deep forest

しはんの自伝的な私小説世界です。
生まれてからこれまでの営みをオモシロおかしく備忘しとこう、という試み。

108・運営委員会

2019-04-16 08:27:48 | Weblog
 彫刻科の3年生となり、いよいよ「金沢彫刻展」の運営を担わなければならない。全国各地から現代作家の彫刻作品を一堂に集め、金沢市内数カ所に設けた展示場所に設置し、数週間に渡る会期をつつがなく全うする責任を負うのだ。前にも書いたが、このイベントが、ちょっと学生の手に負えないほどの規模に成長してしまっている。運営の責務を負う彫刻科3年生有志(ほぼ強制的に担わされるが)は、一年間のうちの大半をこの活動のために費やす羽目になる。わかりやすく言えば、巨大な展覧会開催のために無給で走り回らさせる、というわけなのだった。まったく大変な話だ。が、とりあえず彫刻科の伝統に従い、「第7回金沢彫刻展」の運営委員会を立ち上げた。
 2年時の最終盤にさかのぼるが、新・運営委員会メンバーが、金沢彫刻展事務所に集合した。この、ひと呼んで「ジムショ」は、大学脇の天神坂を下った崖下、ちょうど石彫場の竹藪を見上げるあたりにある。ジムショと言えば聞こえはよろしいが、これが実にすごい建築物だ。先輩たちが代々に渡って使用してきたこの平屋の掘っ立て小屋は、トイレ付きワンルームというのだろうか?ボロボロの六畳と詰まって使い物にならないポットン便所という造りで、柱は極度に傾ぎ、天井が斜めにのっかっているという、まるでお化け屋敷のようなシロモノだ。「七人の侍」の裏さびれた村の土砂降りシーンで見たことがある気がするが、それよりも数段シブい。底の抜けそうな床の間に、「我思ふ、笛に穴あり」と大書された木版が掲げてあり、カッパがリコーダーを手にした絵が添えてある。破れ網戸から、猫が自在に出入りしている。すき間風が吹き抜ける。
「寒いな・・・」
 誰かがそう言ったきり、円座になった全員が押し黙ってしまった。破れ紙で骨がむき出しになった襖(開けっ放しのまま閉まらない)の押し入れに、歴代の彫刻展の資料がうず高く積み上げられている。そいつを分析し、前回展からの引き継ぎも加味して、今回展の方向性を決めていかなければならない。数枚の薄座布団を多くの尻で分かち合い、総勢十三名(日展系の二名はこの役を逃れた)の頭を突き合わせる。
「まずはリーダーを決めないと・・・」
 貧乏クジ・・・いや、重責はごめんだ。性に合わない。それに、重要な判断を下すのはもちろんのこと、教授陣とのすり合わせ、年上の作家陣との折衝などで消耗させられ、歴代の委員長は抜け殻のようになってしまうのが常なのだ。矛先がこちらに向かう前に、マッタニを推薦すると、あっさりとやつに決まってしまった。いや、マッタニは自ら引き受けたと言っていい。自分はいずれ石彫場のオサの座を担う人材である、という気負いが作用したにちがいない。能力の方にははなはだ疑問符がつくが、マッタニは、やらねば、の意気に満ちている。思い悩んだことだろうが、しかし考えてみれば、やつ以外にこの大役は考えられなかったのだ。今後の彫刻科を背負って立とうという厳かな姿勢は、尊いものだ。立ち上がったその勇ましい姿を見上げ、思わず拝みたくなる。しかしこの合掌は、「すまん・・・」「犠牲になってくれ・・・」「かわいそうに・・・」の気持ちを多分に含んでいる。かくしてマッタニは、人柱となった。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

