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Mr.マトリョーシカの脱走

マトリョーシカ(Матрёшка)式世界からの大脱走。脱兎のごとく。

尊敬する人は

2009-03-12 17:00:08 | Weblog
祖父母の家に2泊し、帰ってきた。

そして明日また旅行に行って来る。

引越しもあるので、今日は準備しなければならない。

あまり時間はない。


休憩中にエルサレム賞での村上春樹のスピーチとインタビューを読んだ。

相変わらず比喩とユーモアの感覚が鋭い。

読んでいてスーッと引き込まれた。

そしてなにより、イスラエルでこのスピーチをするという勇気に鳥肌が立った。

めちゃくちゃかっこいい。


常に正論を語る人の言葉っていうのは非力で空虚だ。そう思う。

例えばテレビのコメンテーター。

しかし彼のような虚構を作り出す小説家の語る言葉というのは、しばしば非常に力強く受け手の心を揺さぶる。

俺は尊敬する人っていないんだけど、場合によっては「村上春樹」って言ってもいいんじゃないかって思った。


文藝春秋の4月号に載ってるので時間と750円があれば読んでみてください。

750円くらいあるよ、って言うかもしれないけど俺は無いことが多いので。


とにかく、きっと何か感じるものがあるはず。

帰ってきて思うこと

2009-03-09 00:34:50 | Weblog


ただいま!(「クロノ・トリガー」より引用)

東京には6日の夜に、果敢にも短パンサンダルで降り立ちました。

ばっか。さみーの。そんなの聞いてないぜ。

しかし周りの冷たい視線は蹴散らすことができた。



今回はゼミの卒業旅行でバリに行き、その後解散してその他を回った。

ざっと書くとこういうルート。

バリ → ジョグジャカルタ → ジャカルタ → バンコク → ヴィエンチャン → バンビエン → ルアンパバーン → バンコク → カンチャナブリー → パタヤー → アユタヤ → バンコク



楽しかった。

それはそれはトラウマになりそうなくらい。

いま思い返すと白昼夢みたいにモワモワしてる。

今回は、これでバックパックを背負っての旅行は終わりでいいかなと思って旅立ったし、旅行してる最中もこれで終わりだなという清々しい気分でもあった。

一緒に回った奴もそう思ってたらしく、それくらい最後にふさわしい充実した旅行になった。


これからはサムソナイトのスーツケースを持ち、悪くないホテルに泊まり、ポーターにはチップを払うような旅行をするのかもしれない。

とか言ってたらサムソナイトってもう無いよって言われた。

やっぱ今はドイツのアレが強いんだって。

そんなー。聞いてないよ。

俺にとってスーツケースの王道はサムソナイトなのに。



そういえば、帰って来てネットサーフィンして、ネットの波から波へとリンクリンク、クリッククリック、モデムモデム、ISDN…ってやってたら、どうやら俺は大学卒業が正式に決まったみたい。

お世話になった方々、本当にありがとうございます。


あと、4月から住む寮の場所も決まりました。

まあ都内だし、交通の面からみてもまあ悪くはないんじゃない?って思います。



いやー。

ところでさ。



卒業したくなくない?

どう?


