泰西古典絵画紀行

オランダ絵画・古地図・天文学史の記事,旅行記等を紹介します.
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ニュルンベルク紀行(2)~市立博物館

2011-01-15 17:51:23 | 旅行記


 中央広場からカイザーブルクに向かう上り道の左手にフェンボーハウス市立博物館がある.聖母教会の仕掛け時計をみるため,時間調整として入館したが,ここはニュルンベルクに現存する唯一の後期ルネサンス様式の商家で,1590年代に立てられ,1735~1852年には地図で有名なHomannの印刷工房が置かれていた.HomannはDoppelmayrと協力して地球儀・天球儀も製作した.19世紀にGeorg Christoph Franz Femboがこの建物を所有したことからその名が残るが,現在は市が所管している.展示の解説パネルは全て独語.英語の音声ガイドの貸し出しはある.リンク先のOrientationを開くと各階の展示内容が把握できる.
 ここでは,中世からの同市の歴史が地図や模型で俯瞰される.写真は5Fの1939年に作られた同市の精巧な木製模型.2Fの一室にはHomann工房で作られた地図が紹介されている.


 同市はSigenaという女農奴が主人のRicholfと結婚するため神聖ローマ皇帝ハインリヒⅢ世から職を解かれたことを示す11世紀(950年前)の文書(4Fの展示品は複写)に初めて登場する.その頃に城が築かれ,帝国自由都市ながら,14世紀以後は市議会の統制の元に交易と工芸職人の町として発展して行く.
 左の写真は4Fにある1521年に作られた市庁舎Rathausの皇帝玉座Kaiserthronであるが,立派に見えるものの椅子の背は騙絵風に描いたものであった.同階には貨幣鋳造・両替商,時計職人,ガラス職人,錠前職人などのパネルも展示されていた.


 商家の豪華さは随所に認められる.3Fにある木彫の重厚な部屋は同市で17世紀初頭最も裕福な商人であったMartin Pellerが自宅にしつらえた天井画と木製パネルの美しい部屋をここに移築したもの.同階のホールの漆喰天井はバロック様式で1674年にCarlo Moretti Brentanoが製作している.
右上:4Fの「歴史的な台所」 右下:美しい無垢の木の色を生かした立体彫刻.この他,陶器,アクセサリー,帽子など現代職人の手工芸土産品が館内で販売されていた.

 ここは2000年にリニューアルオープンしているが,手持ちのガイドブックでは紹介されていなかった.



 逆にガイドブックで薦められていたおもちゃ博物館は,デューラーハウスからの帰りに雨宿りのため立ち寄ったが,館内撮影禁止だったし,鉄道模型と19世紀以降のドールハウスの膨大な展示以外はあまり関心が持てなかった.地下の売店は寄っていない.



天球儀と古星図(4)~230年前の望遠鏡は覗けば見えるか?

2011-01-12 20:38:40 | バロック以降の西洋工芸品


鏡筒の接眼部側にJ.van der BILDT.FRANEKERの銘があり,製造はNo.543と知られている中で最も遅い.脇にある回転ノブは,焦点調節用で,shank and screwヘリコイドアクション自体は私が中学のときに作った反射望遠鏡と同様.


左下:実際には筒の内側の金属帯と一体となった副鏡を光軸に沿って移動させ焦点調節を行っている.主鏡は銀白色で曇っているのか埃がついているのか,グレゴリー式なので中央に穴が開いているのは分かるが,詳細は分解しないと分かりにくい
左上:照明器具の反射像はシャープだった
中:蝶ナットで固定する素朴な形状の経緯台.副鏡の光軸合せも中央の引きネジと周囲の3つの押しネジを操作する形式は現代でも同様だ
右:副鏡の支持金具は意外に短い

こちらもご参照ください.

 結局光軸合せをしなければ結像するかどうかは分からずじまいでした....主鏡は思ったほど錆びておらずよく結像しているので乞うご期待!


P.S.奇しくもいまNHKのBSHiでガリレオ~ニュートン~ハーシェルにまつわる物語を放映しています.スペキュラム合金は青銅の一種でブロンズ色を予想していたのですが,溶かされた金属は映像でも銀色でした.


天球儀と古星図(3)~回る回るよ宇宙は回る

2011-01-10 21:00:47 | 天球儀と西洋古星図

回る回るよ宇宙は回る(click!)


