deep forest

しはんの自伝的な私小説世界です。
生まれてからこれまでの営みをオモシロおかしく備忘しとこう、という試み。

102・安全第一

2019-03-30 19:28:35 | Weblog
 石彫部屋には、彫刻科の中でも特別にイカツイ先輩たちが雁首をそろえている。酒が強く、腕っぷしが強く、性欲が強く、血の気が濃く、鼻毛も濃い、という人々だ。チャラ男などは、部屋の殺気渦巻く雰囲気に気圧され、周辺に近づくことすらできない。同学年ではマッタニが飛び込んだが、日々、相当にしごかれている様子だ(酒の席などで)。そのせいか、やつの肩は日に日に盛り上がり、胸が厚くなって、ついには八重歯までが伸びていくようにも見える。そんな野人たちの巣窟・石彫部屋が運営する居酒屋とは、いったいいかなるものなのか?
 排気音を轟かせ、石彫場からフォークリフトが現れた。アームには、タタミ二畳分ほどもある巨大な石版を掲げている。そいつが、屋台ブースの特等の場所に据えられる。石彫部屋が運営する居酒屋「安全第一」は例年、破格の扱いで、最高の場所での設置が許されているのだ(おそらく、恐い顔にものを言わせている)。エントランスホールへのアプローチの最前列に特設テントが張られ、そこに石版が、でん、と置かれる。テーブル代わりというわけだ。そいつを、ログハウス式の立派な、しかし年季の入った板壁が、ぐるりと囲っていく。最後に取りつけられる入り口のドアは、重厚極まる鉄製。われらの安普請とはケタ違いの規模だ。周囲から完全に隔絶されたその内側の空間は、1年坊、2年坊からすると、恐怖の魔窟だ。中でどんな阿鼻叫喚が催されているかと思うと、おしっこがにじみそうになる。
 ところが、こんな安全第一も、石彫部屋の本性をカモフラージュするための見せかけの姿でしかない。それよりもコアな店が、テント村の奥の奥の奥・・・最奥部に設置されるのだ。それは校舎裏の竹藪の崖のきわ、石彫場が目の前という、最果てのロケーションだ。名前もないその店は、石彫部屋の牢名主・・・いや、院生たちを中心とする同志連によって運営される。誰も目にしたことがなく、誰も全貌を知らず、ただ、伝説のような噂が漂うばかりの、幽霊のような店だ。そこは、ぺーぺーの2年坊にはちょっとウロウロできない、修羅道をすっかりと経た者だけがたどり着ける、彼岸のようなマボロシ酒場らしいのだった。
 さておき、美大祭なのだ。とっぷりと日が落ちる午後6時、7時というあたりで、ようやくあちこちのテントに明かりが灯りはじめる。夜更かしに備えた学生たちが、ではそろそろ、と集まってくる。金沢の11月は、風花も散らつこうかという気候だ。客は厚着のコートの背を丸め、足首にすきま風を受けながら、湯気と猪口にありつく。そして次から次へとテントをハシゴしつつ、おねえちゃんとチューのできるスキを探したり、好かぬ相手とのケンカのタイミングを見計らったりするのだった。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

