deep forest

しはんの自伝的な私小説世界です。
生まれてからこれまでの営みをオモシロおかしく備忘しとこう、という試み。

27・きつねあな

2008-05-23 09:29:50 | Weblog
 「きつねあな」は、田んぼばかりの地域だ。上空から鳥の目で見れば、田んぼの「田」の字の成り立ちにつくづくと得心がいきそうだ。見渡すかぎり、稲穂の海より他にはなにもない。空は高く広く、地平も茫洋とし、店がない、街角がない、ひとの行き来というものがない。広場は、つぶれたボウリング場の駐車場があるが、ここで遊ぶにしても、周囲に子供がいない。新興住宅地と言えば聞こえはいい。この地域では、田んぼだった土地が整地されつつある。これからどんどん家が建っていくことだろう。が、その第一号入植者である我々家族は、以降の街の発展を待たなければならない。その間に、オレは大人になっているにちがいない。まったく悠長な話だ。
 小学校には、徒歩ではるばると30分ほどもかけて通わなければならない。何度か、家から学校まで何歩かかるかを数えようと試みたことがあったが、そのカウントは自分の根気と算術能力をはるかに超えるため、たちまちあきらめた。たまにごぼぜこ通り経由で帰ってみたりすると、そこは子供たちのはしゃぎ声と往来の活気に満ちていて、いかに自分が恵まれた環境で育ったかということをはじめて認識できる。そこには毎日立ち寄れる駄菓子屋もあるし、気軽にひやかせるオモチャ屋もあるし、本屋、文房具屋、床屋に風呂屋、八百屋にスーパーもある。このにぎやかな往来に比べたら、きつねあなは荒野だ。
 お母ちゃんは内職を辞め、家のローン返済のために、保健所でパートタイマーとして働きはじめた。仕事内容が珍しいらしく、よく晩飯の最中に、検便のベンの様子を話題に持ち出したりして、ひんしゅくを買う。また、家庭料理もろくな腕前ではないのに、ふぐ調理師免許の試験監督をやったりして、鼻高々になっていることもある。さらに問題がある。心やさしい彼女は、捕らえられてきた野良犬の薬殺を看過することができないのだ。明日、死刑台に上る、というタイミングで「待った」をかけ、持ち帰ってきてしまう。幸いなことに、三軒長屋とは違って、この家の庭は広い。じゃ、飼うか、ということなる。「シロ」と名付けられたその犬は、お父ちゃんのジョギングの格好のパートナーになった・・・と、ここまでは美しい物語だ。ところが、お母ちゃんはとてもやさしいのだ。死刑台に上る寸前の犬を、その度に連れ帰ってきてしまう。一方のお父ちゃんもやさしいひとだ。新しい犬をまかされると、一日に何度もジョギングに出かけていく。しかし最終的にはきりがなくなり、四、五頭をまとめて鎖につなぎ、あぜ道を走っていた。多くの野犬に引きずられ、振り回される父親・・・その姿はまるで、ソリを失った男の犬ゾリレースのようで、危険極まりない。それでも、お母ちゃんもお父ちゃんも、自分が信ずる博愛を躊躇しようとは考えなかった。
 ばあちゃんもまだバリバリ現役で働いている。お父ちゃんはもちろん会社員だ。そんなわけで、大人たちは日中、みんな出払っている。子供が家に帰り着くと、そこには誰もいない。夕暮れまでのわずかな時間だが、巨大な城は子供たちだけで守衛しなければならない。近所に友だちはいない。シロの散歩に付近を一周しても、誰とも出会わない。つまらない。自分の部屋にこもると、深刻な孤独感が襲ってくる。弟も同様だったろう。仕方なく、オレと弟は、隣のボウリング場のだだっ広い駐車場で、キャッチボールをして時間をつぶす。毎日、毎日、キャッチボールだ。そのおかげで、速球の威力とコントロールは信じがたい精度にまで高められたが。
