deep forest

しはんの自伝的な私小説世界です。
生まれてからこれまでの営みをオモシロおかしく備忘しとこう、という試み。

42・のぼちゃん

2009-06-30 11:31:28 | Weblog
 クラス担任は「のぼる」という体育教師だ。30歳前後か・・・日焼けした肌が黒すぎて、年齢が読み取れない。大阪体大のハンドボール選手だったというのぼるは、スリムだが逆三角形のムキムキの肉体を誇っている。パンチパーマに、常に上下ジャージ(夏場はタンクトップ&短パン)という出で立ち。大声の出し過ぎと酒にのどを焼かれたせいで、声はガラガラにしわがれている。顔貌は、まるで打たれすぎたボクサーのようだ。しゃくれたアゴは尻のように割れ、腫れまぶたと落ちくぼんだ眼下の底に据えられた目だけがギラギラと光っている。ぱっと見、飢えた猛禽類のような印象だ。
「のぼちゃんと呼んでくれ」
 それが、のぼるの最初の挨拶だった。意外に気のいいやつなのだ。
「酒はいいが、タバコはいかんぞ」
「子供ができたら、すぐに俺に言え」
 すべてが体育会のノリだ。今でも体大にいるつもりらしく、ヒマさえあればグラウンドに出て、走り込みをしている。いつまでもいつまでも走っている。照りつける日差しをあびて黙々と走りつづけるその真っ黒な影は、獲物を探し求めるサバンナの狩猟民族の姿そのものだ。
 こんな調子のため、のぼるは教師陣の中でも完全に浮いた存在となっている。県下の優等生を根こそぎにかかえ込むわが校には、選り抜きのエリート教師が集められている。そこになぜこの粗野な男が混じり込んだのかは謎だが、普通科棟にひろびろと設えられた職員室に、彼と話が合う仲間はいまい。のぼるは、まさに「異色の人種」なのだ。そんなわけで、わが美術棟一階、運動用具庫の脇に特設的につくられたせま苦しい体育教官室が、のぼるの寝ぐらだった。休み時間にも、居所がないのか、職員室にはめったに近寄らず、体育教官室でひとりで過ごしている。オレたちはその姿に、手に負えない野獣が優等な生徒たちから隔離され、この薄暗い営倉に閉じ込められているのだ、とウワサし合った。とにかく、この奇妙な体育教師が、オレたち1-美の担任となったのだった。しかしのぼる側としても、面倒な生徒たちをしょわされたと感じているか、気楽なクラスをまかせてくれたと感じているかは、定かではない。
 さて、学科の授業で普通科棟から次々と送り込まれてくる教師陣は、実に優秀だった。授業内容は難解でも、言葉は平易で、論理的、かつ面白いのだ。信じがたいほどにわかりやすい。しかも、こんなにいい教師とは巡り会ったことがない、というほどの教育のスペシャリストが、次から次へと繰り出されてくる。教科書の上っ面をなぞって記憶するだけだった中学時代の教育とは、クオリティがケタ違いだ。スポンジが水を吸収するように、高度かつ高密度な内容が理解でき、しかも放っておいても脳内で整頓されていく。そんな、快感とも言いたくなるような成長感をはじめて味わった。入ってくる、という実感は、勉強のたのしさに目を見開かせてもくれた。この先生たちのおかげで、美術科のアウトローたちは、劇的にかしこくなっていく・・・はずだ。
「よいしょーっ!よいしょーっ!よいしょーっ!」
 一方で、のぼるの授業は、あまり知性を感じさせるものではなかった。両腕両足を曲げてちぢこまって力をため、「よいしょーっ!」のかけ声で空に向かって伸び上がる「天突き体操」が、この体育バカは大好きなのだ。
「こらー!もっと大声を出せーっ!」
「よいしょーっ!」
 体育の授業時間の前半は、この滑稽なうんこ体操に費やされる。ちなみに後半は、当時まったく世に知られていなかった「ハンドボール」なる競技の練習となる。オレたちはうんざりしながら、のぼるの均整のとれた肉体から正確無比にくり出される天突き体操に従い、尻を上げたり下げたりした。
 この天突き体操を、オレはのちにテレビ画面の中に発見し、驚愕することになる。そのドキュメンタリー番組のナレーションは、こう語っていた。
「・・・受刑者たちは毎朝、この天突き体操によって、せまい獄舎の中で凝り固まったからだを伸ばすのである」
 のぼる、ひょっとして前科者?