こう言うと、根性ひん曲った奴、あるいは勘の悪い奴が「留年しても周りは卒業だから寂しいぞー」とか「今年の就職はきびしいぞー」とか言ってくるんだ。

そういうことじゃない。



卒業旅行でバリに発ったのが2月16日。

俺は2月17日で時が止まらないかなーって思ってた。

今まさに楽しい中に身を置いていて、さらにこれから楽しいぞっていう17日。


でももう余裕で過ぎてる。


いや、いいんだよ別に。

だって十分僕は楽しんでる。すごく充実してる。

素晴らしい人たちと素晴らしい時間を過ごしてるんじゃないの。



バリの空港で、帰国するみんなと別れる場面。

みんなにはバレてないだろうけど、すげー泣きそうだった。

みんなと向き合ってじゃあまたねー頑張ってねーって言い合う感じ。

しかもさ、アホ幹事長が近くに寄って来て小声で言うんだよ。

「おまえほんま気をつけろよ」

もちろんエセ関西弁で。

そして彼はやっぱりキメ顔だった。

そんなこと言われたら素直に「分かった」って小さく言うしかできない。

ぜってー無事に帰って来てやるって誓ったし、俺はいろんなもん背負ってるんだって思った。

まあ実際にはラオスでは車がバンバン走ってる道路でチャリ大転倒を披露してみせたわけだから、全然気をつけてねーじゃんってことになるのだけれど、とにかく。

たぶんこの文章明日には消したくなってるんだろうし、なんか悔しいけどあの「気をつけろよ」はすげー嬉しくて、その後の旅行中にもちょくちょく思い出した。



そういう感動。

最近そういう感動が身の回りに増えてきてる。

みんなとの別れのシーンも時期が違えば全く感動しない場面だったかもしれない。



俺は焦っているのかもしれない。

もう卒業式まで20日無い。

物事にやたらと「最後の」っていう冠が付き出し、今まで当然のように付き合ってきた人たちとの日常の希少性をいやが上にも意識させられる。



社会人も楽しいかもよ?と誰かが言う。

いや、「卒業したくない」と「就職したくない」は同義ではない。

僕は卒業前の今の時期を愛でているだけで、決して将来を悲観してるわけじゃない。

そりゃ社会人楽しいだろうよ。

でも今の時期はもう戻ってこない。


そういう「今の時期はもう戻ってこない」的な切なさは22年生きてきた中で常に付きまとってきたはずなのに、なんだろうこの感じは。

これまで経験したことのないつらさ。

こっぱずかしいけど正直に言うと、めちゃくちゃつらい。


やっぱ人生は一度だけでいい。

二度生きたいなんて思っていたのは小学校までだったな。

不老不死の薬?いらないいらない。



俺は帰りの飛行機の中で舞城の「山ん中の獅見朋成雄」を読んでた。

主人公の成雄は肩から背中にかけてタテガミが生えているのだけれど、それを剃り落してもらう場面がある。

彼の悩みの種であり、同時にアイデンティティでもあるタテガミである。

そのタテガミが無くなった時の成雄の喪失感。

僕はこの小説にかなりのめりこんだのだけれど、その理由の一つは、成雄のこの圧倒的な喪失感に共感できたからだと思う。

僕もまた、学生としての日常の喪失の気配を強く感じてるから。



日本帰ってきた次の日はマドラウンジで踊った。

夜の東京はやっぱりすごくきれいだった。

みんなの顔見た時はホッとして、元気ロケッツのルミちゃん見た時は「かわいいは正義っすね-」って思ってはしゃいで、帰りの電車ではめっちゃ切なかった。

俺、寂しさには鈍感なはずなのに、何これ。

弱ったなー。

ちょっと勘弁してほしいですねー。




さっきHD内の写真の整理してた。

写真は思い出へのショートカット。

俺は写真好き。

それも、一眼レフいじったりとかの好きではなくて、ポチっとさりげなくデジカメ押すのが好き。

写真っていい絵日記機能。

毎日日記書くのは根気が要る人にとっては要るけど、写真なら簡単かもね。

って女子かよ。

俺は毎日写真撮ってなんか無いっす。

もし女の子だったらそういうのやってたかもな。


でも写真はよく撮るようになったね。



あー、こうやってブレイン・ストーミング的に文章書いてると着地点がわからなくなる。

着地ではなく、逆に社会に向けてテイク・オフ!ってキメればカッコイイんだけど、まだ卒業式まであるっつーの。

てかかっこよくねーしうまくもねーし。



まあいいや。

とりあえず社会に出るまでいろいろ話しましょう。たくさん笑いましょう。

それが今の僕の生きがいです。(←これは超カッコイイ)

電車内広告

2009-02-15 02:33:37 | Weblog


気になった2つの広告。

●FRaU 3月号

ベリーショートの美人が表紙。

「あの人誰?超美しいんですけどー」と話していて、帰って調べてみたら深田恭子だった。

深田恭子のウリは、フェミニンさと野暮ったさだったと思ってるんだけど、この写真にはどちらの要素もない。見事な変身っぷり。

ここまで覆されると気持ちいい。



●大川隆法『勇気の法』

「著者渾身の501冊目」とある。

501。これはちょっとした数字である。

ウィキペディアの大川氏の項目には、「1985年8月に初めての著書『日蓮の霊言』(善川三朗編、潮文社)を発刊」とある。

これが正しい情報ならば、彼は2009年に至るまで1年間に平均21冊も書いてきた計算になる。

月に1冊書いても追いつかない。

驚異的である。



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16日から3週間ほど海外に行くので連絡とれません。
インドネシア、タイ、ラオスです。

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中塚武-Your Voice(sings with 土岐麻子)

土岐麻子さん最近好きだ。
すごく優しい声。
英語詞の曲になると発音下手だけど、まあそれもアリかなって思ってしまえてそれさえ魅力的。

逆チョコ(爆)

2009-02-12 03:05:17 | Weblog
バレンタイン

【意義】
女から男へという希少性の高い機会の提供。
(女から男へ「告白」するというバードルの高い行為へのきっかけ作り・理由づけ)



逆チョコ

【意義】
女から男へというのが一般的なフィールドにおけるサプライズ。

【影響】
バレンタインの女から男へという希少性の崩壊。
それに伴うバレンタインの意義の希薄化。
またはホワイトデーの無価値化。



【結果】
お菓子業界あぼん

じゃない?