天球儀の図像は反転している.彼方から地球を覆う天球を見下ろしている格好だ.使い方は,始めに緯度(東京なら北緯35度)を子午線環の目盛りに合わせて(⇒)天球を台にセットする.もともとは天の北極(↓)に位置する部分に時刻ダイヤル環があるのだが,無くなっており,あれば時刻を合わせて球を回転させればその地その時刻の星空が再現されるわけである.方位も本来は球を囲む台と一体となった木製の水平環上に目盛られているのだが,これも無くなっているのは残念.
 過去には劣化したニスに覆われていたはずだが,洗浄が施されているため,見栄えは良い.紙の漉き跡が細かい縦縞の目地になっており,銅版の線はよく残っている.彩色は使用とニスの洗浄で割りに落ちているが,とくに南天は良好に見える.赤(・桃)・橙・黄・緑・青・褐色の六色以上が使用されている.
 この天球儀にはまた1728年までの彗星の航跡が多数描かれている()のが特徴である.


うみへび座はべた塗りではなく,背と腹で緑と桃色に塗り分けられているようだ.てんびん座の朱色(黄褐色)をみるとニスの洗浄は軽度にとどめているのが分かり,周囲も含めて認められるひび割れはニスが塗られたいた名残である.銘版はほうおう座の北に後から貼り付けられ(紙の縞模様の方向が異なる),その後でカルトゥーシュの縁が褐色に塗られている.


ドッペルマイヤーの天球儀の星座図柄はヘヴェリウスに拠っているので,かに座はロブスター.

 十数年前に小林頼子先生とお話していたときに,「オランダ絵画に描かれる天球儀はしし座が正面になっている」とおっしゃっていたが,当時は話はそこで終わってしまった.今にして思えば,その部分が見栄えがすることもあろうし,獅子は太陽と関連付けられることから(生命・活力の象徴?)崇拝されたためか,オランダの紋章に獅子が描かれていることと関係があるかもしれない.


天の南極部と北極部(こちらは斜めになってしまったので機会があれば撮り直します)

 Johann Gabriel Doppelmayr published three pairs of globes of 10,20 and 32cm diameters between 1728 and 1736, which were updated and republished by Jenig between circa 1789 and 1795.


ニュルンベルク紀行(5)~デューラーハウス

2011-01-07 19:17:57 | 海外の美術館
デューラーハウス
 カイザーブルク(皇帝の城)から下ると,石造の一階に木造の三階層が載った特徴的な建物が見えてくる.1420年に建てられた館で天文学者Waltherの住家だったが,Albrecht Duerer(1471-1528)が1509年購入し,その後逝去するまで住んだ家.城からも近く彼は気に入っていたという.

デューラーハウス外観                     2階の「Wandererの部屋」続き部屋になっている
 Wanderer(1840-1910)はニュルンベルク美術学校の教授で彼のデザインによって,デューラーの生きた中世後期を美術史的に理解する助けとしてデューラーの版画に登場するインテリアが複元され(後期ルネサンス様式),1876年から一般公開され,二次大戦で部分損壊したが1949年までに修復.生誕400年の1971年に近代的展示設備が一部増築された(館の写真の右端).
 1階は入り口のホールと,上記のデューラーハウスの歴史について解説があり,2階左手に「デューラーの生涯と作品」の上映ホールがある.

フロアマップ(2-4階) 2階右手に「デューラーとその世界」の展示.デューラーの遍歴の足跡を地図で示す


さらに生涯についての13枚のパネルが続く.解説の下段は英語.中央下にはデューラーハウスの当時の絵が載る.この部屋⑤は寝室であった可能性が高いと言う.それは旧台所⑥の竈の裏で暖かかったから.その竈は当時のオリジナル.再現された台所では女学生が参観中.


3階には大小のアトリエ.ここは広い開口窓が北東向きらしい.    写真右は上段が木版用,下段がエングレーヴィング用の道具の展示



1971年に複元された木版用の大型relief-printing press機,絵の具,モデル用の貝や骨などの収集品の戸棚が並ぶ


当時の世界地図の彩色図版(多分プトレマイオスの地図の複製)と彩色に用いられている世界各地からもたらされた顔料などの展示.左からBrasilhorz(蘇芳に似た木で芯材から紅色色素が取れる.Brasilは「赤い木」を意味するらしい)の紅茶色,Zinnober(辰砂という鉱物)の朱赤,Gummi arabicum(アラビアゴム)の膠,ラピスラズリの青,Purpur(Hexaplex trunculusという巻貝から取れる古代染料purple-blue)の紫色,Sandelholz(白檀)の褐色,Drachenblut(麒麟血という竜血樹の樹脂の意だが,ここではヤシ科植物の実からとる赤色の樹脂)の褐色.


