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Canon EOS-1D Mark4を手放しました

2023-10-06 00:23:07 | 写真撮影/撮影機材

Uさん、こんばんは。

 

随分悩みましたが、こういうことになりました。

複数のカメラの競合状態を解消し、残る機器の稼働率を上げるための所為です。

尤も理由はそれだけではないのですけれど。

 

あらゆる意味で旧式のカメラではありました。

けれど自分の撮影スタイル(シングルショットのスナップ撮影+比較的明るい単焦点レンズとの組み合わせ)においては、特に不満は無いのです。

大判印刷もしませんから、1600万画素でも十分です。

 

高速撮影、(当時としては)高度なAF機能、多くのカスタマイズ機能、確実な操作・動作の保持実現、高耐久性、防塵性等、プロ機としての撮影機能、その性能は、殆ど発揮させてあげることもなかったと思います。

 

けれど、自分の求めていたものは、それらの高機能・高性能を実現すべく高度に統合されたプロ機としてのツールから得られる官能性能でした。

フォールディングフィール、シャッターフィール、ボタンやダイヤルの操作感、それらの配置からくるスムースで確実なオペレーション、有機的で美しいデザイン、モノとして作りの良さを求めて、EOS-1Dmk4を入手し、予想に違わぬ性能に大変満足していました。

 

組み合わせていたレンズは普及価格帯のものでしたから、とびぬけて素晴らしい映りの写真こそ撮れませんでした。

それでもCanon機らしく、常に外れることのない一定水準以上の画像が得られ、安心して撮影を行うことが出来た機材です。

 

そしてその機材との別れ...。

Canonのデジタル一眼レフカメラは手元から全て無くなりました。

 

EF-M系のミラーレスカメラは持っていませんし、RFシステムへの移行もしません。

Canonのレンズ交換式デジタルカメラとはこれでお別れです。

 

ついでに、CFを記録媒体とするカメラも全て無くなりました。

いつものように想い出の品として、メモリーカードだけが残りました。

 

とは言っても、自分のCanon機が無くなった、というわけではありません。

PowerShotが4台、IXY DIGITALが1台の、計5台のコンパクトデジタルカメラが残っています。

これらは手放さずに、壊れるまで、いや壊れても手元に残すつもりです。

 

また、フィルム式のレンズ交換式カメラ、一眼レフカメラのEOS-1Vは所持したままです。

10年間近く全く稼働させていません。それでもこれも手放さずに持ち続けます。

ただの高価なオブジェと化しています。それで良いです。

 

本当は、EOS-1Dシリーズも、このEOS-1Vのようにバッテリー別体の筐体になることを望んでいました。

が、デジタル化によるバッテリーパワーの強化は必要だったのでしょう。1DXmk3まで一体型のままです。

EOS 5D系は操作性がEOS-1と異なりますから、1系に替わる存在ではありませんでした。

 

久しく求めていたカメラを手に入れた当初は、手にしたカメラが最高級のプロ機ということもあって、妙な自尊心も満たされ、ちょっとした幸せな時間を過ごすことが出来ました。

 

そのカメラも最早手元には在りません。

しかし、プロ機が傍らにあったという想い出を作れただけで、十分満足しています。

 

もっとまともな写真もあったはずなのです。何故か見当たらないため、放出前の最後のワンショットです。

 

 

ではこれで失礼します。

ごきげんよう、さようなら。

 


SONY αNEX-7はもう手元にありません

2023-10-02 22:48:02 | 写真撮影/撮影機材

Uさん、こんばんは。

 

器材整理、写真撮影趣味の見直しの一環で、先ごろ最後の1台を手放しました。

もうSony製のデジタルカメラは一台も手元にありません。

ややジャンク気味のDSC-TX55も、既に売却してしまっているからです。

 

故障の可能性にちゃんと触れてはいたのですが、それでも複数の入札があり、想定以上の価格で引き取られていきました。

今時、10年ほど前のコンパクトデジタルカメラが欲しい人がいるかは疑問でした。

 

