのようになり、奇妙なねばねばの体液をしたたらせて、昆虫を呼ばんばかりになる。これ以上、体液を失ってはまずい。当初はげんのうの柄に布テープを巻いて滑り止めとしていたが、やがて手の平の側にも、ボクシングの「バンテージ」のようなテーピングが必要になった。
「このやろ、このやろ、このやろ、このやろ・・・」
 ガツン、ガツン、ガツン・・・
 たくましくみなぎることを覚えた細腕を振り上げ、打ち下ろし、毎日、硬骨の敵に立ち向かう。が、そこまでやっても、目の前の石塊が形を変えていくようには見えない。どんだけ硬いねん、黒みかげ石・・・

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

55・かたいいし

2012-06-19 14:57:07 | Weblog
 硬い石に向かうオレの意志は固かった。
 ・・・と、ちょっと言葉遊びをしてみたが、ま、聞き流してもらいたい。それにしても、なんという石の硬さよ。
 彫刻に用いる石の中で最も硬いのが「黒みかげ石」だ。そいつの塊・・・といってもほんの端材だが、素人のオレから見れば立派に見える石塊を、タマイ先生から与えられた。オレはここんとこ毎日、そいつを石ノミでトンカントンカンと小突き倒している。が、果たしてこんな非力な一撃を一万回くり返したところで、希望通りに形が変わってくれるものだろうか?それほどまでに、石は硬い。こうなると、自分の意思の固さに迷いが生じてくる。いや、気後れしてはならない。ライバルたちの手前、ここはやり遂げなければ。
 タマイ翁は、ゴマ塩頭で、細い目に穏やかな微笑みをたたえた好々爺だ。高校教師を腰掛け仕事にやっつけながら(・・・かどうかはわからないけど)、石の彫刻作品を発表しつづける石彫作家さんでもある。すっとぼけた雰囲気を漂わせながら、県内の彫刻界のボスと言っていい。事実、彼の作品は岐阜市内の街角のそこここに散在している。見上げるほどの石彫作品をふと見つけ、さては、と思って足下のネームプレートを見ると、「タマイ」のサインが入っている、という具合いだ。その作風は、抽象的というよりは記号のように象徴的で、シンプルかつプリミティヴ。割れ跡や粗いノミ目を残しつつ、重要部分を砥石で磨き上げてメリハリをつけるという手法だ。石の素材感を際立たせる朴訥さが好ましい。洗練を感じさせるようなものではないが、その力強さと存在感は、オレにとって目標でもある。
 そんな巨大な作品の、おそらくは端っこを切り落としたかけらが、ひとかかえほどものサイズなのだ。彼の作品のスケールをわかってもらえようか。そうした端材が、高校の彫刻室の外にゴロゴロと転がっている。そいつをタダでせしめ、卒制の作品に仕上げてしまおう、というのがオレの算段だ。もちろんタマイ先生は、気前よく分け与えてくれる(「こんなもん、いらんし」)。タバコの煙に取り巻かれながら、好々爺はいつもの優しいまなざしを、このときばかりは鋭く光らせる。よさそうなものを選んでくれているのだ。
「ふむ。これあたりがえーやろ」
 そうしてお眼鏡にかなったのが、冒頭の黒みかげ石だ。ありがたく、そのおこぼれを頂戴する。
 オレの意志は固かったが、目の前の石はさらに硬かった。タマイ先生から下賜された石ノミの刃を、黒みかげ石に向けて立て、げんのう(トンカチのドでかいやつ)を打ちつける。その瞬間、手の平に電気のような衝撃が走る。それは骨にまで響く、まるで歯痛のような激しい信号だ。痛みというよりは、やはり「衝撃」としか表現できない。それでいて、石面には白い小さな小突き跡が残るだけだ。なんとも、途方もないものに手を出してしまったものだ。しかしそれは後悔ではない。逆に気合いがみなぎってくる。強大な敵を打ち負かしてこそ得られる達成感。そいつを求め、新たな充実の日々がはじまった。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園