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Mr.マトリョーシカの脱走

マトリョーシカ(Матрёшка)式世界からの大脱走。脱兎のごとく。

あさ美どんの作法

2008-09-19 01:52:58 | 芸能
あさみどん(臼田あさ美ちゃんです^^)のブログトップ画面が変わった。

なんと激カワな。


そういえば。



今年の秋はチェックが流行るらしい。

テレビでやってましたー




ってあさみどんがブログで書いてた。


既にチェックのトランクスを持っている俺は目立たないところにさりげなく流行を取り入れる小粋なジュノンボーイなわけですけど、それはともかく、このたった2行の文章にあさみどんの魅力が詰まっていると思う。


だって、おかしくないですか?

エビ系ファッション誌のモデルなのに「テレビでやってましたー」ってあんた。

2次情報とか無邪気すぎるでしょ。


しかも紹介する私服が全部ゆるい系のブランドじゃないすか。



あれ、よくわかんないけど全然エビさんと違くね?



嗚呼。


なんなんだこの好感度は。


俺は考える。

なんなんだこの好感度は。



すると結論が出る。

この子は女の子たちが「目指すべきモデル」ではないってところが良いのだ。

おそらくあさみどんの立ち位置は「参考にすべきモデル」なんだとおもう。



どういうことか。



例えばエビさんたちは「目指すべきモデル」で、要はシャレオツ・ヒエラルキーの頂点にいる人たち。

だから業界人のにおいがする。(批判しているわけではなく、エビさんたちはそういった役割を担っているということ)



一方あさみどんはあくまで読者と同じ感覚でおしゃれを楽しんでる印象を受ける。

読者はあさみどんのファッションを参考にするし、逆にあさみどんも読者のファッションを参考にしそうな空気がある。



要は手の届きそうな身近に感じられる存在であることが高好感度の理由だろうというひどくつまらない結論に落ち着いた。


ではなぜ身近に感じられる存在の方が好感度を抱きやすいのかというと、それはよくわからない。

たぶん、無意識に抱いている高根の花への妬みとかの感情に原因があると思う。

けど違うような気もする。

要はよくわからない。



椎名林檎 - 積木遊び ライブ「座禅エクスタシー」より

買えないっつーの。

美男・美女

2008-09-15 02:23:26 | 解釈


いわゆる美男美女と呼ばれる整った顔立ちをした人々がいる。

こういう人たちの顔っていうのは「平均顔」だというのを聞いたことがある。

平均顔というのはつまり、みんなの顔を平均した顔のことだ。



で、これをもとに、自分の美人度を測るバロメーターを考えた。

かなり感覚的な基準ではあるが、ゆるーくなら参考になるかもしれない。


それは、

①これまでの人生で自分に「似ている」と言われた人が何人いるか。


②そして、その「似ている」と言われる人々の顔の特徴に偏りは無いか。



①は、多いほど美人の可能性が高い。

平均顔ということは、それだけ似ている人の数も多いはずだからだ。


②は、偏りがないほど美人の可能性が高い。

②の基準を設けたのは、例えば「さんまとマチャミに似てね?」と言われたとしたら、要はそれは「出っ歯」という限られた特徴を捉えた指摘に過ぎないからだ。

美人は限られた特徴ではなく、みんなの様々な顔の特徴を持ち合わせているはずなのだ。



例えば、くわばたりえは黒木瞳と堂本光一に似ていると思う。

それは特定のパーツだけでなく、全体的に。

そして実際、くわばたりえは間違いなく美人である。(キャラづけとしてはブスだが、偏見を排除してよく見てほしい)


同様に、黒木瞳はくわばたりえと堂本に似ていて、美人だし、堂本もくわばたりえと黒木ににていて、美人だ。

3人は極めて平均顔なので、お互いの顔にお互いの面影を見いだせてしまうのだ。




ただ、世の中には平均顔系美人だけでなく、個性的な美人もいることはお忘れなく。



フリッパーズギター/恋とマシンガン

あるラジオ番組で、変なAV女優が「オザケンさんって消えちゃったじゃないですかー」とか言って、周りがとても焦っていったのが面白かった。
一応ニューヨーク拠点にいろいろやってるみたい。

今、ここ

2008-09-14 02:32:54 | Weblog



最近気にかかること。

自分の中における「今」と「ここ」に対するシェアの低下。


それは、未来や過去に対する気持ちのシェアが高くなってることに起因してる。



最近、自分でも嫌になるくらい過去のことを思い返す。

大学のことはもちろん、小学校、幼稚園に至るまでさまざまなフェーズを思い出し、楽しいような悲しいような奇妙な気分(つまり懐かしい気分)に浸る。


過去を思い出すためには写真を見たりもするけど、俺がよく使う超イマドキの方法はユーチューブだ。

ユーチューブでラルクだのクロノ・トリガーだのマイ・リトル・ラバーだのスピードだのスーパーカーだのレディオヘッドだの嵐だのを聴く。

久しぶりに聴くと、自分から失われていた感覚とか思いを取り戻すことができる。

このとき俺はこんなことを考えていたんだなっていうのを音楽が思い起こさせてくれる。

結構鮮やかに。


こうやって過去に浸るのは心地良い。




その一方で、未来のこともよく考える。


卒業までに何をするかという計画を考えるのは楽しいし、その計画を実現するためにアルバイトを頑張っている。

そして卒業後の仕事もワクワクする。





別に現在に不満があるわけではない。(でも常にアイ・キャン・ゲット・ノー・サティスファクションの心意気は忘れずにいたい)

ある程度の充実感もある。



でも、こういうある意味浮足立った状態にはちょっと違和感を感じる。

「今」の「ここ」を楽しみたいっていう気持ちが強いのは確か。




「今」の「ここ」を楽しむっていう姿勢は、もしかしたら最近の世の中全体に欠けているものかもしれない。

だとしたらその原因はインターネットか。


(実はこれに続く文章があったのだが誤って消去してしまった。尻切れトンボで申し訳ないが、単なる思いつきの文章だったので再び書くのは面倒くさい。堪忍)


Bright Eyes - First Day of My Life

良い曲だし、なによりまずタイトルが素敵。