deep forest

しはんの自伝的な私小説世界です。
生まれてからこれまでの営みをオモシロおかしく備忘しとこう、という試み。

127・卒展

2019-06-27 19:23:01 | Weblog
 あのアホで悪童で関西人のマッタニが、こんなにもソフィスティケイトされた作品をつくるとは、本当に信じられない思いだ。見上げるそれは、まるでマストだ。風をふところ一杯にはらんで、高くはためくヨットの帆のようなのだ。無駄な装飾は一切排されている。シンプルにして、軽やか。順風を満帆に受け、極限までヤスられた薄い石の緊張感は、強さと同時に、危うさも内包している。よくぞここまで、と感嘆するしかない仕事っぷりだ。なるほど、この質を実現するためには、石ノミどころか、砥石も使えなかったわけだ。紙ヤスリが必要な意味をようやく理解した。
 ぺらぺらの大理石は、脆そうに見えながらも、全体が均一厚に仕上がっていて、ベルトにかかる自らの過重にも耐えきった。ついに立ち上がったそれは、均整が取れていて力強い。そこに、スポットライトの灯りが落とされる。薄闇に真っ白な姿が、ぽっ、と浮かび上がると、静かな静かな世界が完成した。作品が空間と完璧に調和したのだ。
「光が通り抜けてる・・・」
 誰かがつぶやいた。そ、そやねん、とマッタニはしたり顔だが、本人も予想だにしていなかったにちがいない。本当に、石自体が光を放っている。透き通った石目の綾は手の平の血管を思わせ、冷たいはずの大理石に、まるで血液が走り、体温を宿したかのように見える。裏側から当てられてた光と作品との間をひとが横切ると、石の表側にまで影が透過してくる。これほど巨大なのに、これほど儚く、またこれほど力強いなんて。
「はあ・・・」
 そこにいた全員が、声を失った。信じられないものを見せられている。漏れるのはため息ばかりだ。作者の、ここに至るまでのがんばりとか、石彫場でともに過ごした思い出とか、人間性とか・・・考えたくなりがちなそんな作品周辺の事情を全部取っ払って、ただただ混じりっけのない、美に対する感動だけが濾し取られる。ここまで純粋な美しさを感じ得たのは、人生で何度とない。それほどまでに、深く動かされた。年度明けには寿司屋を継ぐことになるマッタニもまた、細い目でぼんやりとその場に立ち尽くしている。満悦の薄笑いを浮かべかけた口のへりが、時間を忘れて永遠に固まっている。ああ、泣きそうだ。ひとは感動すると、熱く興奮するか、そうでなければ呆然と脱力するか、なのだと知る。いつまでもいつまでも、ぼんやりとみんなで見つめつづける。目の前に立ち上がった奇蹟を。
 翌日に卒展が開幕した。なかなかの盛況だ。来場した誰もが、エントランスを入ってすぐのところにふんぞり返る、オレの巨大石彫作品を見上げてから入場する。なかなかいい気分だ。しかし、主役はなんといってもマッタニの作品だ。ギャラリーとしての第一室であるエントランスホールから、ふと第二室のサイドギャラリーに目をやると、暗闇にほのかに灯るキャンドルのような作品が誘惑してくる。近寄ると、それは見上げるような大理石彫刻だ。誰もが驚いている。石全体が、淡い光を放っているのだ。いや、内側に光を抱え込んでいる、とでも言おうか。その薄明かりに誰もが魅入らされ、サイドギャラリーに飲み込まれていく。マッタニはすでに、しめしめうっしっし、の顔を取り戻している。
「見てみい。わいのが主役や」
 美を実現するための粘り強い仕事っぷりと、現実世界に戻ったときのそろばん勘定が、この男の二面性だ。寿司屋はちょうど性に合っているかもしれない。この男は、ひとを幸せにしようという気持ちが誰にも負けないのだ。春からの寿司修行でもがんばってほしいものだ。
 さて、卒制で、卒展ときたら、いよいよ卒業なのだ。が、オレはこれまで、まったく就職活動をしてこなかった。時代は、バブルの波が押し寄せ、狂乱のまっただ中らしい。周囲の学生たちは、いきたい企業に就職し、未来を自分の好きなように描いている。ところがこのオレときたら、これから先、なにをしていいものかまったくわからないでいる。ひとつの企業にも足を運ばなかったし、就職関連の人物と話し合うこともなかった。学生課のセクションに問い合わせることもなかったし、情報リストをひも解くということもなかった。将来の道について悩む、ということもない。ただただ、ぼんやりしていて、うっかりしていて、しかし自分は天才だと信じきっていて、つまり、明日のことはなんとでもなると思っている。
 そして、これが本当になんとかなるものなのだ。ある日、一本の電話がかかってきた。
「杉山さ、先生やらへん?」
 それは、わが地元である岐阜の高校で教員として働く、石彫科の先輩からのものだった。
「いや実はね、俺、今度、県の方の教員試験に受かったんで、今やってる私立校の後釜を探してるんだ。おまえ、教員免許持ってるだろ?」
「ええ・・・まあ一応、教育実習にはいきました」
「だったら、やってよ」
「ああ、はい。じゃあ」
 というわけで、一夜にしてオレは、高校教師になると決まってしまったのだった。わーい、ラッキー。
 ところが、これが奇妙な事件に発展していく。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