 天気のいい週末は、田んぼの脇を走る用水路でザリガニ採りをする。ごぼさん周辺のトンボやセミの王国とは少々違って、きつねあなの小川にはさまざまな鳥獣虫魚が生態系を形づくっている。ザリガニをはじめ、メダカ、オタマジャクシ、フナ、アマガエル、ウシガエル、ヘビ、ライギョ・・・そんな連中が、食いつ食われつして、日々を闘っているのだ。人類も参戦しないわけにはいかない。用水路を伝って細流にまで入り込んでいくのは、結構な大冒険だ。自動織機のけたたましい音もなく、車の行き交う騒音もなく、空にはヒバリのさえずり声、地面には虫たちのチリチリとうごめく音、水面には小魚の跳ねるしぶき・・・はじめて踏み入る世界にドキドキする。
 夕闇が落ち、ふと見ると天守閣の窓に明かりがともっている。カレーの匂いがぷんと漂ってきて、やっと自分がハラペコであることに気づく。真っ黒な足の裏やスリキズだらけのひざ小僧を水で洗い流し、まばゆいキッチンのテーブル席に座る。お母ちゃんの笑顔が輝いている。犬が増えている。お父ちゃんは残業することもなく、夜の6時半には寝巻きに着替え、キリンビールの栓を抜いている。ばあちゃんは化粧を落としている。ファンタが用意されている。ローンはかかえても、幸せな新居生活。一家そろって、たのしいたのしい晩ご飯がはじまる。

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26・新居

2008-05-22 10:14:46 | Weblog
 お父ちゃんが空に描いてみせた設計図は、実際に質量でもって空間を埋め立てていく。土台ができ、柱が立ち、床板が張られ、壁がぬりたくられ、内装が整っていく。その過程はたのしいものだ。週末ごとに家族そろって見にいき、みんなで心を浮き立たせる。
 ある日学校から帰ると、ごぼぜこ通りのわが家の前に、戦艦のようなトラックが横付けされていた。いよいよ引っ越しの日がやってきたのだ。道幅いっぱいもある巨大な荷台の上に、大男たちがタンスやらミシンやらちゃぶ台やらを山盛りに積み上げていく。マッチ箱のようなあばら屋から、途方もない量の家具と荷物が出てくる。それがみるみるうちに小山を築き、幼いオレはあぜんと見上げるしかない。祭りの山車のように天を突く高さになった荷は、両サイドから縄を渡され、固定されていく。今にもくずれ落ちそうで、まったく心もとない。が、たいした仕事っぷりだ。戦艦は平然とエンジンに火を入れ、ガタゴトとごぼぜこ通りを出ていった。
 幼い日を過ごしたわが家にお別れをするべく、各部屋を見てまわる。空っぽとなったこの建築物が、まったく頼りない細柱の骨組みと薄板と土とでできていることがわかって、興味深い。踏み固められたタタキ、立て付けの悪い雨戸、黒光りする板づくりの急階段、裸電球、ポットン便所、土蔵、ポンプ式の井戸・・・戦後感覚満載の家屋だ。さよなら、三軒長屋。
 ごぼぜこ通りの友だちともお別れをしなければならない。と言っても、学区が変わるわけではないので、明日もまた小学校で顔を合わせることになる。しかし、もう一緒にごぼさんでセミ獲りをすることもなくなるだろう。さよなら、たのしかった日々。
 かくてわが一家は、新居に入城した。今日から、ここが自分ちだ。白木のかんばしい匂いが漂っている。ワックスを掛けたての床は、驚いたことに真っ平らだ。デコボコに慣れた足の裏に、しっくりとこない。部屋にも天井にも光が満たされ、すすけて薄暗かった長屋とは雲泥の差だ。なんだか落ち着かない。ひとんちにいるみたいだ。だけど暮らしていくうちに、ホテルのようなこのよそよそしい空間にも徐々に血が通っていくはずだ。とりあえず、このきれいすぎる空間にギクシャクと身を置いて、なじむのを待つしかない。