107・親友

2019-04-15 09:14:40 | Weblog
 春は粉塵、ふわふわ白くなりゆく道ぎわ、少し積もりて、紫だちたるちりボコの細くたなびきたる・・・なんて美しい光景じゃなく、金沢の春は砂ぼこりにまみれる。オレは3年生になった。
 ラグビー部では、生涯のつき合いをしたいと思える仲間が何人もできた。同級生の、成田、オータ、マッタニの三人は、親友と言っていい。
 この年にキャプテンに就任にした成田は、無口なオトナノヒト(同級だが、何浪かして入ってきたので、実際に年上なのだ)で、ひと呼んで、ミスター・ストイック。端正な顔立ちに、ザンバラ髪(若白髪だが)、無精ヒゲという、野武士風のたたずまいを漂わせている。ムキムキかつシャープに絞り込んだ肉体で、試合となると敵にひとり立ち向かっていく、掛け値無しのヒーローだ。しかも頭脳明晰で、背中に孤独感とくれば、女どもが放っておかない・・・かと思いきや、浮いた話ひとつ流したことがない。ラグビー部でバカな仲間に囲まれつつ、寡黙に過ごすのが性に合っている、という奇妙な人物だ。そんなまばゆいオーラを放っていてつき合いづらいが、根はドジで可愛いやつでもある。
 オータは逆にひとなつこく、天真爛漫で、周囲の誰をも自分のワールドに巻き込んでしまうという魅力的な人物だ。小柄で、ニワトリのようにすばしこく、ワニのように強いアゴを持つ、バックスの切り札でもある。ボールがぽんと転がれば、犬のような野生を発揮する。その一挙手一投足を見ているだけで笑えてくる、愛しいバカと言える。オレとオータとマネージャーのチカちゃんは、常に三人一緒に行動し、どこにいくにも顔を突き合わせ、お互いの恥部まで知り尽くし、本音を包み隠さずにさらしては、ゲラゲラ笑い合ったり、泣き合ったりする仲となった。ただ、相互間の恋愛衝動は絶無だったが。
 マッタニは、午後の講義の終わりを告げるチャイムが鳴ると、オレと競って一等先に部室に駆け込み、練習着に着替えて、グラウンドに躍り出る。ふたりとも、ウズウズが止められないのだ。オレはズタズタボロボロの、かつて真っ白だったはずの茶色に変色したジャージーがトレードマーク。マッタニのは、薄汚れたライムグリーン。いつも、夕刻の清潔なグラウンドには、最初にふたりのスパイク跡がつけられる。しかし、まだ集合には早い時間だ。仕方なく、手持ち無沙汰にボールのやり取りをしているうちに、オータが疾風の如くに転がり込んでくる。その後ろに立つつむじ風に巻かれながら、のっそりと成田が現れる。さらに、常日頃から濃緑のラグビージャージー姿で過ごしているメガネの丸ちゃん先輩がやってきて、だいたいこんなメンバーで練習開始となる。部員数が少ない?いやいや、わがラグビー部は、体育会的厳正ムードゼロの、ゆるーいコミュニティなのだ。練習はやりたいやつだけがやり、いざ試合!となったときにだけ、全部員がかき集められる。部員数は、試合ができる十五人ちょっきりだけ在籍していて、要するに、全員がそろわないと試合ができない。なので、試合のときだけは強制力が発動される。それでも、部員のケガや用事で試合メンバーが足りない、ということになると、野球部やらサッカー部やら彫刻科やら、最悪の場合、他の大学やらから即席に人員を借りてきて、対処をする。そして、かえってそんなやつらが大活躍するんである。弱いことこの上ないが、愉快なラグビー部ではある。