126・ひのき舞台

2019-06-24 08:07:17 | Weblog
 図らずも「卒業制作展委員」というのを引き受けることになってしまった。今年度に卒業する各科学生の卒業制作作品(卒制)を一堂に集める展覧会が、卒業制作展(卒展)だ。卒展は、大学のキャンパスを大々的に使って行われる。その会場における彫刻科作品の配置を調整せよ、というのだ。なかなかのお役目ではないか。
 彫刻科に与えられるメイン会場は、エントランスホールだ。天井も高く、空間的にもひろびろと開かれたフロアで、ここは言わば、キャンパス内における来客との顔合わせ場だ。こんな特等席に恥ずかしいものを置くわけにはいかないので、エース級が取りそろえられる。さらに、屋外向けの石彫作品は、大学正面門からエントランスにつながる、長大な野外のアプローチに並べられる。こちらも来場者たちを最初にお迎えするという意味で、好位置と言える。しかし、実はそれらの座をしのぐプラチナ席が存在する。エントランスホールからサイドギャラリーにアクセスするポイントだ。ここには数段の小階段が設けられていて、そのせまいスペースを通り抜けた途端の真正面に、作品が一点だけ置けるのだ。ここに置かれた作品は、派手さ重視のメイン会場から、質の高い小品が集中する落ち着いたサイド会場に移動する来場者が、必ず正対することになる。そんな絶好のポジションなので、伝統的にここには、その年の最も優れた作品が置かれるものとされている。
 この座に据えられる一点は、いわば卒展のハイライトとなるわけで、当然ここへの設置権は、各部屋入り乱れての争奪戦になる。元来、この場には石彫部屋の作品が置かれるのがスジだ。同窓の重しとして誰からも敬意を払われる大将もいれば、彫刻展のリーダーとなって八面六臂の活躍を演じたマッタニもいるし、そもそも、オレという天才がいる。ところがここにきて、ディスコのバイトと色恋に明け暮れていた木彫科の輩が乗り込んできたのだ。今年度の首席ポイントにはわが木彫部屋の作品を置かせよ、というわけのわからない強硬な主張だ。見よ、俺たちもがんばったものだぜ、これらの木の作品のなんという華やかな出来栄えであることよ。その場にぴったしマッチするではないか。やみくもに巨大で、見栄えもいいでしょ〜!・・・などと見苦しく大きな声を出している。しかしどうひいき目に見ても、卒業生代表という存在にそぐう作品ではない。なるほど、でかい。が、重みがない。かっこいいが、安い。メイン会場から客足を誘導する力がない。オレは彼らの作品に対して(というよりは、彼らの制作態度に対して)極めて批判的なのだ。こんなやつらを相手に引くわけにはいかない。いつもは羊のようにおとなしいオレだが、ここは戦わねばならぬ。口アワ飛ばし、論理的、かつつかみ合いまじりでやり合う。そんな喧々囂々の末に、ついに主席ポイントは石彫場のためにもぎ取った。ま、卒展委員なのだから、独断で決めてしまっても構わないのだが。とにかく、そこに置く作品は、オレが決めるのだ!
 そんなこともつゆ知らず、愚直に、勤勉に、バカ真面目に、わがマッタニは毎日毎日、朝から晩まで、巨石に紙ヤスリを当てている。寒風と、小雪までが吹き込む石彫場で、凍らんばかりの水を流しっぱなしにし、軍手をビチャビチャにした手で、カシカシ、カシカシ・・・大理石の表面を磨いているのだ。くる日もくる日も、延々と延々と、それを繰り返している。が、作品の形は変わっていかない。当然だ。石なのだから。マッタニよ、アタマは大丈夫か?近くで聞き耳を立てると、「わいの大理石ちゃん、うふっ」と、うすら寒いことまでつぶやいている。
「もうすこしだからね、しんぼうしてね、うふっ・・・うふふふ・・・」
 ・・・狂っている。その可愛がりっぷりを毎日見ていてオレは、どれほど奇妙なものが出来上がろうと、あの主席ポイントにはマッタニ作品を据える、と腹を決めている。もう好きにすればいい。そんな境地に達している。そうしつつ、オレはオレで作品にノミを打ちつける。
 こうして、ついに卒展の搬入日を迎えた。オレの巨大な作品は、エントランスホールを入ってド正面の「いらっしゃいませ席」に置かれた。ユニックでホールまで吊り上げ、ビシャモンという搬送用の台車でそろりそろりと運び入れ、最後は原始的に、巨大な三脚と滑車を使って設置した。3トンの重さに床が耐えられるか議論になったが、最後は押しきった。なかなかの迫力だ。ざまあみろ。
 さて、問題作の方だ。大方の作品のセッティングが終わり、ついにマッタニの真っ白な大理石が、首席ポイントに運び込まれた。でかいっ、長いっ!こいつを垂直に立てなければならない。完成した作品は、恐ろしくデリケートなつくりだ。手で触れるにも気後れがするほどなのだ。石は、極めて薄く削げている。裏に手を回すと、透けて見えるほどなのだ。もう一度言うが、これは大理石なのだ。美に対する執着か、バカのたわむれか・・・とにかく、怪作であることには間違いない。
 丸太を三本立てて三脚にし、頂点に滑車を結わえつける。滑らかなベルトを巻き、しず、しず、と慎重に吊っていく。作品の天頂部が持ち上がり、全体が起き上がっていく。マッタニ自身も、完成したこの作品の立ち姿を見たことがない。危うすぎて、立てる勇気がなかったのだ。そいつが今、立ち上がり、ついにひのき舞台に屹立する。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

125・コツコツ

2019-06-22 17:32:28 | Weblog
 毎日、コツコツと・・・本当の意味で、コツコツと、ノミとゲンノウを手に、巨石と格闘している。垂直に起こした石は、180センチあるオレの背丈よりも高い。日本酒の一升瓶で桐箱入りのものがあるが、ちょうどあの箱のような形をしている。そんなノッポの巨石の半ばあたりに、くびれを刻んでいく。長い長いウエストを、細く細く彫り込んでいくのだ。胴部が砂時計のように削げていくにしたがって、相対的に上半身前面のボインバストと下半身バックのプリプリヒップが、ぱあーんっ!と飛び出して見えてくる。マイナスにえぐれた部分は、プラス部分のボリュームを際立たせるのだ。ちょっとずつちょっとずつ、まさしくコツコツと、ノミを打ち込む。石は、少しずつ少しずつ形を変えていく。こうしてプロポーションを見ながら、局所をつつき倒していくうちに、徐々に全体像が姿を現してくる。仕事の成果が見えれば、意欲は再びみなぎり、作業の手にも力がこもる。カッターで切れ目を入れ、石ノミでハツる。サンダーの石粉にまみれながら、ゲンノウを数千回も振り下ろす。一日中、こんなことをしている。おかげで、オレの肩には異様な筋肉が付き、上腕は風船のように膨らみ、腹筋はチョコレートのように割れ、まるでジュニアヘビー級の新米プロレスラーのようになってきた。院生氏の予言通りに、鼻毛も黒々と伸びている。進化だ。床屋にもいかずにほったらかしの長髪をボリボリと掻きむしると、フケの代わりに石クズがバラバラと落ちる。そんな粉塵を総身に浴びた真っ白な姿でも、平気で学食に入っていける。お行儀がよかった画学生の、明らかな変化だ。ここまで開き直ると、不思議な万能感に包まれる。ついにオレは、怪人になったらしい。すなわち、石彫場の住人に。
 夕暮れ。竹藪の影の石積みに腰掛け、作品の出来栄えを見る。なかなかいい。一日の仕事量は、きちんと作品の量感に反映されている。その代償に、からだは疲れ果てている。いつもいつもへとへとだ。学食で、ハシを持つ手が上がらないほどなのだ。このまま横になれば、いつでも気絶できそうだ。ところが、ここからさらにラグビー部の練習に向かうのだ。義務感ではない。まったく無垢な意欲だ。この熱量の源泉とは、いったいなんなのだろう?
「グランドいこうぜ」
 同じ石彫場のマッタニに声を掛ける。やつはすでに親分格だ。屋内の一等地に、必要なだけの面積を与えられている。ところが、やつの作品にはキョトンとさせられる。いや、正確には、その仕事っぷりには、と言おうか。その作業工程は、まったく異端と言うほかはない。
 マッタニの買い込んだ石は、オレのものよりもさらにでかい。3メートルを超すようなものだ。が、ボリューム感はない。平たく、ひたすら長い。その長大で真っ白な大理石が、石彫部屋中央に長々と横たわっている。やつはこいつを、毎日毎日、こつりこつりと、小さな耳かきのようなノミで彫っている。ガツンガツンと豪快にゲンノウを振り回しているオレに言わせたら、そのノミ使いは、まるで石の上っ面をくすぐっているように見える。疲れているのかも知れない。それとも、やる気を失ったのだろうか?うっかりと大きすぎる石を買ってしまい、もはや完成をあきらめたのだ・・・周囲からは陰口が聞こえてくる。教授たちも呆れている。しかし、マッタニ本人はどこ吹く風。あの粗暴で横着な性格をどこに追いやったのか、石の目に丁寧に耳かきを・・・じゃなくて、小さなノミを立て、愚直に、丹念に、少しずつ少しずつ、刻み跡を進めていく。これぞまさしく、コツコツ、だ。その背中は、ほとんど手芸をする女子のそれだ。やがて大理石が目に見えてやせ細ってきた頃、やつは新たなキョトンを周囲に提供した。今度は、なんと紙ヤスリを持ち出してきたのだ。それで石の表面をカシカシと削っていこうというのだ。カシカシ、カシカシ、カシカシ・・・頭がおかしくなったのだろうか?最終的になにができるのか、誰にも想像がつかない。そんな石彫のプロセスなど、聞いたこともないのだから。
「ヒミツや」
 マッタニは、いつものニヤケ顔をさらにニヤケさせる。
「できてからのおたのしみやねん」
 ニヤニヤ、にたにた。しかし、そのほっそいメェの奥には、執念の炎がひらめいている。恐ろしや。
「さ、練習いくで」
「おう」
 グラウンドにいちばんに顔を出すのは、必ずオレかマッタニかのどちらかだ。あるいは両方か。ラグビー競技の細部が理解できず、最もボール扱いのヘタなこのふたりだが、どういうわけか、練習が大好きなのだ。そしてラグビー部の空気が。そこで、誰よりも早出の練習となる。
 ふたりで向き合い、手持ち無沙汰にボールの蹴りっこをはじめる。そのうちに、ようやく部員が集まりはじめる。油絵科の連中は、絵の具まみれの顔を洗ってもこない。デザイン科の面々は、提出する課題のせいでまともに眠っていない。彫刻科の連中は、意味なくむっすり傲然と現れる。誰もが制作でクタクタだ。それでも、この時間になるといそいそとやってくる。こうして集まった数少ないメンバーで、ダラダラと練習がはじまる。しゃべりながら、笑いながら。こうしてお互いの間をボールが行き来するだけで、たのしい。
 マネージャーがベンチに集まりはじめ、女同士の秘密会議をはじめている。彼女たちは、ここになにをしにきているのだろう?自分たちでもはっきりとはわかっていないにちがいない。選手そっちのけに、おしゃべりに花を咲かせている。そんな彼女たちだが、ふとわれに帰り、グラウンドの方を見ることもある。彼女たちがグラウンド上に見るものは、救いがないほどのヘタクソなボールのやり取りだ。しかし、見つめる男たちの誰もが、ボールを追う目を輝かせている。それを見てマネージャーたちは、胸の奥をきゅんきゅんさせてしまう。そこは間違いない。彼女たちは、救急手当ての方法も、テーピングの巻き方も知らない。ましてや、ラグビーのルールを知っているわけでもない。ただ「バカなひとたちの見物」と、おしゃべりと、大声を張り上げることが目的でやってくる。しかし、そここそが重要だ。バカな男子は、ベンチ脇にヤカンを持った女子がいてくれるだけで、力をみなぎらせることができるのだ。しかもたまに彼女たちは、足元に転がったボールを拾ってくれる。そして投げ返してくれる。なんとすばらしい青春の1ページではないか。
「がんばってー」
「はしれー」
「たおせー」
 黄色い歓声(どやし声?)がはじける。そんな声に促されて、男たちは走れるのだ。グラウンドが夕闇に沈んでも、ぶつかり合う。校舎の窓の明かりを頼りに、まだボールを追いつづける。なんとなく、終われない。終わりたくない。卒業が迫っている。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