101・屋台

2019-03-29 19:44:01 | Weblog
 美大祭が華々しく幕を開けた。日が落ちる頃になって、やっと。
 それに先立ち、屋台の場所取りが行われていた。キャンパス内の取れるかぎりの空きスペースが、定められた面積に区画化され、ナンバーを振られる。それをめぐって「出店したい」というグループが寄り集まり、抽選で(あるいは、ゆずり合いや力ずくで)場所が割り当てられる。場所が決まれば、それぞれに調達したテント(小中学校などの運動会などで用いられる大振りなもの)が張られる。そこから先のディスプレイは、各団体の腕の見せどころだ。美大生としての沽券を賭けて工夫を凝らし、店舗として飾り立てていく。オレの場合、彫刻科2年生有志、塑像部屋、ラグビー部、という所属先があって、その各グループがすべて、別個に居酒屋を出す。各所で立ち働かなければならないが、逆に言えば、各所で酒を飲むことができるわけだ。いよいよ楽しみになってくる。
 彫刻科同級生のチームは、カミウチが「つぼ八」で店長格にまで登りつめてるので、店の仕入れルートから食材が手に入る「焼き鳥屋」をやる。この店舗は1年生時から根付いていて、つまり今年で二年めだ。串打ちされた焼き鳥肉はふんだんにあるので、準備となると、あとはそれを焼く焼き台づくりだ。これには、排水用のコンクリート製U字溝(きれいな)が最適だ。そいつを店先に設置し、焼き網をのっければ、もう完成。カミウチ調達の備長炭で焼き、カミウチ特製のタレに漬ければ、ヘタをするとつぼ八よりも美味い「カミウチ風焼き鳥」の出来上がりとなる。店内の設えは簡単。ビールを大ビンで取りそろえ、ビンの入ったカートンを、そのまま客用のイスとすればいい。おかわりの際には、尻の下から引き抜けばいいという、合理的なつくりでもある。店内が吹きっさらしでは、北陸金沢の、雪も降ろうか、というこの季節の北風に凍てついてしまうので、テントのぐるり周囲にブルーシートをめぐらせる。チープ感は否めないが、客を凍えさせるよりはいい。なるべく経費を節約し、身の周りのもので間に合わせるのが、バンカラ風の乙なのだ。このあたりの清貧思想と手際は、美大のやせがまん文化の中で一年間揉まれた誰もが自覚している。
 周囲にも続々と屋台が設営されていく。油絵科、日本画科、デザイン科・・・それぞれに得意分野を生かした店構えで興味深い。野球部、サッカー部、軽音部、映研・・・それぞれに個性を出してきて面白い。女子力を表に出す店は少ない。美大では、女子までが男前なのだ。あの屋台もこの屋台も、「酒」を前面に謳っている。学園祭というよりは、まるで呑んべ横丁の感謝祭のような光景だ。
 さて、様々に趣向を凝らした店の中で、ひときわ異彩を放つのが、彫刻科の石彫部屋が出店する居酒屋、その名も「安全第一」だ。

つづく

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100・美大祭

2019-03-28 09:03:32 | Weblog
 秋になり、再び「金沢彫刻展」の開催時期がめぐってきた。主催は3年生だが、2年坊のオレたちも作業に狩り出される
 彫刻の展覧会は、絵画など平面作品のそれとは規模が違う。油絵などは、どれだけ大きな作品でも、男が数人もいれば手で運べるだろう。岩絵の具を分厚く塗り重ねた日本画とて、腕力で動かないものはほとんどない。しかし、野外に設置するような彫刻となるとそうはいかない。なにしろ、単位が「g」ではなく、「t」なのだ。1トン程度のものなど小物の部類で、扱いやすい部類に入る。苦労させられるのは、3トンを超えるクラスのものだ。ここまでくると、積み込んだトラックが傾くほどなので、正確に荷台の中央に、そしてタイヤの真上に置いて移動させる必要がある。それ以上のものとなると、搬入にも設置にも命懸けだ。細心の注意と、膨大な時間をかけなければならない。彫刻展とは、とてつもない労働量を要する大規模イベントなのだ。しかも目の前にそそり立つこの石塊やコンクリート造形物は、ただの重量物ではなく、美術品ときている。重機などでとてつもない負荷を掛けつつも、表面にキズひとつつけることはできない(つかないが)。北国の冬が迫る中、オレたちは奴隷労働に従事し、先輩たちの指示で走りまわる。その作業のくわしくは、のちに3年になったときのくだりで記すこととするが。
 さて、この途方もない大イベントが終わると、タイミングもよろしく、開放感をたっぷりと楽しむことができる「美大祭」、すなわち学祭という運びとなる。わが校のバンカラ文化は、よその大学とはまったく違う学祭の形態を醸成している。たぶん普通に言うところの学祭(オレには経験がないが)とは、キャンパス内に設えられたステージ上で今流行りのお笑い芸人や歌手たちの華々しいライブが行われ、クレープやポップコーンの屋台を学生たちの運営で出店し、チャラいハッピを着た男たちが、アイスを片手にそぞろ歩きの他校女子たちをナンパ・・・といった風情なのではないだろうか?しかし、わが美大はひと味違う。本校舎前のスペースには、ちゃんとステージも特設される。が、そこでなにが行われているのかは、誰も知らない。昼間のイベント企画だってある。が、それは人々のウワサにものぼらず、本当に開催されているのかどうかさえ怪しい。そもそも、この美大祭期間中、昼間にキャンパス内で人影を見かけることはまれなのだ。枯れ草のからまりが寒風に転がりゆくだけ、と言っていい。学祭と聞いてやってきた付近の住民が、「今日はお休み?」と勘違いするほどの閑散っぷりだ。ところが、日が暮れるとこの静かな風景が一変し、学生たちの姿でごった返すこととなる。
 キャンパス内には、駐車場、中庭、校舎脇、そして校舎裏の奥の奥にまで、ずらりと屋台が並ぶ。そのことごとくは「飲み屋」だ。各専攻科、各学年、各部、各同好会、各有志連・・・等々による運営の、焼き鳥屋、おでん屋、居酒屋、立ち飲み屋、スナック、バー・・・つまり「酒が飲める店」が延々と連なるのだ。そしてその各店舗は、夕刻に営業を開始し、それと同時に、いっせいに学生たちが押し寄せ、酒池肉林の宴が開始される。宴は各所で延々と催され、その喧騒は、翌朝のラジオ体操までつづくことになる。わが美大の真骨頂にして底力、と言っていいこの祭りは、果たして学生の本分とはなんであろうか?を考えさせる絶好の機会ともなる。