長い目で見れば得策じゃないように見えるけど、どうなんだろう。

昨夜の話

2009-02-12 00:01:13 | Weblog

こんにちワンツー☆

今夜はそういうテンションで大丈夫。

オーストラリア戦引き分けでも無問題。


しかし、昨夜はそういう気分ではなかった。

昨夜のこと。

いや、最後にどんでん返し的な文章は書きたくないので結果から言っちゃうと、何事もなかった。

何事もなかったけどやっぱね、大事でしょ、過程は。

過程が面白いよ人生は。

だから聞いて。




俺、来週卒業旅行に行くんだよね。

旅行は楽しさをしゃぶりつくしたいので、準備の段階から旅行は始まってるっていう考えをしてる。その方が長く楽しめてお得だ。

ピース。

で、旅行まで1週間切ったわけであるし、そろそろ具体的に準備をはじめるには丁度良い頃合いであるよなあなどと思い、先週から自室に飾ってあるバックパックを広げ、準備を始めた。

持ち物のチェックシートにチェックを入れてくのだ。


この時、夜の12時位。

家族が寝静まった家で、Tシャツは3枚でいいよねとか、冷房がきついという可能性があるので上着はいるでしょとか、まあ淡々と書いてるけど、気分はルンルン浮かれポンチ。




で、そこから俺が無いってことに気づくのにそんな時間はかからなかった。

何がってアレだよ。パスポート。

パスポートが無いなーって思ったんだよね。

まあ最近机周りを整理整頓したばかりだから、その辺に落ちたんでしょう。


でもご想像通り、その辺を探しても落ちてない。

あっれー、おかしいな。

まあ部屋にはあるはずだからちょっと探せば出てくるはず。


これもご想像の通り、出てこない。




このあたりから「あー、死にてーなー」と思い始める。

「てか死ぬの?」と。

マジで無いのである。



部屋にある全てのカバンを開け、ファイルを開き、本をめくり、引き出しの中身をひっくり返し、棚の裏を見て、底を見て、ベッドカバーを剥ぎ、冷蔵庫に行ってお茶を注ぎ、一言。

「やっぱり無い」


あーこれってまずい?

まずいんだよね?

イエス、高須クリニック。

そう思ってググる。

<パスポート 紛失>


そうしたら色々ヒット。

そこで俺は愉快な情報―うん、実に愉快だ―をゲットする。

<発給には12日程度>

パスポート紛失した際の再申請ってのは、普通の申請とは訳が違うらしい。

紛失の場合、再発行ではなく、新しいパスポートを発行するという処置がとられる。

なぜなら、再発行だと、同じパスポートが2冊存在することになり、悪用されるっしょ。

だから、紛失した方のパスポートナンバーは破棄され、公的な書類に記載される。

さらに、紛失した方のパスポートが悪用されてないかのチェックもしなければならない。

要は普通の発行に比べて、随分といろんな手間がかかるってことなのだ。

だから新しいパスポートの発行には12日間はみないとダメ。




やった、いよいよ卒業旅行行けないぞv(^-^)v




そういうのほんとに勘弁してほしいので必死になった。

こういう所(http://oshiete1.goo.ne.jp/qa801953.html)や、こういう所((http://www.d6.dion.ne.jp/~takahara/daujingu.htm)を見て「ニンニク~ニンニク~」と呟きながら探し続けた。手頃な針金も折って両手に持った。


でもやっぱりない。

あー俺どうすんだろ。

ここまで探しても見つからないってことは部屋には無いってことだよな。

ってことはどっかで落としたってこと。

ってことはもうパスポートが手元に戻ってくる可能性はほぼゼロ。


あー死なないかなー俺。

すっごい鬱になって就寝。この時朝の4時位。


8時半に目覚ましが鳴る。

今日はアルバイトなのだ。


なんつーか、母親に聞いた。

「僕は自らのパスポートを紛失したのである。まあ貴女が僕のパスポートの在り処など把握してるっていう期待は微塵もないながらも、藁をも何ちゃらって言うじゃないですか。だからあえて聞きますけど、僕のパスポート知らないですか」