124・ガンセキ、大地に立つ

2019-06-21 22:09:06 | Weblog
 石彫り、たのしや。オレが彫ろうとしているのは、半具象的抽象像だ。アフリカ彫刻を見たことがあるだろうか?おっぱいボーン、お尻キリッ、そしてウエストびょ~ん、な黒人の彫像を。女性を(あるいは男性を)シンプルな解釈で記号化していて、明朗かつ本質的。かの地の彫像は、どれも黒檀という木を用いた木彫りなのだが、それを真似て・・・と表現するには抵抗があるが、まあアフリカ的人体観を石彫表現で試みよう、というわけなのだった。
 石彫場の外で横倒しにされた巨石は、長さ2メートル、ワイドと奥行きそれぞれ1メートルずつほどの箱形で、推定で3トンはある。こいつを揺らぎなく立たせるには、まずは底にあたる面を平らに成形しなければならない。直方体とは言っても、山の石切り場でざっくりとカチ割られたままの姿なので、地肌は荒々しく、デコボコしている。これではよろしくない。2メートルもの石像を立たせようというのだから、接地面はフラット、重心バランス平衡にして泰然不動、すなわち絶対安全が最低条件だ。もし制作中に、あるいは展示中に倒れでもしたら、下敷きになった人間は死を免れない。そうならないためには、なにをおいても底部成形だ。慎重を期して、作業を開始する。
 はじめて使うダイヤモンドカッターで、石のへりを少しずつカットしていく。高速回転する刃は、石肌に噛みつき、面白いように食い込んでいく。刃を進めるほどに、削った石の粉塵が舞い上がる。周囲数メートルには、煙幕のような石けむりが立ち込めている。そのため、ゴーグルと特製のマスクは欠かせない。こいつがなければ、肺も目もやられて、早死にすることは間違いない。視界の悪い中、3センチほどの深さの溝を一直線に刻んでいく。前に説明した「石塊をスリムにしていく」作業とは違い、底面出しは、いわば野菜でいうヘタ部分の切断だ。が、カッターの直径の問題から、一気に輪切りにはできない。石を浅く一直線に切り裂き、石ノミでちょんちょんと小突いて、余剰箇所を取り除いていくしかない。この作業を、表から裏へ貫通するまで続けるのだ。カット、ハツり、カット、ハツり・・・これを一週間ほどもくり返し、ようやくエンドまで彫り進んだ。底面がざっと平らになったところで、今度はダイヤモンドカップの出番だ。要するに、ガタガタの切断面を整地する削り作業だ。縦、横、斜めに角尺を当てながら、でこぼこを真っ平らに整える。この作業が終わる頃には、カッターもカップも、刃がほとんど磨耗してなくなっている。底面のならしだけで、計2万円の出費。関ヶ原の石材屋では、巨大なノコギリで石をスライスしていたが、あそこにひょいと置いておけば、ものの一時間ほどで両断できただろうに。手作業による石彫の困難さを思い知る。
 石の底が鏡面のようになったところで、いよいよ直立させてみる。ついに作品(まだ石塊だが)が立ち上がるのだ。なんとも心踊る瞬間でないか。しかしオレには、ひと抱え以上の大きな石を扱った経験がない。そこで、フォークリフトに乗ったマッタニに手伝ってもらう。やつはすでにベテラン選手の域に入っているのだ。作品の転がしもお手のものだ。しかしその作業には、知恵と勇気と細心さが必要だ。一瞬の油断が事故を招きかねない。人間側の安全第一はもちろんのこと、作品本体にもストレスを感じさせてはならない。破損させては元も子もないのだから。そろり、ゆっくりと、しかし大胆に作業を進める。
 横たわった直方体を直立させるには、まずベルト(ロープ)を縦に、つまり最も長い周囲に渡して巻く。直方体を人体に置き換えると、ベルトは天頂部からヘソを経由して股間を通り、背後に回って背骨沿いに回り込み、戻ってきた天頂部で絡められる。からだの正中線を一周するわけだ。その天頂部で絡めたベルトを、フォークリフトのアームに掛け、引っ張り上げる。すると作品の頭部が、ゆっくりとゆっくりと起き上がっていく。かかと部を地面に付けたまま、背中面が浮き上がっていくのだ。さらに起こして、角度をかせいでいく。かなりの勾配にまで立ち上がった。このとき、背中面にかかる重心と、底面(足の裏)にかかる重心のバランスが、極めて重要な問題となる。背中が徐々に持ち上がるにつれて、背中側の重心が底面側に、刻一刻と受け渡されていくのだ。ここでは、サイコロ型である立方体を考えたらいい。これから立ち上がるべき底面と、これから底になるべき垂直面は、四十五度だけ起こしたとき、完全な平衡状態となることがわかるだろう。つまり直方体は、立ち上げたある一点で、ついに重心の臨界点に差し掛かるわけだ。そしてついに、背中から足の裏に大重量が移動し、荷重の逆転が起こる瞬間がくる。鉄棒の逆上がりで、くるりと回ったからだが鉄棒の真上にきたときに、あちらサイドに回り込めるか、こちらサイドに戻ってきてしまうか、という一点があるだろう。その臨界点を境に、重心が反対側に移ったとき、一気にブレイクスルーが開始される。巨石の背中側にのしかかっていた荷重が、その角度を越えた途端に、足側に渡される。その瞬間の重心移動は劇的なもので、まさしく「横たわる」から「起きる」への決定的な転換点だ。ガクーン!それは、恐怖に限りなく近い緊張の瞬間でもある。あっちに向けて張り詰めていたベルトが、重心の二点間の移動で、不意にこっちに向けて張り詰める。ズシンとした衝撃が走り、運転席のマッタニはつんのめる。が、こらえる。なめらかだ。うまい。重心の臨界点で、アームの動きをピタリと止めることができると、3トンの巨石はまるでやじろべえのように見事に均衡がとれ、指一本でも重心の二点間を行き来できるほどに美しいバランスを取る。そんな一点を乗りきり、巨石の傾きはいよいよ垂直へと向かう。重心を担った底面がピタリと地面に接地し、ついにわが作品(まだ石だ)は大地に立った。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