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

41・深夜の校舎

2009-06-26 10:18:53 | Weblog
 夕刻にいったん家に帰り、一眠りしてから、深夜12時前の終電で再び学校に出かける。
 母親は話のわかる人物で、高校生の息子から「夜中の学校で、仲間と酒を飲む」と聞かされても、「あ、そう。飲み過ぎないようにね」という反応だ。しかも気が利く。息子に恥をかかせてはならない、と、封の切っていないジョニ黒(ジョニーウォーカーの黒ボトル=高級スコッチ)と、唐揚げやら、イカの干したのやら、酒のアテになるものをいろいろと持たせてくれた。昭和時代、親のこうした行為は正しかったのだ。
 駅で待ち合わせた制服姿の男女数名が、ネオンの灯りも落ちかけている夜の街を疾駆する。集まった主要人物は、男子は首謀者キシに、オレ、イトコン、ちん。女子は、デインジャラスフラワー・エノキダ、長渕剛似の女・つーちゃん、「ダーリン」小栗・・・その他若干名。エノキダとつーちゃんはリアルランカー(大物)で、クラス内で不可侵の権力を振るう女帝コンビだ。このふたりに小栗を混ぜると、漫才のようなすさまじいマシンガントークがはじまり、オレたち男子は話についていくどころか、聞き取ることも困難、という状況に落ち入ることがままあった。とにかく、バイタリティではとてもかなわない。このレベルに追いつくことが、オレにとっては当面の課題だ。
 さて、闇に閉ざされた学校の鉄柵を越えると、静まり返った校舎が出迎えてくれる。漆黒に近い中庭を、足音を忍ばせて進む。「見つかるかも」というスリルと、お化け屋敷的恐怖心で、冷や汗が背中を伝う。日中にあらかじめカギを開けておいた窓から、校舎内に侵入。息をひそめて、階段をのぼっていく。教室で一息つきたいが、蛍光灯を点けるわけにはいかない。そんなことをすれば、周囲一キロ四方に自分たちの犯罪を知らしめるようなものだ。空き巣の気持ちがわかる。しかし、これは犯罪ではない、と自分に言い聞かせる。よく考えたら、犯罪行為なのだが。とにかくそこは考えないようにして、そのまま階段をのぼり、われらがフェイバリット・スパースである、秘密の踊り場に腰を落ち着けた。
 周囲のカーテンを閉めきり、用心を重ねた上で、階段の灯りを限定的に点ける。ほの暗い中、酒盛りははじまった。
 男子と女子、とは言っても、恋愛はおろか、チューもエロもおよそ喚起させえないメンバーだ。ひたすら酒が好き、という理由だけで集まっている。オレたち男子は、高校生らしくジョニ黒をコーラで割り、正しくコークハイをつくる。しかし豪放磊落な女子たちは、そんなジュースのような飲料には興味を示さない。立てひざに一升瓶だ。そいつを手酌で欠け茶碗に満たし、んっくんっくとのど仏を上下させる。おっさん女子にはあるのだ、男子のようなのど仏が。のどを鳴らすようなハイペースで、女子は次から次へとを杯を重ねていく。そんな男前を目の当たりにするにつれ、ますます彼女たちを女として見ることができなくなっていく。男子は肩身せまく、甘いやつをちびりちびりとなめつづけた。
 酔いがまわると、気が大きくなってくる。
「肝だめしをしよう」
 お定まりのやつだ。デッサン室の階上に、石膏像部屋がある。そこへの探険行が決定された。
 懐中電灯を手に、暗闇のデッサン室に忍び込む。石膏で固められたギリシャやローマの偉人たちが、ライトの輪の中で白々と浮かびあがり、ひっ!・・・と声が漏れそうになる。それをのどの奥におさめ、さらに二階倉庫に歩を進める。この部屋には、おびただしい数の石膏像が収納されていて、まるで兵馬俑坑のように異様な光景がひろがっているのだ。永遠に沈黙する群像。その塗り固められた人間のあいだを縫って進む。あの剛胆な女子が、意外なことに、震えながらこちらの袖をつかんでくる。ひじが胸の盛り上がりに触れ、なかなか刺激的だ。しかし、それを気にするどころではない。とにかく、生きて帰ることが重要だ。
 キシが、モリエールとブルータスの頭上に、天井から屋上へと抜け出られる「射出口」のような扉を発見した。その口に向かって、ロフトから簡易ハシゴが下りている。
「おい、上に出られるぞ・・・」
 よじのぼるキシの後を、みんながつづく。引っ掛け式のカギを外すと、フタのような窓があき、頭上に満天の星空がひらいた。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

