
現代ではあらゆる直接的経験は間接的な経験にとってかわられ、あらゆる出来事が、人工的に仕組まれた擬似イベントになる。フィルター付きの煙草が普通になったので、かつての煙草は「フィルターなし」煙草になり、フィクションがあたりまえになったので、事実は「ノン・フィクション」になる。親は子供の運動会でビデオカメラのモニターの中の我が子に声援を送り、記者はボイスレコーダーの中の声を書き起こす。つまり僕らは人工的な経験を作りだし、求め、最後には楽しんでいる。僕らの生活を経験ではなくて経験のイメージで満たしている。間接性と擬似イベントによってコラージュされた世の中。同様に人が発する言葉も人工的な経験であり、経験のイメージである。結局、人間同士が本当に言葉によって共有できるものなんてほんのわずかだ。言葉はそれだけでは本当のことを語れない。
さーて、ちょちょいと卒論でも終わらせるかな。
2万字とか余裕過ぎる。ソバージュ、ソバージュ。
Architecture in Helsinki - Do the Whirlwind
このPVがセンスあるとは思わない。でも曲はガチで良い。
キツネのコンピ盤で知ったんだけど、キツネ聴いとけば間違いないみたいな気分は俺の中にある。