123・石

2019-06-19 08:42:08 | Weblog
 岐阜の関ヶ原に、石の殿堂とも言うべき石屋がある。日本中でつくられる石像、石壁、墓石、その他石製品の素材調達を一手に担う、石の販売所兼加工所だ。もちろん、美大石彫場御用達でもある。この石のショールームは、中日球場数個分というほどの広大な敷地に、多彩極まる巨石が名古屋港埠頭のコンテナのように積み上げられていて、ながめ歩くだけでも壮観だ。様々な色の御影石、トラバーチン、砂岩、大理石・・・世界各地で切り出された石がここに集められ、機械式の巨大なノコギリで食パンのようにスライスされていく。そうしてできたものが、銀行の壁などに張り付けられるわけだ。さて、巨石から薄板を切り出す一方で、最後に端材が生じる。商品にならない、巻き寿司のエンドの部分だ。貧乏な学生は、そんなおこぼれを二束三文で頂戴する。案内のおっさんが「どれでも好きなやつを選びゃー」と言うので、ヘルメットをかぶり、掘り出し物を探して歩く。
 マッタニ運転のポンコツ軽で連れてきてもらったが、まったくすごい光景だ。なにしろ石の一個いっこが、イナバの物置ほどもあるのだ。打ち捨てられたような石クズも、両手に抱えきれないほどのブロックだ。これでは、たとえ小さなものを手に入れたとしても、とても車で持ち帰るというわけにはいかない。なので年に一度、石彫場のメンバーで乗り合わせ、一気に多くの石を買い求め、巨大なトラックで配送をお願いすることになる。
 見てまわる石は、赤、黒、白、ゴマ塩、と色も豊富だ。この中から、卒業制作に用いるものを選ばなければならない。
「大理石はな、モロいねん」
 マッタニが説明をしてくれる。大理石は、石灰岩がみっしりと固められたもので、鍾乳洞のように雨に溶ける(数千年という単位での話だが)。層の結合も心もとなく、衝撃に弱い。その代わりに、キメが細かく、石肌が美しいというメリットがある。そして加工もしやすい。ノミを打ち込むと、硬い石鹸みたいな感触で、素直に刃先が入る。彫刻に向いていると言える。ヨーロッパの彫像などは、もちろんこの大理石製だ。トラバーチンは、沈殿岩なので凝縮が頼りなく、大理石よりもさらにモロい。断面はそのまま圧縮された地層になっていて、気泡や貝などの化石をふんだんに含んでいる。模様がやかましいが、抽象彫刻にすると面白い味になる。対して、御影石は、マグマがゆっくりと冷え固まったものだ。硬くて耐久性があり、墓石などにも用いられる。最も密度の高い黒御影石ともなると、とてつもなく硬質で、加工のしにくさには泣きたくなる。が、永遠を感じさせるほどの質感と色味がかっこよく、黒御影は掛け値なしに石界のエースと言える。レクチャー、終わり。
「なるほど」
 オレはこの春から石彫をはじめたばかりのほぼルーキーだが、誰よりも大きな石を手に入れてやろうと意気込んでいる。残された時間は一年間しかない。ちまちまとしたものをつくってもつまらないではないか。ちょうどテーマに沿う赤い石で、形もいいものがあったので、おっさんに値段を聞いてみる。3万円でいい、という。安い!じゃ、これとこれ、と気軽に買った。別行動だったマッタニにそいつを見せると、腰を抜かしている。石がデカすぎて、手に負えるかどうか心配しているようだ。自分の背丈を越えるような巨石を二点もお買い上げなのだ。過去の石彫場でも、このサイズをやらかした人間はいない。
「ほんまに大丈夫か?」
「大丈夫だ」
「後悔せーへんか?」
「せぬ」
 根拠のない自信だけが持ち味のこのオレだ。やって見せるしかない。ところが、マッタニも負けん気の強い男で、オレよりもデカい・・・というか、長い長い端材を探し出し、二点購入している。
「マネすんな」
「してへんわ」
「後悔するぞ」
「わいにはわいの考えがあんねん」
 火花が散る。卒制に向けた勝負はすでにはじまっている。
 後日、石彫場にエントツ付きの大型トラック(ルート66を走ってるようなやつだ)が横づけされた。オレとマッタニの石がやってきたのだ。アフリカ大陸のボイン女性をテーマにするオレは、ボリュームのある赤御影のブロック。マッタニは、黒と白の細長い大理石だ。かつて誰もチャレンジしたことのない巨大な石材が何体も運び込まれ、後輩たちは目を剥いている。先輩たちもドン引きだ。それを見て、さすがにオレたちも少し心配になってくる。
「・・・ほんまに大丈夫か・・・?」
「・・・大丈夫だ・・・」
 その日から、巨石との壮絶な戦いがはじまった。

