少林山七草大祭だるま市 その1

2023-03-18 21:12:40 | 紀行

Uさん、こんばんわ。

 

行きました。

 

え、今頃?

ではありません。

 

記事にするのが遅れたのです。

ちょっと分量が多いもので、疲れてしまい、少しづつ書き進めてきたためです。

 

投稿が別の記事と時系列的に相前後します。

また、トピック全体も小間切れにして投稿します。

 

どうぞお許しください。

 

*  *  *

 

年の初め、高崎だるま市が思ったほどではなかった、といったようなことを記事にしました。

そのせいか、もう一つのだるま市の方がどうにも気になり出し始めまして、急遽思い立ち出発することを決めました。

 

こちらのだるま市の開催日は、1月6・7日です。

6日が前夜祭、7日が本祭で、夜通し祭りが行われる由。

 

インターネット上の記事などを読みますと、6日の午後から夕刻に掛けてが比較的空いているらしいことが分かりました。

また、祭りの最中は周囲に交通規制が敷かれますが、7日の朝方はこれが解除されます。

 

ということは、6日の午後か7日の朝早くが人も混んでおらず、行くならこの時間帯です。

考えた末、6日の午後(夕刻)に訪れることを決めました。

 

車で自宅から2時間半ほどです。

 

開催地である少林山達磨寺は、高崎市内から少し西の方へ行ったところにあります。

駅からは道路が空いていれば15~20分程度でしょうか。

 

国道を西へと進み、碓氷川と併走するようになったら、少しして脇の道に入ります。道なりにぐいと左手の方に曲がりますと橋です。

この橋、鼻高橋を渡って、突き当った道を左手方向が達磨寺です。

橋を渡ったところ。左手が橋、奥が寺方面です。

 

けれど、寺周辺には既に交通規制が掛かっていて、左側には行けても、寺近くの駐車場には入れません。

そこで、ここでは右手に曲がって臨時駐車場に向かうことになります。

 

誘導員さんがあちこちに沢山いますから、行くべき方向がわからなければ、彼らに声を掛けましょう。

自分もそのうちの一人に車はどこに止めるのだと質問をして、臨時駐車場のことを知りました。

 

臨時駐車場自体は、この橋のたもとにあり、つまりすぐ目の前なのです。

※無料駐車場は、橋のすぐたもと、左側にあります

しかし、駐車場に至る道に入るには、かなり先の方に進む必要があるのです。

道路(少林山通りというらしい)の所々に、駐車場入り口の表示看板がありますから、これを目安にして進みます。

右に曲がれの看板で、信号を右折します。誘導員がいますから心配はいりません。

 

ここまで結構距離があります。橋から500mぐらいは進んだ気がしますね。

そして仕方がありませんが、住宅地の中、来た方向へ戻っていきます。

 

臨時駐車場は、児童公園でした。

なお、この駐車場は無料です。

ここ以外にも駐車場があるようですけれど、誘導に従いこの無料臨時駐車場を利用しましたから、他の場所のことは良くわかりません。

 

公共交通機関を使う場合は、一番近い駅が信越本線の群馬八幡です。

ここから橋を渡って歩いてくる方が結構いました。駅から距離にして1Km徒歩15分ぐらいでしょうか。

シャトルバスのような小型のバスも運行されています。

※駅方面は橋の向こう側です。

駐車場で車を降りて、寺までは歩いて7・8分というところです。

寺は、碓氷川南側の小高い丘陵地の中腹にへばりつくように存在しています。

 

ですから経路は途中から少し登りになります。

 

入り口は二つあります。

一つは、西の方から坂を上って左から寺務所の脇に至るもの。

もう一つは、少林山通りを少し先に進んで山門に至り、参道の石階段を登るというものです。

 

階段の数がかなりありますし、少し急な登りですから、足腰の悪い方は西側から境内に入ると良いでしょう。

自分は何もわからずじまいで現地に乗り込み、人の流れに付いていったまま、西側から寺域に入りました。

本当はですね。

知っていれば、山門からきちんと入って、苦労してでも石段を登り、鐘の下をくぐって本堂へ至りたかったですね。

 

