今日は有楽町に用があった。
で、そのついでに前の記事でも取り上げた日本橋に一人で行って来た。
一人はちょっと寂しかった。
何やってんだろって感じがしなかったと言えば嘘になる。
まあいいや。
まずは写真を。





日本橋を生で見たのがずいぶんと久しぶりで、なんか自分のイメージしていたのと違った。
僕は、日本橋上空がもっと窮屈な感じをイメージしていた。
でも実際訪れてみると、開放感があるとまでは言わないけれど、少なくとも暗い印象は受けなかった。
むしろ、日本橋って調和してるじゃんとも思った。
景観を破壊しているなんて感じはしない。
今回日本橋を見て真っ先に思った事は2つだ。
まずは、汚い、くさい。
汚いのは予想していたけれど、ここまでヘドロのにおいが立ち込めているとは思わなかった。
実際にヘドロの大きな塊があちこちに浮いてたし。
首都高移設のプロジェクトの中に川の浄化っていうのも含まれてるみたいだけど、ここまで汚いのは、川に対する認識がどういうものであるかというのを示唆してる。
でこれは僕が感じたもう一つのこととつながってくる。
もうひとつは、景観をどうこうしようって言うなら、首都高をどかす前にいじるべきものがあるだろうってこと。
景観の最大のマイナス要素となっているのは首都高ではなく、川岸に接しているビル群ではないだろうか。
これについてはあまりいい写真が撮れなかったのだけれど、ビルが全て川に対して背を向けている。
こうやって川を隅っこの存在にしてしまっていることが、川への無関心へとつながり、さっき言ったような川の汚い状態を生んでいるんだと思う。
これでは川がドブにしか見えない。
景観と川を生まれ変わらせるには川をまちの主役にしなければならない。
川を街並みの中に取り込むために、川岸を整備して、川を軸にしたまちづくりを行うべきではないだろうか。
例えば川沿いに道路を作ったり簡単な公園を作ったり。
もし首都高を移設したとしても、川岸がこの有様ではビル群の醜さが強調されるだけで終わるのではないだろうか。
逆に言えば、川岸に背を向けるビルをどうにかするだけで日本橋周辺の景観はずいぶんと改善されるのではないだろうか。
首都高移設に5000億かける必要はないなっていうのが僕の実感です。
今日の一曲は、ザ・フラテリスの『チェルシー・ダガー』。
the Fratellis / Chelsea Dagger
で、そのついでに前の記事でも取り上げた日本橋に一人で行って来た。
一人はちょっと寂しかった。
何やってんだろって感じがしなかったと言えば嘘になる。
まあいいや。
まずは写真を。





日本橋を生で見たのがずいぶんと久しぶりで、なんか自分のイメージしていたのと違った。
僕は、日本橋上空がもっと窮屈な感じをイメージしていた。
でも実際訪れてみると、開放感があるとまでは言わないけれど、少なくとも暗い印象は受けなかった。
むしろ、日本橋って調和してるじゃんとも思った。
景観を破壊しているなんて感じはしない。
今回日本橋を見て真っ先に思った事は2つだ。
まずは、汚い、くさい。
汚いのは予想していたけれど、ここまでヘドロのにおいが立ち込めているとは思わなかった。
実際にヘドロの大きな塊があちこちに浮いてたし。
首都高移設のプロジェクトの中に川の浄化っていうのも含まれてるみたいだけど、ここまで汚いのは、川に対する認識がどういうものであるかというのを示唆してる。
でこれは僕が感じたもう一つのこととつながってくる。
もうひとつは、景観をどうこうしようって言うなら、首都高をどかす前にいじるべきものがあるだろうってこと。
景観の最大のマイナス要素となっているのは首都高ではなく、川岸に接しているビル群ではないだろうか。
これについてはあまりいい写真が撮れなかったのだけれど、ビルが全て川に対して背を向けている。
こうやって川を隅っこの存在にしてしまっていることが、川への無関心へとつながり、さっき言ったような川の汚い状態を生んでいるんだと思う。
これでは川がドブにしか見えない。
景観と川を生まれ変わらせるには川をまちの主役にしなければならない。
川を街並みの中に取り込むために、川岸を整備して、川を軸にしたまちづくりを行うべきではないだろうか。
例えば川沿いに道路を作ったり簡単な公園を作ったり。
もし首都高を移設したとしても、川岸がこの有様ではビル群の醜さが強調されるだけで終わるのではないだろうか。
逆に言えば、川岸に背を向けるビルをどうにかするだけで日本橋周辺の景観はずいぶんと改善されるのではないだろうか。
首都高移設に5000億かける必要はないなっていうのが僕の実感です。
今日の一曲は、ザ・フラテリスの『チェルシー・ダガー』。
the Fratellis / Chelsea Dagger