 夜。荷解きもしないで、布団だけを引っぱり出し、それぞれの部屋で休む。田んぼの中に、ぽつんと一軒家。「伊吹降ろし」の風がひょうひょうと吹きすさんでいる。隣家にケンカ声の聞こえない頼りなさ。ひどく不安定な気持ちにさせられる。天井のトンネル模様も気になって眠れない。
 しかし、人間は慣れてしまうものだ。新建材は、はじめのうちは尻の据わりが悪かった。が、ピカピカの壁や柱にもやがて手垢がつきはじめると、すっかり自然に過ごせるようになった。
 廊下の天井は、長屋よりも10センチは高い。床を蹴って思いきりジャンプすると、そこは指先に触れるか触れないかというギリギリの高さになる。小6になったオレは、背の低い順に並ぶと、前から三番めほどのチビだ。そこで、この天井を利用して背丈を伸ばしてやろうと思い立つ。学校から帰ると、牛乳の1リットルパックを一気飲みし、廊下に出る。そして天井に向かっておもむろに垂直跳びをする。天井に指を触れることができれば1点で、合計10点をカウントするまでジャンプはつづけられる。毎日、へとへとになるまで跳びつづける。バカバカしいと思えるこんな方法も、継続すれば功を奏すものだ。半年もたつと、チビすけの背は「飛躍的に」伸びていた。あれほど渾身の跳躍をしなければ届かなかった天井に、手の平でやすやすとタッチできるようになっている。跳躍力がついただけかもしれないとも思ったが、身長を測ってみると、柱に記したせいくらべの鉛筆線(勝手に書くな!と叱られるが)は日に日に伸びていく。高いところのエサを望めば、背が伸びる。動物進化のメカニズムとは簡単なものだ。オレはいよいよ調子にのって跳びつづける。おかげで廊下の天井は、オレの汗まみれの指跡で真っ黒になっていく。そして叱られる。天井を汚すな!というわけだ。
 ある日お父ちゃんが、折りたたみ式の卓球台を買ってきた。競技に使うのと同じ、つまり学校の体育館にあるあの巨大なサイズのやつだ。家が広くなって、気持ちも大きくなったのだろう。豪勢なものだ。家族がそろう週末には、そいつを応接間まで引っぱり出して卓球大会だ。これが実にたのしい。しかし、みんながいない平日の夕方には卓球ができない。そこで、真新しい壁に向かってひとりで壁打ちをする。密かに上手くなって、みんなを出し抜きたいのだ。壁にはくっきりとボールをぶつけた跡が残る。それによって、自分の球筋を分析できる。ところが両親には、この壁のデコボコがなんなのか、さっぱりわからない。日に日に増えていくその痕跡の原因をついにオレが白状すると、やはり叱られた。壁を傷つけるな!というわけだ。新築の家とは、大切なものなのだ。
 その頃学校では、ガビョウ製のダーツが流行っていた。そこでオレは、こっそりと本物のダーツの矢を購入し、自分の部屋の壁に三重丸を描いた紙を張って、それに向けて投げて遊んだ。小6のオレには、的の裏の壁がどうなるかをイメージすることができなかった。ある日、的を見つけたお母ちゃんは、その紙をはがして卒倒した。無数の穴が口を開け、まるで蜂の巣のようになっていたのだ。以後、ダーツは取り上げられ、壁に向けてものを投ずることは厳禁となった。
 弟の部屋とオレの部屋とは、引き戸で分かたれている。朝になると、お父ちゃんがこの戸を全開にして風を通そうとする。思春期の入り口にいたオレは、この開けっぴろげに反発した。そして引き戸が開かないように細工をして、自分の部屋を密室にしようと試みた。非常に巧妙な装置を、両部屋間に施したのだ。その翌朝、お父ちゃんは戸を開けようとするが、なにかがつっかえて、いつものように開けられない。いぶかしく思ったお父ちゃんの調査がはじまる。そしてついに、まっさらで美しかった戸に大穴があき、五寸クギで留められているのを見つけて、大激怒した。
「新築なんだぞ~っ!」