「ああ、あそこの引き出し。床に落ちてたからしまっといたわよ」

v(^-^)v

いつもそういうことする母親じゃないのに、事実、結末はこうであった。


今回に限らず、一度絶望的状況を経験すると、そこを脱した時、人並みの日常というものがとても幸せに思える。

これは一般論である。

あと、同じような境遇の人を心から応援できるようになる。

案外こういう下らない出来事の積み重ねで人の人格ってものは作られるのかもしれない。

それに、危機的状況を乗り越えるために得た知識ってものは、実に切実で定着率も高そうだ。

はじめから何のトラブルもなかったのなら、無い無いの神様とかダウジングについて詳しく知る機会はなかっただろう。


そういった意味で、今回の出来事は俺を成長させた。

人の目には仰々しく映るであろうことは分かっているけど、それでも。


最後に、昨夜の俺には、日本で古くから使われてきた「ばーか」という言葉を送りたいと思う。

そして、人並みにゼミのみんなと卒業旅行に行ける今の僕はとても幸せです。

ピース。


YMCK-Magical 8bit Tour

ダイシ・ダンス09

2009-02-03 03:31:48 | Weblog



アゲハでやったDAISHI DANCEのイベントに行ってきた。

ゼミの5人と。

まさかこんな人数で行けると思ってなかったから嬉しかった。




アゲハ行きのシャトルバスから見える夜景がロマンチック。

でも今回は1時過ぎだったからオフィスの明かりは消え気味だったかな。

とはいえ東京湾沿いのタワーマンションの光が健闘してたのできれいだった。

フジテレビはビル全面が煌々と光ってた。これはさすがとしか言えん。



余談。

タワーマンションってのは宣伝の時、いかに高層であるかをアピールしてるけどあれってどうなの。

タワーマンションには高層階だけじゃなくて、低層階があるわけだよな。

そういう宣伝されたら低層に住む人にはすっごく負け感漂わない?

タワーマンション・ヒエラルキー。


じゃあタワーマンションの低層階に住むメリットって何?

たとえば、タワーマンションって普通のマンションより敷地広く取らなきゃいけないから、そういう緑地に面してることとかかなあ。

そこ宣伝しないとタワーマンションってすごく歪んだ構造に見える。

予断終わり。


あー変換ミス。予断を許さない。




しかしDAISHI DANCEってすごいんだなと今更ながら思う。

昨日はエントランスに1時間異常並んだ。

異常ってまた変換ミスってるけども、間違いなく異常な並び具合だったからこれでいい。


アゲハに来るのは今回で2回目で、初めて来たのはハウス・ネイション。

ハウス・ネイションはDAISHI DANCE含めた有名DJ大集合のイベントだったんだけど、その時は全すんなり入れた。

そんな大イベントよりも並ぶなんて、すごいじゃんDAISHI DANCE。


しかーし、中入ってみたら、確かに混んでたけどハウス・ネイションの方がやや混みだった。

てか、ハウス・ネイションの混み方ってすごかったんだよね。

つまり今回並んだ原因は運営側の手際の悪さ?



かなり並んでぐったりだったけど入ったら一気にテンション上がった。

前も書いたけど、ダイシダンスはアジり方が上手い。

アジるっているのは00年代においても使う言葉なの?死語じゃない?

まあいいや。どう上手いかと言うと、それはタメの部分の使い方なのかな。

今か今かと焦らすストレスの部分をうまく入れてくるのが憎い。


それにスタミナ切れ知らずだし。

俺が彼の年齢になったときあれだけのスタミナを維持できてるのかな。

俺は徒歩を趣味として公言してるのだけれど、最近距離が短くなってきた。

今日はたぶん1時間以上は歩いたから、これは続けようと思う。

そしてダイシダンス並みのスタミナを維持してこうと思う。



次はテイトウワの。

できればそれより先にあるFPMのにも行きたいと思う。

FPM / don't you know

最後の~ ほか

2009-01-16 23:07:35 | Weblog


●最後の~

たぶんそろそろ各方面のイベントに「最後の」という形容詞がつくのだろう。



●いつか見たアレ

クリスタル・ケイ→青山テルマ
はるな愛→椿姫彩菜



●仕事が趣味

仕事が趣味ってかっこ悪いんだろうか。

少なくとも何年か前は「仕事が趣味です」っていうフレーズはちょっと残念なニュアンスというか、ネガティブなイメージをまとっていたような気がする。「つまんねえ奴」みたいな。それか「奴隷乙wwww」的な。

今はどうなんだろうか。

むしろかっこいい、かどうかは個人の価値観によって違うだろうけど、幸せなこととして捉えられてる気がする。


それか、残念なニュアンスってのは単に世間知らずだった少年時代の偏見だったのか。

それとももしかしたら失われた15年が培った「自分探しブーム」や「ゆとりブーム」といったものが生み出した価値観だったのか。

ちょっと判断がつかない。


もし後者だったとしたら、また「仕事が趣味」なのがかっこ悪い時代が来るのだろうか。



Babyshambles / F**k Forever

僕が一番好きなバンドのうちのひとつです。

パソコンの調子

2009-01-09 11:25:06 | Weblog



ここ一か月くらいガラにもなくリア充な日々を送ってましてね。

で、年明けて(あ、あけましておめでとうございます^^)、久々に何もない日だーって時を迎えたら、ビンゴ!風邪ひいたよ☆

免疫力の高いこの俺様が風邪をひくなんて不覚だ。

病は気からってのは本当だ。ん、ちょっと用法違うけど気持の緩みから風邪ひいたのは本当だろうからね。げぼげぼっくぁwせdrftgyふじこl

「咳をしてもひとり」

まあもうほぼ治ったけど!