40・酒

2009-06-25 10:50:14 | Weblog
 オレの飲酒デビューは、小学校の低学年あたりだったと思う。親戚の集まりで、叔父さんたちにはやし立てられ、ビールを飲まされた。苦み走ったその黄金の炭酸水は、意外にのどにスススっと落ちていき、おいしかった。その直後に、生まれてはじめての酩酊状態を味わった。あれは街の料理屋かどこかだったのだろうか?千鳥足でトイレにいき、気分よろしく用を足した後、鏡の中に自分のご機嫌な顔を見たのを、鮮明に覚えている。このとき、ひとりの酒好きの男が誕生したといっていい。
 その頃、毎食後に両親から「エビオス」という整腸剤を渡され、服んでいた。はじめはみっつよっつを水で飲み下していたのだろうが、やがてその錠剤をかじるようになった。今思えば、その薬の正体はビール酵母で、確かにビールの味がしていたのだ。幼いオレはその味が大好きで、年を経るにつれて、錠剤の数は10錠、20錠と増えていった。中学校に上がった頃には、30錠ものエビオスをおやつ代わりにポリポリとかじり、ビールの味を堪能した。「のめばのむほど、胃によいのだよ」などと、本気でエビオスの効果を信仰する家庭だったので、思う存分にほおばった。エビオスは、一ビンに2000錠も入っていて、口さびしい子供にとっては実に心強い、空腹時の味方だった。
 親父は、晩飯前にキリンビールの大ビンを一本か、日本酒を自分で燗して、ひとりでチューチューすするひとだった。キュウリとタコが大好きで、いつも自分でそれを乱切りにし、アテにしていた。一方で、すでに高校生になったオレは、焦っている。この歳になって酒が飲めないなんて、恥ずかしい話ではないか。そろそろ少しずつ飲んで体をつくっておかねばやばい、大人になるのに出遅れてはならぬ、と思い詰めている。そこで、食事時にオヤジから一杯二杯を頂戴するようになった。ビールは、小学生時代の初体験の感激ほどはうまいものではなくなっていたが、とにかく、同級生に先んじるため、この味を覚える必要があった。
 応接間のサイドボードに、親父が仕事の関係先からお中元やお歳暮でもらうのか、サントリーオールド(通称・ダルマ)などのウイスキーや、カミュ、ナポレオンといったブランデーがいつも並んでいた。いつしか、こいつをこっそりと拝借するようになった。ボトルを自分の部屋に持ち込んでは、コーラで割って「コークハイ」にし、ちびちびと口に運ぶのだ。こいつは強烈で、たちまちアルコールが脳髄にまわる。この高揚感はクセになる。やめられなくなった。
 さて、キシは、クラスを取り仕切る悪い女子たちと徒党を組むようになっていた。オレもその派閥に下っ端として加わった。女子らは豪傑ぞろいで、成績は悪いが頭の回転は速い、という奇才ぞろいだった。みんな、チェッカーズとRCサクセションが大好きで、オレはこのとき、忌野清志郎という人物を知った。「イエー」と「ベイベー」という奇妙な掛け声も覚えた。つまりまあ、そんなノリの集まりだったわけだ。
 彼女らは、とてつもなく酒が強かった。もう一度確認のために言っておかなければならないが、みんな女子高生である。セーラー服という出で立ちに、わりと美しい顔立ちをした彼女たちだが、武勇伝には事欠かない。性行為はもうすませたらしき威風を誇り、酒場にも制服姿で入り浸っているらしい。そんな彼女たちの剛胆は、一平民であるオレにとって目標であり、あこがれですらあった。
「深夜に学校に集まって、酒盛りをしよう」
 誰が言いだしたのか、そんな企画が持ち上がった。臆病で常識的なオレは、ギョッとした。そんなことをして、もし先生に見つかったりしたら、叱られるどころの騒ぎではない。なんたって、県下一の優等校なのだ。謹慎か、停学か・・・内申書は・・・新聞沙汰に・・・
 しかし一方、なんと心浮き立つ試みではないか。深夜の校舎で酒盛り・・・思春期の冒険心が疼く。
「やろ、やろ」
 ドキドキしながらも、すぐさま同意した。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

