deep forest

しはんの自伝的な私小説世界です。
生まれてからこれまでの営みをオモシロおかしく備忘しとこう、という試み。

29・東京にて

2023-03-30 09:26:06 | Weblog
 モンゴル行から戻り、企画ページのルポルタージュとともに、「モンゴル滞在マンガ」を描いた。評価はまあまあだったようだが、本人のやる気は戻らない。結局、オレは鬱というよりも、そもそもマンガを好きになれないのだと理解した。読むことを無邪気に楽しんだ時期はあったが、将来にマンガ家になるなどとは考えてさえいなかったガキの頃の話だ。いや、その頃からマンガ家になるのだろうという予感はあったが、こんなにも苦しもうなどとは思ってもみなかったのだ。今や、あの気楽さではいられない。
 大人が電車内でマンガを読むなんて恥ずかしい、と感じている。そんな人間を密かに蔑視してさえいる。なのに、彼が読んでいるのは、まさにオレの描いたマンガなのだ。これがまた恥ずかしくてたまらない。後の世になって、マンガやアニメは「クールジャパン」としてもてはやされるようになるわけだが、まったく噴飯したくなる。このオタク文化は、(誰もが気づいていながら知らぬ振りをするが)下心と表裏一体であり、さらに言えば、猥褻と紙一重なのだ。いや、そこは「・・・という部分もある」と控えめに言うべきかもしれない。しかし、どうもその疑念は晴れない。確かに優れたマンガ作品は少なくない。そこは認めるし、マンガ表現がすばらしい芸術様式と感じてもいる。が、かなり後の当局が口にするところとなるクールジャパンの本質は、「ロリ系少女」を描くあの独特の様式によってならば幼児愛を寛容的に受け入れてよいことにする・・・というエクスキューズに他ならない。美しく細密なあのカンジなら、心に隠し持つべき淫らさを大っぴらに明らかにできるのだ。こりゃ便利、ってなものではないか。本来ならば気恥ずかしく感じるべきこの性癖を、パンチラを「大好き!」と言ってはばからないガイジンさんたちの思慮足らずな態度に勇気づけられ、日本人は許容してしまっているわけだ。さらに日本政府までもが、経済のためにこの見苦しいムーブメントを後押ししてくださる。そこに主体的な美意識は存在するのか?ガイジンさんが「クールだ」と言ってくださるからすばらしい文化なのか?オレには、オタクガイジンこそが気持ち悪いのだ。そして、オタク日本人はもっと気持ち悪い。
 考えてもみればいい。ここにアニメの美少女大好き系のオタクがいるとして、友だちになりたいか?いや、なりたくない。本当に彼の愛するものを愛せるか?いや、ドン引きする。彼の人生を賭けた幼児愛への執着を理解できるか?いや、キモいとしか言いようがない。・・・高い美意識を保とうという身としては、そんな人物、そしてそんな文化との間には、決定的な壁をつくっておきたいのだ。
 そんなマンガを描いておまんまを食おうという自分の生き方を、素直に受け入れられないでいるのだった。恥じ入りたくなるのだ。体裁の悪さに苦悶してしまうのだ。
 最も信頼を置いていた担当編集者氏が昇進し、デスクだか副編集長だかに取り立てられ、自らを賢いと思っている気色悪い東大卒が後釜として回されてきた。そんなわけで、ますます創作意欲がなくなり、現場から足が遠のいていく。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

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