そういえば、今使ってるノートパソコン(修理してから一度もフリーズなどの不具合無し)が何の前触れもなく電源が切れた。

別に他にはどこも調子悪くないのだけど、何かの前兆だろうか。


で、今見つけたんだけど、昨日発表されたというVAIO Pはちょっと気になる。

「ポケットスタイルPC」なのでメイン用ではないが、これは使い勝手良さそう。

画面横長だしな。

従来の画面サイズだとウィンドウを2つ立ち上げた時すごくやりにくいじゃん。

横長だと楽々見れるから今後流行りそうだと俺様は踏んだね。


あとゲームでもさ、DS、所謂ダブルスクリーンって流行ってるじゃないっすか。

画面横長も言ってみればダブルスクリーンと同じ機能を果たしうるわけだからさ。


画面横長は流行るよ。きっと。




SEXY SYNTHESIZER / FLY

ゲームのピコピコサウンド(チップ・チューンって言うんだって!)的なアレ。
一億総エレクトロ化の昨今、流行って然るべき音楽。


PUFFY / マイストーリー

最近のパフィーの曲ってますます良いのな。
びっくりした。

ハウス・ネイション

2008-10-26 21:57:36 | Weblog


ハウス・ネイションっていうハウスのイベントに行ってきた。



場所は、新木場のアゲハというクラブでした。

このクラブはメインのフロアが2000人くらい収容するでかさを有してる上に、新木場という何もない土地を生かした野外フロアがあったり、やたらと充実してた。



結果から言うと、イベント自体もものすごく良かったーよ。


でかいフロアってことで演出もド派手。

風船とかいろんなものが飛び散ったり、竹馬美女がキャンディ撒いたり。

なんだこの景気の良さは。



以下、今回のラインナップ。

ravex
元気ロケッツ
DAISHI DANCE
YUMMY
Q;indivi
大沢伸一
FPM


ざっとこんな感じ。


いわゆる「豪華ラインナップ」ってやつですね。


とりあえずツタヤのハウスのコーナー行けば高確率で「平」の状態で置いてある人たち。




ハウス初心者の俺もアゲアゲ


などという普段使わない絵文字使っちゃうくらいテンション上がった。




やっぱり音楽っていうのは体全体で聴くものだねって強く感じる。


それはロックもクラシックも同様なんだけど、特にハウス・ミュージックってその他の音楽以上に聴く場所・音の環境によって感動が大きくなるっていう印象。



フロアでハウスを浴びてると、重低音が皮膚の表面と体の芯を揺さぶる感覚があって、それに美しいメロディが加わった時には脊髄反射。体に電気走る。


あたりまえだけど、これはCDで聴いてると出来ない経験。


個人的にはロックでもヒップホップでもしない経験。


ロックだとね、生で聴くと感動が体の内側からブワーっと来る感じ。


でもハウスはなんというか、もっと直接的で理不尽な力が体に指令を出す感じ。



そういやハウスってのは「人間が軽い運動をしているときの心拍数に近い120~130あたりのBPMで、表の拍でバスドラムが入る」らしい。


これは田中のおっさんの言葉。


あー、ハウス・ミュージックを浴びる時の感覚ってこういうとこから来てるのかもね。





いやー、改めて元気ロケッツ良かったね。


彼ら(?)は3時頃からだった。


元気ロケッツは「バンド」って言ってるだけあって、ほとんど原曲と同じ構成のままの演奏。

しかも有名どころばかりの演奏だったので、良い意味で予想を裏切らなかった。


中でも「スター・サーファー」っていう今まで俺的には「まあまあ」って印象の曲があったんですが、今回のライブで聴いたら評価急騰です。


一曲目だったんだけど、いきなりフロアが一体となるのがわかった。


めちゃめちゃ感動。



他の人たちのも感想書いてみますか。


●ravex
名前聞いたことはあったけど聴くのは初めて。

「I RAVE U」って曲が良かった。

どんな曲かっていうと、うーん、「ジュリアナ」って言われてみんなが思い浮かんだメロディがまさにそれだと思う。

その曲をいじったやつ。

山崎邦正のギャグ「関係ないから♪」もちりばめられてて笑った。



●DAISHI DANCE

凄いと言えばDAISHI DANCEのおっさん。

1時頃からかな?そのあたりに登場して大いに盛り上がってたんだけど、俺らが帰る5時半過ぎにもまだやってた。尊敬。

やっぱこの人はピアノの旋律がお美しい。

横ノリと縦ノリの絶妙な混ざり具合が気持ちいい。

あと、アジり方がうまい。

完全に乗せられた。

また来るね。


●FPM (Fantastic Plastic Machine)
屋外のフロアでやってた。