そうでないと、なんだか中途半端な感じがして気分があまり良くありません。

遠方からせっかく来たんですからね。

 

といいつつ、この寺の事は知らぬ存ぜぬでしたから、今回見落としたところも沢山あります。

ここには何をしに行ったんでしょう。

 

そうです、だるま市の雰囲気を味わいに、です。

だから、まぁあまり厳密にやらなくてもいいですね。

 

今回はここまです。

 

ではこれで失礼します。

ごきげんよう、さようなら。

 


中判デジタルカメラの良いところ~追記

2023-03-18 08:36:05 | 写真撮影/撮影機材

Uさん、おはようございます。

 

昨日の投稿の冒頭、ファインダーを通したものと肉眼での両眼視について書き込みしましたが、この部分について少し捕捉します。

 

ごく普通のSLR(一眼レフ)の形状をしたカメラでは中央部にペンタ部があり、その下に覗き見窓(ファインダー)があります。

カメラの構造上、その位置は、たいてい筐体の中心からやや左にずれていますけれど、どちらかと言うと中央寄りです。

 

これでも右目でファインダー、左目で肉眼はやれなくはありませんが、ちょっとやりずらいところがあります。

右目側の視野にカメラの肩などが入ってきて、少々うっとうしいです。

 

自分の場合、所謂、レンジファインダー形状のカメラを使用することも多く、このタイプはカメラの左隅にファインダーが備わることが多いものです。

ですから、右目内の視界内は整理されていて、このあたりは余り気になりません。

 

そこで、カメラにズームレンズを付け、左目肉眼、右目ファンダー通しをしばしばやりながら、心地好いズームポイントを探すということになります。

 

ファインダーを左目で覗く方は、ファインダーが左隅にあってもこういった所作には及ばないでしょう。

右目視野はカメラのボディで遮られ、それ以外は何も見えませんから。

 

ファインダーを右目で見ても、左目は閉じてしまっている場合もですね、勿論、この両眼視は出来ません。

 

自分も普段の撮影ではほぼ左目は開けません。閉じています。

使うカメラがEOS-1Dmk4のように、通常の一眼レフ形状をした場合は、上に書いたように、両眼視がやりずらいですからやりません。

 

あとは単焦点レンズを付けたときですね。

焦点距離が決まっていますから、立体感を得られる焦点距離を選択しようもありません。

決め打ちですね。別に考えることはありません。

 

ということで、いつも器材・肉眼の両眼(視)確認を致してはおりません。撮影の度、毎回はやらないのです。

構図が決まらないとき、切り取る範囲を今一つ決めかねる時に、この所為が出てくるのです。

 

 

結局はですね、たまたま、ズームレンズを付けたレンジファインダータイプのカメラを抱えて、右目でファインダーを、左目を開けて、視野確認、適当なズームポイントを探していたら、このような面白い結果を得られた、という個人的な経験が全てです。

 

ここから、自分なりのカメラの焦点距離と肉眼視の共通性の考察が出発しています。

 

単なる個人的な発見が起点ですから、他の方との意識の共通性はないかもしれません。

そういうこともあるのだ、と頭の片隅にでもお知り置きくだされば、と思っています。

 

今回の書き込みは、単なる補足で終わってしまいました。

中判カメラの良いところは次の投稿でまた続けます。

 

ではいったんこれで失礼します。


中判デジタルカメラの良いところ

2023-03-18 00:15:29 | 写真撮影/撮影機材

Uさん、こんばんは。

 

ズームレンズが付いたカメラのファイダーを右目で覗き、左側の目で被写体(風景でも良いです)を見たことはありますか。

 

レンズの焦点距離を標準域(広角域)から、ズームしていくと、あるところでそれぞれの目で見た対象物が同じ大きさになります。

35㎜判の数値でいうと、70㎜から80㎜の間ぐらいに当たるはずです。

 