 こうして新居は、徐々に汚れ、傷つき、入居者たちの皮膚になじみ、居心地よくなっていく。

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25・引っ越し宣言

2008-05-13 10:25:46 | Weblog
「いよいよ今年、引っ越します」
 お父ちゃんがいきなり宣言した。
「家を建てます」
 ぼんやりと虫を捕まえたりボールを追っかけたりしている間に、両親は密かに計画を進めていたのだった。いや、密かに、でもなかろう。何度か、子供たちも情報は耳にしていたはずだ。郊外にいい土地があるのよねえ、とか、あそこなら居心地よく過ごせそうだ、とかなんとか。ところが、それが引っ越しという一大事業を意味しているとは思ってもいず、オレには青天の霹靂だったのだ。
 確かにこの長屋は、家族六人が住まうにはあまりに手ぜまだ。そこでいよいよ、大きな庭付き一軒家の建築に着手し、そこに移り住むのだという。すでに土地は買ってあるらしい。この言葉数の少ない父親が、そんな大それた野望を実行に移していたとは驚きだ。しかし驚き以上に、ごぼぜこ通りを離れるさびしさと、友だちを失う不安が、子供心をむしばむ。春には5年生になる。小学校への登校はどうするのだろう?まさか、転校というやつか?
 で、週末だ。とりあえず、一家全員でフェローに乗り込み、その土地を見にきたのだった。今の家からは車でわずか10分ほどの距離で、転校の必要はないということだ。歩いて小学校に通うには遠くなるが、苦というほどのこともない。が、そこにはごぼぜこ通りとはまったく違う風景がひろがっている。街なかとはとても言えない、つまり「殺風景な」というか。とにかく、なにもないのだ。見渡すかぎりに田んぼだ。かろうじて隣には、何年も前につぶれたボウリング場が、廃墟となってたたずんでいる。家並は、叫び声も届かない距離にぽつりぽつりと散見できる程度だ。そのはるか奥には、伊吹山脈の稜線。とんでもないド田舎だ。いや、これまでもド田舎に住んでいたのだが、ひとの顔が行き来する程度には文明的な地区だった。今度は、正真正銘の未開発地だ。稲が刈り取られた田んぼには、レンゲが一面に咲き乱れ、チョウチョが飛び交っている。そのひろびろとひらいた田んぼの一部を埋め立て、業者はわずか一反ほどの砂利敷きの土地をつくったわけだ。それがさらに分割され、わが家には野球の内野フィールドほどの広さが与えられている
「どや?気に入ったか?」
 お父ちゃんは誇らしげだ。ここに自分の城が建つのだ。気分が悪いはずがない。
「ここが駐車場で、玄関を入って、ここが台所で、廊下をずんずんいくと水洗のトイレがあって・・・」
 彼の頭の中には、すでに設計図が描き上げられている。熱病におかされたような笑顔を張り付かせて、お父ちゃんは説明にふける。
 オレは、こんなところに引っ越したくない、と身震いしつつ、うわの空でそれを聞いている。だいいち、こんな荒野に放り出されて、どこで誰と遊べばいいというのか?おさむちゃん家のプラレールも、たかちゃん家の物干し台も、こうちゃん家のおもちゃも、ごぼさんでの缶蹴りも、野球も、キャッチボールも、すべて遠い彼方に置き去りにしなければならないではないか。
 ところが、お父ちゃんが青空を見上げて宙空にまで図面のつづきを描きはじめると、子供たちの目はその指先にクギ付けにさせられた。
「階段をのぼるやろ。で、二階の東南角がのりまさの部屋、佳隆は西南のちょっと広めの部屋な。ゆかは・・・」
 自分の部屋!思春期に足を踏み入れようかというませガキにとって、それはなんと魅惑的な言葉であることか。気持ちが揺れ動く。
「ま、本町の長屋に比べたら、ここに建つ家は御殿みたいなもんやて」