つづく

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99・後輩

2019-03-26 08:44:18 | Weblog
 2年生になるということは、後輩を持つということでもある。彫刻科にも、愛すべき、そして忌むべき、小生意気な後輩たちが入ってきた。
 一年前の自分たちのことを振り返ってみる。新鮮だったあの頃の気持ち。意欲に満ちた心意気。いや、なににも増して頭の中を走馬燈のようにめぐるのが、自分たちが先輩から受けた仕打ちだ。そう、思い出さなければならない。そして、引き継がねばならない。わが文化を、伝統を。
「明日の午後一時、1年生全員、グラウンドに集合ね」
 あの呪わしい新入生歓迎ソフトボール大会から、はや一年がたったのだ。新歓・・・ああ、待ちに待った心躍る催し。かつて自分たちが戦い、討ち死にした例のやつを、今度は倒す側にまわって主催できるのだ。なんと喜ばしいことではないか。
 グラウンドの三塁側ベンチ周辺にはブルーシートが敷かれ、日本酒、焼酎各種が準備万端並べられた。そこへ新1年生、すなわち、後輩たちがヨチヨチと入場してくる。可愛らしいぼくちゃん、嬢ちゃんたちが勢ぞろいだ。中には、高校時代に見知っていた地元の後輩もいる。ようこそ、この北陸の魔窟へ。いい子いい子してやるぜ、ふっふ・・・
 その後の彼ら彼女らの姿は、自分たちを描写した一年前のありさまに瓜二つと相成った。すなわち、泥酔と、叫声と、げっちゃんの海と、死屍累々の原の光景だ。自分が有利な立場に立って弱いものをいたぶるとは、なんと愉快な作業であることか。伝統に則って後輩を余さずつぶし、溜飲を下げたオレたち2年生は、その後に先輩たちと酒盛りをしながらの試合となった。ところがわが学年も、上級生たちによるかわいがりで、ひとり、またひとりと倒されていく・・・はて?こんなはずでは・・・弱い立場に立たされていたぶられるのは、2年生も同じだったというわけだ。このループは、最上級にのぼり詰めるまでつづくのだろうか?
 さて、ラグビー部にも、新入部のマドンナ候補生たちが入ってきた。特筆すべき女子は、日本画科の1年生で、チカちゃんというコロボックルのようなコビト族だ。彼女は手の平におさまりそうなほどの妖精で、ててて、と走ると、ピコピコピコ・・・と音を立てて空中を浮遊する。彼女はオレの姿を見つけると、いつも遠くから、ピコピコピコ・・・と寄ってくるのだが、どういうわけか、いつまでたっても近づいてこない。近づいてこないかと思いきや、すでに足元にたどり着いている。それほどの小ささと愛らしさを持った生物なのだ。まったく、ポケットに入れておきたくなる。
 この「愛の袋詰め」のような新マネージャーは、まことに貴重な存在だ。わが同級には、すでに油絵科のマネージャーが二人いるのだが、どちらもおっかない姐さんタイプだった。試合中にケガをしても、「ツバでもつけときっ」と突き放される。女心を期待して甘えようものなら、拳で返されそうな剣幕だ。ところが小さな小さなチカちゃんは、痛いよう、と申告しさえすれば、にゃにゃっ?と天使のような声で、背伸びをしても届かないこちらの頭をなでなでイイコイイコしてくれようとするるのだ。なんというすばらしさだろう。なのに、ひとたび試合がはじまれば、スタンドで大興奮しすぎ、姐さんたちとともに、「つっこめ~っ」「ぶっころせ~っ」「やすんでんじゃねえ、ビールのませねえぞ、くぉるぁ~っ」などと叫び、周囲を、どん引きを超越した笑いの渦に巻き込んでくれる。妖精とケモノの習性を同時に持ち合わせた、実に得がたいキャラクターと言えよう。まったく、部に通うのがまた楽しみになってきた。