39・早弁

2009-06-24 09:32:48 | Weblog
 クラスメイトたちと徐々に打ち解けてくると、弁当を一緒に食べたりするようになる。別棟で過ごす普通科の優等生たちは、彼らの教室内でおとなしく食べているようだったが、フリーな美術科の面々は、教室外で思い思いに居心地のいい場所を見つけ、そこをランチのテラス席とした。
 柔らかい光線に満たされたデッサン室は、近代建築のカフェのようにおしゃれだ。彫刻室の石彫場は、粉っぽいが、尻を落ち着けられる大きな石がゴロゴロと転がっていて、ざっくばらんにひざを突き合わせるには最適だ。日本画室には、ニカワを融かすための電熱器があるので、熱い湯でお茶を入れたり、インスタントラーメンをつくることができる。油絵室はにおいがきつく、食べ物をひろげるのには向いていないが、ひとりになるには最適だ。みんなそれぞれにエサ場を探し、その日の気分でいろんなポイントを渡り歩く。そうしつつ、自分たちの過ごす美術科という環境を知っていく。
 男子は、日差しが降りそそぐ校庭の芝生や、グラウンドの校舎サイドに設えられた鉄骨製のひな壇で昼休みを過ごすことを好んだ。弁当をかき込んですぐに、目の前のバスケットボールコートで暴れられるからだ。満腹になった後、古びたゴールリングに体育教官室からくすねたボールを放り込むのは、最高の時間だ。もっとも、昼休みにグラウンドで遊ぶなどという子供じみたマネをするのは、美術科の男子だけだが。普通科の連中は、こんな時間にも参考書に鼻先を突っ込んでいるのかもしれない。音楽科のレッスン室からは、防音壁越しにくぐもったピアノの音色が漏れ聴こえてくる。もちろん、わが美術科の一部真面目女子たちも、デッサン室に引きこもって木炭にまみれている。が、無軌道なオレたちには関係ない。休み時間いっぱい、バスケコートを独占し、走り、転げまわる。
 ふと見上げると、校舎3階にある美術科の教室の窓には、クラス女子の麗し・・・かったり麗しくなかったりするガン首がちらほらと並んでいる。黄色い歓声は降ってはこないが、なかなか青春的風景ではないか。女子たちの熱い視線を集めるのは、バスケ部出身のキシや、運動神経抜群の「イトコン」、容姿端麗な「ちん」ら、スター軍団だ。オレはと言えば、ボール競技ときたらまったくのヘタッピで、しかも本格的な運動などしたことのない貧血性虚弱体質なため、コート内をヨロヨロとさまよい歩くばかりだ。オレはここでも「おとなしい子」なのだ。
 そんな生まれたてのヒヨコのようにウブな少年も、いつしか禁断の果実をかじることになる。その果実は甘美で、後ろめたく、野生の欲望は満たすが、少々の金がかかる。その果実の名を「早弁」と言う。
 毎日毎日、目が覚めている時間をずっと全力で駆け抜ける15才男子は、たちまち空腹になる。授業も二時間目が終わると、エネルギーは完全にエンプティだ。そこで男子たちは、秘密の隠れ場所にこもり、母親のつくってくれた弁当をむさぼり食らう。昭和時代の弁当は、平成の世に開発された「キャラ弁」のごときチャラ色はどこにもない、合理性最重視だ。中身は、弁当箱のフタが浮くほどに詰め込まれている。揚げ物は隣に触れ合うショウガ焼きの肉汁を吸い、ギトギトのソーセージはぎゅうぎゅうに押し込まれたご飯をアブラ色に染めている。そのすき間すき間に、豆だのジャガイモだの、昨夜の晩飯の残りがくさびとして打ち込まれている。壮絶な画づらだ。全体が浸透し合い、相交わっている、とでも言えばいいのか。しかし、それこそが育ち盛りの求める様式でもある。オレたちは、その茶色一辺倒の色彩に恍惚しつつ、10分間という限られた時間で、母親の愛を口の中に運びつづける。
 弁当の半分を二時間目の休み時間にかき込み、もう半分を三時間目終了時に胃におさめるため、四時間目終了時のランチタイム本番には、弁当箱はすっかりカラになっている。そこで購買部に走り、パンを購入することになる。しかしこのシステムは、欲望は満たせるが、金も余計にかかる。そこで我々は、毎朝、お母ちゃんに一層の要求をしなければならない。弁当箱に一個でも多くのメシ粒を押し込むように念を押すと同時に、パンを買う金をせびる必要があるのだ。それほど、いつもいつも腹ペコなのだった。
 早弁だけは、お日様の下であけっぴろげに、というわけにはいかない。短い休み時間の集合場所は、美術棟の階段をのぼりきった先の踊り場だ。ドア一枚向こうは屋上、というドン突きのこのせまいポイントは、美術科男子代々に受け継がれる、伝統の秘密基地でもある。屋上に出るドアにはカギがかかっているが、その鉄製のドアには四角い窓が切ってあり、そこから漏れる陽光が、タタミ二畳分ほどの空間をほの明るく照らす。秘密基地には持ってこいの、微妙な広さと光量だ。
 真面目な連中が次の授業の準備をするわずかな時間に、この薄闇にかがみ込み、せっせと弁当にハシを運ぶ。そして15歳の男子たちは声をひそめ、「大人になるための会話」を交わし合うのだ。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