4階に上がるとデューラーの版画の展示.これらはニュルンベルク市立博物館の版画素描コレクションなどからの展示でオリジナルである.開催中の西美デューラー展の展示を思い出す.この部屋はもともとデューラーの絵画の複製を展示していたらしく,その様な名前になっている.もちろん絵画のオリジナルの展示はない.


「神聖ローマ皇帝マクシミリアンⅠ世の凱旋車」や書籍「測定法教則」などもある.書籍もオリジナル.


市の公文書館に保管されるデューラーがヴェネチアから友人に出した手紙."Netzwerk Dürer"という企画展として,人文主義者との書簡(これらはオリジナル)が展示されていた.この部屋⑭はオリジナルの作品が展示される特別展示室.保存の関係で数ヶ月毎に展示替えがあるらしい.他にはデューラーの版画・素描作品の学習室がある.

 なお,デューラー夫人アグネスが音声ガイドしてくれるという趣向で日本語版もあった(館長は聞けなかったが).当時の装束に扮した女性が工房で版画製作を始めようとしていた(と思う).レンブラントハイスやルーベンスハイスと違い,必ずしも研究者向けではないが,観光客も含めた一般美術愛好家向けの美術博物館です.

ニュルンベルク紀行(1)~聖ローレンツ教会から中央広場へ

2011-01-02 15:08:24 | 旅行記
ミュンヘンから早朝雪混じりの天気の下,バスで一路ニュルンベルクへ.



ビール原料のホップ畑も囲いが残るだけ    水墨画のような雪のドナウ川を越えて      右への標識にニュルンベルクの文字が


ニュルンベルク中央駅に到着し下車   ケーニヒ門の見張塔を横目に旧市街へ   ケーニヒ通りには屋台が


小ぶりなニュルンベルガーソーセージ(独ヴルスト)の屋台   クリスマスのレープクーヘン(クッキー)の屋台     花屋さん


聖ローレンツ教会は13-15世紀に建てられたゴシック様式の教会として知られる


内部 祭壇に吊り下げられた「受胎告知」のレリーフが最も重要だが,内陣の向かって左手奥のアダム・クラフト1493/6年作の「聖体安置塔」も


左:身廊側の支柱にある教会最古1280年ごろの「美しき聖母像」も有名である.
右:「受胎告知」はファイト・シュトース1517/8年作で55個のバラのロザリオの輪に縁取られているというが数えると足らない.


左:中央祭壇の「磔刑のキリスト」もファイト・シュトース1525年作
右:カテリーナ祭壇 デューラーの師ミヒャエル・ヴォルゲムート1495年の作.中央の像と両翼に描かれるのが聖カタリーナ.クロッシングの向かって右手奥にある


左:ヴォルフガング祭壇 1450年 キリストの復活,両翼は聖コンラートと斧を持った聖ヴォルフガング.左手の側廊の翼廊手前にある
右:マルタ祭壇 1517年頃 マルタとマリアの家,ラザロの復活,竜を慣らすマルタなど.右手の側廊にある
 

左:ロッフス祭壇 1483/4年ペスト禍の終息を願って寄進された.ロッフスがペストのソケイリンパ腺腫を見せ天使が癒しを約束している.右手の側廊の翼廊手前にある
右:三王祭壇 ハンス・ブライデンヴュルフ1460年作 背景の遠近法などネーデルラント絵画からの影響があるそうだ.回廊の右手奥にある


ローテンブルクが本店のケーテ・ヴォールファールト   シュタイフの店舗         ペグニッツ川を越えて中央広場へ  聖母教会
 聖母教会の仕掛け時計は正午にだけ動く.カール4世の金印勅書公布を記念して建設されたため,カール4世の足下を小ぶりな七選帝侯が回る


広場の角にある「美しい泉」はいまは40の像が飾られた17mの塔で横に管がでている.囲われた柵の輪の一つを3回まわす間に願い事を念じると叶うという.