つづく

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106・シーズン・イン・ザ・サン

2019-04-14 19:35:46 | Weblog
 大学生活の四年間に、アルバイトは30種類ほどもしまくった。
 田中運送は、美大生御用達のバイト先だ。ここでは引越しの荷物運びもするが、単発の美術品の移送仕事が多くあり、困ったときの日銭稼ぎには具合いがいい。そしてなにより、勉強になる。大きな美術館で展覧会の入れ換え作業があるときには、大人数が駆り出される。日展の開催時(地方巡回展)ともなると、タタミ何畳分ほどもの大きさの油絵・日本画が数百点も勢ぞろいする。そいつをひたすら倉庫からえっちらおっちらと運び出し、トラックに積み込み、美術館に搬入する。巨匠の作品に傷のひとつでもつけたらえらいことになるので、細心の注意が必要だ。なのに美術館内では、片町のスクランブル交差点のように、動線が入り乱れての大混乱となる。あっちへ持ってけ、そいつはこっちだ、という指示に従い、バイトたちは右往左往しなければならない。日展の作品なんてどれも同じようなものなんだから、どこに置こうがわかりゃしないと思うのだが、作者の格というものがあるらしいのだ。「画壇のヒエラルキー」というやつを思い知らされる。
 珍しいところでは、祭りの屋台でカブトムシ売りのテキ屋バイトもした。週末の三日間で200匹ほどを売り倒すのだが、餌やりと飼育も大変だ。大カゴの中のおがくずを水気でビタビタにしてしまい、数十匹を全滅させる、という大虐殺事件もやらかした。朝、やつらは、劣悪な扱いに対する抗議のためか、カゴの中でそっと首(カブト)を落として死んでいるのだ。そのカラダの中身のことごとくが空っぽで、その空疎な光景が怖くて怖くて、ひたすら悔悟した。小さな力持ちの亡骸の山に、心底から謝るしかない。なむなむ・・・
 夏になると、権現森の浜にある海の家で働いた。海でのリゾートバイトと思えるかもしれないが、残念ながら、モテ感ゼロの駐車場のチケットもぎりだ。権現森海岸は、松林を下って海沿いの有料道路の高架をくぐり抜けたところに開いている。高架下のトンネルが、広大な駐車場への入り口となっているので、そこで海水浴客の車を待ち受けるのだ。盛夏ともなると、ここを先頭に車列ができる。その一台一台の窓を開けさせ、システムを説明し、300円なりを徴収して、駐車場の空きスペースへと誘導しなければならない。三人ひと組だが、この誘導係が大変だ。雪国金沢とはいえ、夏の暑さを甘くみてはならない。じとじとの湿気と、激烈な太陽光、それに内陸から日本海に抜けるフェーン風とで、驚くべき暑熱となるのだ。炎天下の、木陰もパラソルもない海辺の駐車整理は、過酷極まる。が、時給が非常にいいので、このシーズンバイトは引く手数多だ。それに、雇い主である海の家から、ちょこちょこと海鮮の差し入れが入るのもうれしい。鍋ごと配給されるあら汁は最高だし、発泡スチロールの箱に満載された甘エビが振る舞われることもある。近江町市場で売り物にならない小さなサイズのものが、流れ流れて、われわれ貧民の元にやってくるのだ。車列が途切れると、そいつに手を伸ばし、貪り食らう。歯ごたえもなにもない、チューチュー吸うしかないようなシロモノだが、大悦びでせっせと口に運ぶ。思えば、美食の都・金沢に住んではいるが、エビ、カニ、鮮魚・・・それらの名品にはまったくありついていない。その恨みもあって、ここぞとばかりに大食らいをする。ところが、甘エビは食べすぎると酔っ払うのだ(オレだけかな・・・)。あの得も言われぬ風味が、脳に回るんだろうか?甘エビをたらふく食べたバイト学生は、エビ酔いの千鳥足で、ひたすら浜の駐車場を駈けずりまわることになる。かくして、ビキニの美女とはとうとう会えずじまいの夏が過ぎゆく。

