deep forest

しはんの自伝的な私小説世界です。
生まれてからこれまでの営みをオモシロおかしく備忘しとこう、という試み。

37・芸術漬け

2009-04-01 23:12:08 | Weblog
 春はあけぼの。早朝のプラットホームにたたずんでいると、朝日に呼吸をはじめた草木の香りが、そよ風に乗って鼻先をくすぐる。半無人駅。30分に一本の電車に、まばらな人影が吸い込まれる。学ランがぎゅうぎゅう詰めに押し込まれるのは、もっともっと遅い時間帯のことだ。
 美術科の「朝練」とも言うべき始業前のデッサンは、三年間欠かさず日課としてつづけられる。いや、やるかやらないかは生徒個人の意思に任されているのだが、なにしろ先生たちの目がある。先輩たちからの無言の圧もある。なにより、同級生女子たちの生真面目な姿勢を見たら、置いてけぼりを食う恐怖に追い立てられる。早出は、もはや自由意志ではない。半強制の同調圧力に、朝にだらしない男子たちも渋々と従うしかない。
 デッサンにはげむのは、早朝だけではない。「デッサン」というそのものの科目が二コマ続きで授業の中に組み込まれているし、熱心な生徒は、昼休みにまで弁当持ちでデッサン室に足を運んでいる。もちろん放課後にも、薄暮が降りて石膏像が見えなくなるまで作業はつづけられる。数十倍などという入学倍率を誇る東京芸大の関門を突破するには、それはあたりまえの努力であり、心構えなのだ。すべての美術科生は、究極的にはその頂きを目指している。それゆえに、やりたい者はとことんやる、やりたくなったらいつでもどうぞ・・・そんな文化が、美術科には染み付いている。主体性重視だ。しかし、これはおいおいとわかっていくことなのだが、それは純粋な向上心ではない。やりたいのではなく、やらずにはいられないからやるのだ。それは、焦りや不安にせっつかれての努力だ。うまくならなければまずい、は、うまくなりたい、とは違う。とにかく、みんながやっているからやる。面目上、がんばらねばならないのだ。
 というわけで、オレたちは朝から晩までデッサンをしている。ある意味、えらい子たちではないか。しかし、自分たちの努力を格段にほめてもらいたくてこんなことを言っているわけではない。逆に、この努力は、ほめるに値しないとさえ言える。普通の学生が勉強をしている時間を、我々はデッサンにあてているだけなのだから。つまり、勉強をしないのだ、我々美術科は。学力を捨ててでも、デッサン力の方を取りにいったのだ。要するに、バカで結構、のスタンスだ。その開き直りは、うまく描けなければならない、という恐怖感と表裏一体でもある。甲子園を目指す高校の多くは、授業を犠牲にしてでも野球をやっている。そうした高校は、甲子園にいけなければなにも残らない。野球の技術など、社会においては無価値なのだから。それと同様に、デッサン力も、学力社会においては無価値だ。美術科生は、美大・芸大に進めなければ、一切の積み重ねが水泡に帰すこととなる。かしこくなることをあきらめてうまくなろう、と決意した以上、上達しないわけにはいかない。バカで、ヘタ・・・そうはなりたくはないではないか。まさに背水の陣。かくてゲージツ家の卵たちは、時間さえあればデッサン室にこもり、木炭にまみれる。
 さらに、美術科生に必要な素養は、デッサンだけではない。美大・芸大一本、という科の方針は、授業のカリキュラムに如実に現れている。一週間の時間割りのあちこちに「デッサン」が組み込まれているが、それ以外にも、おびただしい「美術」の実技と、「美術史」「デザイン」「製図」などの座学の授業が配置されている。時間割り表におけるそれら美術関連授業のコマ数は、学科のそれを圧倒するもので、ほぼオセロの盤面を制圧している。つまり美術科は、一週間の大半を芸術活動にあてるのだ。勉強をせずに、だ。早朝や放課後にまで画紙に向かっていることを考えれば、言葉通りの「芸術漬け」の三年間ということになる。
 それにしても、この偏りはなかなかシビアな人生を予感させる。普通の生き方をするという選択肢を断って、あえてバカになり、ゲージツの道でしか生きていけないカタワになることを意味しているのだから。才能のない者は路頭に迷うことになるし、意欲のない者は落ちこぼれることになる。将来への考えなどナシに入学してしまったうっかり者は、ここにきて「しまった」と思っているかもしれない。それにしても、中学3年という時点での幼い選択で、誰がそこまで考え及ばせることができるというのか?齢15にして、ツブシの利かないアウトローの生き方が確定とは・・・これで本当によかったのだろうか?道を間違えたのでは?・・・自問しない者などいないはずだ。後悔先に立たず。とは言え、もう遅い。軌道修正のできる転轍機ははるか後方に過ぎ去った。前方には、はるか一直線のレールがあるきり。ハラをくくって、「自分は芸術家になる」と夢にすがるしかない。
 しかし、それは実にたのしい夢でもあるので、毎日がしあわせでしょうがない、というのも事実なのだった。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園