つづく

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98・芸術家への一歩

2019-03-20 08:41:48 | Weblog
 人体なんて、むき出せばしょせん骨の組み合わせだなあ、と感じさせられる。その骨格を、筋肉という繊維ヒモで引っ張って操っているわけだ。裸のモデルさんを前にして、そんなことをぼんやりと考えてみる。それにしても、いろんなタイプの肉体があるものだ。均整が取れて美しく見えるからだでも、左右のバランスはどれもちょっとずつずれている。節制していないと見られるからだの肉の付きどころも決まっている。おっぱいにはやたらと脂肪がのるのに、その直下の肋骨には皮が張りついているだけ、というのも興味深い。どんな自然の意図がそうさせるのか、不思議でならない。張り詰めた筋肉は美しいが、滑らかな脂肪を包んだタプタプの皮膚の質感もまた面白い。まるまるとしたボリュームが、引き絞られてキリリと腱につながり、可動部に吸収される。その全体をまとめるアクセントとなる関節部の、なんという機能美。こんなにもまじまじと他人の素っ裸を見る機会は、普通の生活の場ではあり得ないだろう。が、目の置きどころに困る、などという心持ちはとうに失っている。穴があくほど凝視して、理解し、考え詰めなければならない。まずは、芸術家というよりは、科学者の眼差しで対象を捉えるのだ。解剖学的分解によって、人体の動きの合理性を知った上で、主観的再構築を進めるわけだ。そこに魂と感情とけれん味となんやかやをねじ込んで、ようやく表現とすることができる。思えば、芸術とは奇妙な作業ではある。
 粘土で人体作品が完成すると、そいつに石膏をぬりたくって、鋳型をつくる。つまり、外型を取って、中身の粘土を抜き取り、ネガをつくるわけだ。そのネガに石膏を流し込むと、粘土だったポジの部分(空洞となっている)が、石膏に置き換わる。こうして、「水分を吸うとぐにゃぐにゃになり」「乾燥すると縮み、ひび割れ」「もろく、溶けやすく、割れやすい」粘土製の像は、「わりと強くて、長持ちがし」「変形しにくい」「そして美しい肌合いを持つ」石膏像として保存ができるようになる。要するに、つくった形のコピーをつくり、記録するわけだ。塑像科では、こんな作業を一年中くり返す。
 彫刻科内の・・・いや、大学中がそうなのだが、トップランナーたちは、そろそろ公募展などの展覧会への応募要項を見比べはじめている。秋は、芸術作品の発表の場が目白押しなのだ。日本一巨大な展覧会である日展をはじめとして、二科展、二紀展、新制作展など、公募の〆切りが迫り、みんなの目の色が変わっている。応募作品が審査員たちの吟味に耐え、入選し、あわよくば賞でも獲れば、芸術界の新星として一躍スターダムにのし上がることも可能だ。同級生を出し抜いてやろう、というよこしまな野望もある。ライバル心をむき出しに、オレたちもここにきてようやく、甘ちゃんからヒヨッコ芸術家に育とうとしている。