途中でニルヴァーナやったのでますますテンションあがった。

位置の関係で顔を拝めなかったのが残念。


●Q;indivi
見れなかった。えーん。


●大沢伸一
見れなかった。でもまたの機会に見れるんじゃないかな。


●他の人たち
事前知識無かったせいで、聴きたいDJ蹴ってまで見ようって気持ちが芽生えませんでした・・・

まあ、また機会があれば見たい。





FPM / Different Colors

田中のおっさん(FPM)がルイ・ヴィトンと村上隆とコラボしたPV。
さすが村上のおっさんだけあって、出てくるキャラが全部かーわいーんだなあ。
ものすごく深読みしたくなるPV。



元気ロケッツ/Breeze

美メロ。

嫌味

2008-10-14 10:29:15 | Weblog


今日から6連勤。あるいはそれ以上。
頑張ろう。



今日は嫌みについての話。

誰しも嫌味を言われて怒り、あるいは悲しんだ経験というものがあると思う。

一般的に嫌味は婉曲的な表現を使うのが粋である。

嫌味は婉曲的であるがゆえに相手の思考を余分に働かせ、そのことによって心理的により大きなダメージを与えるのだろう。



っていうかですね、この婉曲的っていう性質上、自分の言葉が気づかないうちに嫌味になってる場合があるねー。





例えば昨日こんなことがあった。


昼御飯を食べるためにちょっとした食堂に入った。

「いらっしゃいませー」と店員から歓迎を受け、注文をした。


そこまでは良かったんだけど、なかなか水が出てこないんだよね。

で、ちょっと見回すと、カウンターのちょっと内側の、まあ客が手を伸ばせば何とか届くかなーってくらいの微妙な場所に冷水器があった。

だから、あーあれってセルフなのか?でも取りに行ってセルフじゃなかったらなんか気まずいし、店混んでるから迷惑になるかもなー。なんて考えながら、何の気なしに店員を呼んで、聞いた。

「あのー、水ってセルフ・サービスですか?」


そしたら店員が何故か急に蒼ざめた。


彼は言った。

「申し訳ございません!只今お持ちします!」



いやいやいや。

水はセルフ・サービスではなかったんですね。


でも違う。俺はそういう意味で言ったんじゃない。



俺が「ごちそうさまでーす」と言って店を出る時、その店員がなんだかほっとしたように見えたのはおそらく気のせいだ。



Gorillaz - DARE

「最も成功した架空のバンド」であるゴリラズ。
このバンドの曲は何度聞いても飽きが来ないものが多い。驚異的。
アニメーションが超かわいい。

ギリギリの距離感 ほか

2008-10-13 01:39:46 | Weblog
●ギリギリの距離感
俺は学生だ。

だから目上である社会人に電子メールを送る際には、ある程度の緊張感を持って文章これを作成し、失礼がないか推敲を重ねた上でポチッと左クリックを叩く。



で、相手の返信を見てガックリくることがあんのね。



どういう時かというと、やけに砕けた文体で返信が来たとき。

「(笑)」とか「!」とか「だよね~」とか。



くほほほ。

俺はこれにどういった返信をすればよいというのだろうか。


「ほんじゃ、俺も」って具合に砕けた調子になるのは身の程知らず。

だからといって、頑なに形式ばった感じで返すのも、なんだか相手を馬鹿にした感じがしなくもない。


この距離の取り方がまじでスリリング^^;


相手からしてみれば、「うひひひ、学生が緊張してるわい。ここはいっちょ気さくな感じ接して肩の荷をおろしてやるぜ」って感じなんだろうが、それが逆に要らぬ手間を俺にかけさせている。


うーん。これってオヤジ・ギャグの効用に近いものがある。






●こんにゃくゼリ→
マンナンライフの蒟蒻畑が製造中止っていうんで憤慨してる人が多い。


実際、ブログ、ミクシーなどで多くの人々が怒りを表明している。

「そもそも子供に食べさせるのが悪いんでしょ!><」「馬鹿じゃない?><」とみんなかなり怒っている。

こんにゃく好きを怒らせたら怖いということを今回の件で学んだ。




まあ、俺は蒟蒻畑をそんなに食さないので、正直蒟蒻入りゼリーがこの世から無くなろうとも気にならない。

ゼリー自体はどうでもいいんだけど、どうも今回の「批判」にやるせなさというか残念な印象を受けてしまう。



今回の件で憤慨してる人たちの怒りの矛先は主に行政のようだ。

けれど、その怒りっていうか主張が見当違いなような気がする。



怒っている人の主張はほとんど同じで、「蒟蒻ゼリーの危険性は以前から指摘されていた。にもかかわらず子供に与えた大人の責任が問われるべきであって、法律で縛り付ける問題ではない。っていうかこんなことにまで行政が介入するってどんだけー」っていう感じだ。