形状はカード型、つまりごく薄型で、そういう形状から機能も性能も制約があるわけですから、それなら誰もがスマートフォンの方が良いと思うだろうと考えていたのです。

 

それでも世の中は、広いですね。

捨てる神(手放す貧乏神)あれば、拾う神(落札する善人)もいたということです。

 

さて、話をNEX-7に戻します。

使い古されくたび切った初号機を手に入れ、大いにそのフィーリングが気に入って一時は4台ものNEX-7を持っていました。

予備機の予備機のさらにまた、ストックということです。

ですが、最終的にはその全てが手元から離れてしまいました。

 

一番気に入っていた初号機をアスファルト舗装の地面に落下させてしてしまったのは、痛感の極みでした。

 

盲目(液晶ファインダーが使えなくなった)になっても、その他の機能を維持した初号機を暫くは使っていました。

が、矢張り不便故、やがて予備機へと切りかえ、そののちに心変わりか、完品のストックを手放し、さらにまた予備機の予備機へと切替えて...。

 

一番気に入っていたのは酷使され、傷だらけだった初号機で、落札時はレンズや付属品の状態も良くないものばかりであり、全く”騙された大賞”の受賞ものだったのです。

 

けれど、使い込まれたその個体は、所謂当たりが付いていたのか、操作フィーリングが大変円滑で、かつ優しく小さな音だが、切れの良いシャッターや、出てくる絵が繊細でトーンがなだらかな自分好みであったことから、一遍に自分のお気に入りの機材になりました。

 

不思議なもので、そういった強い愛情に似た感情を以てしても、何らかの理由で一度放出の意識を持ってしまうと、最後にはこういう事態となることをずっと繰り返して来ました。

 

振り返って見れば、手放したことを後悔した機材もたくさんありますが、そう道を行く定めなのでしょう。だからいつまで経っても機材にこだわるばかりで、写真の腕が上達しません。

 

NEX-7を手放した理由はごく小さなもので、各種の機能呼び出し、ダイヤルやボタンの操作性、それから露出の当て方の考え方の違いなどです。

自分の気持ちをカメラに寄せて遣れば、つまりカメラの癖に慣れて、自分が使いやすいように工夫すれば良いことで、手放す理由は在りません。

 

が、もう一つの理由として、所持している他のカメラとの競合があり、その時節、所有カメラを整理して個々のカメラの稼働率を上げたいという気持ちが強かったことから、悩んだ末に、NEX-7は選別することにしました。

 

NEX-7を手放して、今どう思うかというと、特にこれといった感情は無く、手放したことも後悔はありません。

ただ、不具になる前の初号機を使っていた幸せな短い期間は印象に残っています。

そのころは、何処に撮影に行くのでも常にNEX-7帯同で、他のカメラには信用が置けず、必ずバックアップ撮影を初号機で済ませていたものです。

 

改善してほしいところは、もう一つの高感度性能と、サイレントシャッターの装備ぐらいでした。液晶ファインダーはチルトで良かったです。

 

かなり昔の機種ですから、まだ動画機能に力を入れていなかったのでしょう、筐体もかなりスリムです。

 

今の機種みたいに排熱対策ででっぷり太って厚みのある機種の多いSONYからすると、薄型スマート軽量です。

 

かつ、デザイン性に優れ、そうしたソニーのDNAをそっくり引き継いだ、NEX-7は実は隠れた傑作機ではないかと、少し大仰に、かの機材の功績を讃えておきます。

 

れもめぐりゆく機材人生です。

※一番手前が初号機です。

 

長くなりました。

 

ではこれで失礼します。

ごきげんよう、さようなら。


LUMIXのノベルティ

2023-09-18 22:41:48 | 写真撮影/撮影機材

Uさん、こんばんは。

 

所用があって、名古屋に行きました。

名古屋駅のコンコースに、パナソニック製品のプロモーションブースがありました。

LUMIXとありますから、デジタルカメラ、恐らく発売されたばかりのG9iiの宣伝なのでしょう。

 