つづく

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105・プルストン

2019-04-10 16:48:28 | Weblog
 生活雑貨屋の脇の階段を二階までのぼる。「プルストン」の入口ドアを開けると、簡素にして清潔な店内がひろがる。ガチャ目だけどかわいくて優しい、いつも笑顔のママ。ぶっきらぼうだけど、几帳面で生真面目なマスター。新しいバイト先は居心地がよく、結局卒業までお世話になった。(ちなみに、卒業後にこの物件を訪ねてみると、プルストンはなくなり、入れ替わりにジョーハウスが入っていた!)
 エプロンを着けるのは恥ずかしかった。オレの着ている服がボロボロなだけに、ファンシーなプリント柄の違和感が半端ない。「いらっしゃいませっ」の声も照れくさい。それは、バンカラ文化からはるか隔たったセンテンスだ。最初はか細い声で、誰にも聞かれませんように・・・と、遠慮がちに発声していた。が、相手に聞こえないと二度めを大声で発する必要が生じる、というジレンマに至り、一発合格が出るように、徐々に声を張るようになっていった。
 午後5時半に店に走り込み、エプロンを装着。お客さんがいないヒマな間にメニューを見て、品名と料金を記憶する。お客さんが来店したら、笑顔をつくって「いらっしゃいませっ」をやり、お冷やを運ぶ。オーダーを伝票に書き取り、マスターに伝える。料理ができたら、席に運ぶ。ホールと、手が空いたら皿洗いに、コーヒーまで入れる。午後10時に賄いを食べさせてもらって上がりという、バイト単独シフトだ。人気店なので、開店と同時に、七つの四人掛けのテーブルと、四人まで座れるカウンター席がたちまち満席になる。最初はパニクったが、すぐに効率よく立ち回れるようになった。オレって頭がいいし、段取りを即座に組み立てられるし、計算も早いし、才能があるのかもしれない。村さ来の洗い場のように機械的に働かされている感もないし、自由に歩き回れて、店内の空気をコントロールできるたのしさもある。金稼ぎ、という以上の働く意味を知った。
 食べるものも美味しいし、安くて大盛りでみんな満足してくれるし、ここで働けることが誇らしくなってくる。仲間たちがきてくれるのもうれしい。客がオレの友だちだと勘づくと、マスターは大盛りをさらに増量してくれる。これもありがたい。学内の名物キャラクターも、代わるがわるに現れる。怖い先輩たちも、カウンター越しに見ると、意外に普通の苦学生であることがわかったりして、隔たりが埋まるのを感じられる。キャンパスのマドンナである、一年上の日本画科のコスギさんがくるときなどは緊張する。まばゆいばかりに可愛ゆく、性格もいい彼女は、学内の誰もが認める正真正銘の「ミス美大」なのだ。その彼女が、なぜかカウンター席に座るのだ。彼女はいつも、取り巻きの背の高い格落ち美女と連れ立ってくるのだが、どういうわけか常にふたり並んでカウンター席に陣取ってくれる。カウンターの対面で洗い物をするときなど、輝かしきご尊顔が正面にあると思うだけで、ワキ汗が噴き出して止まらない。目を合わせるなんて、決してできない。顔も真っ赤になっていることだろう。そんなオレの様子に勘づき、マスターは彼女のピラフを特盛りにしてくれる。違うだろ!とツッコミを入れたくなるが、仕方なくミス美大の前にそれをお出しすると、コスギさんは目を輝かせ、天を衝くような炒め飯の小山をぺろりと平らげてしまうのだった。そして「タッチ」の双子の弟の方が死んでしまったことを隣のノッポ女子に熱く熱く語り、テーブルを叩かんばかりの勢いで嘆くのだった。ミス美大のそんな姿を見てオレは、ああ美大の女とは恋愛をするべきではない、と嘆くのだった。