どんだけーってもう古いか。




いや、彼らの言いたいことは分かるよ。

何でもかんでも法律で決められて、人間が備えているべき思考や危機意識だとかが問われない世の中っておかしい。


例えば、「アイポッドナノを肛門にあてがって音楽を聴いていて、リズムにのって指でポンポンと押しこんでたらちゅるんと入って抜けなくなっちゃったじゃないですかー。これじゃあ充電できないじゃないですかー。どうしてくれるんですかー><」こういう主張おかしいもんね。

そりゃ、あんたが悪い。

自己責任ってことで頼む。お願いマイメロディ。





でも、今回の行政の対応は仕方なくないか?


もちろん餅とか酒で死ぬ人の方がこんにゃくゼリーで死ぬ人よりも多いかもしれない。

だったらあれだ。餅や酒にも改善命令出せや。と


けれど、それは必要ない。

餅や酒は「そういうものだ」という認識が人々のなかにあるからだ。

「餅はよく噛まないと詰まる」「酒は飲み過ぎると急性アル中になる」と。


一方で、こんにゃくゼリーって最近できた特殊な食べ物なわけじゃん。


こんにゃくのゼリーだからね。

普通のゼリーじゃない。


でも一見普通のゼリーだ。

だから普通のゼリーの感覚で食べちゃう。


また、ゼリーって子供好みの食べ物だからどうしても子供が口にする機会が多い。


だから酒や餅などの危険性とは種類が違う。


凍らせて食わせたみたいなのは論外だが、少なからずこういった直接的に死にかかわる要素を含んだ食べ物を放っておくのだとしたら、それは行政の怠惰と言えるのではないだろうか。




だからこの件で責められるべきは、強いて言えば改善命令を受け入れられないマンナンライフなんだろう。

ただ、なぜ受け入れられないのか、理由が分からない。

それが分からない限りマンナンライフを責めるのは難しい。

そりゃしょうがねーわ、っていう理由かもしれないからね。


だから、今回の件についての正しい反応は「蒟蒻ゼリー無くなるのなんて悲しすぎるー!」とただ嘆くというもんだろうと思う。

キレたり評論したりするためには情報が少なすぎなの。



□□□(クチロロ)/朝の光

この人たち好きだなー
教授が評価してるらしいけど、たしかにいい曲ばかり

今、ここ

2008-09-14 02:32:54 | Weblog



最近気にかかること。

自分の中における「今」と「ここ」に対するシェアの低下。


それは、未来や過去に対する気持ちのシェアが高くなってることに起因してる。



最近、自分でも嫌になるくらい過去のことを思い返す。

大学のことはもちろん、小学校、幼稚園に至るまでさまざまなフェーズを思い出し、楽しいような悲しいような奇妙な気分(つまり懐かしい気分)に浸る。


過去を思い出すためには写真を見たりもするけど、俺がよく使う超イマドキの方法はユーチューブだ。

ユーチューブでラルクだのクロノ・トリガーだのマイ・リトル・ラバーだのスピードだのスーパーカーだのレディオヘッドだの嵐だのを聴く。

久しぶりに聴くと、自分から失われていた感覚とか思いを取り戻すことができる。

このとき俺はこんなことを考えていたんだなっていうのを音楽が思い起こさせてくれる。

結構鮮やかに。


こうやって過去に浸るのは心地良い。




その一方で、未来のこともよく考える。


卒業までに何をするかという計画を考えるのは楽しいし、その計画を実現するためにアルバイトを頑張っている。

そして卒業後の仕事もワクワクする。





別に現在に不満があるわけではない。(でも常にアイ・キャン・ゲット・ノー・サティスファクションの心意気は忘れずにいたい)

ある程度の充実感もある。



でも、こういうある意味浮足立った状態にはちょっと違和感を感じる。

「今」の「ここ」を楽しみたいっていう気持ちが強いのは確か。




「今」の「ここ」を楽しむっていう姿勢は、もしかしたら最近の世の中全体に欠けているものかもしれない。

だとしたらその原因はインターネットか。


(実はこれに続く文章があったのだが誤って消去してしまった。尻切れトンボで申し訳ないが、単なる思いつきの文章だったので再び書くのは面倒くさい。堪忍)


