泰西古典絵画紀行

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ヨルダン・シリアの旅(2)

2009-10-05 21:31:45 | 旅行記
ジェラシュJerash
 ジェラシュは現在はシリアの南方でヨルダン北部に位置しているが,古代ローマではシリア属州にあって東部辺境のデカポリス(十都市連合 今回巡ったボスラ・ダマスカスも含まれる)のうちの一つだった.ヨルダンではペトラに次ぐ見所だそうで,ウィキペディアによると「中東のポンペイ」と異名をとるらしいが,それは中東のローマ都市遺跡の中でもとくに保存状態が良いためだそうだ.
 この辺りの歴史遺産を系統的に把握するにはローマ・ペルシアとイスラム帝国の歴史を概観しておく必要がある.
 この地には青銅器時代から集落があり,古代にはゲラサ(Gerasa 語源・音韻的にはジェラシュに通じるだろう)と称され,セレウコス朝(ヘレニズム期,アケメネス朝ペルシアを破ったアレキサンダー大王の,後継者の一人がシリアに興した王朝)の時代はギリシャ風の都市が築かれていたが,前64年にローマの属州となり交易で栄え,最大版図を得たトラヤヌス帝の時代にはローマ街道が通じ,併合されたペトラなどとの交易も始まり,都市の人口は2.5万人に達したと推定され,ハドリアヌス帝が130年頃に行幸した際にハドリアヌスの凱旋門が建てられた.現存する遺跡の多くはこの時代2世紀の建築らしい.繁栄の頂点は3世紀初めで海上輸送の発達やパルミラの滅亡が衰退の始まりをもたらした.大帝コンスタンティヌス1世による313年のミラノ勅令でキリスト教が公認され,380年頃に大帝テオドシウス1世によって国教となると,神殿の少なからずが改築され教会として利用された.636年にササーン朝ペルシアに征服されその後衰退,イスラム帝国ウマイア朝まで存続するも,746年の地震で壊滅した.
 凱旋門を入ると,左手に戦車競技場(復元/ヒッポドローム),その奥に南門があり,入ってすぐにゼウス神殿と南劇場(南の大劇場/アリーナ:もともと小石の意味で血が速やかに吸い取られるために敷かれていたことによる)が左手に広がり,列柱で囲まれた楕円形の広場(フォロ/フォルム・フォーラム)に戻って,街を貫く列柱道路(カルド)を進むと,左手に集会所アゴラ,さらに進んで南の四面門跡を過ぎ列柱道路の中央付近に来ると,左にナバテア人の建築から4世紀に改築された大聖堂とその隣にニンファエウム(ニンフに捧げられた泉の神殿)が並び,さらに左の奥の高台にアルテミス神殿がある.
 列柱はコリント式で,柱頭には環状帯の上にアカンサス(Acanthusハアザミ)の装飾がある(通常は葉を上下8枚ずつ互い違いに彫ってあるらしいがヴァリエーションも多く,その上方にはイオニア式の特徴である渦巻も小さく添えられる).この様式は紀元前5世紀の頃,コリント人の女性の墓に祀るのに婦人の好きだった子供時代のものをメイドが籠に入れ石板で蓋をしてアカンサスの上に置いたところを見た建築彫刻家カリマコスが霊感を得て創始したといわれているらしい.

 遺跡はフランス軍の駐留時に一部復元されたが,その際コンクリートを使用したため,世界遺産には登録されていないという.これには大いに異論があろう.ちなみにここ以外,今回回ったヨルダンのペトラ,シリアのボスラ・パルミラ・クラック・デ・シュバリエ,ダマスカスのすべてが世界遺産である.

 添乗員の方は博識で大変勉強になったのだが,古代ローマの遺跡巡りでは,より高い列柱の残っているところに重要な建築物があったので参考にするとよいとのこと,納得である.また,劇場の収容人数は町の人口の1/10が目安らしい.


 ハドリアヌスの凱旋門の写真は故をもって良いものが無い


 南の大劇場 三人の楽士が演奏中 3000人を収容したという


 南劇場の上から,連なった列柱の曲線が印象的なフォルム,その左上に列柱道路と遺跡群(中央左はアゴラ)を臨む 左上隅(↓)がアルテミス神殿
 右手の住宅地域にも手付かずながら同規模の遺跡が眠るそうだ


 ニンファエウム 前方に水盤が置かれている 左の奥に見えるのは大聖堂の入り口の遺構,小さく見えるがニンファエウムと同規模


 アルテミス神殿 近景 十字軍により一部破壊されたというが12本の円柱は圧巻.この町はアルテミス信仰が篤かったのだろう


 アルテミス神殿から振り返って,左からフォルム,ゼウス神殿(⇒)と南劇場(↓)


 華麗なコリント式オーダー 左のアルテミス神殿の円柱は風で揺らいでいるという


 地面に置かれたままの石材 ニンファエウムのファザードの装飾か 地震で崩壊したことで風化を免れたため状態がよいという.確かに彫りの深い装飾は美しく残っている


 帰路,フォルムを通して見たゼウス神殿と南劇場 フォルム中央の柱は遺跡ではなく後付けとのこと


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