つづく

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97・彫塑

2019-03-12 10:11:10 | Weblog
 2年生に上がった彫刻科学生は、いよいよ専攻する素材を選ばなければならない。「石」「木」「鉄」そして「粘土」だ。その素材ごとに個別のアトリエが用意されており、ひとたび籍を置くと、一日の大半をそこで過ごすことになる。一般に言うところのゼミ選びだが、美大におけるこの選択は、言うなれば「部屋決め」だ。
 オレは、4年になったら石をやろうと決めている。それまでの基礎づくりに、今は塑像(粘土による具象造形)をやりたかった。一切の創作活動の核はデッサンにあり、立体造形におけるすべての着眼は塑像に還元されるべきなのだ・・・と信じている。この考え方自体、相当に保守的で青臭いものだが、とにかくオレは、きちんと具象のできない者に抽象をやる資格はない、と考えている。というわけで、今のところは粘土を専攻に選び、以降二年間、塑像部屋で腕を磨くことにした。ちなみに、ピロくんは木彫部屋へ、マッタニは石彫部屋へ、北川はもうひとつの塑像部屋である日展部屋へとバラバラに分かれた。仲がいいかどうかと人生の選択とは、なんの関係もないのだ。
 塑像部屋では、来る日も来る日も女の裸を描き、イメージが熟したところで立体に起こす。モデルさんが毎日きてくれて、小さな回り舞台のようなモデル台の上に立ってくれるのだ。作品制作の初期段階では、モデルさんには10分おきにポーズを変えてもらい、その間に数限りないスケッチをする。モデルさんの個性とフォルムを理解し、頭の中で構想を煮詰めていく行程だ。この醸成期を経てついに、さて、粘土でつくるか、という段になる。ところが、自分のつくりたい形が無条件でつくれるわけではない。モデルがひとりに対して、制作者は複数なのだ。そこで、部屋のみんなの合議によって、テーマにふさわしいひとつのポーズに絞り込む。決めたら、その後何日間もかけて、粘土で三次元に立ち上げていく。
 等身大の人間を粘土でつくるには、まずは骨組みが必要だ。鉄柱から釣り竿のように心棒が突き出た彫塑台に、太い針金とシュロ縄で骨を組んでいく。グニャグニャとしたガイコツのようなもので、とりあえずポーズをつけるのだ。こうして関節などの動きのポイントが定まったら、徐々に粘土を肉付けしていく。「彫刻」とは、彫り刻むことであって、要するに、量のあるものをそぎ落としていく引き算によって形を得る技法だが、彫塑においては、無からの足し算によってボリュームを得る。外側からマイナス方向にアプローチしていくよりも、内側から張りつめ感を出すのに具合いがいい。骨から腱、筋肉、脂肪、皮膚、と何層にも重ねて形づくられている人体を表現するには最適と言える。塑像では、人間の外観はもちろんのこと、こうした内側の構造まで意識してつくり込んでいくことになる。粘土に血液と体温を通わせるのだ。

