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Mr.マトリョーシカの脱走

マトリョーシカ(Матрёшка)式世界からの大脱走。脱兎のごとく。

縁と恩義

2009-02-04 00:26:46 | 解釈





何か品物をもらったときに、即座に同等の価値ないしは価格のものをお返しとして贈るのは、最悪だ。相手に対して、これで貸し借りはないというメッセージを伝えることにもなる。相手に恩義を感じるという状態を早く解消して、対等な立場に立とうとしている、と解釈されても仕方がない。(『話ができる男、バカになれる男、男が惚れる男』)


以前、就職したら今まで払ってもらっていた学費を返すと言ったら親にひどく怒られたことがある。

恩義を持ち続けながら生きていくというのも大人の生き方であり、覚悟なのだろう。

すごく学んだ。




話は変わるけれど、最近戸田恵梨香が正当に評価されてきて嬉しい。

夏ぐらいまでは「調子乗ってる感じがする」とか「大して可愛くない」とか散々な言われようだった。

特に女性からの評判が悪く、「戸田恵梨香超可愛い」なんていうと女の敵みたいな視線を送られることも一度や二度ではなかった。なぜ?

でももうそのような憂き目に遭うことも少ない。

時代が追いついたのだ。

戸田恵梨香超可愛い。

経験のイメージ

2009-01-30 01:06:45 | 解釈


現代ではあらゆる直接的経験は間接的な経験にとってかわられ、あらゆる出来事が、人工的に仕組まれた擬似イベントになる。フィルター付きの煙草が普通になったので、かつての煙草は「フィルターなし」煙草になり、フィクションがあたりまえになったので、事実は「ノン・フィクション」になる。親は子供の運動会でビデオカメラのモニターの中の我が子に声援を送り、記者はボイスレコーダーの中の声を書き起こす。つまり僕らは人工的な経験を作りだし、求め、最後には楽しんでいる。僕らの生活を経験ではなくて経験のイメージで満たしている。間接性と擬似イベントによってコラージュされた世の中。同様に人が発する言葉も人工的な経験であり、経験のイメージである。結局、人間同士が本当に言葉によって共有できるものなんてほんのわずかだ。言葉はそれだけでは本当のことを語れない。


さーて、ちょちょいと卒論でも終わらせるかな。
2万字とか余裕過ぎる。ソバージュ、ソバージュ。


Architecture in Helsinki - Do the Whirlwind

このPVがセンスあるとは思わない。でも曲はガチで良い。
キツネのコンピ盤で知ったんだけど、キツネ聴いとけば間違いないみたいな気分は俺の中にある。

運命の本質

2008-11-21 02:53:27 | 解釈


「人は自分の力で人生を切り開くことができる」というのは幻想である。

これは俺が22年間の人生の中で得た、リアルでクールな実感だ。


そこで、俺は人生にはしなやかさが必要だと考えた。


そしてある逆説的なアプローチを採用することにした。




説明しよう。




世の中には、とても才能があって努力を積み重ねているのに、結実しないと嘆いてる人がいる。

うん、実に多い。


その一方で、なんとなくポンポンと物事がうまくいって成功している人もいる。


両者の差はなんだろうか。




それは、「可能性としての自分の将来をどれだけ想定できているか」だろう。


つまり、「こうなったらいいな」を100種類持っている人の方が、「こうなったらいいな」を1種類だけしか持っていない人よりも願望を達成する可能性が100倍高い。


とても簡単な数学だ。







屁理屈いうんじゃねーよって?


これは屁理屈ではない。

俺は至って真面目だ。




たとえば俺は大学の附属高校に通っていたのだが、大学の学部選びの際、政治経済学部を第一志望にしていた。

一方で社会科学部や第一文学部の勉強も面白そうだと思っていたし、商学部の勉強も将来役に立ちそうだと思っていた。

結果的に俺は政治経済学部に決まったのだけれど、もし俺が社会科学部に決まっていたら、「社会科学部を願望していた自分」のたどってきたストーリーを思い起こしていただろう。


つまり、人間は数多くの潜在的な願望の内、実現したものについてのみ、選択的に「それを願望していた自分」をおもい起こすということだ。




このことから導かれる結論は以下のようなものだ。

<願望達成の可能性というものは、自分の未来への開放度の関数である>


もっと簡単に言うと、「自分の人生の可能性にもっと広く目を向けていいんじゃね」ってことだ。


これは「運命」の本質でもあると思う。(視野狭窄に陥っている人が「運命」に出会う可能性はやっぱり低いだろうから)