近寄ってみました。

案の定、そうです。

 

 

初めて目にします。

手に取ってみました。

 

☆肝心のG9iiの写真撮影を忘れています。

 

厚ぼったいです。排熱対策なのでしょう。

やはり動画を重視しているようです。

 

筐体は、G9のそれとは随分異なっています。

S5IIと同じだという書き込みを見つけました。

 

G99系のカクカクしたボディです。

スイッチやレバーの位置や形もそちら系に振られています。

 

G99のボディ形状とダイヤル配置・電源レバーが苦手です。

G99の前期種のG8を持っていましたが、固くて操作しずらい電源レバーのせいで早々に手放しています。

 

G9iiも同じような配置・形状ですから、スイッチを入れる気が薄れました。

どうしてもあの系統のボディが手に馴染まないのです。

 

電源を入れませんでしたから、何のインプレッションも出来ません。

位相差AFには期待していました。

 

残念ですが、仕方がありません。少し悲しい思いがします。

廃番目前のG9に向かうしかありません。

 

たまたまですが、leica8-18㎜を付けたGX7mk2を携えていました。

カバンから取り出し、説明員にチラ見させた後、足早にブースから立ち去ろうしました。

一応ですね、パナソニック使っていますよ、ご苦労様です、シンパですアピール、ということです。

 

急に、説明員に呼び止められました。

何でもパナソニックのデジカメを持っている人にはノベルティグッズを差し上げているとのこと。

面倒なアンケートでもやらされたら却って不都合だと一瞬思いましたけれど、気の利いたその説明員さんはさっとモノを渡してその場を離れてくれました。

※ハンディカレンダーか思いましたが、どうやらメモ帳のようです

 

G9ii用のものではなく、GH6とありますから、一昨年の春ごろのモノでしょうか。

余り物だとは思いますが、こういう配慮は嬉しいものです。

 

パナソニックユーザーを続けてきてよかったと思います。

 

ではこれで失礼します。

ごきげんよう、さようなら。


野鳥撮影ブーム

2023-07-20 09:54:39 | 写真撮影/撮影機材

Uさん、おはようございます。

 

まだ、勤務は出来ませんし、しっかり眠って早起き出来たこともあって、空いた時間に思いついたことを投稿します。

 

以前書いたとおり、写真撮影(正確には写真機材購入)という趣味を見直す一環で器材を整理する一方、最低限必要なものもありますから、器材を増やさずに入れ替える(リプレース)ために、少しだけ情報収集をしていたりもします。

 

もはや最新のカメラには興味はありませんけれど、でも、その動向には多少興味をそそられるところもあって、情報交換サイトなんかを見てます。

と、貼られている写真にやはり野鳥のものが結構目立ちます。

 

野鳥撮影が人気なのですね。

 

1年半ほど前に、同様の投稿をしたことがあります。

デジタルカメラ(ミラーレス)の高性能化と、超望遠ズームレンズが比較的手に入りやすい価格で販売されるようになったためと、書いたような気がします。

 

野鳥撮影には、最低でも焦点距離600㎜が必要です。

売られているレンズも最望遠端が500~600㎜。1.4のエクステンダー(テレコンバーター)を使えば、800㎜になります。一部の猛禽類を狙わなければ十分な焦点距離です。

 

森林性の渡り鳥や猛禽類など、生息地が限られている野鳥を追いかけてるような人の写真投稿がある一方、道すがら、まぁ散歩を兼ねたような感じで、人里・市街地での野鳥を撮影しているような風な日記的写真も見られます。

 

希少性の高い野鳥の撮影は、ライフワークのようにフィルムカメラ時代からずっと撮影を続けている方でしょう。それぞれの鳥の習性を良く知らないと、簡単に撮影出来るものではありません。

 

片や、カメラやレンズを買って嬉しくて、取り敢えず近所の鳥を撮影してみました、といったような挨拶写真も見受けられます。

 