つづく

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96・女子

2019-03-11 08:46:56 | Weblog
 美大というせまい環境における社会は、ある種特殊な文化をつくりだす。女子が平気で、男の独り暮らしの部屋に遊びにやってくるのだ。どの大学でもわりとそういうものなのかもしれないが、それにしたって、美大におけるこの男女間のハードルはひどく低い。女子ひとりきりでも、なんの逡巡も頓着もない。相手に恋愛感情を持っていないからできるのだろうが、とにかく、まったく無防備な状態で踏み込んでくる。酒瓶を抱えて、あるいは空の飯碗を片手に、ということもある。「恵んでやる」、あるいは「恵んでくれ」というわけだ。とにかく彼女たちとの関係はフリーで、フランクで、ノーセックスで、つまりその距離感は限りなく同性的だ。
 オレは越してきたアパートで、ヒマさえあれば自画像を描いている。完全な孤立状態を実現し、持ち前の自己愛に拍車がかかっているようだ。部屋の一角にでかい姿見の鏡があって、それに向かってイーゼルを立て、画紙に4Bを走らせる。そして描き上げると、一枚、また一枚と壁に貼り出していく。そんな日夜を過ごしているので、部屋の四面は自画像で埋め尽くされている。ここまでくると、ナルシシズムというよりも、むしろ「変態的」だ。が、美大生とはそういうものなのだ・・・と思いたい。そういうことをしたがる、痛い年頃でもあった。そこへ、女子がやってくるというわけだ。
 部屋に上がり込む女子たちは、わが大顔面で埋め尽くされた壁を見て、いろんな反応を示す。リスペクトのまなざしを輝かせる希少な美女もいるが、ひどく批判的な罵詈を吐くブスもいる。「大丈夫?」「自分ばっか描いておもしろい?」「なんか気持ち悪い」というわけだ。しかしこうした態度に対しては、そういうてめーこそ学校から帰ってなにしてんだ?と言い返したい(できないが)。バイトもしねーで、テレビ観るか、オナニーするか、寝るか、くらいだろうが。ま、自画像描きとて、極めてマスターベーションに近い行為なわけだが。とにかく、オレはうずうずと突き動かされ、気持ちを抑えきれずにこの行為をしてしまうのだった(デッサンを!だ)。この衝動は、天才の証ではない。逆に、将来への不安や、自分の才能への不安からくるものであることは間違いない。とにかく、そういったものを打ち消すためにやむにやまれず、今はスケッチブックを真っ黒にするしかないのだ。
 性欲は旺盛にある。しかし、女子をそっちに導く技術もなければ、度胸もない。そもそも、部屋に乗り込んでくる女子とは友だちになり過ぎてしまい、あるいは酒の相手として重要視し過ぎてしまい、手を出したくなるような意欲が湧いてこない。豪快な旅館女将のような先輩や、美しいけれどこちらを酒でツブしにくる先輩や、妖精のように可愛らしく小悪魔のように小ざかしい後輩が、代わるがわるに部屋にやってくる。描きたいから脱いで、と言うと、脱いでくれもする。そして、描き上がった、と言うと、顔色も変えずに服を着る。そして、何事もなかったかのように、差し向かいで酒を飲むのだ。奇妙な関係ではある。

つづく

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95・本当の独り暮らし

2019-03-10 00:00:14 | Weblog
 2年生になり、学生寮のようだった「まかない付き下宿」を出ることにした。新たに、アパートに引っ越すのだ。これまで過ごしてきた下宿は朝晩のメシ付きで、最低限の栄養摂取には困らなかったが、おざなりで冷めきった料理には心がなく、ローテーションの献立はまるでエサのように感じられた。男子の入浴は一日置きで、しかも制限時間が定められているため、深夜遅くまでバイトをして帰ると、シャワーを浴びることもできない。周囲の部屋に住む学生たちとも疎遠で(いっそ、まるきり他人だったら楽なのだが)、壁板も薄く、気を使う。不自由さと窮屈さが極まっていた。なにより、なんでも世話を焼いてもらえるこの環境は、管理者の目が及び過ぎ、なんだか子供扱いされているようでバカバカしかった。そこで、大学から少し距離を置いた場所で、完全な独り住いのできるアパートを探したのだった。本当に自由な生活のはじまりといえる。
 具合いがよろしいと目をつけたアパートは、バスケットボールコートのようにだだっ広い工場の二階の物件だ。一階の作業スペースの天井が高いために、家屋の外に張りついた階段が異常に長い。そいつをのぼりきったところで、五部屋ほどが横並びになった廊下につながる。その真ん中あたりの一室が空いていた。即決。トイレ、ユニットバス、キッチン付き六畳一間のこの部屋に、誰にも文句を言わせない王国を築こうというわけだ。大家も管理人も、ここには住んでいない。ただそれだけで、かなりの自由が約束されるというものではないか。かなり悪いこともできそうだ。外部との通信機能も万全だ。廊下には共同のピンク電話があり、呼び出し音が鳴ったら出られる者が出て、用件者を呼びに走る、というルールなのだ。とはいえ、ハイテク機器方面は心細い。洗濯機がないので、汚れ物がたまったらコインランドリーに運び込み、一気に処理をするしかない。エアコンももちろんない。自炊を開始するために、小さな冷蔵庫だけは調達した。それにしても、すべてが自己責任、自己運営という、この開放感と重圧ときたら!鍋や食器類を買いそろえると、いよいよ独立、という気分が盛り上がってきた。
 金沢の市街を見下ろす小高い山の稜線と、美大を冠する小立野の丘にはさまれた谷筋。その最も低い等高線を浅野川が優雅に流れ、両サイドに宅地がひらけている。その家々が途切れはじめる国道沿いに、新しきわが根城はぽつりと建っている。家賃26000円なり。こんな谷底の果ての王国には、バイクのトルクが心強い。買っといてよかった、カワサキGPZ。車もまばらな国道の短い距離をかっ飛ばし、「金沢城で首を切られた者の血の流れ跡」という曰くのある鶴間坂の急カーブを切り返し切り返しのぼって、大学に通うことになった。