まーもっともっと簡単に言うと、「3年生、就活がんばれー」ってことだ。



ザ・ピロウズ - Another Morning

ポップなメロディと、ノスダルジックな気分にさよならしようとする決意に満ちた歌詞がいいですな。
なんでこの人たちもっと売れないんだろう。
確実にピロウズを受け入れるマーケットは大きいと思うのに。

子供手当ってどうなのブログ

2008-10-02 12:48:32 | 解釈


はあ・・・なんでこうも親と衝突するんだろう。

全力で論理的な弱音を吐きたいけど、後悔しそうなのでやめとく。





久しぶりに政治ネタいきます。



ニュースで小沢一郎の代表質問の様子が報じられていて、そこで初めて知ったのだけど、民主党の法案で「子供手当」ってものがあるらしい。

http://www.dpj.or.jp/news/?num=12437


俺はこの法案を知ってちょっと考えてから、「これまずくね?」と思った。

そう思ってネットを一通り巡回してみたけど、今のところ俺のような考え方で「この法案まずい」って言ってる文章は見当たらなかった。


だからちょっと書いてみる。






「子供手当」とは、中学校修了までの子どもに一人当たり月額2万6000円支給しますよ、っていう制度だ。


特徴は、

(1)支給に必要な費用は全額国庫負担とすること
(2)出生順位にかかわらず皆同額の手当額とすること
(3)保護者の所得制限を設けていないこと



詳しくは上のリンクを見て頂ければと思う。


まあ子育てしやすい環境を作って少子化の流れに歯止めをかけようっていう目的なんだろう。






もちろんかなり斬新な法案なので、賛成意見と同様、反対意見も一通り揃っている。


例えば、


「正直、毎月2万6000円もらえるくらいで子供産もうとか考えねーよ」


とか、


「結局税金から払うわけっしょ?子供いない私ら、割食ってない?しかも国の赤字、大丈夫なの?」


とか。



これらはもっともな批判で「そうだそうだ!」って言いたいけど、今回はこういう角度からの批判はパス。


違う角度から。





俺の懸念は、「この制度って貧困層を量産しちゃうんじゃね」ってものだ。




どういうことか。




この「子供手当」導入の民主党の思惑は、

今まで金銭的な理由から子供を持てなかった家庭も子供を産むことができるぜ!少子化是正だぜ!

というものだ。




でも、問題なのは手当の支給が「中学校修了まで」ということだ。


俺の母親も言っているが、子育てで一番お金がかかるのは義務教育以降。


だからたぶん「子供手当」を当てにするような家庭の大半は、子供を高等学校に進学させることができない。


そして今の日本の現状では、中卒者の就職状況というのはあまり恵まれておらず、高卒や大卒と比べると、生涯賃金の差は大きく広がる。


とすれば、この法案が通って、民主党の思惑どおりの効果が得られたとしたら、貧乏な家庭からは延々と貧困層が再生産され続けるということになる。




一方、ある程度お金のある家庭にとって2万6000円というのは、大したお金ではない。そりゃあ小遣いレベルでは嬉しいだろうけど。

少なくとも、この手当てができたからといって子供を増やすとは考えにくい。

だから、高校・大学と進んである程度の賃金をもらえる国民の数は増えていかない。






つまり、この手当てはひたすら貧困層を増やすという結果しか生まないのではないだろうか。


本末転倒。



だってさ、そもそも人口減が嫌なわけじゃなくて、人口減によって引き起こされる国力の減退が嫌なわけでしょ?


確かに人口は増えるのかもしれない。(これすら微妙だよね)


でも貧困層ばっかり再生産するようじゃ、「国力を減退させてまで人口減を止めたい!」みたいな法案だよねえ。これは。






そんなことまでして無理に人口減を是正しなくていいんじゃないか。




むしろ、人口減でも成り立つような社会の構造を模索した方がいい。

そういう議論がほとんど出てこない。


いや、そんなことじゃなくても、規模を縮小しようっていう発想がない省庁を見直す方がよっぽど効果的なはずだと思うぜ。





さーて、そろそろ大学に行こう。


Pizzicato Five / 東京は夜の七時 (the night is still young)