つづく

122・石彫部屋

2019-06-18 08:25:53 | Weblog
 自分たちが主催した彫刻展を無事にのりきり、解放された勢いのままに美大祭で乱れまくり、やがて積もりはじめた雪の中をこもって過ごし、重い空がひらいて、四度目の春がきた。4年生になったオレは、塑像部屋を出ることにした。満を辞しての石彫部屋入りだ。相撲部屋は自分の意思で移籍することができないらしいが、彫刻科内では部屋を移ることは自由なのだ。いよいよオレも「イカツイ先輩」の仲間入りというわけだ。しかし、いざ石彫場に入って内側から観察してみると、怪物・珍獣の姿はどこにもなく、そこにいるのは普通の心優しい、そして制作に対する熱意を持った好人物ばかりだった。この場のボスである院生の井上さんは、オレが移籍した初日に声を掛けてくれた。
「鼻毛、長なるで。気いつけや」
 がんばれよ、の特殊な言いまわしだろうか?ここに棲息するヒトビトは、年中石粉の粉塵にまみれて過ごすために、みんな鼻毛をもうもうと噴き出させているのだ。部屋にはなじみたいが、そんな進化はゴメンだ。身だしなみに気をつけねば、と心する。
 石彫場は、大学構内の北の果てにある。プレハブが大小二棟つづきになっていて、中小企業の町工場といった風情だ。プレハブの小さな方は古くてボロボロだが、大きな方はわりと新しく、数トンもの石を縦横無尽に動かせるように、天井にガントリー(移動式のクレーン)が据えられている。足元は、コンクリートの打ちっぱなし。壁一面とも思えるようなシャッターが各サイドについていて、こいつを開けっ放して、粉塵がこもらないように始終空気を入れ替えている。つまり、常に吹きっさらしというわけだ。プレハブの外には、テニスコート反面分ほどの野っ原があり、あまりにも大きな作品はそこで加工、造形作業をする。その周囲には、これから作品にしていこうという巨石が積み上げられており、さらにその傍らに、うず高い石捨て場がある。巨石をガツンガツンと刻み、そこから出た石片、石クズを野積みにしているわけだ。そんな石彫場全体の外周を、鬱蒼とした竹林が取り巻いている。竹林は浅野川に向かう谷筋への断崖絶壁に消え入っていて、つまりここは本当の意味で、小立野の丘の最果ての地なのだった。
 三年間をこの場で揉まれたマッタニは、口の端にくわえタバコでフォークリフトを運転し、抱えられないほどもある石塊をゴロンゴロンと転がしている。その放埒な風体、無造作な振る舞いが、なかなかサマになっている。明らかに、第七餃子でフライパンを磨いていた頃よりもいい男になっている。ホホー、と言いたくなる。新しく石彫場に入った2年生、そして前年の一年間をすでにこの部屋で過ごしてきた3年生も、いっぱしに男の顔をしている。ここで過ごすと、女子学生までもが男の相貌と凛々しさをまとってしまうようだ。オレもとっととこの連中と同化して「真の男」に成長しなければ、との思いを強くする。
 さて、さっそく石を彫ろう、ということになる。最初は、外スペースの片隅に転がっている誰のものとも知れない端材を頂戴し、慣らし運転だ。高校時代に石工はやっていたので、戸惑いはない。この日のために、道具一式もそろえてある。石彫に用いる石ノミは、握り部分が鉄製で、先端に鉛筆の芯のような鋼鉄刃が仕込まれたゴージャスなものだ。一本3000円から5000円もするが、うっかり刃を折ってしまうと(よく折れる)使い物にならなくなるので、慎重に扱わなければならない。ならないのだが、力強くドツキ倒さなければ意味がない。頭の痛い問題だ。こいつのノミ尻に打ち込むのは、ゲンノウ(トンカチ)だ。これがクソ重い!重さは1、1キロ~1、3キロもある。連続して百回も叩き込めば、筋肉パンパンになれる。当然だろう、その重さの鉄アレイを百回上げ下ろしするのと同じなのだから。基本的には、この古式ゆかしい作業の反復で制作は進められる。しかし、300キロを超える巨石(このサイズはまだ可愛らしいものだが)となると、こんな原始的な道具だけでやっつけていては気が遠くなってくる。そこで、サンダーの登場となる。要するに、ハンディタイプのグラインダー、すなわち、石を切る刃を高速回転させる装置だ。その先端部には、ダイヤモンド粉をふんだんに混ぜ込んだカッターや、削り用のカップなどを取り付け、使用する。これがまた高額だ。悩ましい・・・
 具体的な作業の進め方はこうだ。まずは石のハツリたい部分に、ダイヤモンドカッターで深さ3センチほどの「切り傷」を、数センチ間隔に刻んでいく。シマシマの傷跡を入れるわけだ。平行に並んだこの傷跡に対して、垂直に石ノミをぶつけてやる。すると、長方体の(つまり、細長い)石片がポロリとハツれる。こうして塊から必要のない部分を取り除き、粗く彫り込んでいく。石が痩せて、ざっとフォルムができてきたら、ディテールをコツコツと石ノミで整えていく。おおむねイメージ通りになったところで、表面をダイヤモンドカップを使って美しい肌に削り込み、最後は砥石で磨いてツルツルに仕上げ、ようやく完成、となる。ふう・・・途方もない作業であることか。なるほど、作品の副産物として、脳まで筋肉質な原始人が製造されるわけだ。しかし間違いなく、石彫は彫刻界の華なんである。

