deep forest

しはんの自伝的な私小説世界です。
生まれてからこれまでの営みをオモシロおかしく備忘しとこう、という試み。

31・高校入試

2008-07-30 19:04:43 | Weblog
 黒板に落書きをしているときでさえ、見栄えの美しさよりも、人間の正しい骨格と筋肉と、それらの連結した正確な運動を意識している。美術の時間では、子供の手なぐさみじみたレクリエーション的カリキュラムよりも、素朴な鉛筆スケッチの方が好きだ。家に帰っても、そろそろマンガのマネごとは卒業し、酒ビンやらヤカンやらといった身のまわりのものを細密描写したり、テニスボールと野球ボールを並べて「手触りの違い」を描き分けたりして、自己流でデッサンの腕を磨いている。そうして「画がうまいね」「よ、画伯」とおだてられるうちに、やがて自分の進むべき道が決定づけられた。岐阜市内の高校に「美術科」という特殊な科があることに聞き及び、自分の受験先はそこしかない、と思うようになった。
 岐阜県立加納高校は、県下でも最優等の頭脳を集結させる、偏差値がトップレベルの高校だ。昭和も終わりのこの当時、高校受験の格付けピラミッドの上位に「一群」「二群・・・」などというあからさまなヒエラルキーが存在したのだが、その最上位の「四・五群」双方に属する、県下で唯一の学校だったのだ。東大などに人材を送り出す供給源としても他の追随を許さず、ブランド力においても掛け値無しの最高峰と言える。しかしそれは普通科の話であって、美術科の偏差値はそこまで高くはない。感性だけが持ち味の芸術家の卵たちに、県下で頂点の偏差値まで求めるのは酷というものだ。とは言え、学力的には中の上程度は必要だ。天才であるオレは、まあこのあたりのレベルならのんびりしていても入れるだろう、とタカをくくっている。しかし、念には念ということもある。一応、受験勉強というやつをしてみることにする。自室のデスクで教科書をひろげ、ざっと目を通していく。ところが、オレは本の字面と対峙すると、たちまち眠くなってしまうのだ。正直に言うが、この中学三年に至るまで、小説どころか、児童文庫の一冊も読み通したことがない。子供の頃の絵本さえも、退屈すぎて最後のページまで起きてはいられなかったものだ。そこへもってきて、夏休みのおなじみの宿題である「夏の友」を白紙で提出してしまうほどの勉強嫌いだ。たちまち教科書などそっちのけで、爪を噛むのに熱中し、ラジオに聴き入り、マンガを描きはじめて、やがてなんの圧力に邪魔されることもなく寝入ってしまう。授業で一度耳にしたことは必ず覚えている「はず」という自負がある。大丈夫な「はず」。油断などしてはいないが、とにかく自信があるので、バカバカしいことはやらないのだった。
 こうしてのぞんだ受験当日だ。倍率は、定員40名に対して43人が受験ということだから、まったくたいしたことはない。およそ、なんの障害物もない野をゆき、気づいたら門の中だった、というようなものではないか。これで落ちたら、本物の恥というものだろう。しかし、席に着いて周囲を見渡すと、目をギラギラさせた野心家たちがひしめいしている。こいつらもまた、黒板に描き殴るマンガの落書きなどを、クラスメイトにほめそやされてきたにちがいない。そうして勘違いをし、この道にドロップアウトしてきたわけだ。間抜けなことだ。が、あなどるわけにはいかない。どんなバケモノが潜んでいるか知れないのが、この芸術の世界なのだ。しかしまあ、賢そうな顔はいない。普通に試験用紙に向かい、普通の解答をし、あたりまえに通り抜けるまでだ。
 試験は、五教科の学科テストと、二次でデッサンの実技テストがある。学科は、かつてのどの模試でもそこそこのラインを常にキープしていたので、問題はない。少し点が下がれば、次の機会にちょこっとがんばり、少し上がればすぐになまける、といった絶妙のサジ加減で、きちんと中盤プレイヤーの位置を維持できるのだ。必死でがんばってしまうと、たちまち優等生になってしまう恐れがあり、するとあの「エリート」というくだらない地位に堕落してしまう危険性が生じる。それだけは避けようと、細心の注意を払って、恥ずかしくない程度の水準を漂いつづけた。おかげで受験本番のこの学科テストでも、中盤あたりにつけることができている「はず」だ。
 勝負はデッサンだ。こいつの評価が重要なのだ。こここそが、才能の発揮のしどころだ。本気を出す。鉛筆を手に画用紙に向かうとき、オレは没入しきって、時のたつのも忘れてしまう。そしてふと気づけば、驚くべき傑作を描き上げているのだ。まったく恐ろしい能力と言わねばならない。この日も手が勝手に動き、自動的にデッサンを描き上げていた。受験ということも忘れ、自分の作品にほれぼれしてしまう。ほんとオレ、天才でよかった、ふーっ、といったところだ。周囲のギラギラした凡百の人々もまあまあのものを描いているが、やはり自分の作品がいちばんだ。ありがとう、神様。
 そんなわけで、オレは田んぼのまん中のド田舎から、晴れて県庁所在地という大都会にある名門高校(のエアポケット学科)に進学を果たすことができた。いよいよ隠していた爪をさらし、進撃のはじまりだ。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