これは上京前の人が聴いたらすごく楽しい気分になると思う。
東京への幻想が詰まった曲じゃないだろうか。

美男・美女

2008-09-15 02:23:26 | 解釈


いわゆる美男美女と呼ばれる整った顔立ちをした人々がいる。

こういう人たちの顔っていうのは「平均顔」だというのを聞いたことがある。

平均顔というのはつまり、みんなの顔を平均した顔のことだ。



で、これをもとに、自分の美人度を測るバロメーターを考えた。

かなり感覚的な基準ではあるが、ゆるーくなら参考になるかもしれない。


それは、

①これまでの人生で自分に「似ている」と言われた人が何人いるか。


②そして、その「似ている」と言われる人々の顔の特徴に偏りは無いか。



①は、多いほど美人の可能性が高い。

平均顔ということは、それだけ似ている人の数も多いはずだからだ。


②は、偏りがないほど美人の可能性が高い。

②の基準を設けたのは、例えば「さんまとマチャミに似てね?」と言われたとしたら、要はそれは「出っ歯」という限られた特徴を捉えた指摘に過ぎないからだ。

美人は限られた特徴ではなく、みんなの様々な顔の特徴を持ち合わせているはずなのだ。



例えば、くわばたりえは黒木瞳と堂本光一に似ていると思う。

それは特定のパーツだけでなく、全体的に。

そして実際、くわばたりえは間違いなく美人である。(キャラづけとしてはブスだが、偏見を排除してよく見てほしい)


同様に、黒木瞳はくわばたりえと堂本に似ていて、美人だし、堂本もくわばたりえと黒木ににていて、美人だ。

3人は極めて平均顔なので、お互いの顔にお互いの面影を見いだせてしまうのだ。




ただ、世の中には平均顔系美人だけでなく、個性的な美人もいることはお忘れなく。



フリッパーズギター/恋とマシンガン

あるラジオ番組で、変なAV女優が「オザケンさんって消えちゃったじゃないですかー」とか言って、周りがとても焦っていったのが面白かった。
一応ニューヨーク拠点にいろいろやってるみたい。

懇親会。職業観とか。

2008-07-23 01:16:40 | 解釈





いい歳して怒られた。遊び過ぎとかその他諸々で怒られた。


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今日、僕はこのクソ暑い中スーツ来て内定者懇親会に行ってきたわけです。



この時期、僕みたいな文系内定者はオーキド博士垂涎のレアポケモンなので、理系内定者ばっかだった。

ポケモンゲットだぜ!


立食パーティ的なものが終わりに近づき、メアドもゲットだぜ!とか思ってたら、僕が全員の前でシメの挨拶をすることになった。


まあ満更でもないし、ちょっと酔いも回っていたこともあって、マイクロホンを握り「YO、BROTHER。まあこの会社はオイラっち達が変えてっちゃうわけだからみんな仲良くしようぜ~ラブ☆アンド☆ピース^^」的な内容のことを敬語と丁寧語を絶妙にミックスして言った。

なんかものすごいアツくてイタい奴だと思われてしまったかもしれない。

少なくとも俺が逆の立場だったら、イテテテテって思う。


「会社を変えるってなんだよ。3行で説明してみろよ」

「いえ…それは…」

「君、もしかして面接でYARIGAIとか言っちゃった系?」

「あ、はい。言っちゃいました」



あーだめだ。最近ますます皮肉っぽい。

皮肉を言いたい。全世界に向けて皮肉を言いたい。

「偽善エコロジー」とか言っちゃいたい。

なんでかね。


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なんていうかね。

ご飯食べてる時に、同業のI社を辞めてベンチャー立ち上げた人と話してたんですよ。

いや、やっぱりその人の話すごい新鮮だったし、深かった。


僕だって就活(笑)を通じていろんな会社の社員の話聞いて、へーこんな働き方があるんだ、フムフム、なんつってそれっぽい顔しながら納得してきた。

でもそういう話って結局は○○株式会社の新卒採用活動の一環として語られてる言葉だった。

あたりまえのことなんだけどね。

だから、どんなに謙虚で中立的な言葉であろうと(「うちに限らずいろんな会社見て自分にあったとこにしなよ」とか)、それは会社っていうフィルターを通ってしまっている言葉なんだ。