つづく

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94・本物たち

2019-03-06 09:15:12 | Weblog
 ジョーハウスには日夜、その道の本物たちが通い詰めている。マツダさんは、アマチュアのジャズバンドでテナーサックスを吹いているし(うまいとは言い難いが・・・)、スタッフの「おいちゃん」と呼ばれるヒゲの人物は、プロ顔負けにウッドベースを弾く。その仲間たちが集まり、たまに店内にスペースをつくっては、ライブが開催される。
 オレはというと、勇気を振り絞ってカウンター席にもぐり込み、横でつぶやかれる至言に「ほうほう」と相づちを打てるまでになっている。こうして夜な夜なカウンターで飲んでいると、興の乗ったお客さんたちの間で、ハモニカやピアニカなどの即興演奏がはじまる。リズムは、テーブルを棒きれで打ち鳴らしさえすればいい。この音楽が実にフリーで、なにげなくて、なのに周囲を巻き込んでいくパワーを持っていて、その開放感に圧倒される。こうなると、やおらマツダさんはサックスを手に取り、すべての旋律を水の泡に還元する調子っぱずれたやつをはじめ、最後は破顔一笑で場をまとめてしまうのだった。これこそがジャズ・・・なのかどうかはわからないが、とにかく、この雰囲気にはしびれさせられる。
 マツダさんはまた、ラグビーチームも持っている。「JJクラブ」という、アマチュアチームだ。これが、結構強い。オレが身を置く美大ラグビー部は、大学リーグ(頂点に早・慶・明や帝京が君臨するアレ)の二部にも三部にも・・・下って下って、その最下層リーグにも相手にしてもらえない弱小な流浪チームだ。そこで、各大学OBの同好会や、どこにも所属できない国籍不明チームたちで構成されるアマチュアリーグに参戦している。その同じリーグに、JJも馳せ参じている。いわば、同格だ。ところが、このチームがひどく強いのだった。飲み仲間のあんちゃん、おっさんたちのごちゃごちゃ混成なのに、まったく侮れない。なにしろ、カウンターで隣り合わせるその連中は、国体から県代表としてお呼びがかかるような輩なのだ。それがまた、頭脳明晰な医者の卵だったりする。まるで太刀打ちできない。その上、美大には絶対にいないタイプの、おしゃれでトレンディでとてつもなく美人のマネージャー集団まで擁している。いろんな意味で、歯が立たない。そんな、丸太のような足をした大男や、首のない(筋肉の中に埋もれてしまっている)怪物もどき、それに、うっかり直視すると目をやられてしまいそうなほどにまばゆく輝く女子たちが、ジョーハウスのカウンターにはそろっているわけだ。さらに、わが彫刻科の恐ろしき先輩たちも足を運ぶ。彼らは、すさまじい勢いで酒を飲み、騒々しく場を盛り上げ、硬い腕を肩にまわしてきては、こちらの人生に重大な影響を及ぼすほどの金言を間断なく放射しつづける。このカウンターはさながら、いろんな王国の酋長たちによるサミットだ。そうした本物が居並ぶ特別な止まり木に、この新参者は恐縮しながら割って入る。「バーネット」という安いジン(ボトルで2300円也)を歯茎にすすり、ツマミもなしのチャージ代300円也だけを握りしめては、通い詰める。そして、彼らの口から漏れる重要な情報に耳を傾けては吸収し、からだをしびれさせる。