 門前町のごぼぜこ通りは、本町という町名が示す通りに、町の中央に位置している。せまいながらも、メインストリートなのだ。確かに住み心地はいい。しかし、ひろびろと開けたこの土地も、まんざら悪くないかもしれない。なにしろ、自分が好き勝手に使える部屋が与えられるのだから。それは秘密基地だ。子供心がうずく。たちまちここに引っ越したくなった。
「で、お父ちゃん、ここはなんていう名前の町なん?」
「狐穴や」
「き・・・きつねあな・・・」
「そう。きつねあなっ!」
 それを聞くと、またしても引っ越すのがいやになった。

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24・野球

2008-05-12 10:05:02 | Weblog
 子供は、町中にうじゃうじゃといる。地域の小学校には、1200人もの児童が通っている。ひとクラスは40人以上だ。日本中、どの家庭もじゃんじゃんと子をつくり、次から次へと産み落とし、兄弟が二人、三人といるのはあたりまえだ。高度経済成長も手伝って、産めよ育てよ、増えよ繁殖せよ、の勢いだ。
 わがごぼぜこ通りの仲間たちにも、弟、妹がどんどんと生まれ、遊びに参画してくる。たちまちアタマ数がそろうので、これまでになかった文化的な遊び方ができるようになった。昆虫を相手にした野蛮人の遊び方から、人類同士で争う「ルール」を用いた遊び方に変わっていったわけだ。先輩、後輩、みんなでごぼさんの境内を駆けまわるうちに、自然とそんなルールは継承され、身についていく。鬼ごっこ、かくれんぼから、ダンゴとり、Sケン、ドロケー、そして缶蹴り・・・遊びの約束事は、単純なものから、徐々に頭を使うものへと発展していく。そしてオレはついに、町の上級生たちから、人類史上で最も複雑なルールを持つゲームを学びはじめた。すなわち、野球だ。
 ハンドベースといって、ゴムまりを投げてゲンコツで打ち、塁間を走りまわるのが初歩だ。ベースは一塁と二塁しかなく、ホームベースから見て右手と左手にある石灯籠を代用する。ダイヤモンドが三角形なので、三角ベースとも呼ばれるこのやり方は、全国の子供たちが最初に覚える、野球の簡易スタイルと言える。投手は打者に向けて投球するが、ボール球はいくら投げてもよく、空振りみっつでアウト。ボールをゲンコツで打ち返し、相手にノーバンで捕られたらアウト。ゴロの場合は、打者は右サイドの石灯籠に向かって走り、捕球した守備側が石灯籠にぶつけるよりも先にそこに到達すれば、ランナーとして残れる。時計と逆回りに、左サイドの灯籠を駆け抜け、バッターの足もとに置かれた平石に戻ってきたら1点だ。なんとおもしろいゲームではないか!
 仲間はみんな、この新しく覚えたゲームにのめり込んだ。小さな虫など殺して満悦している場合ではない。野球は、戦争だ。男子は、一方的な殺りくよりも、殺し合いにこそ夢中になるのだ。人間同士の闘いに強くなって勝ち抜くことこそ、本当の意味での支配者になれるのだ。誰もが、ごぼぜこ通りの王者となるべく、技術を磨いた。
 学年が上がるにつれて、ゴムまりは硬くなり、ゲンコツは空気バットに取って代わり、三塁ベースが新たに加えられ、素手だった守備側はグローブを用いだし、ルールも細かく複雑に、戦略も高度になっていく。人数が増えると、ごぼさんの境内では手ぜまになってくる。小学校のグラウンドまで遠征し、日が落ちるまでボールを追っかけた。速い球を投げられる者は尊敬され、強く打ち返せる者は恐れられる。子供たちの関係に、ヒエラルキーが形成されはじめる。するといよいよ研鑽が必要になってくる。目立つことが嫌いなオレは、やがてそんな実力社会を苦々しく思うようになった。仲間たちがついに、遊びのたのしさよりも、勝利を求めはじめると、ついていけなくなった。まったく、しんどい時代がやってきたものだ。