どんな形であれ、「うちは素晴らしい会社ダヨ^^」っていうアピールにつながってたわけだ。

そういうのって痩せた言葉だし、あまり響いてこない。

「あーここでも同じ話してるよー」とか思ったことは数知れず。




でも今日聞いた話っていうのは、すごく豊かな職業観だった。

大企業の説明会でありがちな、「新卒で入った会社で一生勤め上げるのが正しい」というイデオロギーとは一線を画す、豊かな職業観だった。



いや、僕ね。自己分析とかすごく嫌だったんです。(結局自己分析なんて今もよく分からないんですが)

自己分析っていうツールって、自分とぴったりマッチした会社を探しましょう!みたいな今の就職活動の風潮につながってると思うんだけど、これってなんか変。

だってぴったりマッチする会社なんてなくない?

あるのかな。

仮にあったとしても、働いたこともない学生が机上で空論こねくり回したところで、マッチするかしないかなんて分かるわけないじゃん。

いろんな会社の入社案内の先輩社員メッセージみたいな所に、「絶対に自分にあった会社が見つかるはずなのであきらめずに頑張ってください^^」なんて書いてあることが多かったけど、それは希望の会社に運良く入れたあなた様だからこそ言える勝者の弁でしょうが、とか思ってしまう。「ゆとり(笑)」とか思ってしまう。

学生の分際がこんなこと言うのは甚だ失礼だろうけどさ。




そういう偏った一定の職業観ばかりに触れてきた僕にとって、その元I社の人の話はとても貴重だった。

あー就職活動を通じて働くことに対する見方が貧困になっていたなあって感じた。

大企業しか受けなかったしね。

やっぱり、働くことはもっと豊かなはずだなあ。

そう思った。



とてもいい懇親会だった。同期もみんないい感じだしね。

あ、僕自身はこの会社満足してます。ムーブメント起こします。誤解無きように。

本と自己啓発

2008-07-08 02:46:25 | 解釈
「本による自己啓発は不可能である」という仮説を考え付いた。


事実、俺は読書から何かを得ようと思っても、自分が今までうすうす感じていたり考えていたりしたことの確認で終わっていることが多い。

もちろん本には自分が考えてもいなかったこともたくさん書いてあるんだけど、記憶として残るのは、ほとんどが以前から考えていたことだ。

もし新たな考え方を記憶に残せたとしても、自分の経験を由来としていない考え方や教訓をリアル感をもって理解することはなかなか難しい。つまり薄っぺらい。



よく雑誌とかで、経営者とかが「私はこの本から学んだ」的なことを話しているけど、それって本当なのだろうか。

単に自分の考えと合致するところを発見して納得感を得たにすぎないのではないだろうか。



まあ自分の考えを言語化・一般化して整理できるっていうのは十分に読書のメリットで、それは自己啓発につながるんじゃない?と言われればまあそれまでだけど。

だけどなんかもったいないよなあ、と本棚の大量の本を眺めながら思う。

自己啓発目的で本を読むことはほとんどないんだけどね。


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雨の季節はいやな季節?
でも雨の良い曲はたくさんある。

Bonnie Pink / it's gonna rain!


RCサクセション/雨上がりの夜空に

勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし。

2008-06-30 16:19:41 | 解釈


●負けには何かしらの原因はある。勝ちの中には偶然の勝ちもある。 (2ちゃんねる 某板)

●勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし。 (ノムさん)


この類の言葉が真理か真理でないかは問題ではないと思う。

まあ厳密に考えたら真理ではないんだろう。

でも、こういう考え方は自分を成長させるのには不可欠なことだと思う。



嗚呼。今日はレポートを終わらせるんだった。

あと2時間、いや、1時間で終わらせよう。

村上春樹はなぜ売れるのか

2008-06-22 01:30:15 | 解釈
今回のゴールデンのすべらない話、小藪がMVSだった。

やっぱこの人の語りはおもしろい。

前ライブで見た時もそうだけど、彼の表情とかテンポは秀逸。

あまりテレビ向きの人ではないと思うけど、ぜひ頑張ってほしい。

↓以前書いた小藪のお笑いライブの感想↓
http://blog.goo.ne.jp/dassou-net/e/f4c81e26558004cc87f1a12e954f91b5