最初はいいですね。感動があって。一時はいいですけれどね。

 

でも、大体の人は、野鳥を撮影するために遠方に出掛けることもないまま、野鳥撮影を止めてしまうでしょう。同じような鳥を撮影していては、そのうち飽きが来ますから。

 

もっとも、望遠ズームレンズの購入目的が子供の運動会の撮影やスポーツ試合撮影など、記録撮影用だったとして、ついでに、レンズを鳥に向けてみましたなら、是非はないですね。

 

で、その野鳥撮影ブームですが、早くも陰りが見られると書かれた投稿を見掛けました。

 

本当かなと思います。

もう少しは持つでしょう

 

メーカーでも、新しい鳥認識AF機能を実装させていますし、野鳥撮影というジャンルは、フィルムカメラ時代のように、一部マニアの特殊な撮影ジャンルとしてでは無く、もっと一般化して一定程度の支持を得つつ定着していくような気もします。

 

本当に野鳥撮影ブームが終わってしまい、超望遠ズームレンズが売れなくなっても自分にはかかわりのないことではあります。

ただ一過性のブームに踊らされて、食い散らかしたようにカメラ・レンズマーケットが変に毀損されてしまったとしたら、少し寂しく思うだけの事です。

 

自分自身のことを言えば、はるか昔、高校生時代にバードウォッチングをしており、お金が無かったものですから、写真部の機材として唯一あったタムロンの300㎜を借り出して来て、手持ちのケンコーのテレプラス(×2)を噛ませて、近くのシジュウカラなどを撮影したのが最後です。

 

レンズが暗くて、フィルムもASA(当時はISOではなかった)400だったから、撮影は随分苦労しました。AFではくMFですしね。

タムロンは低山にも持ち込みましたが、森林の野鳥相手では全く勝負にならず....。

 

ということで、自分の野鳥撮影はとっくの昔に終わっております。やるなら動画撮影ですけれど、これも苦労するでしょうから止めておきます。

 

ではこれで失礼します。

あぁ喉はまだ痛いですね。上手く話すことが出来ません。明日も仕事は無理かな。


写真機購入という名の趣味 終わりの始まり

2023-05-30 23:54:26 | 写真撮影/撮影機材

Uさん、こんばんは。

昨秋から今春に掛けて、カメラの整理を進めてきました。

 

多い時で12台あったレンズ交換式カメラ(フィルム式除く)は、今や4台となっています。

喜び勇んで買い、一時は4台に増えたαNEX-7も、手元にあるのは1台のみです。

 

カメラの整理を始めたのは、ただ単に他のものを買うためのお金を捻出するためでした。

処分を進める過程において、増えたカメラの意味合い考えるようになり、そこに幾らかの疑念を持つようになりました。

 

振り返って見れば、買ったカメラの大半がただ取得するのみで、ほとんど使っていなかったか、或いは稼働率が極端に低い状態でした。

あちらを立てれば、こちらが立たずという具合に、複数のカメラの内、どれか一つを使うことになると、別のどれかの使用を見合わせなければなりません。

 

数多くのカメラがあれば、一台当たりの稼働率が下がるのはごく当たり前のことです。

同じ被写体を複数のカメラで撮影することもありましたが、例えば遠方に写真撮影に出掛ける時など、ごく限られた少ないケースでした。

 

結局のところ、写真撮影が目的で機材を購入するのではなく、そもそも写真機の取得が目的のようなところがありました。

カメラの収集ならそのまま保持すれば良いのですが、集めることは目的ではありません。

 

手にして、操作して撫でまわし、少しシャッターを切ってそのフィーリングを楽しみ、少し撮影して、気に入った絵が出てくればそれでお終いです。

だから、買ってしまえばそのカメラに対する興味は無くすし、次から次へと関心が向かうカメラが変わります。

最近では欲しい機器がかなり減ってきましたけれど、それでもあと数機種は導入しようなどと、とぼけた感覚を持っていました。

 

それが重荷になってきました。

導入間隔も短くなってきていて経済的負担をかなり感じ始めているところでした。

 