つづく

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121・金沢彫刻展

2019-06-17 08:15:00 | Weblog
 ついに自分たちが主催する「第7回金沢彫刻展」の幕が上がる。が、会期を控え、やらなければならないことが山ほどある。まずはもちろん、作品の搬入と展示だ。こいつが大変なんてものじゃない。とてつもない大事業だ。考えてもみてほしい。数トンという重量の石彫群、形や構造の複雑な木彫群、もろく壊れやすい石膏像群、それに加えて、デリケート極まる建築マケット(ミニチュア)群、計140点+平面作品を、市内各所の展覧会場に運び入れ、かっこよく構成し、安定させて設置しなければならないのだ。それも、わずか三日間のうちに!プロもいない、学生だけの手で!
 彫刻科の学生の人数は限られている。ここは3年生だけではなく、後輩も先輩も院生も総出の作業となる。この人員を、各会場に効率よく割り振らなければならない。市役所、市立図書館、NHKビルのエントランス・・・屋内会場は問題ない。石膏の頭像や、ブロンズの小品などが多く、ひとりで運べる作品が多いので、慎重に作業しさえすればいい。等身大の像なども、毛布に包んで数人が周囲につけば抱え上げられる。運搬の際の破損にだけ気をつける。そこを徹底すれば、展示はどうということはない。問題となるのは、野外に設置する作品群だ。これらは、移送自体に困難がある。重機を運ぶタイプの10トントラックと、クレーン付きの中型ユニックを手配してあるが、レンタルの時間は限られている。最小限のピストン輸送ですまさなければ、間に合わない。作品の設置も突貫作業だ。計画は綿密に練ってあるが、うまくいくかどうかはやってみなければわからない。祈るような気持ちで、搬入日を迎える。
 決行当日。心がけもよろしく、空は晴れ上がった。金沢の繁華街のすぐ脇を流れる犀川は、広々とした芝生の河原を両岸にひろげている。ロケーションも最高な緑の河畔は、毎年、彫刻展のメイン会場だ。会の成功は、この野外展示の出来栄えにかかっている。しかし一方、この会場での作業が最も困難を極める。なにしろ、巨大作品のオンパレードなのだ。多くの人手を割き、運営委員会や先輩たちの中でもエース格がそろえられ、待機する。オレもこの会場の担当だ。
 作品の第一便とともに、石彫場のフォークリフトが運ばれてくる。大将がそれに乗り込み、重い石彫作品をトラックの荷台から下ろしていく。マッタニは、現場監督だ。あらかじめ決定されていた設置場所を示し、最終的な位置を決める重要な役割りを担う。この会場は、川の両岸数百メートルを一大展示スペースとする花形の舞台だが、設置作品の大小色合いのバリエーション構成、さらにはその順序や間隔によっても、見栄えは著しく変わってくる。その出来栄え如何で、マッタニの美的センスが露見するとともに、今年の運営委員会の質が問われることになる。ひいてはこの判断は、彫刻科全体の沽券に関わる問題といえる。頼りない委員長をだらしないブレインが取り囲み、あーだ、こーだ、と意見をがなり立て合う。しかし、「これはここ!」と全責任を負う形で裁断を下すのは、マッタニだ。指示が下れば、あとは黙って従うのみ。わらわらと奴隷たちの出番となる。寄ってたかって、作品を動かす。移動と設置は、ひたすら人海戦術の肉体労働なのだ。
 言っておくが、芝生の河原に石の作品を展示する、と言っても、ただポンと置くわけではない。数週間もそのままだと、芝が傷んで枯れてしまうのだ。だいいち、そんな乱暴な設置では、作品が傾いてしまう。そこで、まずは作品の底部に合わせて、剣スコと呼ばれる尖ったスコップで、芝生を切る。芝生は、草の生えた分厚いジュウタンのようなものなので、切り貼りすることができるのだ。こうして切り取った芝生は、後で埋め戻せるように番号札を付け、一ヶ所に保管しておく。さて、芝生を切り取って土がむき出しになった設置場所は、作品を安定して置けるように、水平に整地しなければならない。地面を30センチばかりの深さにまで垂直に掘り進み、穴の底を平らにならした後、設置面積分のブロックを敷き詰める。その上面で水平器をあて、ピタリと中心がきたら、やっと設置準備段階の完了だ。穴のすぐ脇に仮置きされている作品を、フォークリフトか、さらに巨大なものの場合は、クレーンで持ち上げる。ところが、この作業がまた難しい。どの作品も、シンメトリーにできてはいない。複雑な形のものもある。逆に、まん丸球体の作品など、どこに重心を取ればいいのかもわからない。そのバランスを見極めてロープ(ベルト)を渡し、安定させて動かすわけだが、この作業には相当の訓練と経験が必要だ。もちろんこれには、石彫場の練達があたる(彼らとて、最長で三年程度しか経験がないわけだが)。ここで、ちょっと想像してみてほしいのだ。人間の背丈よりも大きく、抱えると後ろに手もまわらないほどの巨石だ。数トンはある。それがヒョウタン型をしていて、ツルツルに磨かれ、横たわっているとする。そいつを垂直に起こし、吊り上げ、正確な位置に下ろさなければならない。果たして、どう作業を進めればいいのだろうか?しかも、絶対に安全に、という大前提がつく。吊っている最中に、少しでもバランスを崩したり、ロープが滑ってずれたりするだけで、作品が落ちたり、クレーンごと倒れたりする可能性がある。ケガ人どころか、死人さえ出かねない(マジで!)。こうした仕事を無事に、しかも正確にやりきるのが、石彫場の連中だ。そのロープ掛けの創造性、作品の移動技術の美しさときたら、ただただ見惚れるばかりだ。石彫場の連中は、こうして学内の尊敬を集めるのだ。彼らはすばらしい。モテはしないが。
 雨がぱらついてきた。午後遅くになると、気温も急激に下がる。金沢の秋は残酷で、容赦がないのだ。作業を急ぐ。夕暮れまでに、とても間に合いそうにない。それでも、みんなで心を一つに働く。スコップを振るう。芝生を、土を、ブロックを運ぶ。叫ぶ、走る、渾身の力で持ち上げる。作品が立ち上がる。安堵の息が漏れる。ガッツポーズが出る。教授陣がくる。やり直しの判断が下る。脱力する・・・彼らは気楽だ。「あれとこれを取り替えよう」「それはあっちに移して」・・・まったく、正論なだけに、かえって歯噛みをしたくなる。それを知っているマッタニは、どれだけ無茶な意見でも、躊躇なく飲む。「ほな、やろか」。まったく偉いやつだ。彼が一言を発すれば、誰もが動く。やつは信頼を置くべき人物に育っている。いろんな意味で、泣けてくる。日が暮れる。両岸が作品で埋まっていく。

つづく

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120・勝負の秋

2019-06-15 22:16:06 | Weblog
 浅野川の流れる谷筋越しに、小高い卯辰山が見える。その山肌が、紅く色づきはじめている。学食の大きな窓からは、金沢の北部一帯が見渡せるのだ。学食では、素うどんが110円、大盛りが150円、カレーライスが220円で食べられる。うどんはひどく薄味で、具といえばネギの切れっ端がひとつまみ入っているだけだ。しかし、丼の受け取り口の脇に置かれた揚げ玉は入れ放題なので、誰もがこいつをうどんの上に山と盛り上げ、七味唐辛子を10振りくらい掛けて、席に持っていく。学食の広さは、バスケットボールコートの半分ほどだろうか。そこに、長テーブルが並列に置かれている。映画でよく見る刑務所ものの食堂と同様の造りだ。うどんの丼をのっけたお盆を手に、テキトーに空いている席に座り、どこの誰とも知れないやつと対面で食べる。いつなんどき、鼻先にかわい子ちゃんが座るかもしれない可能性を秘める方式だが、学内にさほどのかわい子ちゃんがいないとはうすうすわかってもいる。チカちゃんがピヨピヨと音を立てて現れでもしないものか、と待ってみるが、もちろんこない。
 学内においてギリギリかわいい、と言えなくもない女子層は、学食の片隅にある、カウンター式の喫茶コーナーに陣取っている。この一角はスツールが高く、座るには少々の勇気が必要だ。なのでわれわれのような貧民は、自然と貴族層の姫君たちを見上げる形になる。コスギさんも、よくお付きののっぽ女とふたりでこの席でくつろいでいて、そのたたずまいにほれぼれとさせられる。この喫茶コーナーでは、トーストとコーヒー、などという舶来文化のランチを食すことが許されている。カウンター内には、関西のおばちゃんのようなかしましいおばちゃんがふたりいて、日本画女子らにベタベタと馴れ馴れしく接しながら、剣呑な眼差しで彫刻科や油絵科の害虫を追い立てている。カウンターの奥の張り紙にある「あずきバー、50円」が、オレにとっては垂涎の品なのだが、恥ずかしくてなかなか踏み入ることができない。この汚れた身では、あの花園には近づくことすらはばかられる。のちになってチャレンジに成功し、「一度買ってみたら、いつでも買えるようになりました!」という、はじめて自転車に乗った児童のようなハードルクリア感を得ることができたが、今のところはまだ難しい。とにかく、この喫茶コーナーは気高き令嬢たちの館とあって、敷居が恐ろしく高いのだった。
 そんな夢のような世界を横目に、オレたちはダラダラに伸びきった素うどん(供されるときにはすでに伸びきっているのだ)をたぐる。石彫部屋の連中は丼の中に石粉を振りまきながら、木彫部屋のやつらはカツオ節のような木クズを落としながら、そしてわが塑像部屋の者はダシの底に粘土片を沈めながら、一心にお湯のような汁をすすり込む。こんな粗末極まる食い物でも、腹は満たさなければならない。いよいよ彫刻展が近づいているのだ。
 石彫場には、出展者から送られてきた彫刻作品が並び、床面積を占拠しつつある。公募に応じてくれた出展者は、140人近い。届いた作品はどれもデカく、重ねて積み上げたいところだが、もちろんそうはいかない。なにしろ素材が、木、鉄、石膏、ブロンズ、それに石ときているのだから。梱包もなく、むき出しのものも多い。多少の荷重で壊れるとは思えないが、キズが怖い。なにしろ美術品だ。細心の配慮が必要だ。なのにこれらが、クソ重い。テコでも動かないというものも多い。抱きかかえられるほどの大きさでも、ざっと100キロはある。裏側まで手が回らないほどのものになれば、軽く1トンを超えてくる。3トン、5トンというものもザラにある。本番の際には、これらを金沢市内各所に移送・搬入し、設置しまくらなければならない。まったく、なんという大変なイベントをおっぱじめてしまったことだろう。げんなりもするが、反面、ここまで極端な規模を目の当たりにすると、開き直ってワクワク感も盛り返してくる。やるしかないのなら、いっそ、たのしんだ方がいいではないか。
 事務作業に肉体労働と並行して、最も肝心な、自分たちの出展作品の制作も進めなければならない。運営側の人間が、恥ずかしいものをお出しするわけにはいかないではないか。なにより、35000円の出展料に見合う価値のものをつくらなければ割りに合わない。同級生たちの目の色も変わってきている。マッタニがえらいものをつくっている。大将のもゴツい。負けられない。
 オレは、ならさんのご利益にすがることにする。美しいモデルさんだ。あの麗しいお姿の通りにつくれさえすれば、観覧者の目を潤してくれることだろう。ところが、この「姿の通りに」というのが難しい。いろいろとこねくりまわした挙句に、なぜかトルソの彫像になってしまった。つまり、頭部や手などのディテールを取っ払って、人体を量(ボリューム)として捉えましょう、という半抽象残具象表現だ。ミロのヴィーナスや、サモトラケのニケのような、あれだ。こいつで勝負をかける。粘土でつくり、石膏ではなく、コンクリートで型を取って、野外彫刻としての展示に耐えるものにする。なかなかいいものができた。ひと安心だ。
 先輩たちもすごいものをつくっている。彼らの作品は「卒業制作」でもある。学生生活の集大成とあって、気合いの入り方が格別だ。後輩たちもがんばっている。テンションが上がる。季節は進んだ。後は本番を待つのみだ。