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最近また村上春樹を読み直して思った事を書く。

珍しく春樹批判みたいなものになるかも。




ご存じかどうかは知らないけど、僕は村上春樹の作品が好きだ。

フリークではないが、ファンではある。

出た作品はだいたい買うし、そのおかげで村上春樹の著作は大体持っている。

僕という人間が村上春樹から受けた影響というものも結構大きいと思ってる。



世の中的にも、今や村上春樹ほど影響力のある作家はいない。

本は出せば売れるし、世界中で読まれている。

売れるだけではなく文学的な評価も高く、たぶん日本でノーベル賞に一番近い人物だろう。




でも僕には村上春樹がなぜここまで売れるのかが分からない。

なぜ出す本出す本ベストセラーになるのか、すごく不思議だ。

だって村上春樹の小説って難しい。

これは本人もよく言ってることだけど、文章自体は簡単だけど、ストーリーはあまりにも難解。

難解な物語が果たして売れますか?



ここでちょっと視点を変える。

たとえば他に日本で「本を出せば売れる」レベルの作家は誰がいるんだろう。


石田衣良
宮部みゆき
重松清


この辺かな。


オーケー。もっといるかもしれないけど、少なくとも彼らは出せば売れる。

いわば日本の小説界の頂点、モンスターみたいな人たちだ。




さて彼らがなぜ売れるのか。

それは、分かりやすくておもしろいからである。

ストーリーが明解で、その面白さが読み手をがっちりと掴んで離さない。

ハラハラドキドキ。

そんな彼らの作品が売れるのは、至極当然のことのように思います。



さて、これって何か変だ。

果たして村上春樹が売れるのは、わかりやすくておもしろいからなんでしょうか。

いや、っていうか村上春樹の作品をわかりやすいと感じる人なんているんでしょうか。




僕の周りにも村上春樹ファンはたくさんいます。

彼らに春樹のどこがいいのかを問うと、ほとんどの人が「あの独特の掴みどころがない雰囲気」的な曖昧な返事がかえってくる。



これってすごくおかしい。

売れる本の条件である「わかりやすいおもしろさ」とは全く逆の理由でウケているのだ。

「雰囲気」や、挙句の果てには「掴みどころのなさ」がウケて売れているのだ。



春樹の作品に、ベストセラーのわかりやすさなんてない。

ということは、春樹がベストセラー作家になり得ているのは、ほかの作家とは全く別の要素が読者に受け入れられているからだと考えられる。



そこまで受け入れられる要素とは一体なんだ。


そのことを考える際、僕は春樹の小説の立ち位置に注目する。

面倒なので結論から書いてしまうが、春樹の小説は「弱者の文学」あるいは「マイノリティの文学」である。

春樹の小説が売れるのは「弱者」の視点で書かれた「弱者の文学」だからではないだろうか。



村上春樹はいわゆる団塊の世代に属している作家で、彼の最初の読者となったのも団塊の世代と呼ばれる人々だ。

この世代というのは学生時代に安保闘争などを通じて権力に抗った人々だ。


春樹の作品中にも学生運動のモチーフが描かれる場面があるが、主人公はそういった学生運動に非常に冷めたまなざしを向ける。

その冷めたまなざしには、「弱者のままでいいのだ」というイデオロギーが存在している。


「弱者のままでいい」「このままでいいんだ」

春樹がここまで受け入れられるのは、この弱者肯定のイデオロギーが支持されているからではないだろうか。


団塊の世代が繰り広げた安保闘争/学生運動はやがて敗北し、強者の論理に組み込まれていった。

そんな彼らが春樹の最初の読者層になったことは偶然ではあるまい。



最初に言ったように、僕は村上春樹が好きだ。

でも、「弱いままでいい」というメッセージを発する村上春樹が一般レベルで広く人々に受け入れられ、何百万部も売れてしまう世の中ってなんか変だなって感じる。

純粋に雰囲気がウケただけで売れたのなら心配無用で大変おっぱっぴーなんですが、そんなわけはないでしょう。

本というのは雰囲気だけで何百万部も売れはしないものだ、jk。



歴史的に見て、「弱者のままでいい」に類するメッセージというのは、いろんな人たちが発してきた。

でもそういったメッセージの受け手というのは、大抵が反抗期真っ盛り、権力大嫌いの一部のティーン・エイジャー達だった。

ここまで国民的な人気を博するようなイデオロギーではなかったはずなんだ。

しかも「権力大嫌いティーン・エイジャー」が求めたのは「代弁」あるいは「弱者であることからの脱出」だったが、春樹の読者が求めているのは単に「弱い自分の追認」あるいは「安堵」である気がしてならない。




