deep forest

しはんの自伝的な私小説世界です。
生まれてからこれまでの営みをオモシロおかしく備忘しとこう、という試み。

93・ジョーハウス

2019-03-04 22:57:47 | Weblog
 こうして、ついに「ジョーハウス」にたどり着いたのだった。この界隈における老舗で、最も居心地がよく、しかしカウンターに座れるまでの敷居が高い酒場だ。とはいえ、この孤高のジャズ酒場は、格調が高いわけでも、お値段が高いわけでも、また高飛車なわけでもない。学生が気楽に上がり込んではカレーを食べられるし、コーヒー一杯で何時間もねばれるし、ビールを掲げて大騒ぎもできる。が、それはテーブル席での話であって、望むべきカウンター席は、はるか遠い。それなりの品格を備えた選民のみが、マスターたちと顔を突き合わせて飲むことを許されるのだ。いやいや、この点も幻想ではある。どの席だろうが、客はもちろん勝手に座ればいい。ただ、カウンターのまん中にでんと座ってみたところで、常連の大人物たちに囲まれ、おのれの無知蒙昧をさらし、軽蔑を買うのが怖ろしい・・・と、そういう店なのだ。人生を語れるようになってはじめてカウンターに座ることを許される店。穴から穴を渡り歩いた酒飲みが修行の末に最後に行き着く酒場。それこそが、ジョーハウスなのだった。
 ログハウスのような造りの店内は、木の壁にタバコの匂いが染みつき、全体がとろりと飴色をまとっている。調度品は重厚、足の下のレンガはでこぼこ。あちこちに落書きがされているが、その文句がいちいち気が利いていて、味わいとなって景観に溶けている。いつも挽きたてのコーヒー豆とカレーのスパイスの香りが漂っていて、せまそうな厨房で名人じみた何者かが大鍋をかき混ぜている予感がある。フロアに四人掛けの木造りのテーブルが数席と、その向こうに、七人ほどが尻を預けられるカウンター席。この止まり木に、選り抜かれた強者どもが腰を落ち着け、シブいマスターと声低く「大人の会話」を交わしている。そのエリアが、新参者にはおよそ近づき難い、まさに別次元の世界となっている。
 カウンター内の棚がまたシブい。コーヒーカップとグラス類のおさまったサイドボードを取り囲むように、無数のレコードが並んでいる。そのレコードの森を仕切るマスターの名を、マツダさんという。若い頃に世界中をぶらぶらと旅し、見るからに「伝説をつくってきました」的な面構えをした、40がらみのダンディーだ。その手が、数あるレコードジャケットの背表紙の小さな文字を探り、これと決めた一枚を躊躇なく引き出しては、今この瞬間、この雰囲気に最もふさわしいそいつに針を落とす。すると、使い古されてはいるが大層立派なオーディオ機器が運転を開始し、もはや枯淡と言いたい風格までも備えた巨大なスピーカーが震えはじめる。流れるのは、1940〜50年代のジャズだ(たぶん)。この音を通して、マツダさんはその場の空気を完全にコントロールする。うっとりとさせられる。大人の時間が、そこにある。
 それまでに行きつけていたブラックブルーには、混沌と大騒ぎと、少々無法のパブ的要素があった。アンダーグラウンドで、フリーな空間だ。ジョーハウスはまた違う。こちらの酒場では、知性と、行き届いた配慮と、それに背反するひねくれた反骨が必要だ。人々はこの場での会話と経験で、感性を、そして人間性を磨く。オレはまだ、遠く交わされるそんな言葉に聞き入るばかりだが。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園