「生協だれでも9条ネットワーク」

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【参加報告】「安倍9条改憲NO市民アクション・いちかわ」青井未帆講演会(寄稿)

2018-06-09 20:15:01 | 参加報告

「安倍9条改憲NO市民アクション・いちかわ」青井未帆講演会に参加した。



2月24日市川市男女共同センターで開催された学習院大学青井未帆教授の講演を聴いた。安倍9条改憲の狙いは何か!また憲法に「自衛隊」を明記するとはどういうことかを考える上で、とても有意義な講演だった。安倍首相の「自衛隊と明記するだけ」「なにも変わることはない」という謳い文句に隠されるその狙いは何かを分かり易く解説してくれた。

論旨を紹介したい。

1.現憲法のもつ効果とはどのようなものか?(明治憲法と対比して)

1)日本国憲法の決定的なユニークさは、憲法9条2項にある。平和主義そのものを掲げる国はあるが、戦力不保持と交戦権の否認は唯一日本しかない。
2)日本国憲法は明治憲法73条の改憲規定により制定された。従って章立て構成は明治憲法に準拠。戦争放棄と地方自治は新設された。
3)日本は二度憲法を作ったが、明治憲法は様々な制約があるが、その憲法観は、「君権(=君主)」を制限し、「臣民=天皇のしもべ」の権利と義務を定めたという意味では、立憲主義憲法と言える。現憲法は国民が主権をもつ立憲主義の法体系をもつ。
4)最大の失敗は、天皇による統帥権の独立と軍部の乱用を統制できず、国家破滅の道を防ぐことが出来なかったこと。ここが現憲法の出発点である。
5)明治憲法は軍と軍隊に関する以下の規定があった。兵役義務、統帥権、軍令・参謀本部・軍令部、軍部大臣現役武官制、戒厳令、非常大権、編成大権、軍人特例などである。
6)現憲法は上記を含めて軍及び軍隊に関わる規定を一切削除したことにある。これが日本の平和を維持出来た大きな要因である。

2.行政機関としての防衛省=自衛隊から何を目指すのか?
1)現憲法下における自衛隊は国家行政機関の一つにすぎない。つまり、自衛隊は行政機関であり、憲法は自衛隊を特別扱いとする根拠をもっていない。加憲は、つまり憲法に法的根拠を書き込むことに他ならない。
2)警察とは異なる「軍隊」の特別性とは、無秩序状況のもとで、戦わせるための規則と規制を持たせること。「逃げたら処罰・銃殺する」という強制をもつ法体系は人権的概念との対極にある。
3)現憲法は、その意味で、自衛隊に軍隊のもつ強制性を持たせられなかったが故に自衛官の尊厳を守ってきたという効果をもつとも言える。
4)自衛隊の明文化は、しかし国権の発動機関としての自衛隊を視野にしたものである。現状の国権(三権)分立も歪みつつあるが、今後一層、国会と裁判所に対する「内閣と行政機関」の肥大化が必至であり、これを統制するシステムが全くもっていないこと。

3.『憲法に「自衛隊」を書くだけ』という言葉に惑わされてはならない。
1)「自衛隊(或いは自衛権)を書くだけ」とは何を意味するかを考えてほしい。憲法に9条2項に追記するとは、詳細をすべて法律で決めるということである。つまり後から国会の多数で制定できる「法律」に丸投げすることにほかならい。
2)憲法は権力の制約根拠(やるべきこととやってはいけない)を明記するものであるが、その憲法には、全くその制約と限度が示されることがないとすれば、合憲か違憲かも誰も判断できない憲法をもつことに他ならない。つまりそれは、天皇に白紙委任した戦前の国権構造の再来に他ならない。
3)「いまあるものを書くだけ」という。「これによって何か変わるのか」といえば、「変わらない」という。つまり、なにも考えずに、理屈抜きにいまあることを認めよということである。しかし本質は、「自衛隊の特別性」に対する統制メカニズムを憲法の中に全く内在されない「自衛隊(或いは自衛権)」という言葉のみが記述されるということに他ならない。

4.そもそも日本だけでは完結・制御できない領域の存在
1)「garrison state」(ガリソン国家)への不安
ハロルド・ラスウェー1941年:軍事的な価値が国家全体に覆っている状態。大衆が過剰な恐怖心に煽られて求めるに至った国家。
2)日米安保条約と日米地位協定との関わり
 ・日本だけで制御できない領域
 ・集団的自衛権による戦争への参加、米軍の必要とする戦争への参戦
 ・日米地域協定〜日本の憲法と法律の及ばない基地と港湾・空域


5.まとめとして

歴史にも「Point of No Return」(帰還不能点:飛行機がもはや出発点に戻る燃料がなくなる点)というものがある。もう引き返すことはできない分岐点である。
どういう国にしたいのか論議もない不真面目で姑息な手段による改憲は、絶対にしてはならない。最低投票率規定もなく、広報規制のない財力がものを言う選挙で決する国民投票法のもとでは、正論が負けることが十分ありうる。なんとしても、国民投票前に発議させないことが絶対必要である。


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講演を聴いて

1)自衛隊明記は、9条だけでなく、憲法そのものを壊す行為であること。
まずは自衛隊(或いは自衛権)を言葉として挿入することで、憲法上の位置を獲得し、その定義を憲法内に内在させることなく、法律にすべて丸投げして、国会の多数を力に、必要な法律をつくるという作戦であることを見抜くこと。それはつまり、憲法で明記すべき「国権」に関する制限という現憲法の根幹を崩し、何が合憲か違憲かを国の主権者である国民が明文的には全く判定できない状態におくことを意味する。それは、同時に司法権の無機能化(統治行為論への一層の傾斜)であり、国会の立法権のもつバックボーンを危うくする道である。この道には既視感がある。それは戦前の日本が歩んだ道に他ならない。

2)日本は果たして本当の統治権をもっているのか?
今回の講演では、詳しくは展開されていなかったが、そもそも日本は、国権を発動できる状態にあるのかが問われなければならない。日米安保条約と日米地位協定の現状評価を避けて通れないはずである。
日米安保条約のもとでの様々な密約の最大のものは、核の日本持ち込みとともに米軍に従軍する自衛隊の海外派兵の実態である。日本の自衛隊は、米軍従軍付属部隊である。自衛隊の指揮権は自衛隊法では内閣総理大臣にあると明記されているが、実態は、米軍の指揮権のもとにある日米合同委員会と日米ガイドラインによる対米従属の構造を抜きにしては論議できないし、現状を考えれば、日本の主権が一体どこにあるのかを問われるはずである。
とすれば、それは、国家主権に関する存立危機つまり毀損である。日本の未来に対する「存立危機」を生み出しているのは、北朝鮮でも中国でもなく、歴代の自民党政権であり、国難を叫ぶ安倍政権であることを銘記しなければならない。

記:大久保 厚