何度も言うけど、僕は村上春樹の作品は素晴らしいと思う。

明治の文豪たちに引けを取ってないと思う。

でもそれはあくまで作品に対する評価である。



はっきり言おう。

僕は、村上春樹が売れることは世の中にとってあまり良いことではないと思う。

やっぱり人間は強くならなきゃいけないし、俺はそっちのイデオロギーの方が共感できる。



Bob Dylan - Blowin' in the wind

『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の最後の章で、カーラジオのボブ・ディランはこの「風に吹かれて」を唄う。
この曲聞くと俺はだめだ。いろんな思い出が蘇ってきて参る。
『世界の終り』を黙々と読んでた中3の春休みとか、この曲を繰り返し聞いてた旅行の思い出とか。

人生の孤独感

2008-06-11 21:09:26 | 解釈




人生って陽気さと陰鬱さの繰り返しだな。

これは誰でもそうだろうと思う。


自分が切ない気分の時は「こんな気分なのは俺だけだ」って思いがち。

「あいつは気楽でいいなあ」とか思ったりして。


でもそれは傲慢な考え方で、人は誰だって辛くて切ないときがある。

そういう気分になる頻度は人によってまちまちなのかもしれないけれど、みんなそういう時がある。

切なかったり自信なくなったり卑屈になったり自分の存在意義を見失ったり。


例えば今まで遊んでいて外から帰ってきてふと落ち着くと、世界が俺一人になってしまったような気分になることがたまに無い?

結局俺一人いなくても世界なんて変わらないんだなって。

たぶんそう感じることがある人は少なくないと思う。

なぜなら都会では周りのみんなが常に何らかの目的をもって行動していて、そんな中で一人立ち止まると、あっという間に取り残されてしまうような気になってしまうから。


でも、周りの輝いて見える人たちも、それなりの悩みだったりや暗い部分を抱えて生きている。

誰もがふとした瞬間にそういうものに苛まれる。

もしかしたら笑顔の裏に苦悩を隠しているかもしれない。

少なくとも、暗いものを抱えているのは「俺だけ」じゃない。


「誰も分かってくれない」と嘆く奴がいるとすれば、それは他人に対して何ら想像力を働かせていない証拠だ。

誰もわかってくれない?それがどうした。


誰もが葛藤していることを忘れないこと。

今の世の中に何かが足りないとすれば、それは想像力なんじゃないだろうか。

ポジティブ思考

2008-06-08 02:09:35 | 解釈



俺はポジティブな人に憧れるし、そんな風になりたい。

俺自身はまあまあポジティブな方だと思ってるけど、それでもたまに弱音を吐きたくなるし、半端ない逆境にあっても生き生きと活動してらっしゃる人に出会うと、嗚呼まだまだ敵わないなと思う。



ポジティブ思考っていうのは、数ある考え方の中から積極的に獲得される性質だと思われがち。

でも実は、ポジティブ思考というのは、ポジティブであることを選択せざるを得ないというギリギリの地点で獲得される性質なんじゃないだろうか。


つまり、ポジティブ思考を一番根っこの部分で支えているのは、希望や屈託の無さではなくて覚悟や責任なのではないだろうか。

逆にいえば、覚悟や責任の伴わないポジティブ思考は、単なる勘違いであったり、何も考えていないだけのことが多い気がする。



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田中麗奈ってかわいくなったよなー。

今更かもしれないけど、俺は最近気づいた。


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嗚呼、何ていうか、今日はすまんかった。


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ドラえもんの映画の主題歌だけを集めたアルバムがリリースされたら間違いなく買う。
良い曲だらけでほんと驚く。


白鳥英美子/夢のゆくえ


島崎和歌子/何かいい事きっとある

一年の長短

2008-06-04 01:28:20 | 解釈



人って幼いころに「一年は長い」っていう先入観を得ているんだと思う。

だから必要以上に「短い」って嘆く。


僕らには「一年は短い」っていう新しい前提が必要。まじで。

募金の不快さを払拭するには

2008-05-23 00:24:01 | 解釈
俺はこれまでの人生で、募金というものをあまりしてこなかった。

でもやっぱりミャンマー人達がずらーっと並んで横断幕持って叫んでる傍を、無視して通過するのは心が痛むよ。さすがに。

痛むけど、僕はお金をあげない。


別に募金しないってことに強い信念を持っているわけじゃない。

ただ何となく募金っていう行為が不快なんだよな。何となく。



何となく?

