deep forest

しはんの自伝的な私小説世界です。
生まれてからこれまでの営みをオモシロおかしく備忘しとこう、という試み。

98・芸術家への一歩

2019-03-20 08:41:48 | Weblog
 人体なんて、むき出せばしょせん骨の組み合わせだなあ、と感じさせられる。その骨格を、筋肉という繊維ヒモで引っ張って操っているわけだ。裸のモデルさんを前にして、そんなことをぼんやりと考えてみる。それにしても、いろんなタイプの肉体があるものだ。均整が取れて美しく見えるからだでも、左右のバランスはどれもちょっとずつずれている。節制していないと見られるからだの肉の付きどころも決まっている。おっぱいにはやたらと脂肪がのるのに、その直下の肋骨には皮が張りついているだけ、というのも興味深い。どんな自然の意図がそうさせるのか、不思議でならない。張り詰めた筋肉は美しいが、滑らかな脂肪を包んだタプタプの皮膚の質感もまた面白い。まるまるとしたボリュームが、引き絞られてキリリと腱につながり、可動部に吸収される。その全体をまとめるアクセントとなる関節部の、なんという機能美。こんなにもまじまじと他人の素っ裸を見る機会は、普通の生活の場ではあり得ないだろう。が、目の置きどころに困る、などという心持ちはとうに失っている。穴があくほど凝視して、理解し、考え詰めなければならない。まずは、芸術家というよりは、科学者の眼差しで対象を捉えるのだ。解剖学的分解によって、人体の動きの合理性を知った上で、主観的再構築を進めるわけだ。そこに魂と感情とけれん味となんやかやをねじ込んで、ようやく表現とすることができる。思えば、芸術とは奇妙な作業ではある。
 粘土で人体作品が完成すると、そいつに石膏をぬりたくって、鋳型をつくる。つまり、外型を取って、中身の粘土を抜き取り、ネガをつくるわけだ。そのネガに石膏を流し込むと、粘土だったポジの部分(空洞となっている)が、石膏に置き換わる。こうして、「水分を吸うとぐにゃぐにゃになり」「乾燥すると縮み、ひび割れ」「もろく、溶けやすく、割れやすい」粘土製の像は、「わりと強くて、長持ちがし」「変形しにくい」「そして美しい肌合いを持つ」石膏像として保存ができるようになる。要するに、つくった形のコピーをつくり、記録するわけだ。塑像科では、こんな作業を一年中くり返す。
 彫刻科内の・・・いや、大学中がそうなのだが、トップランナーたちは、そろそろ公募展などの展覧会への応募要項を見比べはじめている。秋は、芸術作品の発表の場が目白押しなのだ。日本一巨大な展覧会である日展をはじめとして、二科展、二紀展、新制作展など、公募の〆切りが迫り、みんなの目の色が変わっている。応募作品が審査員たちの吟味に耐え、入選し、あわよくば賞でも獲れば、芸術界の新星として一躍スターダムにのし上がることも可能だ。同級生を出し抜いてやろう、というよこしまな野望もある。ライバル心をむき出しに、オレたちもここにきてようやく、甘ちゃんからヒヨッコ芸術家に育とうとしている。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

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