引き続きvolvelle(回転式図表盤)ネタです.東西と銘打っているので,次は西洋ものを提示したかったのですが,書かれているラテン語を読んでからと思っているのでまだまだ先になってしまいます.
「平天儀」 井本氏旧蔵#
今回,「平天儀」とその解説書として制作された「平天儀図解」のセットを年初の買い物として,ある古書店から購入しました.残念ながら状態は芳しくなく,表紙の題箋と「宗天之図」に貼られているはずの地球南半球図が欠品していました.そのため,完美品の4割位だったでしょうか.ただ,残存・伝来は極めて稀で,公的機関としては国立国会図書館,貝塚市(リンクは下記),大阪市立科学館(リンク先は嘉数先生の「なにわの科学史のページ」です),津市立図書館稲垣文庫(リンク先に平天儀の紹介なし,海野氏論文に写真あり),金沢市立玉川図書館(加越能文庫 リンク先に同紹介なし),早稲田大学図書館,龍谷大学附属図書館冩字臺文庫, 海外ではUBCビーンズ・コレクションが知られていますが,市場ではE.Tufteコレクション旧蔵品(これには袋がついていて「宗天之図」とあったらしく,資料的には大変重要です.当時はまだ江戸の天文コレクションに目覚める直前だったのでこの価値を知らず,セールに気づいてはいたのですが流してしまいました)が2010年秋にクリスティーズNYに出品された位で,ここ10年余では国内でも2点ほどしか出回っていないようです.ここで逃すと,もう手に入らないかもしれません.
刊記にも岩橋耕リュウ(王偏に卯)堂蔵版とあるので,私家版として当時としても少数出回っただけなのかもしれません.当時の状況を知る資料があれば,教えていただきたいものです.ただ,書肆の刊本であった「平天儀図解」のほうは天文解説書としては比較的よく紹介されていますし,「平天儀」も脚光を浴びたとはいえないまでも,一部の専門家の知るところではあったでしょう.海野氏(故海野一隆先生を氏と呼ぶのは失礼かもしれません.お許しあれ)は2006年の論文で「知る限りでは詳しい紹介や研究は今のところ見あたらない」*と述べられています.
状態の良いものは少ない.最上段が龍谷大学蔵本,その他の間でも処々の差異がお分かりになると思います.
それでは間違い探し!今回の購入本はここに提示した全てに比べてある点が異なっているのですが,どこでしょうか?
作者の岩橋善兵衛(1756-1811)は和製の屈折望遠鏡を製作したことで名高く,いまの大阪府貝塚市の出身.同市には市立の天文施設として善兵衛ランドがあるそうで,同館に保管される平天儀と同図解は府指定文化財に指定されています.
「平天儀」は享和元年に出版され,国会図書館の英文サイトにはa kind of astrolabeと記載され,太陽と月,星々の経路を即座に参照できるものとして紹介され,クリスティーズのカタログではAN EDO-PERIOD ASTRONOMICAL VOLVELLEと表現されています.
表紙と裏表紙 表紙には題箋がはがれた跡 参考:国会図書館蔵本の題箋
全体の構成は四帖の折本で,26.7cmx26cm(見開き52cm,延ばすと1m以上),薄茶色の表紙には灰青緑色の題箋が貼られていましたが,じつはこの題箋も重要で,司馬江漢の地球全図に敬意を払ったのか,それと似た意匠となっています.
その裏にあたる頁に地球地理の概説が貼られ,続く二枚(丁)目表に平天儀,その裏側は隠れるので白紙,三枚(丁)目表に「宗天之図」として天動説に基づく天球略図に地球南半球図が貼り付けてありました.続く四枚(丁)目表が平天儀の使用方法の説明と刊記が貼られ,この裏が無地の裏表紙となります**.
「平天儀」は同心円上にそれぞれ独立して回転する4枚の円盤を重ねた構造であることが特徴的で,一番上の小さい円盤は地球で,その北半球図(北極中心の地図で直径9cm弱)として手彩色で日本がアフリカと同じ緑に,欧州ではオランダだけが赤に塗り分けられているのが特徴的で,紅・黄・紫の計5色の地図色分けは他の刊本でも同様で,これに海の青(他の刊本では白地のままのものもある)を加え,地球概説文の解説によれば縁取りの赤道と「見界」(北極圏を境界する北極線のこと)は赤の線で描かれ,その間にある本来黄色で塗られているべき「黄道」(北回帰線のこと)は購入本では黒(濃灰)色で描かれていますが,他の刊本の画像でも黄か黒が半々半ばするようです.余談ですが,北アメリカ大陸の北端やカムチャッカ半島はまだ格好が変ですね.
第二円盤は「月ノ天」で,潮の満ち干は水色に塗られ月令が月の穴窓に見え,第三円盤は「日ノ天」で,内周には太陰太陽暦の日付を記すが,外周は黄色に塗られ太陽を示す穴窓から十二ヶ月と二十八宿が確認でき,第四円盤は「廿八宿ノ天」で,内周には白黒の目盛環(三百六十余度とあるが,一度単位の目盛か365日か,まだ数えていないが偶数であることは間違いない),その外側に二十八宿を漢字と不等分線と赤の星図入りで示し,第五円盤は台紙と一体で張られていて,昼は白地に黒字,夜は黒地に白抜きで十二支とその各々を8等分する目盛が描かれ,一日の時刻と方位を知ることができます(直径25.5cm).