つづく

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93・ジョーハウス

2019-03-04 22:57:47 | Weblog
 こうして、ついに「ジョーハウス」にたどり着いたのだった。この界隈における老舗で、最も居心地がよく、しかしカウンターに座れるまでの敷居が高い酒場だ。とはいえ、この孤高のジャズ酒場は、格調が高いわけでも、お値段が高いわけでも、また高飛車なわけでもない。学生が気楽に上がり込んではカレーを食べられるし、コーヒー一杯で何時間もねばれるし、ビールを掲げて大騒ぎもできる。が、それはテーブル席での話であって、望むべきカウンター席は、はるか遠い。それなりの品格を備えた選民のみが、マスターたちと顔を突き合わせて飲むことを許されるのだ。いやいや、この点も幻想ではある。どの席だろうが、客はもちろん勝手に座ればいい。ただ、カウンターのまん中にでんと座ってみたところで、常連の大人物たちに囲まれ、おのれの無知蒙昧をさらし、軽蔑を買うのが怖ろしい・・・と、そういう店なのだ。人生を語れるようになってはじめてカウンターに座ることを許される店。穴から穴を渡り歩いた酒飲みが修行の末に最後に行き着く酒場。それこそが、ジョーハウスなのだった。
 ログハウスのような造りの店内は、木の壁にタバコの匂いが染みつき、全体がとろりと飴色をまとっている。調度品は重厚、足の下のレンガはでこぼこ。あちこちに落書きがされているが、その文句がいちいち気が利いていて、味わいとなって景観に溶けている。いつも挽きたてのコーヒー豆とカレーのスパイスの香りが漂っていて、せまそうな厨房で名人じみた何者かが大鍋をかき混ぜている予感がある。フロアに四人掛けの木造りのテーブルが数席と、その向こうに、七人ほどが尻を預けられるカウンター席。この止まり木に、選り抜かれた強者どもが腰を落ち着け、シブいマスターと声低く「大人の会話」を交わしている。そのエリアが、新参者にはおよそ近づき難い、まさに別次元の世界となっている。
 カウンター内の棚がまたシブい。コーヒーカップとグラス類のおさまったサイドボードを取り囲むように、無数のレコードが並んでいる。そのレコードの森を仕切るマスターの名を、マツダさんという。若い頃に世界中をぶらぶらと旅し、見るからに「伝説をつくってきました」的な面構えをした、40がらみのダンディーだ。その手が、数あるレコードジャケットの背表紙の小さな文字を探り、これと決めた一枚を躊躇なく引き出しては、今この瞬間、この雰囲気に最もふさわしいそいつに針を落とす。すると、使い古されてはいるが大層立派なオーディオ機器が運転を開始し、もはや枯淡と言いたい風格までも備えた巨大なスピーカーが震えはじめる。流れるのは、1940〜50年代のジャズだ(たぶん)。この音を通して、マツダさんはその場の空気を完全にコントロールする。うっとりとさせられる。大人の時間が、そこにある。
 それまでに行きつけていたブラックブルーには、混沌と大騒ぎと、少々無法のパブ的要素があった。アンダーグラウンドで、フリーな空間だ。ジョーハウスはまた違う。こちらの酒場では、知性と、行き届いた配慮と、それに背反するひねくれた反骨が必要だ。人々はこの場での会話と経験で、感性を、そして人間性を磨く。オレはまだ、遠く交わされるそんな言葉に聞き入るばかりだが。

つづく

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