 町内という壁がなくなり、学校内で友だちが増え、派閥ができ、力の順列が決まっていき、対立する勢力との争いが発生し、戦いに勝って、有利な立場を得・・・こうして子供たちは、社会というものを理解していく。野球という代理戦争の中で、オレは自分が置かれているポジションを認識しはじめる。そこで悟る。戦いに勝ち抜き、選り抜かれた強者は、特別な存在だ。自分はそうはなれない。いや、なりたくない。目指すのはその立場ではない。そもそも、争うこと自体が好きではない。技術を純粋にたのしみたいだけなのだ。
 そんな中、究極の野球のたのしみ方を知った。それは「キャッチボール」という作法を極めることだ。相手の胸に寸分の狂いもなく投げ込み、相手からのどんなボールもしっかりとグローブにおさめる。技術を間に置いた、やさしさのやり取りだ。なんと愉快な意思疎通だろうか。奇妙に奥深い精神性を、そこに見つけたのだ。オレは野球というよりも、キャッチボールにこそ夢中になった。

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23・海

2008-05-10 08:54:44 | Weblog
 セミは、トンボほど美しくはない。しかしトンボ狩りに飽きたごぼぜこ少年団は、いつの頃からかセミ捕りに熱中している。ハス田のだだっ広い水平面を征服した挙げ句に、屹立する樹木の高さをも支配下に置こうという本能が働いたのかもしれない。オレと、近所のたかちゃん、こうちゃん、そして弟らは、長い虫捕り網を高々とかかげ、頭上の領土獲得へとのり出したのだった。
 ごぼさんのお墓周辺には、いろんな樹が散在して生い茂っている。夏休みになると、毎日それらの各地点をパトロールして歩く。ミーンミーン、ジージージー、わしわしわし・・・空一面から蝉時雨が降ってくる。見上げれば、いつでもそこにセミはいる。やつらはトンボほど敏感ではなく、たいして息を殺して立ち向かう必要もない。その硬くたくましい背にそっと網を近づけ、ハッ、と一撃必殺の気合いでかぶせる。するとやつらは、やっと気づいた、とでも言うように、まんまと網の中に飛び入ってくるのだった。ところが、網をかぶせる寸前に樹幹を蹴って飛び去ってしまうものもいる。ひょっとしてやつらは、人間が自分たちを捕ろうと迫っているのを理解していながら、ギリギリまでねばって、樹液を吸いつづけているのではなかろうか?「わしら何年も土の中で、こうして甘いやつを吸えるのを待っとったんじゃ~」「吸えるのは七日間しかないんじゃ~」と、決死の覚悟で吸っているのだ。魂を振り絞るかのようにめちゃくちゃ全開で声を張り上げているし、これもまた「鳴かしてくれや~」「七日間しかないんじゃ~」という哀切の叫びなのではないだろうか?ところが、そんな事情などおかまいなしなのが、野蛮な人間の子供たちなのだ。うるさいセミなど、めいわくなあほ、としか思っていないので、とにかく捕りまくることに命を燃やしている。セミとの勝負は、まさに間一髪だ。すれすれで捕らえるか、すれすれでかわされるか・・・そのスリルがたまらない。捕れば、網の中にみっしりとした質量の振動を感触することができる。この征服の実感は、こたえられないものがある。一方で、必殺のひと振りをかわされれば、空からおしっこを浴びせかけられ、屈辱の底に落とされる。勝てば最高の気分、負ければどん底の気分・・・まったく、セミのどの振る舞いを見ても、こちらの射幸心をわざわざあおっているとしか思えないところがある。これはセミ側の責任とも言える。