38・講評会

2009-06-23 20:54:56 | Weblog
 やる気に燃えて入学してはみたものの、「ゲージツ家」という自分の将来像に向けてなにをしたらいいのか、まださっぱりわからない。見よう見まねでデッサンをしてはいるが、こいつの積み重ねによって、その先にどんな展望が開けるのかが見えない。普通の道からドロップアウトしておいての、このありさまだ。不安すぎる。自分は本当にゲージツ家になれるのか?それ以前に、ゲージツ家とはなんなのか?なにをして食べているヒトビトなのか?・・・じぇんじぇんわからない。これまでは「画が上手な子」というぼんやりした事実が肩書きだったが、それを職業とした未来の生活を想像すると、さすがにひざが震えてくる。とりあえずは、先生たちから言われることに素直に従って、その道の丁稚として精進するしかない。
 デッサンの時間は濃密で、その理論は高度だ。中学時代までに描いてきたデッサンなるものは、実はただの見た目の説明書きであり、形状と上っ面な雰囲気の主観的記録でしかなかったことを思い知らされる。中身が詰まっていないのだ。真のデッサンとは、描く対象物の量感、厚み、重み、またそれを取り巻く空気までをも写し取らなければならない。「物」には、どの角度にも量があり、どんな視点から見てもその存在は普遍だ。画面上に描き出されるのは、物に対する一視点から見たある側面であるわけだが、例えば画面内に入り込んだ人物が別視線から捉えても、その物は違和感なく存在していなければならない。うまく言えないが、「球」を描くとき、こちら側から見えている「半球」の部分だけを描いても片手落ちなのだ。それは半球以上のなにものでもない。球の裏側までも想起させることに成功して、はじめて「球」をデッサンし得たと言える。立体を平面上に復元するのが、デッサンという作業なわけだ。ぼんやりと見た目のアウトラインをなぞっていたこれまでとは、考え方からしてステージが違う。デッサンとは、物の観念を写し取ることなのだ。
 ・・・と、説明してはみたが、技術的にそれを紙の上に起こそうとなると、具体的にどうしていいかわからない。ずいぶんと悩ませられ、苦しまされる。頭の中で理解はしていても、テクニックが追いつかない。目を見張るような実体感はついに現れず、画面上には炭のかたまりが積もっていくだけだ。
 キシもオレも、デッサンはヘタだ。相当なヘタ、と告白しなければならない。自覚もあるが、そのヘタさは、客観的な順位として突きつけられる。月に一度程度、上手い・ヘタの抽出祭りが行われるのだ。「デッサンコンクール」という、言わば「画ぇくらべ」だ。これは、学科の定期試験と同質に位置づけられた、美術科における公式な成績評価でもある。
 デッサンコンクールでは、クラスメイト全員が同じ石膏像のモチーフを使い、二日がかりでデッサンをする。これは、大学入試(特に、東京芸大入試を意識している)と同じ形式だ。コンクール後、完成作品は先生たちの合議によって出来のいい順に並べられ、厳密な順位が決められる。そして、恐怖の講評会という運びとなる。恐怖の、という表現は、大げさでもなんでもない。数学のテストで取ったひどい点数をあげつらわれるのは辛いことかもしれないが、自分の描いた画をこっぴどくこき下ろされるのと比べたら、苦味をちょっとがまんするだけのようなものだ。美術科生は、美術だけが得意なのだ。その最後の自尊心を木っ端みじんにされたときの心持ちといったら・・・本当に精神を蝕まれそうなほどの痛みを伴う。
 何人もの先生に、もうすでにわかりきっていることを指摘されつづける。その度に、キンタマが縮み上がる。脇汗がだらだらと流れ出て、刻一刻と体重が減っていくのがわかる。へたくそ、とか、やめたほうがいい、とか、きらいだね、とか、そんなしょっぱい言葉をぶつけてくる先生もいる。が、優しくされるのがいちばんキツイ。がんばろうね、的なやつは、毒でありこそすれ、決して薬とはならない。おかしいな、画、上手いんだよな、オレ・・・その自信が揺らぐ。まったく、ひどい拷問の時間だ。
 オレとキシは毎度、ランキングの最後方で粗雑に並べられた自作品を見つけては、お互いとの順位差に一喜一憂する。浮上の兆しはまだ見られない。叩かれ、しぼられて、へこみ、立ち上がり、それでも足取りのんびりと前に進みつづける。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園