つづく

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104・新しいバイト

2019-04-09 19:02:10 | Weblog
 雷鳴がとどろく。頭上を覆う曇天から雹が撒き散らされる。その上に雪が舞い降りてくる。やがて、しっかりと形を整えたぼた雪がしんしんと、延々と降りつづくようになる。視界はたちまち白銀の内に閉ざされる。こうなると、春までずっと金沢の街は銀世界のままだ。バイクの路上走行は禁止。仕方がないので、徒歩で学校に向かう。
 オレのいでたちは、長い長いマフラーをターバンのように頭(かるく長髪)に巻き、もう半分を勇者のように首に巻きつけ、ジーパンはファッションの枠を超えたレベルでビリビリ、素足にビーサン、カバンは中学校時代の肩下げタイプ(金八シリーズに出てくる、白いめくり上げ式の)、そして傘の代わりに軍隊風のポンチョ(ボーイスカウト時代の)というものだ。このたたずまいで雪深い街をゆく姿は、八甲田山の死の雪中行軍じみている。ナルシズムのなせるわざだ。ひとの視線も気にならない。というよりも、美大生がみんなだいたいこんな感じなので、誰もオレの格好など気にも留めない。
 竹藪に囲まれた長い長い鶴間坂をのぼり、小立野の丘の上にあるキャンパスにたどり着く。肩にこんもりと積もった雪を払い、塑像室に入れば、灯油ストーブがガンガンに焚きつけられ、ぽかぽかだ。外は雪なのに、中では素っ裸のモデルさんが身じろぎもしていない、というシュールな光景。心地よすぎるぬくさにうとうとしながら鉛筆を動かすふりをし、いよいよ本格的な眠りに就ける午後の学科の講義までを終えると、再び街路を雪中行軍だ。しかしオレの足は、きた道の鶴間坂とは逆サイド、小立野の丘の向こう側の亀坂を下る。ピロくんと北川の待つ赤崎荘へ、いそいそと向かうのだ。みんなで一部屋に集まって酒を飲み、ギターをかき鳴らし、口ゲンカをし、酔いつぶれたらコタツで寝る。朝起きて、カメ坂をのぼり、学校にいき、ツル坂を下る。のぼる、下る。ツルを、カメを。丘を間に置き、のぼり下りの往復運動・・・江戸時代の侍の、屋敷と妾宅を結んでの登城とは、こうしたものだったにちがいない。
 さて、オレは片町の村さ来の洗い場を辞め、丘の上の小立野の並びにある石引町というところで、新しいバイト先を見つけていた。その小さなレストラン(メシ屋、と言っていい)は、名前を「プルストン」と言う。いしびき町にあるから、プル・ストーン、だ。石引町は、金沢城の石垣に用いる石を各地から引っぱってきた道にちがいない。
 プルストンは、気のいいママと、無口なマスターがふたりでやっている家族的な店で、ピラフやスパゲティの大盛りが売りだ。このあたりは学生街なので、どの店もそうなのだが、客にはたらふく食わせねばならない。例えば、大学をちょっと下ったところにある「リリー」という店のパスタなど、巨大な平皿に丸座布団ほどもの盛りで、いつも満席の人気を誇っている。ここで、差別化、という考え方が必要になってくる。リリーの料理は広さ方面に大きいが、プルストンのものは高さ方面にサービス満点なのだ。こんもりと山盛りにされたパスタだのピラフだのに、トンカツやミックスフライ、クリームコロッケなどがずしりずしりとのっかっているのだ。学生の目には、たまらないビジュアルだ。しかしオレは、客ではなく、バイトの身だ。こいつをカウンターからテーブル席まで運ばなければならない。イカツイこいつを二つ三つと同時に移送するのは、なかなかのバランス感覚と集中力を要する。しかし、楽屋の裏仕事である皿洗いよりも、ホール係は「花形」という感じがして、ひどく気分がいい。オレはこの店で、対面の接客のヨロコビを覚えた。生まれてはじめて「いらっしゃいませっ」てなことを口にすることになったわけだ。プルストンは、家庭や学校、あるいは居酒屋の厨房という閉じきった社会から脱却し、まったくの未知の外側に自分を開く機会を与えられた、記念すべき場所でもあった。