その状態で、対象物をじっくり見てみますと、対象物が浮き上がって見えるというか、かなり立体的に見えると思います。

なぜかというと、両眼の焦点距離がズレなくなり(一致して)、立体視出来るようになるからです。

それと、焦点距離からくる圧縮効果ですね。これで注視する対象物とそれ以外の背景がある程度整理されます。

 

そしてこの行為は、肉眼で普通にモノを見るようにしているのと同じです。

人の目は両眼で立体的にモノを見て、測距しているのですね。

 

我々は、普段このようにしてモノを見ています。

意識は余りしませんが、道理はこうです。

 

カメラは単眼(二眼レフの場合は、レンズ一つは撮影用、もう一つは視認用)ですけれど、焦点距離が人の目に一致するこのような数値のレンズで撮影すると、撮影された写真は誇張の少ないごく自然な描写になるはずです。

 

ポートレート撮影が35㎜判でいうと焦点距離80㎜前後で撮影されるのは、人の目と同じように見える描写の自然さ故だと思っています。

人の目に近いと言われる50㎜の標準域は、画角はそうかもしれませんが、焦点距離としては少し短い印象です。

 

で、70㎜~80㎜と言いますと、35㎜判では中望遠レンズと呼ばれるレンズの焦点距離でして、室内では撮影範囲が狭く感じられ、やや使い勝手が悪い場面も多いことでしょう。

戸外でもどちらかというと、景色を切り取る、といったように使われます。

 

遠景であれば、まぁフレーム一杯にイメージを取り込んでも足りない、といったこともあるでしょうね。

 

とにかく、ここで中判デジタルカメラの出番です。

例えば焦点距離が35㎜判で75㎜のところ、中判デジタルでは0.8倍の60㎜相当の画角になります。

 

これでも少し長めですが、手持ちの55㎜レンズなどでは、44㎜ぐらいの画角になります。

まぁやや短めの標準レンズといったところでしょうか。

 

中判デジタルの旨味の一つは、35㎜判に中望遠を付けたときよりは、より焦点距離は長いが、映る範囲はより広いという特性です。

数値上の差はわずかかもしれませんが、実際の撮影時では結構な違いが出たりします。

 

実際のところ、使い勝手を考えると、セミ版のセミ版みたいな中判デジタルの主流のセンサーサイズ(44㎜×33㎜)では、ちょっと寸足らずです。

本当はもう少し大きさが欲しいのだけれど、フル規格の645はフェーズワンの異常に高額な(確か500万円⁈)プロフェッショナルモデルしかありません。

 

もっと本音を言えば、6×7とか6×9のフル規格のセンサーサイズのデジタルカメラが適価で販売されれば、カメラ・オーディオの全てを売り払って手に入れるのですが、幸いなことに?このようなカメラは民生用では恐らく今後も絶無なままでしょう。

 

だから、現実的な選択肢としては、セミセミ判のこのデジタル645センサーしかありませんが、これでもまぁ十分ですし、35㎜判に中望遠を付けたときよりも、使い勝手は何かと上がります。

 

見た感じの自然さ、違和感の無さ・見た目の優しさを追いかけて、デジタル中判を買い求めました。

出てくる絵も違いますが、器材の大きさそのものも相まって、35㎜判やAPS-C,マイクロフォーサーズ機とは異なる撮影感覚となります。

 

持っているPENTAX 645Dは、もはやクラシックモデルとも言ってよいほどの古めかしいデジタルカメラです。

動作はとっても緩慢で媒体に記録する時間も異様に掛かりますから、連射は望むべくもありません。

 

必然的に単射となります。

自分は元々そういう撮影スタイルですから、これについては問題はありません。

 

重くてキレのある独特のシャッターフィーリングがあります。

1シャッター、1シャッターがなんだかやけに貴重なものに感じられます。

 

出てくるのは、目に優しくて自然で立体感のある自分好みの絵。

成功すれば、の話ですけれどね。

 

中判デジタルには 他の良いところもあります。

 

近いうちに、そのことも投稿したいと思います。

 

ではこれで失礼します。

ごきげんよう、さようなら。