 セミの種類は、アブラゼミ、ニイニイゼミ、この二種類が主だ。なんの面白みもない生物だが、狩る、という行為そのものに価値を見いだす男子としては、この重量感と力強さは魅力的だ。たまにツクツクボウシやヒグラシ、ごくごくたまにクマゼミなどをゲットすると、ごぼぜこ通りはセンセーショナルに沸き立つ。それを見せつけられた側は、さらなる欲求に突き動かされ、より高い空域を支配せんがために知恵をしぼることになる。かくて男子たちは、ムシ網を長く、高く改造し、狩猟のウデを研鑽し合うことになる。
 ある日、こうちゃんがとてつもない虫捕り網を手にして現れた。バケモノのように長いシロモノだ。棺桶職人のじいちゃんが苦心してこしらえた名刀で、何本ものパーツに分かれて合体式になっている。つまり釣り竿のように、何本もの竹を継ぎ合わせて長大な柄をつくり、その先端に網を装着したのだった。取り外しが自由なので、持ち歩くときには柄をバラバラにして束ねればいい。そして、いざ、という際には、竹竿を細い順に継ぎ、頭上にかかげる。野太いものまで全部を継ぎ合わせると、凄まじい高射砲となるわけだ。この新兵器は、日に日に継ぎ数を増やして丈を伸ばしていき(じいちゃんが調子にのったのだ)、最長で10数メートルほどにもなった。ところがここまでくると、機能も失われる。地上で3人4人によって支えられるこの高射砲は、セミを追い散らすのには役立ったが、捕らえることはついぞできなかった。先端の網がぷらん、ぷららん、と緩慢に揺れまくり、的である小さなセミをおさめられたものではなかったのだ。ものの一週間で、継ぎ竿式セミ捕り網は姿を消した。
 それでも毎日毎日、狩りはつづけられる。虫カゴの中は、常に獲物でいっぱいだ。多くのセミに交じって、アゲハチョウやシオカラトンボも収監されている。彼らの羽根は、いつもボロボロだ。当然だ。きみたちは勝負に破れたのだから。子供たちは満足して家路につく。が、翌朝になると、カゴの中からは、沈黙し、動かなくなった物体がバラバラと出てきて、罪悪感を感じさせられる。熱を奪われ、乾ききって空疎な外殻、もがれた羽根・・・目を覆いたくなるような、哀れな姿だ。だけど去りゆく夏を引きとめるために、子供たちは再び、そして延々と、獲物を追いまわす。

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22・海

2008-05-09 09:54:24 | Weblog
 毎年、夏休みになると、家族そろって一泊二日で海にいくのが恒例だ。お父ちゃんの会社が、福利厚生というやつで、愛知の半島の先っぽの民宿を何部屋か借り切ってくれるのだ。子供たちは、この行事をなによりもたのしみにしている。
 お父ちゃんは「ダイハツ・フェロー」という可愛らしい軽に乗っている。そこに大人三人、小学生男児二人が乗り込み、お母ちゃんのひざの上に小さな妹がちょこんと座る。さらに一家六人分の着替えやら浮き輪やらを詰め込むと、マッチ箱のようなフェローは、はち切れんばかりの風船形に変形する。このギュウギュウ詰めで、いざ出発だ。
 名古屋周辺の重工業地帯をヨロヨロと進む。外はとてつもない濃度の排気ガスが渦巻いているので、窓は閉じきったままだ。この時代の軽に、エアコンなどは付いていない。暑さとすし詰め状態で、からだ中から汗が噴出し、意識が朦朧としてくる。絶えず水筒のお茶で水分補給をしなければならない。そのお茶がまたアッチッチなものだから、車内はほとんどがまん大会の様相を呈する。その上、お父ちゃんがへなどをこいた日には、深刻な生き地獄となる。