これは何という思考停止フレーズ。


僕はこの際、この「何となく」って部分をはっきりさせようと思う。

理由もなく人は物事を不快に思ったりしないはずなのだから。






募金が不快な原因。

それはつまり、自分が投じたお金が結局どこに使われるのかが明らかでないことなのではないだろうか。



これがたとえば、「Aちゃんの難病の手術のためにお金が要るんです」という場合の募金ならば、自分の投じたお金が誰の手に渡り、どのように使われていくのかがはっきりしている。

募金する人はAちゃんが渡米して高度な医療を受けるためのお金をカンパしたのだ。

分かりやすい。



一方、今回の四川地震やミャンマーのサイクロン関連の募金だとそうはいかない。

自分のお金が何に使われるのかが全くイメージできないのだ。



それだけでなく、街頭で募金活動している団体の素性すらよくわからないことが多い。


地震やサイクロン被害にたいする「支援活動」のための募金と言うだけでは、自分が何のためにお金を払ったのかいまいちわからない。

いわば、被災者への同情を金銭で漠然と表現したに過ぎない。

そのため、お金を提供した人には何となく「貢献っぽいこと」をした気分だけが残り、その「貢献っぽいこと」がどういった意味を持つのかについては想像力が及ばない。

お金を提供した時点から、事実上、思考停止に陥ってしまうのだ。




勘違いしてほしくないのは、僕は募金活動自体を批判してるわけじゃないってこと。

むしろそういう活動をしている人達は素晴らしいことをしていると思う(嗚呼。これは我ながら思考停止した表現だなあ・・・)。


慈善活動がしばしばニヒリストに非難される原因は、活動している人たちの目的が「活動」そのものになってしまって、本質を見ていない(ように見える)ことにあると思う。

災害に関する募金活動が何となく不快に感じるのは、こういった本質の欠如にあんじゃない?


だから僕が支援団体の募金活動に対して言いたいのは、そのお金がどういったルートでどういった人々に対してどういった支援を行うために使われるのかということを、分かる範囲で最大限明らかにしたほうがいいんじゃない、ということだ。


よく考えてみればこれは当然のことだ。

何に使われるのか分からないお金を払うというのは不自然な行動。





しかもこのご時勢。

募金詐欺とかできそうじゃね?と思う。

四川とかミャンマークラスだと、お札を入れる人の数も多いと思うんだ。

ちょっとした小遣いなら稼げそうだよ。


こういう側面から見ても、募金活動をする団体は自らの素性とお金の行方といった基本的過ぎる情報を明らかにするべきだと思う。




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アダム・グリーンは今や僕が3番目か4番目に好きな音楽家(音楽家?!)。
ただし最近の彼ではなくて、モルディー・ピーチズというバンドでの彼とソロのファーストアルバムの彼。
彼は「アンチ・フォーク」っていうシーンに位置してるらしくて、以前好きだって書いたレジーナ・スペクターもアンチ・フォークの人らしい。
俺はアンチ・フォークが好きみたい。

アンチ・フォークっていうのは「反フォークソング」っていうことではない。
じゃあ何に対するアンチなのかというと、「世の中がフォークに抱いているイメージ」に対するアンチテーゼなんだって。
なるほどですね。

それならば、たぶん僕の大好きなピート・ドハーティも、アンチ・フォークな人物だろうと感じる。(厳密には違うんだろうけど、共通してる部分はたくさんあると思うよ)

だからって僕は「アンチ・フォーク万歳!」ってことではなくて、結果的に僕の好きな曲はアンチ・フォークというシーンのものに多いようだってことだな。



っていうか、音楽のジャンル分けについての議論は経験的に不毛なものに終わるってことは知ってるぜ!不毛すぎる。オルタナとか知るか。ラップとヒップホップの違いとか知るか。