30・美術部

2008-07-29 23:13:46 | Weblog
 絵で生きていくことは宿命。そんなことを、すでにぼんやりと自覚している。そこで、美術部に入ってみた。実は、マンガ部にも入ってみたのだが、あまりにも程度が低いことをしてるので、呆れていたところだ。キャラの顔を描くには、まず丸を描いて頭骨とし、その縦に中心線を引いて鼻と口の位置を決め、上下に二分割した線のところに目を配置しましょ、みたいなやつだ。悪いが、はっきり言わなきゃならない。「マンガ入門」という本が何種類も出ているが、あれを真面目に読んでプロセスを追っているやつは、マンガ家にはなれない。コミケあたりで同人誌を並べるのが最高到達点だろう。いや、そこにすらたどり着けるとも思えない。中島らもが、大学の小説入門の講座を引き受けたときに言っている。「ここにくるような連中は、小説家にはなれないだろう」と。だいたい、小説家になろうなんて人間は、なにを教えてもらうでもなく、行李いっぱいの小説をすでに書いてなきゃいけない。入門編とやらで教えてもらって、さあ小説を書きはじめましょ、なんて曖昧な意欲のやつが、前者にかなうわけがない。書きまくって、壁に突き当たり、ついに教えを乞う・・・それが正しいプロセスだ、と。話は逸れたが、とにかくオレは、誰に教えてもらうでもなく絵が描けるので、絵描きになる以外にないんだった。
 そうして美術部に「入門」したわけだが、こちらもゆるかった。油絵や、日本画や、デッサンの作法などをアカデミックな雰囲気で教えてもらえるものかと思ったら、そうではない。
「ゆで卵のカラをなるべくたくさん用意してください」
 と、二十歳そこそこの新米女教師、ゴシマ先生は言うのだった。ぴよぴよとヒヨコのように可愛らしいこのひとは、オレたちが見守っていてあげないとよちよちと歩くこともできない。仕方なくお母ちゃんに頼み込み、毎日ゆで卵を食べつづける。
「みなさん、たくさん持ってきてくれてありがとうございます。ではこのカラに色をつけ、こまかくわりましょう」
 言われた通りにする。我々は今、どうやら作品制作に取り掛かったようだが、心を浮き立たせているわけではない。必死に指導するゴシマ先生がかわいそうで、ではやってさしあげましょうよみなさん、という空気だ。美術部は、男子はオレひとり、女子はその日の気分で代わるがわるに顔を出す先輩が数人いるきりだ。「はいはい」と声が漏れそうな中、全員で作業をはじめる。ところが、これがなかなか悪い気分ではないのだ。お姉さんたちはみんなきれいで、どういうわけか、ちょっとずつ悪ぶったところがある。かるくあてられたパーマが新鮮だ。セーラー服の下に着用を義務づけられているブラウスを着ず、ヘソをチラ見せにしている。ドギマギしながら、その美しいヘソの穴に見入る。ブラジャーまでが垣間見えることさえある。
「かわいいなあ杉山は」
 そう言われると、純情なオレは真っ赤になる。ひじでツンツンされる。美人でオトナの先輩に触れてもらえるなんて、光栄だ。いじられながら、カラを割りつづける。
「ゴシマもかわいいなあ」
「ふざけないで、がんばってわってください」
 先生までがいじられ、ぴよぴよとわめいている。が、声が細く、ちっとも耳に入ってこない。するとさらにわめく。ぴよぴよぴよ。かわいそうになってくるので、オレたちはがんばってしまう。悪い女先輩たちも、この雰囲気が好きで美術室に通ってくる。彼女たちは、絵というものが描けない。どへたである、と言うよりも、そもそもこうした芸術的な文化を持ち合わせていない。だからゴシマ先生は、この部活の時間を少しでもたのしく過ごさせようと、工夫を凝らしているのだ。
「カラフルな卵のカラのパーツがたくさんできましたね。ではこれを使って、いよいよ貼り絵をつくっていきますよ」
 先生は得意満面だ。がんばって予算をもぎ取りましたからー、の笑顔かもしれない。そこで用意されたパネルが、タタミ一畳分ほどもある。
「でっ、でかーっ・・・!」
 みんなで反り返った。この広大な面積を、色のついた卵のカラで埋め、一枚のモザイク画にするというのだ。
「文化祭に出すやつですからね。みんなで力をあわせてがんばりましょうっ!」
 ゴシマ先生の鼻息は荒い。が、ぴよぴよ声は先輩たちに届いていない。先輩たちは、タバコを吸いにベランダにいってしまった。
 その後、このモザイク画は、ほとんどオレひとりで完成させた。

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