つづく

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103・ラジオ体操

2019-04-08 21:32:06 | Weblog
 で、美大祭が開幕したわけなんである。とりあえず、自分の店の焼き鳥を焼かなきゃならない。しかし、男尊女卑思想が横行する昭和時代のこと。シフト制で店番が決められてはいるが、厨房は女が守るもの、という感覚が浸透している。男子はデンと座って酒をあおり、女子は自ら進んで調理番をしてくれる。まことに好ましい時代と言える。ところでオレ、今だによくわからんのだが、「男子も子育てをせよ」な意見って、「女子も嵐の夜に屋根の修理をしろ」って条件と等価交換してくれるんだろうか?男子もまあ、子育てはしよう。だけど、こうした家庭の男女の目の前で、すわケンカ、すわ強盗、すわ戦争、となったとき、女子の方もまた、拳を固めて暴漢に立ち向かうことを要求されるのは必然となる。フェミニズム信奉者は、しっかりとこの点を確約してほしいものだ。ええと、で、なんだっけ?男子は店番をサボりがち、って話なんだった。ここで考えてみてほしい。店づくりの大工仕事で相当の汗をかいたのだ、男子たちは。女子たちはそれをただ見ていただけなのだ。ここは「力仕事」と「家事」のフェアトレードといこうではないか。これが昭和時代の平穏な家庭というものだ。ひと仕事を終え、ビールカートンに座り、股の間からビンを抜き、次々と飲み干していくダメ亭主たち。そして女子たちは、厨房でアテをこしらえつつ、「まったくもう」と、それでもほがらかに笑って甲斐甲斐しい。正しい男女間の姿(「バンカラ文化における」と注釈を付けておこう)がここにあると思いたい。
 さて、自分たちの店で血液をアルコールに慣らしたら、いよいよ他国への遠征に出動となる。が、さすがは頼もしきわれらが女子たちである。金の請求だけは怠らない。これも女子の習性なのだが、ゼニの問題となると決して容赦がない。そんな~ツケにしてよママ~、ダメよっうちは現金払いオンリーです、ちえ〜わかったよ〜ホラ〜、毎度アリっはいよっおつりの五十マン円ね、ちえ〜しっかりしてらあ〜、あたりまえよっうふっまた遊びにいらしてね・・・このようなやり取りが、毎度くり返されることとなる。男どもは、自分の店の売り上げを自分たちで積み上げているのだから世話はない。
 こうしてフトコロさびしい中、他店の様子を見にいく。各テントの客の入りをのぞいてまわり、知った顔を見つけては、あるいは見つけられては、では、と異国間交流に励む。こうしてほぼ深夜の12時頃までは、真面目な営業と金額のやり取りが行われる。ところが!それ以降となると、どちらサイドの思考能力も著しく低下し、記憶もおぼろとなっていく。商取引のうやむやがはじまり、関係がぐちゃぐちゃになり、意識混濁、信頼崩壊、愛憎相まみえる大騒動、大喧騒が開始される。誰もがへべれけ、千鳥足、前後不覚。ものすごい怒声の熱気で天井を膨張させているテントもあれば、しんみりと肩を抱き合い泣き暮れるテントもある。フォークゲリラ(ギターの流し)たちが徘徊し、歌声を振りまいている。裸の女子がくねくねと腰をくねらせ、その裸体に絵の具をぬりたくる即興ボディペインティングショーにひとだかりができている。外で打ち倒れた酔っ払いの背中に霜が降りている。中で眠りこけた者にはからだ中に落書きが施されている。美大生の落書きは凄絶だ。完全に酔いつぶれた者の身ぐるみをはがし、首から足先までの全身にびっしりとウロコを描き込み、再び服を着せ、しれっと素知らぬ顔を決め込むのだ。酔いを覚まして起き出した彼には、銭湯で鏡を見るまで蹂躙されたことが自覚できない、というわけだ。まったく恐ろしい・・・
 こうして空が白む午前6時半、まっさらな朝日に照らされるキャンパスに、ラジオ体操のテーマソングが響き渡るのだ。冴え冴えと冷え込む時間帯。なんとかテント内で生きながらえた者たちは、体操のお兄さんの明るすぎる声に、重たい背中を起こす。そしてゾンビのような足取りでグラウンドに集まったかと思うと、本能でか、円陣を形成する。この亡者の群れが、結構バカにできない人数なのだ。
「ラジオ体操第一、よう〜い」
 健康すぎる長調一辺倒のピアノを空々しく聴きつつ、きしむからだをぐだぐだと動かす。これでやっと美大祭の一日が終了である。各自、家に帰って、あるいは各テントに戻って眠りに就き、再び夕暮れの戦闘開始時間を待つ。これがまる三日間つづくんであった。

つづく

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