つづく

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119・青春の海

2019-06-14 20:28:47 | Weblog
 夏になると、ラグビー部のメンバーで海にいく。金沢の盛夏はじとじとの暑さで、グラウンドで練習などしてはいられないのだ。あまりに暑い日には、昼休みに校内放送で「部員集合」の連絡が入る。
「本日のラグビー部の練習は、海で行います」
 キャプテンの独断だ。こうして午後の講義後に待ち合わせ、かき集められたありったけのバイクや車に乗り込んで、権現森の浜に向かう。オレはもちろんカワサキにまたがる。マッタニはモンキーだ。オータのアルトミニには、成田やチカちゃんが相乗りする。すべての座席に尻がおさまったら、出発だ。風情よろしき浅野川を下り、郊外の田園地帯を横切り、30分弱のドライブ。最後の松林を突っ切り、湾岸道路の高架をくぐれば、眼前に海がひらける。まったく、なんていい街なんだ、金沢。
 浜に着くと、さっそく着替えだ。が、海パンではない。みんな野暮なラグビーパンツだ。ひるがえって、女子マネージャーたちの水着は時代を反映し、年々股間の切れ込みが深くなっていく。小麦色の肌に、浮き輪を通した細い腰。これはたまらない。ギラつく太陽、輝く白砂。そして、グラビアから抜け出たような女子やそうでないような女子たち。なんと青春の風景ではないか。日中には粘土をこね、夜にはジムショで背を丸めて封筒を折っている身には、血液が入れ替わるような刺激だ。バンカラ文化のラグビー部では、ウハウハ顔を見せることなど許されないが。
 平日昼間のこの時間、浜に人影は少ない。スペースを独占し、思う存分に暴れることができる。ボールが海に向けて蹴り込まれると、部員はいっせいに波間に飛び込んでいく。わんわん。誰もが犬化している。そんな野生児の中でも、最初にボールをくわえて戻ってくるのは、必ずオータだ。こうなると、他のチームメイトも黙ってはいない。血の気の多さを競うように、わんわん、わんわん・・・際限なくエキサイトしていく。それをマネージャーたちは、バカね男子って、などと言い交わしながらも、きゅんきゅんと遠い目をするのだった、たぶん。
 ケンカ腰のテンションをひと通りやらかしたら、すっかり満足してしまい、あとはのんびりとした雰囲気になる。荒波で鳴らす日本海だが、この浜の水面は穏やかだ。水は透き通り、海底に光の綾が踊っている。その透明度は、海面に肩まで浸かっても、足の指間からこぼれる砂のひと粒ひと粒がくっきりと見えるほどだ。そのまま足の裏をにじらせると、砂の中にころりとした感触がある。足指を器用に操って、そいつをつかみ取る。
「アサリ、獲ったどー」
 その一声で、貝掘り勝負の開始だ。わんわん。部員全員で寄ってたかって、海底をほじくる。横一線に並んで腰を振るその光景は、さながらディスコの野外ホールのようでもある。
 時を同じくして、砂浜では流木の薪が組み上げられている。宴会部長の丸ちゃん先輩が、末端冷え性の女子マネージャーたちのために、焚き火の用意をしているのだ。上背のあるマネージャーたちの間を縫うようにヨチヨチと立ち働く小柄な丸ちゃんは、周囲の女子に指図をしながら、こき使われているのは逆に自分なのだということに気づかない。それでも、不思議とモテている。ちょっとうらやましい、愛すべきキャラクターだ。
「獲った貝は、丸ちゃん先輩とこに持ってきてー」
 マネージャーに言われれば、差し出さざるを得ない。南の島の王様への貢ぎ物だ。焚き火を背にふんぞり返る丸ちゃんの足元に、アサリが山と積み上げられる。丸ちゃんはそのアサリを焼き、側室のような女子マネージャーたちに分け与える。まったくバカバカしくなってくる。マネージャーのみなさまがすっかり満足なさったところで、残った貝は、ようやくオレたち奴隷労働者への日当としてあてがわれる。焚き火にかけられたズタズタの焼き網の上にアサリをのっけると、熱さに悶える貝の合わせ目が開く。そこへすかさず、醤油を回しかける。アッチッチのやつを素手でつかみ、具を歯でほじってチュルンと舌の上に放り込めば、至福のひとときだ。腹が満たされることはないが、今日一日を仲間と過ごした幸せ感が満ちてくる。
 ふと見ると、浜の外れで地元の漁師たちが、家族総出で地引き網を引いている。ようし、とみんなで手伝いにいく。
「いっせーのっ・・・せっ!いっせーのっ・・・せっ!」
 日本最弱に近いところに位置づけられるわが部とはいえ、校内屈指の力自慢たちだ。三十本の強靱な腕力に引かれ、広大に開いた網が上がってくる。波打ち際にまで寄せたところで、かかった魚を一匹一匹と外していく。両手に抱えるほどのタイやヒラメやマグロがピチピチばたばた・・・というわけではない。網にかかっているのは、イワシだ。やつらは、水中で見えないほどの細い網目にエラを絡ませ、身動きが取れないでいるのだ。
「好きなだけ食べまっし」
 労働の報酬だ。この場で食べろ、と言うのだ。漁師さんに、イワシのさばき方を教えてもらう。包丁も必要ない。ビビビビッ・・と小刻みに震えるイワシを左手につかみ、肛門に人差し指を突き入れる。そのままアゴに向けて腹を割くと、ハラワタがこぼれ出てくる。海水でそいつを洗い落とせば、塩味の効いた鮮度抜群の刺身の出来上がり、というわけだ。そいつをそのまま頬張る。
「うまいーっ・・・」
 ・・・と、言ってはみるが、なんとなく残酷で、苦々しい。イワシが、ビビビビッ、を止める瞬間が怖い。断末魔が直に指先に伝わってくる。獲れたてというよりは、死にたてのそいつに歯を立てると、刺身の味というよりは、生き物の筋肉を噛みちぎっている感触だけが残る。刺身は居酒屋で食べるにかぎる。女子マネージャーがひとり、貧血で卒倒している。いい経験であることには間違いないが、生きることの罪悪も同時に勉強させられる。
 帰りは、しょっぱいからだのまま、「三々五々」という居酒屋に踊り込み、カラオケ大宴会だ。この時代のカラオケは、曲目をメニューから選び、カセットの何巻目の何曲目、などと自分で頭出しをしなければならない。きゅるきゅるきゅる・・・巻き戻し音を聞きつつ、イントロが出てくるのを待ち受ける。映像もなく、歌詞カードを目で追いつつ歌う、牧歌的なカラオケだ。これがひどく盛り上がる。合いの手を入れているうちに、マイクの奪い合いがはじまり、肩を組んでの大合唱になだれ込む。たのしいたのしい仲間たちとの時間が過ぎていく。