なお,やはり購入本には失われていますが,画像で確認できた上記の所蔵本のうちの約半分の4点くらいで,地球図の裏に細い竹串が外周を指す時計の針のように貼られているのですが,画像では長さはまちまちでした.貼ってある場所にもずれがあるのですが,その多くは日本とは180度正反対にあたる北アメリカ大陸のやや東海上のようです.よく観察すると購入本でも同部に放射線状に色の剥げ落ちた跡が分かります.海野氏はこの竹串は地球図の回転を容易にするためと書かれています.
使用方法については,善兵衛ランド関係の方の制作と思われる動画をご覧いただいたほうがよいでしょう.
海野氏によれば,平天儀においては岩橋の司馬江漢への傾倒が随所にうかがわれるとのことで,両半球図は江漢の安政5(1793)年刊「地球図」の副図を踏襲していること(例えば北半球図ではカリフォルニア半島の北の巨大な湾の図形の一致),「宗天之図」の水星と金星が太陽を回る図は江漢の寛政8(1796)年刊「和蘭天説」に同様の「九天之図」と解説文があること,表紙題箋の意匠のことを挙げられています.
*ただし,海野氏は下記に紹介があることを挙げられています
・東京科学博物館編刊『江戸時代の科学』昭和9年
・岡田宏『平天儀および平天儀図解』 貝塚市善兵衛ランド要覧 平成16年,pp72-80
また,和泉文化研究会というところが,昭和43年に複製『平天儀』を享和元年の年記で制作しています.間違いを避けるためには,これには宗天之図がないことが参考になりそうです.
**龍谷大学所蔵本は縦28.5 横25.5cmとやや装丁サイズが異なるようで(多くの刊本は縦27-27.7cm前後),海野氏によると,三丁から成るのみで,地球の概説文も「宗天之図」も無く,使用法説明文の内容も簡略で,刊記も無く平天儀の図の左下方に「泉南 岩橋嘉孝制之」と記載されているのみとのこと.このような版は他に見られず,氏の通行本と呼ぶその他の標準的な版に対して,これらに先行する享和元年以前のものと位置づけられているところは,大いに同感できます.氏の指摘の通り,平天儀自体においても,第二円盤の干満の図の違いや第四円盤の360?度目盛がギザギサの山形になっている点も異なっています.
ところで,南半球図は海野氏は二丁目の裏に可動図をつけようと考えたのだろうと推論されていますが,折帖ではそれでは見づらく,現存品でも「但し赤道ヨリ南ハ裏ニ図ス」に矛盾は無く,完璧主義ならば標準版のニ・三枚目を貫く留め具で南・北半球図を一緒に回るように装着する工夫も出来たでしょうが,そのメリットも限定的だったのだろうと思います.ただ,制作過程で「宗天之図」に直接南半球図を描かず別刷りとして可動させることを意図したであろうことは,購入本の「宗天之図」の円の中心に黒点が打ってあることからも裏付けられ,その場合おそらく二図の中心を合わせると紙縒りの糸のこぶが二つ当たってしまうので構造的に無理があり,結局貼り付けることで収めたということは理解できます.
なお,津市図書館所蔵本は地球概説文と使用法説明文の版が入れ替わっている少数グループとのことですが,画像で見る限り,国会図書館とビーンズ・コレクションの所蔵本も同様です.
日本古典籍総合目録によれば同名異本として,安永2/3年本木良永訳による「平天儀用法」二巻や天保11年に米室白裕の編による「新製平天儀俗解」なる刊本や,国立天文台には部分星図の「平天儀之図」もあるようですが,内容を確認はしていません.
海野氏は岩橋の「平天儀」命名を本木本の題から着想を得たと推定されているようです.
参考文献:上記サイト以外では
・岩橋嘉孝の『平天儀』 海野一隆 科学史研究(2006),45:pp.29-33
・「日本の古星図と東アジアの天文学」 宮島一彦 人文學報 (1999), 82:pp.45-99
#兵庫県西宮市の井本進氏(天文学者;日本暦学会常任理事)が蒐集された井本文庫は氏の没後散逸し,神田茂・渡辺敏夫両氏が一部の資料を引き継いだ模様だが,共に故人で判然としない.
・・・間違い探し,どこか分かりましたか? 次の記事に答えを書きます.
最近は、オランダから離れてらっしゃるのですか。
ところで間違い探しの答えですが、ずばり方角!ではないでしょうか。館長所蔵本は、子の方角、すなわち北が上ですが、他のものは午の方角が上になっている気がしますが、どうでしょうか(^_^)
天地明察というところですね^^
おのちゃんさま
あいすいません.
では,次の話はフランドル1600年ごろに戻りましょう. ただ,少々お時間をいただきます.ごめんなさい.