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【参加報告】1/16長谷部恭男先生×石田勇治先生トークイベント「緊急事態条項の先はどこに向かうか?」後編

2018-02-15 00:20:58 | 参加報告

【参加報告】1/16長谷部恭男先生×石田勇治先生トークイベント「緊急事態条項の先はどこに向かうか?」後編
※大久保厚さんからご寄稿いただきました。前編は、こちら
 長谷部教授からは、自民党改憲案は、発動の要件が曖昧で、歯止めがなく、発動の効果(内閣だけで法律を制定、改変できる)が強大過ぎる。これは国家総総員法に近いとばっさり断じて、いまはこれの条項を言う者はいない状況になった。いまの検討状況は、「憲法54条(解散後、及び総選挙後30日で特別国会)は厳格過ぎる」というものである。政府側の研究会では、正当な理由があれば、日数に拘ることとはない、趣旨は、解散権と招集権の濫用を抑止することにあるし、最高裁も選挙を無効とするはずはないという。
 もう一つは、衆議院の任期満了後の緊急立法の必要性が言われているが、「参院の緊急集会」を求めればよいことであると説明された。
 それでも緊急事態法は必要かという論議があるとすれば、どのように考えるかの論理を展開された。つまり「何が起こるかは事前の完全な予測は不可能である」→「従って何が起こっても対処できるよう予め備えるべきだ」→「とてつもなく広汎な権限を政府に与える危険極まりない緊急事態条項」という結論になる。
 このような発想を回避すべきであると言われた。
 それをイギリスのA・V・ダイシーが『イギリス憲法研究序説』(1885)で法の支配を理論化した三つの原則を示して説明された。3つの原則とは、「(1)専断的権力の支配を排した、慣習法(コモン・ロー)の支配。(人の支配の否定)、「(2)制定された法律は国民にも政府にも平等に適用される。(特別裁判所の禁止)、「(3)裁判所による判例の集積が正しい法となる。」の3つである。
 こうである。「既存の法で対処しえない事態は起こりうる」→「政府は国民の生存確保のための必要な措置を(違法といえでも)とるべし」→「事後に議会に免責を求める必要がある」。この事例としてダッカ日航機ハイジャック事件における福田内閣の超法規的措置の事例やビスマルクに対オーストラリア戦争における予算不成立時における軍事財政支出などの事例をしめした。
 石田教授からは、ビスマルクの事例については否定的な見解を示された。私は石田教授の見解を支持する。
 石田教授は、日本における緊急事態法について、欧米各国での事例とりわけ制限発動の枠組みを正確に把握し、検討することが必要と強調され、現在のドイツ憲法(ボン基本法)は緊急事態法の制定経緯、及びヒトラーに悪用された手口を分析しそのような再発を繰り返さない仕掛けについて詳細に検討し、制定されたものであると紹介された。

※このトークイベントで語られた範囲は、集英社新書『ナチスの「手口」と緊急事態条項』の前半部分であった。後半部分の論点を知りたい方は、拙ブログの記事をご覧ください。
集英社新書『ナチスの「手口」と緊急事態条項』ノート


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