 こうした難行苦行をこらえるうちにゴールが近づくが、その頃には、家族全員がひからびてやせ細っている。そこで、海辺の手前にある、灯台を模した塔が目印の「灯台」というラーメン屋に飛び込んで、札幌ミソラーメンをすする。これも恒例行事となっている。すり鉢のような大きな丼に、シコシコの麺、巨大なチャーシュー、鳴戸巻き、てんこ盛りのコーン、すれすれにこぼれんばかりの濃厚なミソスープには、バターがたっぷりと溶かし込んであり、とろりと粘膜を張っている。ごぼぜこ通りの子供たちにとっては、外食といえば年にこれ一度きりなので、このミソラーメンは臓腑に染み渡るようなおいしさだ。
 腹もいっぱいになり、フェロー車内はさらに息苦しくなる。しかしぼくらの夏はすぐそこだ。海鮮みやげ物屋や釣具店の横を通り、細い路地をすり抜けると、民家の庭先にひろがる干物の向こうに小さな水平線が見える。
「わーっ!」
 みんなが歓声を上げる。岐阜は完全な内陸部なのだ。愛知が腹にかかえる太平洋の内海は、憧れでさえある。
 「いろはや別館」というボロボロの民宿では、毎年同じ一階の角部屋で過ごす。色褪せてすり切れた古ダタミに座ると、尻の下は砂でじゃりじゃりだ。潮のにおいがぷんとする。だけど窓を開け放つと、目の前には海の家が展開し、その向こうに広大な海がひろがっている。視線はどこまでも伸びていく。遠く山の稜線に囲まれた濃尾平野で暮らす子供たちにとって、そんな無辺際は信じがたい光景だ。ちんこを放り出して、海パンに着替える。お父ちゃんは浮き輪を膨らませ、お母ちゃんはサイフの用意をする。いよいよ出動だ。民宿のゲタをカラコロと鳴らして、百歩も歩けば、もう砂浜だ。
 ところが、この海が汚いのだ。湿った砂は茶色で、水平線はネズミ色。足を突っ込むと、水面を海藻がうようよと漂い、足裏にはゴロゴロとした貝殻の層。それでも、海は海だ。やんちゃな兄弟は躊躇しない。薄い胸を浮き輪に通して飛び込み、無邪気にじゃれ合っては叫声を上げる。若いお父ちゃんは、子供たちをかかえ上げ、投げ飛ばす。しぶきの中で、まっ青な空と輝く入道雲がひらめく。浮かび上がったときに、顔中に藻が張り付いていることだけが残念ではあるが。それでも、最高の夏休みだ。
 お母ちゃんとばあちゃんは連れ立って、アイスキャンディーを買ってきてくれる。海辺が広すぎて、海の家や売店はとてつもなく遠い。それでも献上品は、炎天下の浜をアチチと歩いて、王子の元に届けられる。とろけて形を失いかけているそれは、頬張ると気絶しそうになほど甘い。大アサリの焼いたのも、焦げた醤油の香りが効いていて、絶品だ。カラカラののどに流し込むファンタもたまらない。「太陽がいっぱいだ・・・」と、アラン・ドロンのようにつぶやきたくなる。
 昭和の日光は、なんの遮蔽物にも邪魔されず、激烈な濃い影を落とす。パラソルもなにもないそんな浜で、一家は一日中、飽きもせずに過ごしている。直火にあぶられ、時々刻々、クロパンのように肌が焦げていく。そんなからだで、夕方に宿に帰り着くわけだが、風呂の湯がこれまた熱い。どういうわけだか、激烈に熱い!痛感神経がむき出しになった皮膚から湯がチリチリとしみ入り、歯痛のようにからだを侵す。まるで拷問だ。うおう、とか、あおう、とか、弟とうめき合っていると、となりでお父ちゃんも同じ声を出すので、オレたちはゲラゲラ笑いながらがまん比べをする。そして、夜の食事だ。薄いトンカツ、シミったれた刺身、プラッシー・・・チープでやっつけな膳が出されるが、家族そろっての旅という異空間で見るそれは、すばらしいごちそうだ。お父ちゃんの膳の前には、ささやかなタイの舟盛りが据えられている。キリンビール。大人たちもまたこぼれるような笑顔で、そいつにありついている。実に幸せな気分だ。
 一家六人で枕を並べ、パリパリのシーツで深ーい眠りに落ちる。潮風が鼻先を漂う。みんな同じ夢を見る。家族っていいなあ。

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