The Moldy Peaches / Lucky Number Nine


Adam Green / Dance with me

競泳選手は水着を着るべきか

2008-05-14 23:15:32 | 解釈


まあ、なんだ、物事には旬っていうものがあってだね。

ちょっと油断してると旬の時期というのは過ぎる。

旬でないものは、即ち粋でないっていうことなんだ。


ってことで今日書くのは粋な文章じゃない。




何の話題かと言うと、オリンピックの競泳の話。

水着問題。

そう。スピード製の水着は速いんだぜぃ!って話。




サラっといくよ。






どうやらスピードの水着は今までの水着を着て泳いだ時よりも2秒くらい速いらしい。

2秒?ごめん、数字は覚えてない。

でもとにかく、スピードの水着だと圧倒的に有利で、最近の大会だとそれ着てる選手が好タイムバンバン叩き出してるってね。



まあ日本もスピードの水着にすりゃいいんだ。

たぶんそうするんだろうけど、万が一劣った水着を着用せざるを得ないっていう状況になったら、俺は日本のオリンピック協会とか水泳連盟とか解体されてしまえ!って思うね。


だって、選手が勝てる状態を作ることよりも、企業が利益を生み出せる状態を維持することを重視するってことでしょ?


日本のメーカーは日本水泳を黎明期から支えてきただって?

ならばもう支えきれなくなったってことだ。それだけ。


スポーツは実力の世界。だからこそ美しい。

メーカーとのコネとかいう醜いものをチラつかせないでよね。







と、まあ日本は一番いい水着を選んで実力を存分に発揮すればいいと思う。

いいと思うんだけど、ここで矛盾。






スポーツは実力の世界。


実力で勝負すべきなのに、水着でタイムが2秒変わる。


2秒ってこれ、すごいタイムだよ。

水着で縮めたタイムで勝負に勝つ。

・・・?


これって猛烈に間違ってない?


もはや選手同士の戦いではなくなってる。


むしろメーカー同士の戦いになってない?


どちらが優れた素材を開発できるかっていう。



技術っていうのはさー、果てしないよ。

これからも水の抵抗いじっただけで圧倒的に速く泳げる水着が開発されると思うよ。

サッカーでスパイクを軽くするとか、そういうのとは次元が違う。

実力で埋めることの出来ないほどの優位を水着によって得られてしまうというのは、フェアプレイ精神に則ればそれは「反則」なのではないか?

僕には薬物使用との違いがよく分からない。




選手は全員全裸でいい。

実力で勝負しなさい。

それが嫌なら全員同じ素材の水着で。これは果たして極論か?

後期高齢者医療制度とか

2008-04-15 22:39:25 | 解釈
「人の生命というのは君が考えているよりずっと脆いものなんだ。だから人は悔いの残らないように人と接するべきなんだ。公平に、できることなら誠実に。そういう努力をしないで、人が死んで簡単に泣いて後悔したりするような人間を僕は好まない。個人的に。」 (村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」)


The ピーズ/実験4号





後期高齢者医療制度とかマスコミが叩き始めたけどさ。

おかしくない?

何でこういう問題を、「今日から施行」的な時期にやっと叩き始めるわけ?



なんでマスコミって物事が固まり切る前にもっと問題にしないわけ?




「新銀行東京」の問題だってそう。

確かに都知事選の時期に超ちっちゃい記事が新聞に載ってはいた。


へー、石原って銀行作ったんだー。でもやばくなって税金で賄ってんだー。

え、これって結構ひどくない?



でも新聞はそれを申し訳程度に伝えるだけだった。

それでこのことはあまり問題にはならずに知事選が終わった。




結果、石原再選。




都民のほとんどは、おそらく「新銀行東京」のことを知らずに彼に投票したはずだ。

もし知っていたら、こうした投票結果になっていただろうか。

この「新銀行東京」の問題は、間違いなく都民の意思決定の重要な材料だったはずだ。



なぜマスコミは知事選の時期にこの重要な事実を積極的に伝えなかったのだろうか。

なぜ石原が再選されて大分経ったこの時期になるまで問題にしなかったのだろうか。

皮肉とかじゃなく本当に不思議だ。




この後期高齢者医療制度も、結構前から施行が決まっていたはずなのに。

なんでどうしょうもない今の時期になってやっと騒ぐんだろう。


マスコミだけじゃなくて、この医療制度批判してる大体の議員もおかしいよね。

高齢者から苦情がきてやっと問題にするんだもん。


時間を超無駄にしてるじゃん。

また議論やり直しでしょ?

非効率すぎる。

うわー。



政治に関する情報が多すぎて少なすぎるんだよな、我々にとって。

誰か審議中の法案だとかを表にまとめてくれないだろうか。