終わらない欲求。

そのさしたる意味も無い、単なる物欲に抗う気持ちが、ここで強く芽生えてきました。

その気持ちが芽生えて来るのが随分遅かったのは何とも残念ですが、これは仕方が在りません。

 

幾つかの機材を放出する中で、手元に残しておきたい気持ちと手放しても構わないという気持ちが拮抗する状態となって、なかなか踏ん切りがつかないものもありました。

でも、処分した後は、特段の後悔の念は生じていません。

むしろそれをきっかけにして、意を強くして機材の整理を進めてきました。

 

そして、ここに至って、写真撮影の趣味(自分の場合は光学機器の取得趣味とでも言いましょうか)に決別する時が来たという風に、強く感じています。

 

思えば、小さなころから随分この趣味に振り回されてきたように思います。

これまでずっとこの物欲に支配され続けてきたのでしょう。

写真機・光学機材に引き寄せられる気持ちを断ち切って、これ以上、この分野に関心を持つのを止めようと、最近、そのように意識を改めました。

 

ごく普通の人が、適当に売れ筋のカメラを買って、旅行先で記念写真を撮るようなことを考えればわかりますが、写真撮影=趣味ではないですし、カメラ購入=趣味でもありません。

カメラを買うことについての特段の是非はありません。

その意味合いが問題だということです。

 

鳥類や鉄道、モータスポーツや人物、風景など、撮影を目的として機材に凝る、そこに資金を投入するというのは、健全で良い趣味だと思います。

自分もそうなら良いのですが、残念ながら特定の分野における撮影というものに関心がありません。

 

ま、遠方に行って気に入った風景を撮ることぐらいでしょうか。

撮影旅行というものはほぼやりませんし、近所の何かを記録として残す、というようなこともしていませんね。

 

あくまで機材に対する関心なんです。

写真撮影を行うための道具立てとしての機器という立ち位置ではありませんでした。

 

手段が目的に転化したものが趣味だとか言っていたのは、オーディオ評論家の故・長岡鉄男氏だったように記憶していますけれど、自分の写真趣味の場合は、それの最たるものかもしれません。

 

冒頭に書きましたとおり、手元のカメラは、まだ4台残っています。

カメラに関心の無い普通の人から見れば、まだ随分多いと思いますね。

だから、後1~2台は整理することになるでしょう。

 

半リタイア状態のEOS-1Dmk4も手放すかもしれません。

売ってもですね、大した金額にはなりません。

 

しかし、気持ちの整理を付ける、踏ん切りをつけるという意味では、処分することにそれなりに意味があると思います。

EFマウントレンズも多くはありませんが、手放すことになるでしょう。

 

結局のところ、こうしてカメラが増えていったのは、ほんのちょっとの”こだわり”のせいなんです。

そのこだわりを捨て去ってしまえば、写真機に対する関心は霧散消失すると思います。

 

そしてその小さな”こだわり”の最たるもの、牙城が645formatのペンタックス645Dですね。

EOS-1Dmk4をリプレースする形で稼働率が上がってきましたが、そうは言っても機動力に欠け、万能性に乏しい中判デジタルカメラは、どうしたって出番が限られます。

防湿ケースに眠らせておく時間は長くなります。

 

”使ってなンぼ”の世界に転じた以上、例外を作ってはいけません。

今は、このカメラの放出は考えていませんが、気になり始めた時が来たら、このカメラとのお別れの時です。

 

もうメーカーによるメンテナンスは出来ません。

手放すとなったら、二束三文で叩き売ることになるでしょう。

 

SMC645レンズ数本も同じ運命です。

その時が来たのなら、ここでまた報告することになると思います。

 

そうそう、レンズ交換式カメラ以外に、手元にはコンパクトデジタルカメラが何台かあります。

それらはほぼメモ代わりに使っていますから、壊れるまではそのまま残すことにします。

 

ではこれで失礼します。

ごきげんよう、さようなら。