この「モリソン文庫」の部屋を左に抜けた奥が「ディスカバリールーム」で,展示内容は年3回ほどの企画展になるとのこと.
初回は①「激動の近代東アジア」として,左手の壁にはアヘン戦争関連として有名な「ネメシス号の中国船砲撃」の彩色銅版画42x60cm(色焼けしているようですが照明が暗いのはやむを得ない)が掛けられています.これは英国人ダンカンによるものですが,実際の光景ではなく印象的な想像図でしょう.この他,同戦争をテーマにした「海外新話」や,日本の開国にまつわる展示として「ぺリー久里浜上陸図」や「安政五箇国条約」などがケース展示されていました.
ネメシス号の中国船砲撃 ぺリー久里浜上陸図
さらにその奥には辛亥革命百周年として孫文にまつわる特別展示とエンカウンタービジョンによる「解体新書」の解説と,デジタルブックによる「プチャーチン」「ビゴー風刺画」の展示がありましたがスキップしました.
右手の壁には②「東アジアのキリスト教」として,まずアジア地図の展示があり,初めはオルテリウス版1570/4年刊でしたが,いまはモル版1760年刊になっています.細かいことですが,オルテリウスのアトラスに掲載されたアジア図には二つの版があって,その区別は日本の東の島La Farfanaが,1574-1641年まで刊行された第二版ではFが小文字のfarfanaに変わっていることだけで,そのため本図は第一版であることが分かりますが,刊行年は裏のテキストが何語版で書かれていて,その改行の形態がどうなっているかを見ないと特定は出来ません.それよりも,オルテリウス版と,その約100年後に製作されたモル版とで,日本の表現の違いを比較してみてください.前者では東・北日本が知られていなかったので,武蔵野国から西しか描かれていませんね.
オルテリウス版アジア図1570/4年刊 37x49cm モル版アジア図1760年刊 58x97cm
このほか,1655/9年のブラウ家による「中国新地図帖」が日本地図のところで開かれて展示されています.これは宣教師マルティーニの実地情報に基づき,西欧においては18世紀ダンヴィル図が作成されるまで中国地図の標準版となりました.余談になりますが,同館は地図コレクションも充実しており,オンラインで公開されています.
1655/9年のブラウ版「中国新地図帖」 壁に置かれたマリー・アントワネット旧蔵の「イエズス会士書簡集」
ガラス張りの書棚の中にはかのマリー・アントワネットが旧蔵していた1780年代パリ刊行の「イエズス会士書簡集」26巻本が,壁に配する形で展示されています.赤く染められた革装に金で3つの百合と王冠の紋章を配した豪華な装丁ですね.これらは17世紀末以来の世界各地に出向いたフランス人イエズス会宣教師による各国の事情報告を集大成したものですが,とくに中国については当時フランスが情報において先行していました.
その下段には1686年独刊の「ルター訳聖書」,1600年スペイン語版の「ザヴィエルの生涯」,1583/4年にヴェネチアで刊行された「イエズス会士通信」はフロイスによる本能寺の変前後の日本と中国の情報を伝えるものでした.また,慶長10(1605)年の「サクラメンタ提要」は切支丹版と呼ばれ,長崎で活版印刷された珍品(切支丹版自体が30点ほどしか残っていないらしい)で,日本初の二色刷りでグレゴリオ聖歌が印刷されています.これは今回展示替えで,待望の「ドチリーナ・キリシタン」に変わりました.こちらも文禄元(1592)年天草で刊行された切支丹版で,現存1点の国の重文に指定されています.内容はキリスト教の教義Doctrinaですが,ローマ字読みです!
この奥を抜けると「回顧の路」,不思議な雰囲気です.ここの左端にf770年に法隆寺などに寄進された百万塔とその「百万塔陀羅尼」があります.日本最古の印刷物ですね.木版で二種のお経が刷られていますが,版は一つではないようです.学芸員の方によると銅版という説もあるとのことですが....
さらにすすむと河南省で出土した殷の時代の「甲骨卜辞片」はBC17-11世紀の動物の骨に彫られた象形文字,また建替え時に発掘された縄文土器と江戸の陶磁器のコラボ展示,その行き止まり右が「国宝の間」です.
・・・明日に続く