Bright Eyes - First Day of My Life

良い曲だし、なによりまずタイトルが素敵。

ゴー・ウエスト

2008-08-15 01:30:47 | Weblog


こんばんは。

あなたにとってステーキな夏でしょうか。



最近僕は何をするにもお金がかかるんだなーってことを痛感してる。


要はお金がないってことだ。



その昔「お金がない」っていうドラマがあったけど、ああいうのって自分よりお金がない人たちのやりとりを見ることによって、自分の<お金がない>っていうコンプレックスを抑制する効果があったんだと思う。


あーあの人たちもお金がないんだなーって。俺の方がマシだよーって。


だから流行った。



たぶん「スタンドアップ」なんかも同じ方式。


あれはニノとか山Pとかオグリキャップとか訳分かんないほどイケメンが揃っているにもかかわらず全員童貞っていう設定。


あのドラマもある程度コンプレックスを抑制する装置として働いていたんだろうなあ。




話が逸れた。




書くことはいろいろある。


ここは絞って。



とりあえずこの1週間は両親の実家を訪れていた。



まず母親の実家。


湯沢。


ここでは親戚一同が集まる会合があった。


30人近く集まってて、軽いアウェー感を拭えない。


何せほとんどの人が初対面なのだ。


ここで初めてハトコ(←なぜか変換できない)の存在を知る。


再従兄弟(ハトコと読みます)って書いてしまうと随分遠い印象で、実際今回初めて会った親戚達は「遠い親戚」っていうカテゴリーに分類されてしまうのかもしれない。


でも他人だらけのこの世の中で、この人たちとは少しでも血が繋がっているんだと思うと、不思議な感じがした。


特に僕は兄弟がいないということもあって、この感じは初めてだった。


兄弟がいる人はこの感覚がスタンダードなんだろうか。分からない。


自意識過剰かもしれないけど、俺って自分だけの身じゃないんだなっていうのを感じた。


心地よいプレッシャー。


そう感じると、何だか来年からの仕事へのモチベーションがさらに上がる。





仕事と言えば、今日内定先の職種面談に行ってきた。


人事のMさんとは今までなんやかや話す機会が多かったから、自分が今考えてることをぶっちゃけて伝えることができたし、Mさんから見た俺の適正もいろいろ聞くことができた。


もし別の人事との面談だったらなかなか紛糾したかもしれない。


だって俺すごく悩んでいるもの。


あとはこっちからアプローチかけない限り、4月第2週目の職種発表までにこういうこと話す機会はないので、お楽しみ。


ちなみに初年度の勤務地は幕張だそうだ。




Patrick Wolf / Accident and Emergency & The Magic Position

アクシデント・アンド・エマージェンシー。パトリックのメロディ、パフォーマンス、出立ち、すべてが超かっこいい。


Babyshambles / She loves you

僕はもう一生ピートに会えないかもしれない。
ピートが日本に来れないなら俺がロンドンに行く。そう思った時期もあったけど。


PET SHOP BOYS / GO WEST

そして明後日からゴー・ウエストです^^

つぶやき喜三郎の日記

2008-08-02 01:42:54 | Weblog
「私は正しい」

ここに争いの種がある。



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納得いかないこと。

榮倉奈々がでかい。


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JRのアナウンスの「鎌倉」は「キャバクラ」と聞こえる。


「終点はキャバクラです」

これが元国鉄の新ビジネス。


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地下鉄のアナウンスの「中野行きです」は「仲間由紀恵」と聞こえる。


「この電車は仲間由紀恵」

遂に電車の擬人化の時代が来た。


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職種選びの件。

たぶん岐路。


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自慢:今週はほとんど寝ていない。

最近の趣味:「あると思います」にいちいち「ねーよ」と突っ込む。

貫地谷しほり

2008-07-20 02:19:07 | Weblog
今の気持ち。|貫地谷しほり オフィシャルブログ『しほりのおしゃべり工房』
http://ameblo.jp/kanjiya/entry-10095369152.html


>そして言葉通りに受け取ってしまったお馬鹿な私は、ここ一年くらい自分を楽にするのやめてみようと思ってしまったんです。

>色んな思いが積もっていって辛くなりました。





2か月以上も前の記事なんだけど、あーこの子は苦労してるんだなあと。


こういうのは悩むよなあ…。辛いよなあ…。



僕は彼女とは真逆の性格だ。

でも彼女の悩みはとても理解できる。







僕はあまり悩みを人に打ち明けるタイプではないし、人を頼るということがなかなかできない。

それでも周囲の人にかなり迷惑をかけ、救われてきた。


そういう俺からしてみれば、彼女の誰にでも悩みを話してテンションを高めていくやりかたは、むしろとても強くて健全な生き方に思える。

でも彼女からしてみれば、俺の生き方をとても強いもののように思ってしまうのかもしれない。




あー、やっぱりこういうのって誰もがぶつかる悩みなんだろうか。

その時は結構辛いけどどうにかなるものである。

頑張れ。