つづく

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118・クルミ事件

2019-06-14 08:56:36 | Weblog
 ラグビー部では、いよいよ上級生という立場になり、毎日充実感をもって練習に出ている。彫刻科の1年坊でコータローというイガグリ頭が入部してきたので、部外でも可愛がり、悪い人間に育てようとしているところだ。酒場を連れ歩いたり、酒を持ってお互いの部屋を行き来して酌み交わしたり、と子分のような存在となりつつある。ある日のこと、ふらりとコータローん家に立ち寄ると、本人がいない。この頃の美大生は、アパートに鍵もかけず、いつでも入って先にやっててくれ(酒を)、という雰囲気なので、勝手に上がらせてもらうことにした。床に座り込んでぼんやりとひとり飲みをしていると、テーブル上に網袋に入ったクルミが置いてある。創作活動のモチーフらしいのだが、よし、こいつをアテに飲んでやれ、と思いついた。そうしてクルミを割りはじめたのだ。
 この自伝の中でのオレは、高校時代まではひ弱な画学生としてキャラ描写されてきたが、学生生活(彫刻とラグビー生活と言っていい)も数年を経ると、肉付きと背格好のたたずまいはマイケル・ジョーダンそっくりのムキムキ細マッチョになり、腕相撲では敵なし、なんてことになっている。そんななので、クルミを素手で割ることができるのだオレは。そこでさっそく作業に取りかかったわけだが、実はクルミとは割れるものではなく、砕けるものなのだ。手の平と四指とでプレスをかけると、どれもクシャクシャに潰れてしまう。これでは実とカラが混じって食べられたものではないので、なにか別の方法を考えなければならない。そのときだ、まったくまずいものを見つけたものだ。ふと床を見ると、巨大なカッターが落ちているではないか。美大生の部屋では、巨大なカッターが床に落ちていがちなのだ。チキチキチキ・・・と折り刃が出てくる例のカッターの、ゴツい握りしめタイプのものだ。オレは愚かなことに、ようしこいつで、と考えたのだった。
 想像してみてほしい。左手にクルミを持つとする。クルミのカラには、突端から底部にかけて「ここから割れますよ」というラインが走っている。その溝にカッターの刃を当てる。きみが持っている工作用のカッターより数倍も大きなやつをだ。刃先を突き立て、グリグリとこじる。固い殻は、もちろん切れない。どうにかテコを利用して割りたい。力を込める。すると、カッターの刃先が、つるりと滑るわけだ。あてがわれていた抵抗物を不意に失った刃は、力を加えられるままに、まっすぐに手の平に向かう・・・
 スパッ・・・
 かくて、オレの小指の根元、基礎関節の部分が、パックリといってしまった。斬れた!というよりも、通り過ぎた・・・という感触だ。熱い!という痛覚よりも、涼しい・・・という寒けが残っている。筋肉の切断面を見たことがあるだろうか?あれは、線維の束なのだ。はじめのうち、そこには美しい内部構造がくっきりと見えている。やがて、とろりと熱いものがにじむ。瞬後、鮮血がほとばしった。
「おっ・・・と」
 大声は出ない。代わりに息を飲んだ。痛みよりも、痛恨の方が深い。流血はとめどない。が、指は動く。神経は切れていない。骨まで見えそうだが、好奇心半分に観察している余裕はない。即座にティッシュを握り込み、その左こぶしを高々と上げる。手を上げたのは、患部を心臓よりも高くすれば、位置エネルギーが運動エネルギーに転化することを免れるという「エネルギーの保存則」を考えたからだ。なんと賢い男だろう。上腕の動脈を押さえる。しかし、いつまでもそこで・・・後輩の部屋で、じっとしているわけにはいかない。小指が取れそうなのだ。こんな応急処置でふさがるような傷ではない。高く掲げたこぶしから、ひじへ、そして脇へと血が滴ってくる。部屋を飛び出し、走る。近くに金沢大学医学部の付属病院がある。その救急窓口に、文字どおりに駆け込む。
 ラッキーなことに、当直が外科医だった。すぐに手術が開始された。まあ手術とは言っても、目の前で傷口を縫合してもらう、裁縫のような仕事だが。ムキムキの肉体を手に入れていたとは言え、オレの貧血質は相変わらずで、血まみれの傷口を縫い針が四度も通り過ぎるのを見ていられず、脳が酸欠でクラクラしてくる。手を包帯でぐるぐる巻きにされ、顔を真っ青にしたオレがベッドに倒れこむ頃、コータローは、帰り着いた自室が血の海になっているのを見て、卒倒したにちがいない。「なんじゃあこりゃああ(松田優作)」てなもんだろう。カッターによる猟奇事件が発生した、と勘違いしたにちがいない。悪いことをした。
 後日。抜糸までには相当期間が必要なのだが、縫合手術からわずか数日後に、ラグビーの試合があった。メンバーがちょっきりしかいないわがチームにおいては、欠員を出すわけにはいかない。やむを得ず、強行出場となる。そしてタックルに入った際に、案の定、ぱっくりと傷口が開いてしまった。その後は、左手をゲンコツにしてしのいだのだが、縫い目は完全にほつれている。もういいや、と思い、その場で自分で抜糸をした。あれは単純なステッチなんだね。マネージャーに借りたハサミ一本で、簡単にできた。

つづく

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